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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年05月15日

『乾坤一擲(伊藤寿学・著、内外出版社)』書評のようなもの

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高校サッカーをよく知る方なら、間違いなく前橋商業の"奈良監督"という呼び方がしっくり来るだろう。私のように群馬県で高校サッカーをプレーしていた者なら、"奈良先生"という呼び方を最も多く口にしているはずだ。だが、今の肩書はザスパクサツ群馬を率いる"奈良社長"。監督ではなく、先生でもなく、社長となった奈良知彦の、人生を懸けた大勝負、すなわち『乾坤一擲』が、この1冊の中には余すところなく閉じ込められている。

群馬県のサッカー界で、奈良知彦の名前を知らない人はいない。白と黒のゼブラ柄が印象的な前橋商業高校を率いて、昭和63年度と平成元年度は2年続けて高校選手権でベスト4を経験。高校サッカー界を代表する監督として、全国にもその名を轟かせた。そんな奈良がザスパの社長になると聞いた時は、私もかなり驚いたことを記憶している。チームはJ3へと降格し、クラブも深刻な財政難の真っ只中。教員の世界しか知らない本人は何度も固辞したが、最後は「群馬からJリーグの火を消すわけにはいかない」という信念の下、社長への就任を決断する。

当時のクラブは疲弊していた。組織としての停滞感を察知した奈良は、ある行動に出る。それは毎朝9時半から"朝礼"を開くこと。そのこと自体が目的ではなく、時間を守ること、習慣を作ることを改めて徹底させる意図が、そこにはあった。そして、その中で偉人や名のある経営者の言葉を紹介する「今日の言葉」を毎日社員へ伝えつつ、彼らの状況を逐一把握していったという。すると、少しずつ会社の空気が変わっていく。

ここに奈良の真髄がある。経営のプロではない。社長の経験もない。ただ、きっと組織を率いる人間に、その要素はそれほど必要ではないのかもしれない。「うちの会社の財産は人」と奈良は言い切る。人を信じ、人を育てる。これは高校の教員時代から、彼が常に念頭に置いてきたことでもある。かの有名な戦国武将、武田信玄も『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』という言葉を残した。何よりも"人"を大切にする姿勢は、いつの世の中でもきっと変わらず、"人"を束ね、"人"を動かす者にとって必要なことなのだろう。

この2年間でザスパが組織としてどう変化していったか、奈良がその中でどういう役割を果たしていったかは、本書を参照いただきたい。情熱と愛でザスパの社長を続けている奈良が紡いだ数々の言葉は、このコロナ渦で苦しい想いをしている経営者にとっても、少なくない示唆に富んでいることは間違いない。

最後に個人的な話を。高校3年生の時。凡庸な県立校だった私の学校は、偶然にもインターハイの群馬県予選決勝で前橋商業を破り、全国大会出場を勝ち獲る。そして、選手権予選でも再び決勝で前橋商業と対峙したものの、今度はリベンジを果たされてしまい、晴れ舞台への道を閉ざされた。

実はインターハイの決勝に"奈良先生"の姿はなかった。その前年の選手権予選決勝で、不可解な判定に抗議するあまり、ピッチの中に入ってしまい、それから数か月に渡って公式戦のベンチ入り停止処分を受けていたためだ。そして、選手権予選の決勝に"奈良先生"は現れ、我々は大差で敗れ去った。

結局3年間で"奈良先生"に勝つことは一度も叶わなかったが、彼がいなかったおかげで、我々サッカー部の同級生は今でも奇跡的に味わった全国大会の話題を肴に、お酒を飲む機会を毎年のように設けることができているのだ。

いつの日か、"奈良先生"には直接このお礼を言わなくてはいけないと、秘かに思っている。

土屋

乾坤一擲.JPG

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