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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月05日

Pre-match Words ~松本山雅FC・村山智彦編~(2015年10月23日掲載)

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【Pre-match Words 松本山雅FC・村山智彦編】

(2015年10月23日掲載)

Q:個人のパフォーマンスで言うと、自分のプレーがJ1で通用するという手応えはこの時期に来て掴めていますか?

A:なくはないですけど、全部が全部通用するかと言ったらそういう訳ではないですし、もっとやれるなという部分もあります。ある程度シュートストップだったり、そういう部分ではできている所もあって、逆に言えば全部が通用していない訳ではないので、そういう手応えは少なからず感じていますね。

Q:今まで松本はPKを5本取られていて、その内の2本を村山選手が止めていると思います。止めたのは大久保(嘉人)選手と(田中マルクス)闘莉王選手でかなりの大物でしたが(笑)、この40パーセントというPKストップ率に関しては率直にいかがですか?

A:今、初めて数字を聞きました。それが高いのか低いのかは自分の中で基準がないのでわからないですし、5本中2本を止められていることが良いことなのかわからないですけど、それはやっぱり僕自身というよりもウチの監督だったり、ミーティングの時にビデオを作って下さるスタッフだったりが夜通しで集めてくれているデータを元に僕もプレーしているので、そういう人たちのおかげなのかなと思います。

Q:闘莉王選手のPKに関しては、開幕戦(△3-3)で2点リードを追い付かれて、あれを決められたらダメージの残る逆転負けという状況にもかかわらず、非常に落ち着いていたように見えましたが、あのプレーはいかがでしたか?

A:そうですね。僕も意外とああいう状況だった割には、あの場面というのは非常に落ち着いていたというか、色々と自分の中で整理できていた数分間だったので、意外と冷静に対峙できたと思います。

Q:開幕戦でのスーパーセーブということで、あれでシーズンを通じて乗れた部分はありましたか?

A:そうですね。その前に前半に1回小屋松(知哉)選手か誰かが抜け出して、11みたいになったのを1回止めて、それでちょっと気持ち的にも楽になったというか、自分自身もグッと乗れた部分もあったので、その後に3失点してしまったのでフィールドの選手に申し訳ない気持ちもありましたし、あれだけアウェイにもかかわらずたくさんファン・サポーターが来ている中で、3-1から逆転負けというのは非常に絶望感を与えてしまうような結果になってしまうと思ったので、ああいうPKを止めるというのは非常に大きかったのかなと思います。

Q:その次のPKストップは16節の川崎戦(●0-2)で、大久保選手は得点ランクトップですし、2年連続得点王で、基本的にPKはほとんど外さない選手ですが、あのシーンに関してはいかがですか?

A:映像を作っていただいたものを見返したら、GKの動きを最後まで見ていて、全部というか8割か9割はGKの逆を突いていたので、余裕を持ってPKを蹴っていて、「この人は本当に上手いんだな」と思いながら見ていたんですけど、本当に最後まで動かないようにして、全部逆を突いていたからシュートの威力自体はなかったので、「ボールの方向に飛べば何とかなるな」という風には思っていたので、最後まで動かずにうまくボールに反応できた結果、キャッチできたのかなと思います。

Q:あのシーンはまだ1-0という状況で、あそこで弾くかキャッチするかは凄く重要だったと思いますが、キャッチされましたよね。それも含めてあの一連は会心のプレーだったんじゃないですか?

A:キャッチすることでセカンドボールのチャンスも与えないですし、PKをキャッチされるというのはキッカー的にも屈辱的なことだと思うので、そこで相手の大エースの選手をああいう風に抑えることができて、精神的にダメージを与えられたのかなと思います。

Q:他にご自身で「今シーズンのこのセーブは良かったな」と思い浮かぶシーンはありますか?

A:そうですねえ... アウェイのアントラーズ戦(1st-第14節 ●1-3)は結構攻め込まれていましたし、結果を見れば1-3で完敗というか、非常に残念な結果で終わってしまった試合ですけど、その試合は結構自分自身はシュートストップに関しては良くできていた試合だなと思います。柴崎(岳)選手が抜け出して右足でボレーして、僕が左足で止めたシーンは、ああいう場面で足を使えるというのは非常に自分自身大きな武器かなと思いますし、そのシュートブロックというのは非常に良かったシーンなのかなと思います。

Q:負けているゲームの方がシュートストップ自体は多くなることもあると思いますが、勝ち負けという結果と自分のプレーの良し悪しというのは結び付くものですか?

A:勝っている試合というのは全部無失点で終わっていますし、そういう部分ではやっぱり自分が無失点で抑えているからこそ勝てているという部分も少なからずあると思うので、そういう部分では一応繋がりはあるのかなという風に思いますね。

Q:J1へ臨むに当たって当然色々なイメージをされていたと思うんですけど、抱いていたイメージと実際にプレーしてみた感覚というのは、どれくらい合致していましたか?

A:結構合っていたかなという感じはしますね。やっぱりJ1に長くいるチームというのは、チームの熟成度というのが全然違いますし、戦術の統一された意識というか、同じベクトルを向いて戦っているチームが多いので、そういう部分ではどんなチームも強豪だなとは思いますし、そういうイメージは元からあったので合致しているのかなと思います。

Q:個人の圧力という部分ではいかがですか?

AJ1の相手のフォワード陣というのはどの選手も自信を持っていますし、「俺が絶対に点を取ってやるんだ」という強い気持ちは感じますし、その上でやっぱりクオリティも高いので非常にやりがいがあるというか、そういう選手たちと対戦できることで自分ももちろん成長できますし、そこは非常に楽しいというか、J1というのはそういう部分が楽しみなリーグですね。

Q:GKというのは非常に特殊で、常に相手のシュートを受け続けるポジションだと思いますが、ステージが上がって対戦相手のレベルが上がると、やっぱり楽しいものなんですね。

A:そうですね。テレビで見ていたようなスタジアムだったり、たくさんお客さんが入ったスタジアムでやれるというのは選手冥利に尽きますし、そういう中でもちろん公式戦なので必死に戦ってくる相手と本気の状態で対戦できるというのは、語弊があるかもしれないですけどやっぱり楽しみですし、そこはキーパーをやっていて良かったなと思う部分でもありますね。

Q:今回はホーム最終戦ということで、リーグ戦では今シーズン最後のアルウィンだと思いますが、改めてアルウィンっていかがですか?

A:やっぱりアルウィンは独特ですし、メインもそうですし、バックスタンドもそうですし、もちろんゴール裏もそうですけど、あれだけ一体となって応援してくれるスタジアムって他にないと思うんですよね。ああいう一体感というのは選手としては本当に"ホーム"というのを強く意識させてくれている方々というか、ファン・サポーターなのかなという風に思いますね。

Q:相当テンションが上がる感じですか?

A:そうですね。本当に純粋に松本山雅というチームを応援して下さっているという気持ちがひしひしと伝わってくるので、それはもうテンションが本当に上がりますね。

Q:クラブにとっても村山選手にとっても本当に大事な試合が近付いてきている中で、その試合に臨む覚悟というものは出てきていますか?

A:そうですね。本当にやらなくてはいけないゲームですし、去年あれだけの想いを持ってJ1に上がって、そうやって上がったのに簡単に落ちては絶対にいけないと思いますし、そういう部分が非常に大事なゲームですし、気持ちとしてもどんどん上がってきているという感じですね。

Q:大事なゲームを共に戦う山雅サポーターにメッセージをお願いします。

A:いつもアルウィンで熱い応援を本当にありがとうございます。その11人の声が僕たち選手の背中を押して、勝利へ導いてくれていると選手は全員感じていますので、ホーム最終戦になりますけど、『One Soul』でチーム一丸となって頑張っていきましょう。応援よろしくお願いします。

Q:ここからはキャリアのお話を伺いたいと思います。小学校時代は三井千葉SCでプレーされていたんですね。

A:そうです。小学校3年か4年から6年までは三井千葉でした。

Q:中学も三井千葉でプレーされる選択肢はあったと思いますが、ジェフのジュニアユース辰巳台に進まれたのはどういう理由からですか?

A:もちろん三井千葉のジュニアユースに入団できる状態ではあったんですけど、元々小さい頃から地元のチームということもあってジェフが好きだったので、よく市原臨海にも試合を見に行っていて、少なからず憧れというのもありました。元々近くにジュニアユースがあるということで、少し小学校の頃からスクールには練習参加していた中で、市の選抜でプレーしていた時にジェフのスタッフの方々もいらっしゃって、「中学でもウチでやってみる?」みたいな形になって、「行かせていただきます」という感じでした。

Q:市の選抜というのは千葉市選抜ですか?

A:いえ、市原市選抜です。

Q:ああ、じゃあ市原市のご出身なんですね。生粋の市原っ子ですか(笑)

A:そうです。生粋の市原っ子なんです(笑)

Q:当時は舞浜にもジュニアユースがあったと思いますが、単純に地理的に辰巳台を選んだということですか?

A:舞浜のセレクションは受けたんですけどダメだったんですよ。それで辰巳台に入ることができたという感じですね。

Q:ジュニアユースはやっぱりレベルが高かったですか?

A:そうですね。なかなか県でも負けないような感じでしたし、レイソルは強かったのでちょっと手こずりましたけど。船山貴之もいたので(笑) でも、ああいうレベルでやれたというのは大きかったですし、やっぱりプロのGKコーチに教わることができたというのが大きかったです。

Q:ちなみにGKコーチはどなただったんですか?

A3年間で凄く変わったんですけど(笑)、最初が加藤好男さん(現JFAアカデミー福島男子U15GKコーチ)で数ヶ月教えてもらって、その後に須永純さん(現JFAアカデミー福島男子U18GKコーチ)に教わっていて、その次は芦川(昌彦・現千葉スクールコーチ)さんが来て、その次は岸本(浩右・現京都U-15監督)さんで、最後はまた芦川さんに戻ったという感じでした。

Q:やっぱりそういうプロのGKコーチに専門的な部分を教わったことは、今から考えても大きなことでしたか?

A:そうですね。自分の基礎を創ってくれた3年間でもありましたし、そういう方と出会えたのは本当にサッカー人生にとっても大きいなと思います。

Q:当時は伊藤大介選手(岡山)がチームメイトだったんですよね?

A:そうです。メッチャ仲良いです(笑)

Q:彼は天才肌系の選手だと思いますが、当時から上手かったですか?

A:そうですね。もうボール捌きもそうですし、中学生なのに戦術理解度も高かったですし、「スゲーな」と思っていました。

Q:今でも連絡を取ったりしていますか?

A:していますね。去年の年末も結婚式に参加させてもらったりして、結構交流がありますし、家族ぐるみで仲が良いんです。

Q:高校は市立船橋に進まれましたが、ユースには上がれなかったという形ですか?

A:そうです。ユースには辰巳台の別のGKが上がって、僕は上がることができなかったんです。そうなったらやっぱり県内で有力な高校に行きたいなと思っていたので、実は流経(流通経済大柏)のセレクションにも行かせていただいていた中で、市船のセレクションにも行かせていただいて、先に市船が決まったので入学することになりました。

Q:当時はまだ流経も選手権で全国には出たことがない時期で、やっぱり千葉で高校サッカーと言えば"イチフナ"でしたけど、そういう憧れはあったんですか?

A:そうですね。やっぱりあの青いユニフォームというのは中学生ながらに「凄いな」と思っていましたし、ちょうど僕が入る前の年に大久保裕樹率いるチームが全国優勝して、「こんな高校に入学できるんだ」と、そこでまたさらに嬉しさがあったので、本当に自分にとっても光栄なことでしたね。

Q:村山選手の2年上に佐藤優也選手(東京V)がいて、1年上に中林洋次選手(岡山)がいた訳ですけど、GK練習もレベルは高かったですか?

A:当時は必死にやっていたので、何がレベルが高くてというのはわからなかったですけど、その必死にやっていたことが良かったのかなと思いますし、上にいる選手がプロになっているということで、自分自身もそれを見て育ったというか、育ててもらった部分もあるので、それは非常に大きいと思います。その下の学年からもプロになってますからね。僕の1年下に笠原(昂史・水戸)がいましたし、その下に上福元(直人・大分)がいて。

Q:確かに!村山選手の2つ上から2つ下までの5年間はみんなGKがJリーガーになってますね。

A:そうなんです。みんなプロになっているので、「凄かったんだな」と今になって改めて思いますね。

Q:振り返ってみれば「凄かったな」という感じですか?

A:そうですね。その当時はその日その日を生きるのが必死だったので(笑)

Q:「生きるのが」って凄いですね(笑)

A:高体連特有の感じですよね(笑) 1年の頃は無我夢中でした。

Q:2つ上の代はスーパーチームと呼ばれていて、1つ上の代も選手権で全国準優勝まで行って、村山選手の代は残念ながら選手権は県予選の準決勝で負けてしまったと思いますが、その3年の時の想いも含めて、市船での3年間というのはいかがでしたか?

A:うーん、その時はあまり色々考えることはできなかったですけど、今改めて振り返ってみると非常に貴重な3年間でした。もちろんサッカーのこともそうですけど、それ以外にも目上の方への接し方だったり、普段の礼儀というのを非常に学ばせてもらったかなというのはありますね。

Q:当時の石渡(靖之)監督の影響はやっぱり大きいですか?

A:そうですね。石渡先生も布(啓一郎・現岡山コーチ)先生の近くでずっと仕事をされていた方なので、そういう部分でも非常に大きかったですし、そういう方と一緒に3年間過ごさせてもらったというのは自分の財産なのかなと思います。

Q:そこから大学の選択がちょっと意外なんですけど、静岡産業大というのはご自身の希望ですか?

A:希望もありましたけど、正直大学のことがあまりわからなかったんです(笑) 大学サッカーというイメージが本当にぼんやりした状態だったので、どの大学が強いというのも本当にわからなくて。関東のある大学からお話は戴いたんですけど、大学の授業形態も全然わからなかったんですよね。で、その大学に進学した場合に、入れる学部が理系だったんですよ。

実は僕って理系科目が全くできないので(笑)、大学の理系と言ったら「凄く難しいんじゃないか」と自分の中で思ってしまって。そもそも卒業できないと話にならないですし、「サッカーどころじゃなくなっちゃうんじゃないか」という危惧もあって、その中で良い話を静産大の方から戴いていて、ジュビロと近いという地域柄もありましたし、静岡ということでサッカーに力を入れているというのは知っていたので、親元を離れることにはなりますけど、そこで自分自身で頑張ってみようかなと思って選択しました。

Q:実際に入学された静産大はいかがでしたか?

A:環境は本当に良かったです。芝生で練習できましたし、ありがたいことに1年の頃からトップチームに携わってプレーさせてもらっていましたし、その時のGKコーチの方もジュビロの関係者の方がいらっしゃっていたので、非常にありがたかったですね。それに2年や3年の時はジュビロの練習にも参加させてもらいましたし、そういう面では良い選択だったというか、非常にありがたかったと思います。

Q:静産大は秋田でプレーしている浅井(俊光)選手や昨年引退された柴崎(邦博)選手など、JリーグにGKを輩出していると思うんですけど、それって何か理由は思い浮かびますか?

A:どうなんですかね。でも、GKコーチの存在は非常に大きいのかなと思います。僕が1年と2年の時には大橋昭好さん(現U-22選抜GKコーチ)に来ていただいて、3年の途中から4年までは大神(友明・現磐田GKコーチ)さんが来て下さっていました。大神さんなんてJリーグのベストイレブンにも入られていた方ですし、そう考えるとジェフの時代も含めて良い経験ができたと思います。

Q:大学時代は色々な面で環境に恵まれていた感じですね。

A:そうですね。芝生でプレーできていましたし、自分たちの専用グラウンドでやっていましたし、もちろんトレーニングルームも学校にあったので、今思うと「贅沢過ぎる学校だったんだな」と思いますね。

Q:そこからSAGAWA SHIGA FCに新卒という形で入られると思いますが、Jリーグのクラブからオファーはあったんですか?

A:練習参加は何チームかさせていただいたんですけど、最終的な契約には至らなかったので、Jリーグに行くという道はなかったんです。そこでSAGAWAさんの方からお話を戴いて、当時はJFLの強豪チームでしたし、自分が成長するためには良いチームだなと思って行かせていただきました。

Q:当時は社員ですよね。入社された時、名刺に書かれていた役職って何だったんですか?

A:うわ~、全然覚えてないなあ。配属何だったっけ?ああ、確か"本社総務部"かな。間違ってたらヤバいですよね(笑) 本社総務部... 合っていると思います。それしか出て来ないので、本社総務部です(笑)

Q:業務内容はどういう感じだったんですか?

A:サッカー部の20数人が4つぐらいのグループに分かれて、朝マイクロバスで"PARCO"みたいな所にそのグループで行って、そこにトラックが来るので荷物を降ろして、その荷物を各店舗に持って行くという作業でしたね。

Q:あの有名なユニフォームも着ていた訳ですよね?

A:はい。ガッツリ着てました。あの横縞のヤツを着て働いてましたよ(笑) 年末はトラックの運転手さんの横に乗っていましたしね。本当にクリスマス前とかプレゼントがいっぱいあって大変なんで、それを色々なお店に届けていましたね。

Q:エリアは滋賀県内ということですか?

A:守山、大津、草津かな。野洲に行っている人もいたかもしれないですね。

Q:サッカー部の選手たちと一緒に業務もしていたら、メッチャ仲良くなりますよね?

A:本当になりますね。サッカー部の中で同じ話題で盛り上がれるので。

Q:佐川あるあるみたいな?(笑)

A:そうです(笑) 「今日あれだったよね?」「ホントそう!」みたいな感じで盛り上がれるので(笑)、辛いこともありましたけど、そういうのは面白かったですね。

Q:「辛いこと」というのは仕事と練習との並行が辛かったという感じですか

A:そうですね。現実として仕事をするというのはわかっていて入社させていただいたんですけど、いざ入ってみると当然大変ですし、色々と難しい時期もありました。ただ、やっぱり先輩たちが本当にきちっとされている先輩ばかりだったので、そういう人たちの背中を見て、「自分たちがこんな所でへこたれてはいけない」と思っていました。

Q:まあ山根(伸泉)選手と竹谷(英之)選手がちゃんとされていたら、やらない訳にはいかないですよね(笑)

※山根選手と竹谷選手は村山選手にとって市船の8年先輩に当たる

A:やらざるを得ないですよ。大先輩がちゃんとやっているのに、僕みたいなヤツがちゃんとやらない訳にはいかないですからね(笑)

Q:同期に奈良輪雄太選手(横浜FM)と清原翔平選手(金沢)がいらっしゃって、彼らも今まさにJリーグのピッチに立っていますが、村山選手も含めたその3人は仲が良いですか?

A:そうですね。大卒の同期が6人いて、その中に1人だけ滋賀県出身の実家から通っているヤツがいたんですけど、それ以外はアパートを会社が借り上げてくれた所に住んでいて、同じアパート内にいたのでゴハンも一緒に行っていましたし、その時にキヨは部屋も隣だったので(笑)、ゴハンに行ったり遊びに行ったり、本当に仲は良いですよね。

Q:もちろん苦労もたくさんあったと思いますが、そういう時期を一緒に過ごした仲間が、今こうやってJリーグで活躍しているというのは「嬉しい」という感覚ですか?

A:嬉しいですし、「自分も負けられないな」というモチベーションにもなります。キヨはあれだけJ2で点も取って注目されていますし、ナラも強豪と言われているチームで試合に絡んだり、ベンチに入ったりしているので、やっぱりそういうのを見たり聞いたりして、刺激をもらっている部分はあります。あとは、僕たちのようにJリーグでやっている選手たちが頑張ることによって、前所属チームの所にSAGAWA SHIGA FCという名前が出るので、そういう部分でもやっぱり「そういうチームがあったんだ」というのを世間の皆さんに知っていただけるのかなとは思いますね。

Q:名古屋の楢﨑(正剛)選手も同じようなことをおっしゃっていて、「メンバー表の前所属に"横浜フリューゲルス"と書かれているのは自分1人だけだから、僕が移籍したらあの名前がなくなっちゃう」と。村山選手も今おっしゃったような気持ちが強いんですね。

A:そうですね。やっぱりJFLにいた5年間で3回優勝したチームはなかなかないと思いますし、チーム自体も良い意味で非常に仲が良かったので、チームメイト同士のコミュニケーションも非常に取れていましたし、それも含めて非常に良いチームだったので、その名前が残るというのは非常に嬉しいことですから。こうやって僕自身やナラやキヨがインタビューされる機会があることで、皆さんにもこういう話を聞いてもらえると思うので、そのたびにSAGAWA SHIGA FCという名前が出ることについては、今はないチームですけど「ありがたいことだな」と思いますね。

Q:今年のシーズンが始まった頃に、反町(康治)監督がしきりに「ウチには元佐川男子が」とおっしゃっていて、あれで多少注目された所もあったのかなと思いますが、ああいう風に言われていたことに関してはどうだったんですか?

A:まあちょっとネタにしている部分があったと思うので(笑)、ソリさんも面白半分に言っている部分もあると思います。でも、佐川男子自体が有名になったので、ああやって言っていただくことによって、「え?ここに佐川男子がいるの?」ということで山雅自体も注目されますし、僕個人としても皆さんに見ていただけるようなキッカケになると思うので、それもたぶん狙いの1つだったのかなと思いますし、「僕で良かったら全然使って下さい」って感じでしたよ(笑)

Q:こうやってキャリアのお話を伺っていると、順調に行っていた時期も行かなかった時期もあって、SAGAWA SHIGA FCがああいう形でなくなってしまった中で、今はJリーグでプレーされている村山選手に色々な方が期待している所って凄く大きいと思うんですね。だからこそJ1に残ることは凄く大事なことだと思いますが、そのことに関しては率直にいかがですか?

A:もちろんおっしゃった通り、色々な方からの期待というのは物凄く感じていますし、SAGAWA SHIGA FCの選手だった人やコーチも含めて、あのチームに携わっていた人からそういう話をしていただくこともあります。当時のJFLは今でいうJ3扱いだったと思うんですけど、そういう中でやっていた選手がJ1でもできるということを証明しなくてはいけないですし、「そういう選手でもやれるんだ」という部分で、今はJ3JFLで戦っている選手の希望にも多少なりともなれる存在だとは思っています。なので、やっぱり簡単にJ1という舞台から落ちてはいけないと思っていますし、落ちてしまうことで「ああ、やっぱりか」と思われてしまうのも僕自身も凄く悔しいので、この松本山雅というチームもJFLJ2J1と凄い右肩上がりの成長曲線を描いている中で、そういうチームの流れというのも崩したくないですし、これからの3試合は本当に大事な3試合だと思います。

Q:これが最後の質問です。色々な流れがあった中で、今は松本山雅というクラブでプレーされている訳ですが、松本山雅ってどういうクラブですか?

A:やっぱり市民の皆さんから非常に愛されているクラブですし、街を歩けば色々な方から「頑張って」と声を掛けていただく機会もありますし、その期待に応えなくてはいけないという責任感を選手全員が持っているクラブだと思います。松本山雅と言ったら松田直樹という選手の名前も出てくると思いますし、そういう中でハユさん(田中隼磨)が強い決意で背番号を受け継いで、僕たちのことを叱咤激励してくれているので、そういう人たちへの想いという部分にも応えなくてはいけないと思いますし、そういう想いが凄く伝わってくるクラブです。それに市民クラブという面もあって、ファン・サポーターの方や株主の皆さんがいらっしゃらなかったら成り立たないチームなので、そういう方々へ選手が恩返ししなくてはいけないクラブですし、本当に色々な人にとって凄く大事なクラブなのかなと思います。

【プロフィール】

市原JY辰巳台、市立船橋高、静岡産業大を経て、2010年にSAGAWA SHIGA FCへ加入し、2011年にはJFLベストイレブン受賞。チームの活動停止を受けて、2013年に松本へ移籍。昨年は正守護神としてJ1昇格へ大きく貢献すると、今季もここまでリーグ戦全試合でスタメン出場を果たしている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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