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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月14日

Pre-match Words ~ガンバ大阪・大森晃太郎編~(2016年8月19日掲載)

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【Pre-match Words ガンバ大阪・大森晃太郎編】

(2016年8月19日掲載)

Q:もうセカンドステージも8試合が終了していますが、今シーズンのここまでのチームのパフォーマンスをどのように捉えてらっしゃいますか?

A:僕自身はもう全然ダメやと思っていますし、たぶんチームも全然アカンと思っていると思います。

Q:それはどういう所がですか?

AACLも予選で負けましたし、優勝を目標に掲げていたチームやのに、上位に行けずにくすぶって、結構負けたというイメージがある所ですかね。

Q:特にファーストステージはなかなか順位が上がってこなかったと思いますが、どういう所が一番難しかったですか?

A:選手を入れ替えながらと、ACLを戦っているので、そんなにチームが同じメンバーで試合をすることがなかったかなという難しさはありましたね。

Q:ACLはどのクラブも1つのモチベーションにしている所があると思いますが、移動もキツいですし、あの大会とリーグを並行するのは相当難しいものですか?

A:そうですね。「慣れていた」という感じで入ったというのが、まずはマズかったのかなと思います。去年は良い所まで行って、その感覚で行っていたというのもあったと思いますし、「まあ勝てるやろ」くらいの感じで行っていたというのが、やっぱりダメやったかなと思います。

Q:やっぱりACLは独特な雰囲気のある大会ですか?

A:メチャメチャ独特ですね。「こんなにホームとアウェイで違うんかな」と。

Q:それって結構楽しみでもあるんですか?

AJリーグだとホームとアウェイでもそこまで大きくは変わらないじゃないですか。でも、ACLのアウェイに行ったら体も動かへんようになりますし、「ホームでやった時の相手と別のチームなんじゃないかな」というくらいアウェイだと強くなっていますし、そういう所は凄く良い経験になりました。

Q:個人的な印象ですけど、大森選手はホームでもアウェイでも、日本でも海外でもプレーが変わらないように見えますが、そのあたりはいかがですか?

A:何も考えてないからじゃないですか(笑) あとは外国ではゴハンが食べられなかったんですけど、チームが色々とゴハンを用意してくれたりして、そういう所では外国でも戦えるような体作りはできたかなと思います。

Q:結構海外でサッカーするのって楽しみですか?

A:日本人じゃない相手とやるというのは、また違う部分で「ああ、こんなとこに足出てくんねや」という所とか、やっぱり楽しいですね。

Q:そうするとやっぱり出たい大会という感じなんですね。

A:そうですね。「ACLで優勝したい」というのは自分でも目標やし、チームでも目標やと思います。

Q:傍から見ていても、ガンバの2列目のポジション争いはリーグ屈指の厳しさだと思いますが、そういう中でゲームに出ていくためには、自分のどういう所を出していこうと考えてらっしゃいますか?

A:技術があるのはみんな当然やし、そういう所で同じようなタイプで出て行っても、見ている方も面白くないですし、そういう個性がないのも使いづらいと思うので、やっぱり自分の持っているモノとかを出していこうという考えはあります。

Q:とはいえ、監督からはかなりハードワークも求められると思いますが?

A:今はそういう「ハードワークをして」というのがチームのベースですけど、やっぱりパスの技術とか、攻撃の部分では案外自由にやらせてもらっている方やと思うので、そのへんでは問題ないですし、いつも試合が終わって走行距離とかを見ても、そんなに僕は走ってないんですよね。「運動量が多い」と言われますけど。

Q:そうするとみんなの"イメージ"なんですかね?

A:そうなんですよ。他のチームの選手より、たぶん全然走っていないんじゃないですか。

Q:自分でもその自覚はあるんですか?

A:要所要所で走っているから、走っているように見えるんじゃないですかね(笑)

Q:確かに凄く走っているイメージがあります。

A:マジですか?でも、フィジカルトレーナーとかには「ちゃんと戻っておけよ」と怒られるんですけどね。

Q:じゃあアレはあくまで"イメージ"なんですね。

A:はい。距離とかのデータが出るじゃないですか。アレはあんま出さんといて欲しいんですよね(笑)

Q:「バレちゃう」みたいな(笑)

A:バレちゃうんですよ。

Q:それ、ちょっと面白いですね(笑)

A:だからテレビの中の映像の所だけで動いているから、「コイツ動いてる」みたいになっていますけど、実際は全然動いていないです。

Q:そのへんは自分の中でうまくバランスを取って、攻撃に出ていくための力を多少残して、みたいな感じですか?

A:そうですね。やっぱり頭の良い選手になっていきたいと思いますけどね。泥臭い感じで。

Q:もうちょっと頭の良さみたいな所も出していきたい感じなんですね。

A:みんなに「走っている」と思わせているのやったら、こっちの勝ちじゃないですかね。

Q:セカンドステージで出場機会が増えるにつれて、自分の中で変わった部分や、あるいは変えている部分はありますか?

A:いや、ホンマにないですね。居残り練習も疲れていたらやろうと思わへんし、何なんですかね。ホンマに変わらないです。プロに入ってからそんなに何も変わったことはないですね。

Q:それは自分の中に確固たる軸があるという感じですか?

A:練習自体がきっちりしていますし、それでまた自分でというよりは、練習の中で100パーセントを出せば、そのためにスタッフとかは練習を組んでいる訳やから、それを100パーセントでやれば大丈夫なのかなと思いますけどね。

Q:それをスタッフが聞いたら嬉しいでしょうね。

A:でも、もし自分がそういう風に全部考えて練習をやったのに、結局残っていっぱい色々されたら逆に嫌ですけどね。「何のためにやってたのか」みたいな。あとは自分が個を上げるためにやるのはいいですけど、それも練習中でできることはあると思うので。

Q:先ほど長谷川監督に大森選手のことを伺ったら、「アベちゃんと晃太郎にはある程度任せられる」という趣旨のことをおっしゃっていて、最近セカンドステージで出場機会が増えるにつれて、監督からもかなり信頼を寄せているような発言が多く聞こえてくると思いますが、それはご自身も感じてらっしゃいますか?

A:いや、監督は選手にはそういうこと、絶対に言わないですからね。だから、メディアの人たちに「こういうこと言ってたよ」と言われて、「ああ、そうなんですね」みたいな。「監督はそういうこと絶対に言わないんですよ」みたいな。だから、ホンマかどうかわからないんですよ。僕の話を出して欲しいがために、そういうエサを撒いているのかもわからへんし、実際に監督からも聞いたことがないから、若干疑いはありますね(笑)

Q:前節の磐田戦(2nd-第8節 〇2-0)も結果的にアシストの1つ前のパスになりましたけど、オ・ジェソク選手が出てくるタイミングを見計らった素晴らしいスルーパスがありましたが、あのパスに関してはいかがでしたか?

A:あのパスはね、結構いつも練習しているんですけど、短かったり長かったりというのが多かったんですよ。サイドバックも藤春(廣輝)やったり、ジェソクやったりで、やっぱりスピードが違ったりして、その選手に合わせるのも難しかったりするんですけど、結構ジェソクとか2年前ぐらいからずっとやっていて、何となく「この選手はこれぐらいやな」というので、感覚的に蹴れましたけどね。

Q:会心のパスじゃないですか?

A:初めてですね。あんなにオーバーラップした選手をちゃんと使えたというのも。アレ1本だけじゃないですか?ジェソクを使ったのも。

Q:アレってパスを出す側としてはめっちゃ気持ち良いパスじゃないですか?

A:通ったらね(笑) アレがゴールとかに抜けたり、キーパーに行ったら、もう次のプレーは萎えますけどね。

Q:アレに関しては「来た!」という感じですか?

A:そうですね。まあ「来た!」というか、「ああ、ちゃんと通ってくれた」ぐらいの感じですけどね。

Q:逆に言うとアレぐらいのプレーは、もう確実にしないとゲームに出られないと。

A:そうですね。

Q:求められる所は高いですね。

A:優勝を目標に掲げているチームなので。

Q:練習も含めてそういう環境でサッカーができるというのは、ご自身にとってもメチャメチャ大きいことですよね?

A:大きいことなんですかね。僕はこのチームでしかやったことがないから、他のチームから来た人とかは「恵まれてる」とか「こういう優勝を目標にするチームでやれるのは幸せや」とか「素晴らしい」と言いますけど、僕は外に出たことがないから何もわからないですね。プレッシャーだけです(笑) 「勝たないといけない」「優勝しないといけない」というプレッシャーは凄くあります。

Q:それって楽しめるぐらいのプレッシャーですか?それとも、かなり降り掛かってくるくらいのプレッシャーですか?

A:楽しめる時は楽しめるんですけどね。やっぱりどんどん優勝に近付いてきたりとか、逆にまだ優勝とかも見えてないのに、まだ1試合もしていないのに、「優勝」「優勝」「今年も優勝やな」と言われると、「いきなりこの1年間シンドイな」と思ったりしますけど、やっぱり優勝して終わった時に「ああ、良かったな」とか「楽しかったな」って振り返れます。

Q:チャンピオンシップに出るためにはセカンドステージの結果が凄く大事じゃないですか。今はかなりチームとしても調子が良いと思いますが、今のチーム状況はいかがですか?

A:凄く良いです。みんなが「自分がやってやろう」という気持ちがあるから、やっぱり良い方向に向いているんじゃないかなと思います。

Q:自分のパフォーマンスもかなり上がってきている手応えもありますか?

A:どうなんですかね。僕はずっと「普通や」と思っているんですけどね。何か変えて調子が下がったということもないし、やり続けていることがずっとそのまま来ていると思うんですけど、見ている人たちがそうやって言うんなら、そうなんかなと思います。

Q:ブレないというか、いつも変わらない感じなんですね。

A:そうですね。そういうのを考えるとホンマに落ち込むタイプやから、基本的には何も考えないようにしています。

Q:今節はホームゲームで吹田スタジアムでの試合となりますが、あそこでプレーするのっていかがですか?

A:気持ち良いですね、やっぱり。初めは恥ずかしさとか緊張というか、近くで見られているのはあまり好きじゃなかったんですけど、今は快感に思います。

Q:恥ずかしさがあったんですか?

A:僕は結構ベンチスタートが多かったので、ベンチの前を走っていても何か周りが気になるというのはありましたけどね。

Q:どのくらいでそれが快感に変わったんですか?

A:どのくらいなんですかね。パッとスタンドを見たら、もう目が合っちゃうんですよ。「もうこっちは見いひんようにしよう」という、その「見いひんようにしよう」という頭が、もう意識してしまっているじゃないですか。「そういうのも止めよう」と思って、「目合っても合ってないフリしよう」とか(笑)、それぐらいの感覚で、逆に「『あ、カワイイ子おるな』ぐらいの感覚で行こう」と思いましたね。

Q:今は結構楽しみな感じなんですね。

A:今でも背を向けることは多いですけど(笑)、試合に出たら関係ないので。今、ベンチにいる時のことを喋ってましたね(笑) 試合に出ている時はそんなに思わないですけど、応援の"響き"だったりとか、良いプレーをした時の「オオッ」っていう声とか、悪いプレーをした時のため息とか、凄く聞こえますね。

Q:ここからはキャリアのお話を聞かせて下さい。名鑑を拝見すると、最初に記載されているクラブ名は大阪セントラルFCで、サッカーを始めた年齢は5歳となっていますが、その時のクラブも大阪セントラルFCですか?

A:いえ、サッカーを始めたのは地元の淀川に幼稚園のサッカークラブみたいな所があって、幼稚園まではそこでやっていて、小学校に入って淀川の近くの河川敷のサッカーチームに行って、その後はセレッソに行って...

Q:え?セレッソにいたんですか?

A:そうなんです。セレッソがJ2に落ちた時に、僕らは大阪ガスの練習場でやっていたんですけど、そこの契約が切れるということになったタイミングで、尼崎のヤンマーの会社の横にヤンマー練習場みたいな所があって、そこに拠点が移ることになったので辞めたんです。小学4年の時に「このチームは全国を目指しません。育成で行きます」みたいな感じになったので、大会に出られないのはちょっと難しいなという風に思って、大阪セントラルの監督に「じゃあ来いよ」みたいに誘ってもらった形で行きました。

Q:その時に在籍していたセレッソのチーム名は何だったんですか?

A:セレッソ大阪神崎川スクールですね。(柿谷)曜一朗君と同じ高橋(正則)コーチに教えてもらっていました。なので、小学1年と2年は淀川のチームで、小学2年から4年まではセレッソで、小学4年から大阪セントラルです。

Q:なかなか複雑ですね(笑)

A:淀川のチームはそんなに大きなクラブではなかったので、小学2年の時に全少の予選に出ていましたね。

Q:え?小学2年で小学6年のチームの試合に出ていたんですか?それって凄くないですか?

A:凄かったんですかね?でも、ドリブルで抜いても、またスピードで追い付かれてみたいな感じやったと思います。

Q:それでも、自分の中でも小学6年の中に入っても「やれるな」っていう感じだったんですか?

A:「やれるな」と思いました。上の人たちと仲良かったからというのもあったと思いますけどね。

Q:それ、結構なことですよね。

A:マジですか?

Q:いやいや、だって周りは11,12歳とかの中で、7,8歳の子が一緒にやっている訳ですよね?(笑)

A:でも、その時は普通でしたよ。そんなん普通にいませんか?

Q:いや、聞いたことないです。恐ろしいですね(笑) そうするとセレッソのスクールで過ごした2年間ぐらいは、ベースを創った期間という感じですか?

A:その時期が一番サッカーが上手くなったというか、一番サッカーを楽しめた時期だったかもしれないです。周囲の環境とコーチの練習の教え方や、練習の楽しさが良かったですね。どこの大会に行っても全部優勝していましたし。

Q:僕は大阪の土地勘がないので、セレッソとガンバの棲み分けがあまりわからないんですけど、セレッソに行ったのはどういう理由からですか?元々好きだったからみたいなことですか?

A:それもありましたけど、地域的にも僕は大阪市の出身なのでセレッソ寄りなんですよ。その神崎川スクールも車で10分くらいの所だったので、そういう理由だったと思います。当時のセレッソは凄いメンバーもいましたし。モリシさん(森島寛晃)さんに、(大久保)嘉人さんもちょうど国見から入ってきた時でしたし、アキさん(西澤明訓)もいて、そう考えると凄いですよね。

Q:大阪セントラルFCはどういうチームでしたか?

A1個上に松田陸(C大阪)と松田力(名古屋)がいたんですけど、強かったですね。フジパンカップという大会があって、そこで結構上位に入っていたのを見たのも、入ろうと思った1つのキッカケでした。セントラル時代は大阪で負けることはあまりなかったです。

Q:大森選手は全少には出ていないですよね?

A:小学6年の時は決勝で和泉FCPK戦で負けました。僕は削られて途中交替していましたけど(笑) でも、バーモントカップという大会には5年から出ています。その5年の時に一発目にやった相手が江南南やったんですよ。

Q:おお、原口元気(ヘルタ・ベルリン/GER)ですね。

A:原口元気もいましたけど、一番スーパーだったのは10番(塩田光)ですけどね。キックターゲットを全部決めるような選手でした。でも、3-14-2で負けましたけど、僕らが一番戦えたチームだったんですよ。確か決勝の江南南は14点ぐらい取っていましたからね。そこはめっちゃ覚えてます。

Q:2週間前に阿部(浩之)選手にインタビューさせていただいたんですけど、阿部選手もバーモントカップに出ていて、しかも3位だったそうですよ。

A:マジですか?それ、凄いですね。僕ら負けてるじゃないですか(笑)

Q:バーモントカップに出ていた選手で、のちのちJリーガーになったり、年代別の代表で一緒になったりとかで、覚えている選手はいますか?

A:いないですね(笑) あまりそういうことに興味がないんですよ。あまり人のことも覚えへんし。

Q:わかる気がします(笑) でも、大阪セントラルFCはジュニアユースもあると思いますけど、ガンバのジュニアユースに進まれた訳じゃないですか。そのあたりの経緯はどういう感じだったんですか?

A:まず僕は小学校時代はちょっと実力が抜けていたので、かなりセントラルのジュニアユースにも誘われていたんですよ。それでほとんどジュニアユースに行くことが決まっていたんですけど、母親が僕には内緒でセントラルの監督に「セレッソに帰らせて下さい」と言ってくれたらしいんです。ただ、もうセレクションの締め切りも終わっていて、セレッソに行くのは難しい状況もあった中で、セントラルの監督が「ガンバは指導力もあって、これから強くなるし、足元も上手くなるはずだから俺が話を付ける」と言ってくれて、ガンバの方に電話をしてくれて、中学1年のチームに練習参加させてもらったんです。それで合格してガンバに行くことになりました。

Q:お母さん、めっちゃ行動力がありますね。

A:そうなんですよ。僕もそれを知らんくて、受かったから普通に行けると思っていたんですけど、実はそういう経緯があったんですよね。でも、実際に入ってみたら、ナショトレの上手いなと思ったヤツは全員ガンバに来ていました(笑) ナショトレの時のメンバーはエグかったですよ。

Q:誰がいました?望月(聖矢・MIOびわこ滋賀)、水野(旭)...

A:リュウセイ(村松隆晴)ってヤツがいたんですけど、望月とリュウセイが滋賀県のトップ2みたいな感じで、京都はもちろん宇佐美と影山(卓登)ってヤツがいて、影山もナショトレでずば抜けていて。水野とか山田幹也(アルビレックス新潟シンガポール)とかは大阪でも飛び抜けていた訳ではないんですけど、兵庫では原口(拓人・山口)も凄かったですし、ゲン(昌子源・鹿島)も兵庫ですけど、そういうメンツが来ていたので、ちょっとレベルが高過ぎて、初めてサッカーが面白くないと思いましたし、サッカーを辞めたいと思いました。試合にも出れんかったですし、ちょっとズル休みとかして。でも、親にはサッカー行ったことにしなあかんから、公園でちょっとウェアに土付けて。人工芝やから土なんか絶対に付かへんのに(笑)、土を付けて水でちょっと濡らして洗濯に出すみたいな。そんな感じでしたね。

Q:ドラマとかの会社に行きたくなくなったサラリーマンみたいですね(笑)

A:そうですね。それを中学1年で味わってます(笑)

Q:それはサッカーを始めてから、最初の挫折という感じですか?

A:挫折でしたね。

Q:でも、辞めずに続けた訳じゃないですか。そこにはどういう理由があったんですか?

A:"鳥かご"みたいな練習を毎日めっちゃするんですけど、それで色々なことをイメージしてやるようになって、自分もめっちゃ上手くなったと実感できたんです。その時にコーチとかに褒められるようになって、僕は褒められると伸びるタイプなので(笑)、その上に調子に乗るタイプやし、勢いだけで行くタイプでもあるので(笑)、何とか夏以降ぐらいにスタメンで出られるようになって、秋ぐらいには中学3年のトップチームの練習や試合に出させてもらえるようになって、また変わって行きましたね。

Q:そうすると大森選手の代は1年の段階から、結構みんなトップに上がって行った感じでしたか?

A:そうですね。能力は凄かったです。「コイツら、ホンマに中1か?」ってぐらい。もう体つきも180センチぐらいあったヤツもいましたし、筋肉が出来上がっているヤツとか、そういうヤツらと練習していても最初は何も面白くなかったんですよね。「どうせ抜いても追い付かれるし」みたいな。でも、試合になったら面白いんですよ。やっぱり自分らが一番強かったですしね。たぶん全国で一番強かったんじゃないですか。でも、中1の時にサンガには負けました。ナイキカップの関西予選で負けて、本大会に出られなかったんです。

Q:サンガの同級生だと駒井(善成・浦和)がいますね。

A:駒井、伊藤優汰(新潟)、宮吉(拓実・広島)とか。普段は4-0とか5-0で勝っていたんですけど、その大会だけPK戦で負けました。

Q:そんな挫折を味わった大森少年も、中学2年と3年の時は高円宮杯で日本一になる訳じゃないですか。でも、お話を聞いていると「まあ日本一にもなるよな」という感じだったんですね?

A:そんなに負けることはなかったですね。むしろ中学2年や3年の時は同じ年代のチームと試合をしていなかったと思います。高校1年で入学したばかりのCチームとか、ユースの高校1年の"試合に出ていない組"とかとずっと試合していましたね。だから、同じ年代に10-0とかで勝っても褒めてくれへんし、高校生相手に勝っても当たり前みたいな感じで、高校生に負けると「オマエら、帰って練習や」みたいな感じで、走らされたりしていましたね。

Q:ジュニアユースの時の監督はどなたですか?

A:鴨川(幸司)さんですね。あの人はホンマに凄いですよ。

Q:どういう所が凄いんですか?

A:サッカーを知っているというか、教え方が上手いというか、あの人の指導を受けるとサッカーが楽しくなりますし、「もっと色々なことを知りたい」ってなります。ボールの受け方1つとってもそうやし、ゴールに行くためのボールの運び方とか足元の技術とかというのもそうやし、あの人に教えてもらいたいという人はメチャメチャいると思いますよ。あの人は凄いです。

Q:ジュニアユースからユースへの昇格は、普通に上がるものだとして上がった感じですか?

A:「上がれるか、上がれないか」みたいな緊張はなかったです(笑) 「大丈夫やろ」と思っていましたね。

Q:当然プロはもう早い段階から視野に入っていた感じですか?

A:いえ、高校からですね。中学の頃はただただ楽しくサッカーしていた感じです。高校2年ぐらいからですね。「プロになりたいな」と思い始めたのは。

Q:それまでは逆にそういう意識はなかったんですか?

A:そうですね。でも、高校1年の時もめっちゃ色々な経験をさせてもらいましたけど。

Q:Jユースカップでは、また日本一にもなっていますしね。

A:夏のクラブユースはレイソルに負けましたけどね。その時のレイソルは凄かったですよ。

Q:工藤(壮人・バンクーバーホワイトキャップス/CAN)、仙石(廉・長野)、指宿(洋史・新潟)...

A:酒井(宏樹・マルセイユ/FRA)とか。全員プロになったんちゃいます?

Q:そうかもしれないですね。トップに6人昇格して、3人が他でプロになって、1つ下に茨田(陽生)がいて。

A:強かったですね。でも、僕らもほぼほぼプロになったんじゃないですか?大塚翔平(川崎)、菅沼駿哉(京都)、田中裕人(長崎)、岡崎建哉、宇佐美がいて、あとブルーノ(・カスタニェイラ)もいました。

Q:今は岐阜にいますよね。名前も鈴木ブルーノに変わって。凄い髪型になってますけど(笑)

A:好きなんでしょうね、ああいうのが(笑)あとウッチー(内田達也)も。でも、レイソルには結構圧倒されてやられたような気もします。

Q:これを聞かない訳にはいかないですけど、宇佐美貴史がずっと中学時代から同じ学年にいたじゃないですか。やっぱり大森選手にとっても彼は特別な存在ですか?

A:特別ですね。アイツがいたからこそ、僕もプロになれているというのはあると思います。「アイツには負けたくない」「絶対追い抜いてやろう」という想いがいつもどこかにあったから、「アイツがやれるんなら自分もやれる」と。アイツは絶対に結果を残しますし、周りを沸かせますし、僕はそんなアイツの"陰"になっちゃいましたけど、そういうのは嫌でしたし、アイツはユースも途中で抜けたから、自分の代とかやったら「自分が結果を残して、チームで一番上手くなろう」という考えでやってこれたという存在ですかね。

Q:なかなか一言で表現するのが難しい関係性という感じでしょうか?

A:そうですね。昔はホンマに仲悪くて、毎日ケンカしてました。

Q:それはいつ頃のことですか?

A:中学の頃ですね。その頃は毎日ケンカしていて、1回もちゃんと口を利いたことはなかったですね。ピッチを離れても話さないですし、練習中は毎日削り合いです。コーチもわかっているから、アイツと同じチームになったことがなかったです。練習って4グループぐらいに分かれたりするじゃないですか。でも、アイツとはいつも対人でぶつかる感じで削り合いというか。

アイツが調子に乗ってボールを持っていたら削りに行きますし、僕が気持ち良くプレーしていたらアイツがボールのない所で削ってきたりして、「オマエ、おかしいやろ」みたいな(笑) それに対して「何やねん、オマエ」とか言ってケンカして。プライベートでも喋ったこともないですし。それぐらい仲良くはなかったです。でも、試合中は結構ワンツーとかパス回しとかするんですけどね。それ以外ではめっちゃ仲悪かったですよ。

Q:それって何か仲良くなるキッカケがあったんですか?

A:僕はみんなと仲良くしたいし、サッカーが終わっても「みんなで遊びに行こうや」とか言うタイプだったので、「おお、オマエも来いや」みたいに言うんですけど、アイツはふてってるみたいな。「は?何なん、オマエ?」「別にいいやんけ。行こうや」みたいな感じで。でも、自然と残っていったのが僕とアイツだけになってきて(笑)、それで仕方なく、「オレら2人でおらなアカン人生やねんな」みたいな(笑) たぶんアイツはそうだったと思います。でも、何やかんやで一番僕のことを理解してくれるのもアイツやし、そういうのはありますね。

Q:なかなか人生でそんな人に出会えないですよね。

A:そうですか?

Q:だって中学時代からの知り合いで、仕事場も一緒になって、一緒に高め合っていくみたいなことですよね?

A:家長(昭博)くんと本田圭佑もそんな感じじゃないですかね。

Q:確かに。でも、みんながみんなそういう人がいる訳じゃないと思いますよ。ちょっとうらやましいです(笑)

A:ホンマですか?アイツはいいですよね。いつも僕のことを下に見ているから(笑) でも、アイツのおかげというのは間違いなくあります。存在はホンマに大きかったですね。

Q:彼が抜けたタイミングだから、「今は俺が頑張らなきゃ」みたいな気持ちはありますか?

A:ないですね(笑) アイツも「俺がガンバを背負っていく」とか「ガンバを勝たせてやる」とか言っていましたけど、実際アイツもそうやって背負うものがあると良いプレーができないタイプやから、意外と調子の良い時は何も考えていないというか、一番"クソガキ"の時が良いプレーができている時かなと思いますけどね。僕はそういうタイプではないので。

Q:こうやってお話しを伺っていると、大森選手はいつも変わらないスタンスで生きている感じですね。

A:やりたいことをやるだけです。一応先輩の前ではそういうのを隠しますけどね(笑)

Q:これが最後の質問で、あえてザックリお聞きしたいんですけど、夢ってありますか?

A:夢ですか?人生1回きりじゃないですか。その中のサッカー人生ってもっと短い訳じゃないですか。だから、色々なサッカーを知りたいというのはメチャメチャあります。でも、最後は『アメリカンドリーム』を掴んでみたいというのはありますけどね。

Q:『アメリカンドリーム』!(笑)

A:そうですね(笑) 夢は大きくですね。セカンドキャリアでサッカー繋がりのことをやるというのは、あまり考えていないかもしれないです。それこそ"旅人"とか。もう自由に。僕は家族にも「自由に生きる」と。「家族のためであっても自由に生きるから」と。「縛られた環境やったら一生成功せえへんし」と言っているので。

Q:ご理解のあるご家族で良かったですね(笑)

A:そうですね(笑) だから、ホンマに最後は"旅人"みたいな生活を送りたいですね(笑)

【プロフィール】

G大阪の下部組織で育ち、ジュニアユース時代、ユース時代と共に日本一を経験。2011年にトップへ昇格し、ルーキーイヤーの大阪ダービーでデビューを飾ると、近年は徐々に出場機会を増やし、熾烈な2列目のポジション争いの中でも存在感を示している。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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