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モーター スポーツ コラム 2024年6月19日

「長かった、辛かった……」笹原右京&ジュリアーノ・アレジがSUPER GT初優勝を飾るまで

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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SUPER GT第3戦のGT500クラスを制したNo.37 Deloitte TOM’S GR Supra。

鈴鹿サーキットを舞台にして開催された2024SUPER GT第3戦。GT500クラスでは、予選から速さをみせたNo.37 Deloitte TOM’S GR Supra(笹原右京/ジュリアーノ・アレジ)が優勝。2人にとっては念願のSUPER GT初優勝となり、大きな重圧から解き放たれたレースとなった。

TOM’Sの37号車といえば、かつては平川亮/ニック・キャシディのコンビで活躍し、2017年にシリーズチャンピオンを手にすると、その後も毎年のように王座争いに絡む走りをみせた。そんな平川は現在FIA世界耐久選手権(WEC)のTGRチームで活躍するほか、マクラーレンF1チームのリザーブドライバーとしてグランプリの現場に帯同している。相方だったキャシディもフォーミュラEで快進撃をみせ、第12戦を終わってランキング首位につけている。

2022年にはサッシャ・フェネストラズと宮田莉朋がコンビを組んで参戦し、第4戦富士で勝利を果たした。今季フェネストラズはフォーミュラE、宮田はFIA F2にELMSと活躍の幅を広げている。

そんな37号車のシートを2023年から引き継いだのが笹原右京とジュリアーノ・アレジ。さらにマシンのカラーリングもガラリと変わり、大きな注目を集めた。しかし、周囲の期待に反してシーズン序盤から苦戦を強いられてしまう。

2024シーズンにカラーリング一新した37号車。

2023年シーズンは8戦中5戦でポイントを獲得するものの、最高位は第2戦の6位。中盤あたりから予選も含めて上位に食い込む機会も少なくなり、ドライバーやエンジニアから笑顔が徐々に消え始めていた。

それとは対照的に、同じTOM’SのNo.36 au TOM’S GR Supraは坪井翔と宮田莉朋のコンビで昨シーズン3勝を挙げてシリーズチャンピオンを獲得。今季は宮田が海外に拠点を移し、山下健太が加入。それでも他を圧倒する強さは相変わらずで開幕戦で優勝を果たすと、第2戦富士でも46kgのサクセスウェイトを背負いながらも着実に追い上げて4位入賞を飾った。

36号車が活躍する傍らで完全に影に隠れてしまっていった37号車。特に今季第2戦では予選から歯車が噛み合わず、決勝でも終始苦戦を強いられた。状況を打破するために1回目のピットストップで別のタイヤを装着するも、状況は好転せず。結果は11位に終わり、昨年同様に苦しい状況が続いていくのかに思われた。

それでも、この状況にドライバーの2人は「自分たちを信じられなくなったら、どんなに大きなチャンスが来ても勝てなくなってしまう。今は苦しいけど、とにかく耐え続けてひとつひとつ解決していこう」と、心が折れそうになる自分達を励まし合い、前を向き続ける。

現状を打破するべく、2人は他のカテゴリーで経験を積んだ。笹原はSUPER GTで37号車を担当する大立健太エンジニアと試行錯誤を重ね、スーパーフォーミュラ第2戦オートポリス(5月20日・21日)で大きなきっかけを掴むと、アレジも今季から参戦しているスーパー耐久でST-X開幕2連勝をマーク。特にSUPER GT第3戦鈴鹿の前週に行われた富士24時間レースでは、深夜に霧雨が降ってウエット路面になるなかスリックタイヤでコース上に留まらないといけないという難しい状況を担当することとなったが、しっかりとポジションを守り切って総合優勝につなげた。この経験で『ジュリアーノに自信がついた』と語る関係者も多かった。

そして迎えたSUPER GT第3戦鈴鹿。37号車は走り出しから上位に位置し、公式練習で2番手タイムを記録。午後の公式予選で笹原がトップタイムをマークすると、続くアレジもスプーン2つ目でトラックリミット(走路外走行)ギリギリを攻める走りで3番手タイムを記録。2人の合算タイムで2番手に0.3秒差をつけ、初ポールポジションを獲得した。

予選後、笹原右京&ジュリアーノ・アレジは初PPに喜びを爆発させた。

チームはまるで優勝したかのようなお祭り騒ぎとなったが、なかでも感極まっていたのがQ2を担当したアレジ。これまでも笹原がQ1でトップタイムを記録して帰ってくるが、自身担当のQ2で好タイムを記録できず、上位グリッドを獲得できなかった苦い思いも経験してきた。それだけに、Q2単体ではトップではなかったももの、自身の手でポールポジションを手繰り寄せたということが嬉しくもあり、彼にとってさらなる自信につながったことは言うまでもない。

「公式練習ではロングランがメインでニュータイヤを履いていなかったので、アタックの時は合わせるのにすごく難しかったけど、クルマが良かったので、出来る限りやろうと思いました。(スプーン2つ目は)どうしてもポールが欲しかったから攻めました。『もしかすると(トラックリミットで)ダメかも』と一瞬思ったけど……もう行くしかなかった!」(アレジ)

今思うと、2人が全力を尽くして最高の結果をもぎ取った予選アタックが、決勝での快進撃のきっかけだったのかもしれない。

決勝レースは笹原がスタートドライバーを担当。序盤からトップを死守しながら周回を重ねていく。一見すると、ライバルに迫られながらもペース的には負けていないという印象だったが、笹原は想定外のシチュエーションと闘っていたという。

「正直いうと1スティント目の方がもっと苦労すると思っていました。予選で使ったタイヤでしたし温度が上がるとキツかったので、どちらかというと勝負は序盤だなと思っていました。14号車もすごく早かったですけど、そこまで脅威というわけではなかったし、こっちもマネージメントできていて上手く抑えられました」

「でも、セカンドスティントでちょっとしたトラブルに見舞われてしまって……それで14号車に追いつかれました。何事もなければもっとリードを築けていたかなと思うくらいクルマのバランスやポテンシャルはすごく高かったです。予想外に急にタフなシチュエーションになってしまいましたけど、そこでポジションを守り切れたことが大きかったです」(笹原)

背後に迫るNo.14 ENEOS X PRIME GR Supra(大嶋和也/福住仁嶺)からトップを死守する笹原。その様子をピットで見守りながら自身が担当する最終スティントに向けて準備を進めるアレジは、最高の結果を持ち帰るべく決意を新たにする。

「14号車との距離が近かったので、僕にとってもプレッシャーになっていました。本当『優勝するか(2位で)負けるか』というポジションだったので、とにかくミスなく完璧にやらないといけないと思っていました。右京が最初からすごく頑張ってくれてチームも良いクルマを用意してくれたから、あとは僕がゴールまでクルマを運ぶだけだと思っていました」(アレジ)

2回目のピットストップを先に行ったのは37号車。60周目に笹原からアレジに交代。一方の14号車を駆る大嶋は逆転を果たすべく一気にペースアップ。2周後にピットインして福住に交代すると、見事37号車の前でコース復帰を果たした。

ところがピットアウト時に“アンセーフリリース”の判定を受けドライブスルーペナルティで後退。再び37号車が先頭に立った。この時点で2番手以下とのギャップは10秒強。昨年までのアレジだとペースが伸び悩んで後続集団に捕まっていくというレースも少なくなかったが、今回の彼は違った。

GT300との絡みで9秒台まで詰められることはあったものの、クリアで走れる時にペースを取り戻し、10秒~12秒のギャップを維持し続けた。その走りは昨年までとは異なり、自信を持っているなというのが感じられた。

「14号車が速いことはわかっていたので、ジュリアーノにはプッシュするように指示を出そうとチームと話していました。それ応えてくれる走りをしてくれて、残り10周くらいになってからドシっと構えてみていられるようになりました。時間レースなので正確な残り周回数も分からないですし、セーフティカーが出たらギャップがリセットされるので、どうなるか分からないという状況でした」

そう語るのはピットで見守っていた笹原。各セクターのタイムが出てくるたび14号車との差を確認し、心の中で「ジュリアーノがんばれ!」と応援し続けた。

これに対してドライブしていたアレジも「右京とチームが素晴らしい仕事をしてくれたから、あとは自分がゴールまで確実にいかないといけないと思っていた。14号車のペナルティは本当に残念だったけど、今週末の僕たちは予選も含めて一番速かったことを証明したかったし、最後まで集中していった」と着実にゴールへ向かっていった。

そして、3時間が経過して37号車がトップチェッカー。サインガードで出迎えた笹原は、思わず涙をこぼし、マシンを降りたアレジも満面の笑みで喜びを爆発させた。

SUPER GT2024第3戦。

14号車のペナルティでトップに返り咲いての勝利ということで“ラッキーがあっての勝利”という見方も確かにある。ただ、アンセーフリリースという点では37号車も2回目の作業が終わった瞬間にNo.39 DENSO KOBELCO SARD GR Supraのピットアウトとタイミングが重なって交錯しかかった。しかし、そこで37号車は冷静に判断して僅かな瞬間だけ待ってからGOサインを出していたように感じられる。彼らもアンセーフリリースの可能性があったなかで、それをしっかり回避できているという点が、ある意味で勝敗を分けたひとつのポイントだったのかもしれない。

あとは“運も実力のうち”という言葉があるが、このレースでの37号車がそれに当てはまる頑張りをしていたのも確かだ。笹原も「今まですごく苦労してきて、めちゃくちゃ辛かったです。でも、そういった時に腐らず諦めずにひた向きに現実を受け入れて向き合って取り組んできたので、そういったこともあって最後はレースの神様が微笑んでくれたのかなと思います」と、これまでの苦労を噛み締めるように話した。

若い頃からF1を目指してヨーロッパのレースに積極的に挑戦してきた笹原。ただ、チャンスに恵まれず国内に活動の場を移して2020年にGT500デビュー。そこからホンダ陣営の一員として戦ってきたが、2023年にトヨタへ移籍を決意して37号車に加入した。さらなる活躍が期待されていたが思うような結果を残すことができず、昨年10月にはスーパーフォーミュラで大クラッシュも経験するなど、彼にとっては辛い日々が続いた。

「ここまでが本当に長すぎて……『いつ勝てるのだろう?』と思ってしまいそうな場面もありました。ずっと信じて本当に良かったなと思います」と語る笹原。その言葉が物凄く重く感じた。

笹原右京(No.37 Deloitte TOM’S GR Supra)。

チームメイトであるアレジも同様で、周囲の期待が大きい分、本人にのしかかっていた重圧は相当なものになっていた。かつてはフェラーリ育成ドライバーに選出されFIA F2も経験。父は元F1ドライバーであり名門フェラーリで優勝した経験を持つジャン・アレジ氏ということもあって、息子ジュリアーノへの期待は非常に高いものがあった。スーパーフォーミュラでは代役参戦となった2021年第3戦オートポリスで優勝を飾るものの、それ以降は表彰台に上がる機会がなく、昨年途中にレギュラーの座を失う。SUPER GTでも笹原と比べてアベレージ面で劣る部分もあり、評価も芳しくはなかった。

それでもコツコツと努力を続けて、この鈴鹿では勝敗の鍵を握る重要な局面を乗り切った。今回の37号車のポテンシャルが高かったことも影響しているが、それをミスなくゴールまで運んだのは間違いなくアレジだった。彼の努力が実ったレースだったと言えるかもしれない。

レース後、ピットで話を聞き終えた後に「長かったなぁ、辛かったなぁ……」と苦しみから解放されたような声を漏らしたアレジ。これまでの苦労の重さが凝縮されているような一言だった。

ジュリアーノ・アレジ(No.37 Deloitte TOM’S GR Supra)。

ここから先の躍進については彼らの頑張り次第ではあるが、少なくとも今回優勝を果たしたことで、彼らに対する評価の目が変わったことは間違いないだろう。苦労が報われて重圧から解き放たれた2人。中盤戦どのような活躍を見せてくれるのか。非常に楽しみだ。

文:吉田 知弘
吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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