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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月04日

Pre-match Words ~FC東京・丸山祐市編~(2015年10月16日掲載)

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【Pre-match Words FC東京・丸山祐市編】

(2015年10月16日掲載)

Q:ファーストステージは開幕戦のガンバ戦(△2-2)に後半から45分間出場されましたが、スタメン出場は松本戦(1st-第15節 〇2-1)だけという状況で、なかなか出場機会がない中でどういうことを一番考えながら普段のトレーニングに臨まれていましたか?

A:常に良い準備をしてやっていたというのが、年間通してですけどその時期はやっていて、本当に監督が「ずっと見てくれている」と言っていましたし、いつチャンスが来るのかというのもわからない状態で、「ナビスコカップでしっかり結果を残そう」という気持ちもあったので、自分は「リーグ戦に出たい」という気持ちももちろんありましたけど、まずはナビスコカップでアピールして信頼を得ないと、Jリーグの方にも出られないなという気持ちがありました。でも、本当に心の準備とメンタルの部分だったり、フィジカルの部分のコンディションは常に良い状態を保てていたというのはあります。

Q:昨シーズンは湘南でああいうスタイルのサッカーを1年間やった中で、周囲から見れば180度違うとも捉えられるようなFC東京のスタイルに、最初は自分を合わせていくのが難しかった部分もありましたか?

A:元々湘南の時もみんな周りの人が行っちゃって、僕が1人取り残されるみたいな感じで(笑)、曺(貴裁)監督も「オマエは行っちゃダメ」みたいな感じがあったんですけど、東京に帰ってきてリスク管理という部分は一緒ではありながら、どちらかが行ってどちらかのカバーをするというのが湘南の時にはなかったんですよね。3枚の両サイド、昔だったら遠藤航選手と三竿(雄斗)選手がガンガン行ってしまって、そういうカバーリングという部分ではないに等しかったので、東京に帰ってきてからそういう部分ではとりあえずガンッと行って、自分のスペースをポッカリ空けてしまうというのは多々ありましたけど、徐々に徐々に慣れてきました。

Q:ゲームに出続けることで、今のFC東京のスタイルへの理解が深まってきた部分もありますか?

A:試合で理解するというのはもちろんありましたし、監督が毎週のように週初めの方は守備練習で「誰が行って、誰がカバーする」というのをやってくれたので、早く理解できたというか。体がなかなか付いていかない時もありましたし、「この場面でも行くのか」とか「この中途半端な位置に行かれたらどうするんだろう」とか色々難しい部分もありましたけど、そういう部分は試合で色々なトライをして、また持って帰って次の試合に向けて修正したり、トライアンドエラーを繰り返しながら、今に至るという状態ですね。

Q:外から見ているとおそらく左サイドバックの2番手、センターバックの3番手か4番手という状況が続いていた中で、セカンドステージの鹿島戦(第4節 ●1-2)が丸山選手にとって大きかったのかなと思っているのですが、あのゲームはいかがでしたか?

A:鹿島戦に関して言うともう全然ダメでしたね(笑) あの時はたぶんサイドバックでスタメンで出て全然ダメで(笑)、むしろ「交替しても良いのかな」レベルのパフォーマンスだったんですけど、後半からセンターバックになって。鹿島が前半からハイプレスで結構来ていたという部分もあって、後半はあまりハイプレスで追い切れない部分があってしっかりボールも回せたという所で、自分の長所の部分が出せたと思いますし、それを監督が見てパフォーマンスが悪い中でセンターバックで使ってくれたというのが、凄くありがたいというのはおかしいかもしれないですけど、そういうことがあった中で次の試合も出ることができて良かったです(笑)

Q:後半から徳永(悠平)選手が左サイドバックに回って、2人で同サイドを組む機会というのはほとんどなかったと思うのですが、それでもある程度守れたというのがその後の監督の丸山選手への評価に繋がったのかなと思いますが、いかがですか?

A:いや、それは徳永選手のスキルの高さじゃないですか(笑) 僕というか徳永選手は万能にこなしてくれますし、太田(宏介)選手も凄いですけど、徳永選手もそつなくこなしてくれていたので、やりやすいというのもありましたし、勝手にボールを渡して勝手に行ってくれるという感じだったので、僕というか徳永選手が凄いなと思いました(笑)

Q:鹿島戦の次のゲームとなった仙台戦(第5節 〇3-1)からずっとセンターバックで使われるようになったと思いますが、サイドバックとセンターバックのどちらで出るのかわからない状況より、センターバックで出るとハッキリわかっている方が、準備の部分も含めてやりやすくなったようなことはありましたか?

A:「サイドバックはないな」とたぶん鹿島戦で監督に見切られたと思うんですけど(笑)、どちらでも出られる準備というのはもちろんしていますし、毎試合相手に合わせて戦術の練習というのはするんですけど、やっぱり本職は「センターバックで勝負したい」という気持ちの方が強いです。そういう部分では与えられたポジションでパフォーマンスをしっかり出さなくてはいけないのはもちろんそうですけど、センターバックというポジションは誰にも譲りたくないと思っているので、そこで変なプレーをしたらもう次の試合でチャンスももらえなくなってしまいますし、まずはセンターバックで第一に考えてもらえていることは凄く嬉しいです。

Q:フィッカデンティ監督の守備の仕方を一言で言うと、どのように捉えていますか?

A:一言で言うと"規律"だと思います。「誰がこう行ったら、こうスライドする」だったり、本当にスペースを作らせないような、相手に隙を与えないような守備をしているので、少しでも誰かが乱してしまうとそこの穴ができてしまいますし、誰かがサボってしまったりしたら簡単に崩れてしまうので、そういう部分ではしっかり90分間集中して、みんながやるべきことをしっかりやっているというのが、今の監督が目指しているサッカーなのかなと思います。

Q:優勝争いをしている広島とああいうゲームができるような状況で、実際にFC東京自体もJ1制覇が十分狙える位置にいると思いますが、そういう環境にいられる充実感はありますか?

A:まずこんなにJ1の試合に今までは出られていなかったので、「たくさんの良い選手がいる中で、自分がどれだけできるんだろう?」とか、上手い選手やまったくプレースタイルが違う選手たちに対して毎回試合ができるので、僕は凄く楽しんでいますし、ましてや優勝を争っているこの緊張感のある中でやれているというのは、僕にとってのレベルアップもそうですし、成長に凄く繋がっているのかなとは思っています。

Q:親善試合ではなく公式戦に臨む日本代表に招集されましたが、そういうことも含めてFC東京に戻ってきてから自身の成長を感じることというのは多いですか?

A:周りは「代表、代表」と言いますけど、僕はそこまで「代表選手というにはまだまだだな」とは思っていて。でも、代表に行ったことによって凄く色々な刺激だったり、まだまだ物足りない所を得てというか、学ぶことができたので、それを練習や試合からしっかりトライして、「ここができなかったな」と思ったら次の練習からまたやって、というのを何回も何回も繰り返してやれているので、凄く刺激になりましたし、「もう一度代表に呼ばれたいな」という気持ちにもなりました。

Q:何が一番刺激になりましたか?

A:いや、もう全部ですね。本田(圭佑)選手の強さだったり、長友(佑都)選手の俊敏さや球際の部分での戦いだったり、もうスピード面もそうですし、もっともっと1つや2つはすべてにおいてのレベルを上げなくてはいけないというか、パスを出すボールの質1つにしても、もっともっとレベルを上げなくてはいけないなという想いになりました。

Q:今まで面識のなかった選手で、仲良くなった代表選手はいましたか?

A:大体の選手とはちょっとずつ喋りましたが、人見知りなので森重(真人)選手と一緒にいました(笑) これから時間が慣れさせてくれればいいなと思います(笑)

Q:なかなかFC東京で2年間出場機会を得られない中で、昨シーズンは湘南で1年間プレーされて昇格にも貢献されましたが、改めて去年の1年間で一番得たモノは何でしたか?

A:一番得たモノ... 何だろうなあ... やっぱり責任感というのは芽生えて、それは試合に出る責任感はもちろんそうですし、優勝だったり昇格というのをもちろん目指していたので、スタメンでずっと出ている限りは責任感を持ってプレーしなくてはいけないなと思っていましたし、なかなかメンバーに入れない若手の2122歳ぐらいの選手たちがしっかりと筋トレに対しても、ヘラヘラという感じではなく笑いながら真剣に取り組んでいる姿を見て、「やっぱりこういう選手たちの前でも良いプレーをしなくてはいけないな」だったり、自分の1年目に比べたら全然やっているというか、自分はほぼ腐っていたので(笑)、それを見て「湘南の選手たちは凄いな」とは思っていました。腐っている選手はまったくいなかったので、アドバイスというのはまったくできなかったですけど、それをプレーで表現しなくてはいけないなという責任感も、また違った責任感ですけどそういう部分があるので、責任感が一番身に付いたかなとは思います。

Q:ちなみに曺さんってどういう方ですか?

A:曺さんはお父さんか、お父さん寄りのお兄ちゃんみたいな感じです(笑)

Q:どういう所がそういう感じなんですか?

A:ピッチを離れたら"かまってちゃん"ですけど(笑)、選手の悩み事も聞いてくれますし、それはピッチ内外やプライベートのことももちろんそうですし、何か選手が悩んでいるとそういう素振りに気付いたりとか、観察眼が凄いんです。落ち込んでいる選手だったり、怠けている選手がいると、呼び出して話したりしていたので、良きアドバイザーみたいな、監督兼アドバイザー的な感じでした(笑)

Q:ここからはキャリアのお話を聞かせてください。小学校時代はバディSCでプレーされていたと思いますが、そこからFC東京U-15にはどういうキッカケで入られたのでしょうか?

A:元々FC東京の方が目を付けてくれていて、小学5年生の時にFC東京のスクールに入りました。今では色々な所にスクールがありますけど、その時は深川グランドでしかやっていなかったんです。そのスクールに通っていて、そこで今も何人かいるコーチの方々に気にかけてもらって、FC東京のジュニアユースに入ることができました。

Q:丸山選手の代は9人の選手がJリーガーになっていると思いますが、当時もやはりレベルは高かったですか?

A:どうなんでしょう。僕のレベルが凄く低かったので(笑) でも、周りには凄く良い選手がいましたし、自分たちの代が一番Jリーガーを輩出しているので、間違いなくレベルは高かったと思いますけど、1つ上の代に吉本(一謙)選手や権田(修一)選手もいたので、僕らの代はどうだったのかなとは思います。

Q:中学の時にポジションをコンバートされたんですよね?

A:そうですね。中学1年生の時にすぐ左サイドバックへ回されて、前の選手は足元の上手い大竹洋平選手だったり、他にも凄く上手い選手がやっていました。

Q:小檜(宏晃・成立学園→法政大)選手とかですね。

A:そうです、そうです(笑) 彼らが前の方をやっていました。

Q:「回された」とおっしゃっていましたが、そうすると「左サイドバックに回されちゃった」という感じだったんですね?

A:そうですね。回されちゃったんだと思います(笑) 「しょうがないな」という気持ちもありながら、小学校6年の時はトップ下という王様的なポジションをやっていたので、そういう部分で「えー」みたいな感じでしたけど、「実力がないからしょうがないな」というのもありました。

Q:同期の左利きと言えばやっぱり大竹選手だと思いますが、彼にライバル意識はありましたか?

A:スーパー過ぎて何も生まれなかったです(笑) 大竹選手と椋原(健太)選手に関しては本当に凄かったので、逆に周りの人たちが惚れ惚れするような感じでした。「スゲーなあ。こういう人たちがプロになるんだろうなあ」と思っていました。

Q:高校は國學院久我山のサッカー部に進まれた訳ですが、U-18には昇格できなかったという形ですか?

A:むしろ昇格できるかできないかのボーダーラインにもたぶん掛からないぐらいだと思っていたので、母親には「昇格は難しいから高校に行く」と言って、久我山に行きました。

Q:U-15時代は試合には出ていたんですか?

A:最後の高円宮杯はメンバー外でした。3年生の時もほぼ試合には出ていなかったと思います。

Q:國學院久我山を選んだ理由は何だったんですか?

A:僕は通っていた中学校まで歩いて40分ぐらい掛かっていたんです。だから、とりあえず「自転車で行ける距離が良いなあ」と思っていて、「電車に乗りたくないなあ」とも思っていました。それで自転車で15分くらいで行ける高校があったので、そこにスポーツ推薦で入ろうとしたら、もうその枠の募集が終わっていたんです。「じゃあどうしよう?」というタイミングで「まだ久我山が募集している」ということを知って、「じゃあ久我山に行こう」と。その時は勉強のできる学校だということは全然知らなかったので、「自転車で30分くらいで行けるから」という感じで、運良く受かって「自転車でも通えるし良いなあ」という感じです。全然理由になっていないですよね(笑)

Q:久我山は校庭も広くないですし、練習時間も限られていて、環境面で凄く恵まれている訳ではないのに、それ故なのか面白いことをやっているなという印象がありますが、そのあたりはいかがですか?

A:今の練習はまったくわからないですけど、当時の僕もどういうサッカーをしているとか、学力がどうとかはまったく知らずに、とりあえず近いという理由だけで入りましたからね(笑) でも、実際に入ってみると顧問の方がいない日はミニゲームばかりでしたし、顧問の方が来ても32のような練習ばかりだったので、僕は凄く面白かったです。中学の時はもちろん楽しい思い出もありますけど、悔しい想いをしたことの方が多かったので、ミニゲームをやっている時は凄く楽しかったです。

Q:当時の李(済華)監督は教員ではないこともあってか、あまり高校サッカーの指導者っぽくない方ですよね?

A:そうですね。体の使い方だったり走り方だったり、パスの置く位置やパスの質だったり、そういう部分を教えてもらいました。「うまくスマートにボールを回しながら崩して行きましょう」というような、今で言うスペインみたいなサッカーをやっていたので、そういう部分では自分のサッカースタイルに凄く合っていたのかなとは思いますね。

Q:高校2年の時に久我山はインターハイで全国大会に出場したと思いますが、試合には出ていたんですか?

A:その時には前十字靭帯を切ってしまっていました。本来ならメンバーには入れていたはずでしたけど、それから1年間ぐらいはずっとサッカーができなかったんです。

Q:全国を目の前にしてケガをしてしまったというのは、かなり残念な想いをした経験という感じですか?

A:もちろん凄く残念でしたけど、「高校3年じゃなくて良かったな」とも思いました。それに今から考えればその時期に凄くたくさん勉強ができて、結果的に良い大学に行けたので良かったですけど、当時は苦しさもありました。

Q:そうすると3年時も復帰したのは夏ぐらいですよね?

A:そうですね。夏ぐらいに復帰して。最後の選手権はコンディションもまったく戻らなかったですけど、前線の選手がケガをしたのでフォワードで出て、最後は足が攣ってしまって80分間は出られずに、交替してチームも負けました。

Q:そう考えると久我山での3年間というのは、少しキャリア的には難しかった時期という印象でしょうか?

A:高校の合宿とかに行ってみんなで騒いだりするのが楽しかったですけど、それもケガがあって23回しか行けなかったですし、そういう部分ではサッカーで考えると難しい時期ではあったと思います。ただ、先ほどもお話しした勉強の面では凄く成果が出たので良かったです。

Q:そういう形でユースに上がれなかったクラブのトップチームで今はJリーグの試合に出ている訳ですが、そういうのって不思議な感覚ですか?

A:中学から高校へ上がってから、結局ケガをしてしまったんですけど、大竹選手や椋原選手のようにユースへ上がった選手たちと対戦することもあって、そういう時に同レベルとは言わないまでも、「彼らとある程度は戦えるくらいに成長して、僕もいつかJリーガーになる」という気持ちはあったので、そういうライバル心というのは常にずっと持ち続けていました。でも、今となっては不思議な感じですよね。ライバルというよりは、Jリーガーとして一生懸命やっている仲間という感じなんです。

Q:ジュニアユースからユースに上がって、そのままトップに上がった大竹洋平、椋原健太、廣永遼太郎は誰も今はこのクラブにいない訳で、あの代で今もFC東京にいるのって丸山選手だけじゃないですか。

A:ああ、そうか...

Q:「ああ、そうか...」って感じですか?

A:僕が入った時には同期はいっぱいいたので。でも、そう考えてみるといないですね。なんか寂しいですね。

Q:それは「寂しい」って感じですか?

A:うーん... 凄く寂しいですし、やっぱりFC東京で試合に出られて活躍できた方が、彼らにとっても凄く良いことだと思いますし、このFC東京というクラブにとっても下部組織出身者の活躍という面で凄く良いことだと思います。ただ、寂しい気持ちはもちろん僕からしたら凄くありますけど、本人たちにとってもこれは仕事ですし、そんなに甘い世界ではないので、違う所に行って輝くというのも結果としては良いのかなとも思います。いつかFC東京の選手として、あるいはスタッフとしてでもいいですし、戻って来られたら良いですよね。その頃には僕がどこかに行ってしまっているかもしれませんけど(笑)

Q:高校を経て、大学からプロに行く気も当初はなくて、普通に就職活動をされていた方が(笑)、結果的にプロとしてFC東京に戻ってきて、フル代表まで辿り着くということには凄く色々な意味があるのかなと外からは勝手に思ってしまうんですけど、そのことに関してご本人はいかがですか?

A:どうなんでしょうねえ... なんか色々なことが起き過ぎて、A代表に選ばれたということももちろん嬉しいですけど、それも「ああ...」みたいな(笑)

Q:「ああ...」ですか(笑) 起きていることを1つずつ受け入れていっている感じですか?

A:受け入れなくてはいけないですしね。でも、A代表で試合に出たらそういう意識も芽生えるかもしれないですし、追加招集ではなくて正式な形でメンバーに選ばれたら、また違った感情が湧くのかもしれないですけど、周りからは"代表"っぽく見られたり、色々言われたりしますし。

Q:色々言われるんですね。

A:森重選手からは「重い十字架を背負うぞ」みたいなことを言われて。その時は笑っていましたけど、実際は心にグサッと刺さりました(笑) 色々なことが起き過ぎているので、逆に今は整理できていない状態の方が良いのかなと思います。元々考え過ぎてしまう性格なので、今はあまり考えないで一生懸命やっているという感じで、それが良いのか悪いのかは別としても今はそういう状況です。

Q:それでも今って楽しいですか?

A:楽しいです。昨シーズンは湘南でずっと楽しかったというのもありますし、それはもちろん試合に出ているというのもあって。でも、どこかで「J2の選手なのかな」というのもあって、「J1で試したい」という気持ちは昨シーズンもありましたし、先ほども言いましたが結果として今はJ1で色々なスタイルの違う選手と、ちょっと寄せが甘かったらゴールを入れられてしまうとか、色々な駆け引きとか色々なことが起きている細かい世界で戦えているので、それを凄く楽しんでいますし、今の所はケガなく1シーズンできているので、とても充実しているのかなと思います。

【プロフィール】

FC東京U-15、國學院久我山高、明治大を経て、2012年にFC東京へ加入。湘南に期限付き移籍した昨季は、不動のレギュラーとしてチームのJ1昇格へ大きく貢献。今季からFC東京に復帰すると、セカンドステージから定位置を確保し、9月には日本代表にも初選出された。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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