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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月05日

Pre-match Words ~FC東京・橋本拳人編~(2015年11月20日掲載)

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【Pre-match Words FC東京・橋本拳人編】

(2015年11月20日掲載)

Q:最近で言うと天皇杯(4回戦 水戸〇2-0)でとんでもないゴールを決められましたが、あのゴールに関してはいかがですか?

A:そうですね。もう一生に一度というか(笑)、次に同じ場面があっても打たないと思いますし、何で自分で打ったのかもわからない、本当に夢のようなゴールでした。

Q:打った感触みたいなものは覚えていますか?

A:いや、あまり良い所に当たったイメージはなくて、気付いたらシュートを打っていて、気付いたら入っていた、みたいな感じなので、ちょっと不思議な感覚でしたね。

Q:そういうゴールって今までもありましたか?

A:あの松本戦(1st-第15節 〇2-1)のゴールも特に初出場でしたし、何か常に緊張していた中でああいうプレーも出て、あの時とちょっと似た感じというか、あの時も不思議な感覚でしたね

Q:特に今回は味スタでの初ゴールということもあって、その感慨深さもありましたか?

A:そうですね。ずっと「味スタで決めたい」と思っていましたし、平日ですけどサポーターもたくさん来ていたので、そのサポーターの前でゴールを決められたというのは凄く嬉しかったですし、ヒーローインタビューも初めてやって、いつも武藤(嘉紀)選手のばかりを見ていたので(笑)、まさか自分がやれるとは思っていなかったので、凄く嬉しかったです。

Q:ご自身ではずっとコンディションが良いという感覚がある中で、ファーストステージはなかなか出場機会がなかったと思いますが、そういう時期はどういうことを考えて日々の練習に取り組まれていましたか?

A:本当に毎日の練習でアピールに必死でしたし、本当に死に物狂いで毎日の練習に取り組んでいましたし、その中でいざチャンスをもらった時に良いプレーをできなければ、チャンスは1回しかないと思っていましたし、その1回のために日々自分に厳しく、腐ることはなく、毎日トレーニングできていたなと思いますね。

Q:約2シーズン熊本に行かれていた中で、前任のポポヴィッチ監督と今のフィッカデンティ監督はスタイルで言うと真逆くらいの違いがあったと思いますが、そういう部分でFC東京のサッカーにアジャストするのが難しかった部分もありましたか?

A:「守備が堅い」というイメージで東京に戻ってきましたし、その中で自分は「守備が得意だ」と思っていたので、「自分の良さを生かせるかな」と思ってシーズンに入ったんですけど、まだまだ自分の中でも「守備に対する意識が甘いな」と思いました。シーズンの最初の方で監督に色々教えてもらった中で「まだまだ自分は守備も未熟だったんだな」と気付かされて、戸惑いは少しありましたけど、毎日の練習で監督が言うことを常に頭に入れていましたし、少し時間が掛かりましたけど、今ではもうしっかりと頭に入っているので、凄く自分にとってプラスになっているシーズンですね。

Q:あの15節を迎えるまではベンチ入りも1試合だけという状況で、それでも練習の中ではある程度「やれるな」という手応えは掴んでいましたか?

A:いや、正直半信半疑というか、常に「出たらできるぞ」というのは言い聞かせていましたけど、「実際に出たらどうなのか」というのは不安な気持ちもありましたね。

Q:そういう時って何が自分を一番支えていましたか?

A:やっぱり応援してくれる人たちというのは、両親を始め、今まで一緒にサッカーをやってきた仲間だったり、もちろん東京のサポーターもそうですけど、熊本で応援してくれたサポーターや、そういう支えてくれている人たちに「プレーで恩返しをしたい」という気持ちは常にあったので、その気持ちは常にありましたね。

Q:そんな中でファーストステージ15節の松本戦で初めてスタメンとなって、その試合でいわゆる"結果"を出したと思うんですけど、今から振り返ってみてあの試合はいかがでしたか?

A:思ったよりやれたというか、試合の入りはちょっとフワフワしたというか、少し緊張していて「大丈夫かな?」という感じでしたけど、点を決めてからも落ち着いてプレーできていましたし、その日まで練習で意識していたことだったり、「出たらやってやろう」と思っていたプレーもある程度できたなというのもあって、自信はあの試合で付きましたね。

Q:やっぱり試合に出る前って緊張しましたか?

A:そうですね。もう本当にこれがラストチャンスという気持ちで臨みましたし、「これをやらなきゃ(もうチャンスは)ないな」という感じだったので、もう吐きそうでしたね(笑)

Q:ゴールはちょっとフォワードっぽいというか、ニアサイドでうまく合わせましたが、あのゴールを振り返っていただけますか?

A:監督にもコーチにも「どんどんクロスに入って行け」というのは言われましたし、2列目からの飛び出しというのは自分の武器だと思っていた中で、太田(宏介)選手が持った瞬間に「絶対に良いボールが来る」と思ったので、突っ込んだという感じですね。

Q:入った瞬間はどうでしたか?

A:いや、覚えていないですね(笑) 本当に真っ白になったというか、嬉しさが凄かったですね。本当に泣きそうになるくらいというか、こみ上げてくる感情がたくさんあって。でも、切り替えてすぐに次のプレーに入りました。

Q:今はポジション的にはトレスボランチで起用されることが多いですけど、攻守のバランスというのはどのように考えてらっしゃいますか?

A:僕はやっぱり「3枚の内の1枚は必ず前に絡まなければいけない」という風に思っていました。ただ、後ろのブロックを作ってからの攻撃だと距離もあってなかなか出て行くのは体力的にも厳しかったりするんですけど、そこを出さなければ自分は試合に出られないという風に思っていましたし、みんなで守りますけど前の3人だけじゃやっぱりキツい時もあると思うので、そういう時にやっぱり2列目から助けてあげるというか、サポートに行けるようにという風には考えていますね。

Q:試合中にポジションやシステムが変わることも多いと思いますが、そういう部分には慣れてきましたか?

A:いや、ちょっと難しいというか戸惑う時もありましたけど、基本的な戦術のベースというのは変わらないと思いますし、しっかり相手を掴みながらスペースを埋めて、カウンターに行くというサッカーは一緒だと思うので、そこまで考え過ぎずにやっていますね。

Q:試合に出て行く中で何となく「自分のやることはこれでいいんだ」というような自信や手応えが出てきた感じですか?

A:そうですね。少しずつですけど、まずは良いポジションを取って、良いボールの奪い方ができたら前に出て行く、ボールを奪いに行けないならスペースを埋めてバランスを取ると。その辺の状況に応じたポジショニングだったりというのは凄く慣れてきたというか、自分の中でこれというものは最近になって見つけてきました。

Q:周りは年長者が多くて、だいたいスタメンでは最年少だと思いますけど、周囲に対しての気遣いは難しかったりしますか?

A:基本的にある程度みんなが僕をサポートしてくれるというか、「どんどん行って良いよ」と言ってくれますし、どんどん声を掛けてくれますし、凄くやりやすい状況を作ってくれているので、そこは本当に感謝しています。ただ、そうしてもらっている中でやっぱり僕も「周りを助けたい」という気持ちもあるので、そういう所で守備で走ったり、ボールを奪ってマイボールにしたりという所でチームを助けられたら良いなという風に考えていますね。

Q:常に聞かれることだとは思いますが、FC東京で試合に出続けていることで、改めて熊本での2シーズンという時間が、より自分の中で重要度が増してきている感覚はありますか?

A:そうですね。まずは試合に出るという部分で、60試合出られたということで自信も付きましたし、J2というJ1とはまた違った厳しさがあるリーグで試合に出られたというのは自分の中で凄くプラスになっていますし、試合中のプレーの判断だったりというのも、練習では味わえない部分というのは凄く成長させてもらったかなと思っているので、凄く大きかったかなと思っています。

Q:当時の熊本には周囲にベテランの選手も多かった中で、プロキャリアを15年近く続けてきた先輩たちから得るモノも大きかったですか?

A:そうですね。本当に経験のある選手もたくさんいて、色々な話を聞きましたし、色々なことを学ばせてもらいましたし、監督も熊本で3人の監督の方に色々なことを教えてもらったので、本当に濃い1年半だったと思います。でも、その中でも常にJ1で試合に出られるレベルというのは凄く目指してプレーしていましたし、その期間というのは凄く自分の中では大きかったかなと思います。

Q:試合に出ている出ていないにかかわらず、自分が成長している手応えはありますか?

A:緊張感が今は凄くあって、この緊張感の中でプレーできているというのは凄く成長できていると思います。スタメンでもスタメンじゃなくても役割はあると思いますし、それを果たすことがやっぱりサッカー選手としての仕事だと思うので、そういう部分でも気持ち的にも凄く成長させてもらっていると思いますね。

Q:メディア対応や人前で話すということについては、プロ4年目になって変わってきた部分はありますか?

A:今まで人と話すことは結構苦手だったんですけど、慣れですかね(笑) 慣れもあると思いますけど、全部とは言わないまでも、「なるべくなら自分の言葉で自分の考えというのを言いたいな」という気持ちはあるので、結構それは素が出ちゃっているかもしれないですね。よく"メディア用"という言葉も聞きますけど、そこはあまり意識していないかもしれないです。それが良いことなのか悪いことなのかはちょっとわからないですけど(笑)

Q:ずっとFC東京の下部組織でプレーされていて、今まではなかなかトップチームでの出場機会もなかった中、あるいはクラブが一番大事な時期を戦っているタイミングで、レギュラーとしてプレーできているということに関してはいかがですか?

A:本当に幸せに思いますし、本当に歴史を変えられそうな位置にいるので、その中で試合に出させてもらってというのは、味スタで試合に出るだけでも幸せですけど、そういった優勝争いに絡めているというのは本当に嬉しいです。ただ、出ている以上は責任を持って、しっかり結果を出して、やっぱりプレーで示さないといけないなという緊張感もありますね。

Q:今回はホーム最終戦で味スタでゲームができますが、下部組織の時から味スタでゲームをするというのは1つの目標だったと思いますけど、そんな味スタっていかがですか?

A:いいですね。特に最初に入って行く時、アップに入る時とかはいつも上から見ていたりしていたので、それをピッチ内で迎えてもらえる気持ちは凄く毎試合味スタでやるたびに嬉しく思いますし、「サポーターの皆さんの前で良いプレーをして、勝利に貢献して喜ばせたいな」という気持ちに毎回なるので、とても素晴らしい場所だなと思います。

Q、ここからはキャリアのお話を聞かせてください。実は前から気になっていたんですけど、お父さんは橋本選手にボクシングをやって欲しいと思っていたなんてことはないですか?

A:ボクシングではないですけど、極真空手とか柔道に「行くか?」と言われたことはあります。

Q:お父さんは格闘技系をされていた方ですか?

A:本格的かどうかはわからないですけど、柔道とレスリングは結構やっていたみたいですね。

Q:名前にそういうメッセージが込められているのかなと。カッコいい名前ですよね。

A:ああ、拳(コブシ)という字ですね。前に父に聞いたことがあったんですけど「『強い男になれ』という意味を込めて"拳"という字にした」と言われました。自分でも気に入っています。カッコいいですよね。ただ、結構間違えられますけどね。手を挙げるとかの"挙"に。"キョ"じゃないので。だいたい間違えられますから。それを間違えられるのは結構ショックなんですけどね(笑)

Q:それは声を大にして言っておきたいですね(笑)

A:"拳"という部分に意味があるんで。"挙"だと全然違いますから(笑)

Q:お気に入りの名前ということですね。話は全然変わりますけど、小学校の時のチームはどういうチームだったんですか?

A:家の近くにある兄が入っていたチームで小学4年生までやっていたんですけど、練習をずっとしていて違うチームとの試合を全然やらないチームでした。それで「試合をした方が良いのかな」という風に親とも話して、ちょうど引っ越しもしたので、そのタイミングで家の近くでやっていたフナトアミーゴSCに入りました。そこは試合が凄く多いチームで、土日に試合があったので、そこでやっていましたね。

Q:結構強いチームだったんですか?

A:板橋区の中では強い方でしたね。

Q:そこからFC東京のジュニアユースに入るというのも唐突な気がしますが、そこのキッカケはどういう形だったんですか?

A:スクールに入っていたんです。小学4年生から応募して火曜日は深川のクラスに通っていて、その中の今で言う"アドバンスクラス"という選抜クラスみたいな所に入っていました。そこでジュニアユースのコーチに見てもらう機会もたくさんあったので、それで入れた所もあると思います。2つ上の兄がセレクションを受けに行ったのを一緒に見に行って、「ここでやってみたい」と思って応募したという形です。

Q:実際に入ったジュニアユースはいかがでしたか?

A:本当にレベルが高くて、体の大きな選手だったり身体能力の高い選手が多かったですし、試合もなかなか出られずにケガも多くて、正直自信を失ったというか、1年生や2年生の頃はかなり悩んでいました。でも、3年生になって当時の長澤徹監督に励ましてもらうというか、色々と声を掛けてもらって頑張れたというか、凄く色々なことも教えてもらいましたし、徹さんに会えたことがキッカケでまたサッカーが楽しくなりました。楽しくなるとまたサッカーもだんだんうまくなっていきましたし、本当に徹さんには感謝していますね。

Q:僕も徹さんは素晴らしい指導者だとかねてから思っていますが、徹さんに言われて印象に残っている言葉はありますか?

A:『神は細部に宿る』です。「細かいことをおろそかにしていたら、サッカーの神様は見ているから」と。結構細かいことをおろそかにしていた自分もいたので、その言葉に「ドキッ」とさせられました。単純に走る練習でも決められたラインまでしっかり走るとか、道具の片付けもしっかりするとか、そういうことを凄く意識するようになって、凄くプレーも変わってきたことを実感できたので、その言葉は今でも意識してやっていますし、凄く良い言葉だなと思いました。他の人からも「徹さんは凄く良かった」という話をよく聞くので、「ああ、やっぱり徹さんは凄いんだ」と改めて思いますよね(笑) 「またいつか一緒にやりたいな」という想いはあります。

Q:徹さんが中学3年の時に監督に就任されて、高円宮杯でも全国制覇されたじゃないですか。やっぱり中学3年の1年というのは、今から振り返ってもキャリアに大きな影響を与えた1年ですか?

A:間違いないですね。当時はユースに上がれるなんて1ミリも思っていなかったので、家の近くの成立学園に行って高校サッカーをやろうと決めていたんです。でも、徹さんに出会って、色々な話をしてもらったことでだんだん自信も付いて、「ユースに行きたいな」と思ったのも徹さんに出会えたおかげなので、中学3年は凄くターニングポイントというか、自分の中では大きかったですね。

Q:徹さんもそれを聞いたら喜ぶでしょうね。

A:いや、言わなくて大丈夫です(笑)

Q:ユース時代は2年生から主力で試合に出ていたと思いますけど、ザックリ振り返るとユース時代はいかがでしたか?

A:本当に2年生の時は試合にほとんど勝っていましたし、1年生の時も出ていなかったですけど常勝軍団だったので、勝って当たり前のチームでしたし、「たくさん勝ったな」という印象です。「強かったな」というのはあります。

Q:橋本選手が1年生の時の3年生にはプロに行った選手も多くて、かなりの人材が揃っていましたよね?

A:凄かったですね。強烈な選手が多くて、本当に凄かったです。

Q:1年生の時の想い出って何かありますか?

A:重松健太郎選手(町田)のボールを取ったら、怒られました(笑)

Q:メッチャ目に浮かびますね(笑) 練習中ですか?

A:練習中です(笑) あとは、ちょっとだけ試合に出たりしていたので、2つ上の選手にビクビクしながらやっていたなと思いますね(笑)

Q:ユースって先輩と後輩が仲良いイメージがありますけど、橋本選手から見た2つ上の先輩は「怖いな」という感じでしたか?

A:「だいぶ怖くなくなった」とは言っていましたけど、僕は怖かったですね。2つ上の先輩はやんちゃな人も多かったですし(笑)、気軽に話し掛けられなくて「話し掛けてもらったら嬉しいな」みたいな感じでしたね。

Q:橋本選手が2年生の時のチームって本当に負けないチームだったと思うんですけど、あのチームってどういうチームでした?

A:もう全員がハードワークして、一体感が凄かったですし、武藤選手(嘉紀・マインツ)や秋岡選手(活哉・東京海上日動サッカー部)のような強烈な選手もいましたし、常にたくさん点を取っていた印象があります。守備面では僕はボランチで出ていたので、後ろに松藤選手(正伸・ソニー仙台)のような凄くコーチングが上手い選手がいて、僕はいつも指示されながら動いていましたし、本当に楽しかったですね。練習も凄く楽しかったですし、明るい雰囲気も常にあって、一致団結していました。

Q:あの年にボランチへコンバートされたんですよね?

A:そうですね。1年の時はフォワードだったので。でも、2年が始まるぐらいに急に倉又監督(寿雄・現立教大監督)に「ボランチやってみろ」と言われて(笑)

Q:急にって感じだったんですね。

A:急にでしたね。フォワードばかりやっていたので。でも、フォワードに薄々限界は感じていました。秋岡選手と前岡(信吾)選手がフォワードにいたので、「ああ、この2人には勝てないかもしれない」って思っていた中で、「ボランチやってみろ」と言われたので、それも僕の中では大きかったですね。最初からボランチも楽しかったですよ。そんなに「フォワードをやりたいな」という気持ちにもならずに、「ボランチとして上手くなりたい」と思っていました。元々フォワードをやっていても結構守備はやっていた方だったと思うので、ボランチでよりボールを取れるようになりましたし、ボールにもより触れるので、良いポジションだなと思いました。

Q:あのチームは2回全国準優勝だったじゃないですか。Jユースカップの決勝はマリノスと凄まじい試合をやって負けて。全国で2回も準優勝だったということに関してはいかがですか?

A:マリノス戦はもうただただ悔しかったですね。入れられて追い付いて、また入れられて追い付いて。あの試合は本当に勝ちたかったです。もう1つの高円宮杯の決勝は出場停止で出ていないんですよ。本当に出たかったです。準決勝でイエローをもらった瞬間は本当に悔しかったです。その時は泣きましたね。苦い想い出です。でも、そう言えば確かに準優勝を2回しているんですよね。

Q:そうなんです。どっちもスタジアムで見てました(笑)

A2位と2位って凄いなあ... でも、あのチームも全国優勝はできなかったんですよね。そう言われれば。

Q:やっぱりあの時のチームというのは橋本選手の中でも特別ですか?

A:本当に特別です。特に大会で常に上に行っていましたし、そういう舞台で見てもらえたことでU-18の代表に呼ばれることもできましたし。でも、自分の力と言うよりは、チームが強くてその中で出ているということが評価されたと思うので、その時のチームメイトには感謝していますし、凄く印象深いチームでした。

Q:先ほども少しお話に出た熊本時代に藤本主税、北嶋秀朗、南雄太という3人のベテランと出会って、彼らとかなりサッカー談義をしていたと聞いていますが、それが今に生きている所は大きいですか?

A:そうですね。あまり自分のプレーを人にどうこう言われたことがそれまではなくて、大きな括りで「良い」とか「悪い」とかは言われていましたけど、あの3人というのはプレーを分析する力が凄かったんです。「オマエ、あのプレーはああだったな」とか「あのプレーはああやるとこうなるんだよ」みたいに、本当に具体的に話してくれるんですよね。それに僕はビックリしちゃって、そのことで自分のプレーも細かい所を凄く意識するようになりましたし、「これは良いプレーだ」とか「これは知らぬ間に付いていた自分の悪い癖だったな」とか、そういうことも凄く教えてもらいました。自分の知らない良い所だったり、自分の知らない悪い所にも気付けましたし、直接自分が言われている言葉じゃないこともありましたけど、みんなに話している中でも自分に置き換えて考えられましたし、とんでもない3人でしたね(笑)

Q:その時間は楽しかったですか?

A:楽しかったですね。楽しかったですし、もっと聞きたいと思いました。あまり僕からは色々話すことはできなくて、聞いていることがほとんどだったんですけど、本当に凄く良い時間でした。凄いですよ、あの3人は(笑) ビックリします。「本当にサッカーが好きなんだな」っていうのが伝わってきますし、僕もよりサッカーを好きになるキッカケになりました。

Q:具体的に彼らと話したことで今に生きていることってありますか?

A:うーん...

Q:あまり言いたくなさそうですね(笑)

A:そうですね(笑) 恥ずかしいのもありますし...

Q:じゃあ止めておきましょう(笑) ユースからトップに昇格したという経緯もそうですし、熊本で色々な人に出会えたということもそうですし、色々な経験をしてきた結果として今の橋本選手は背負うものも大きくなってきていると思うんですけど、そういう周囲からの大きな期待を受けているという状況はポジティブに受け止められていますか?

A:最初はやっぱり自分の能力とは違う部分で期待されているなと感じていました。僕、熊本では1点も決めていないんですよ。でも、今回点を決めた時なんかは「また点を決めてね」とか言われることもあって、「ああ、僕はそういうプレーヤーじゃないんだけどな」みたいに思うことはありました。でも、そうやって期待されることによって「そういうプレーを出していこう」と思えたり、最近はポジティブになってきましたね。

最初の頃は悩むまでは行かないまでも、何かしっくりこない感じはありましたけど、今ではポジティブに考えられるようになりましたし、そうやって言ってもらえるだけで本当に嬉しいことですよね。この間の天皇杯みたいにまたゴールを決めることができたら、みんなも本当に喜んでくれますし、期待に応えられる嬉しさというのも味わえたので、今ではサポーターの方に声を掛けていただけることは凄くポジティブに捉えています。

Q:これが最後の質問です。今って楽しいですか?

A:メッチャ楽しいですね。メッチャ楽しいですね(笑)

Q:2回言いましたね(笑)

A:緊張も凄くありますし、プレッシャーも凄くありますけど、今は「やっぱりこれがサッカー選手なんだ」っていう気持ちになっていますね。「これぞプロサッカー選手だ」って。仕事をしなくてはいけないこの感じ、良いですね。こういうのを求めていたんだと思います。

【プロフィール】

FC東京U-15深川、FC東京U-18を経て、2012年にトップチーム昇格。

2013年のシーズン途中に期限付き移籍で加入した熊本で実戦経験を積み、

今季からFC東京に復帰。

ファーストステージ第15節の松本戦ではJ1デビュー戦でゴールを記録。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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