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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
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【Pre-match Words 湘南ベルマーレ・神谷優太編】
(2016年7月29日掲載)
Q:デビュー戦はファーストステージ第4節の浦和戦(●0-2)で、かなり早いデビューという印象もありましたが、あのタイミングでデビューできたというのはご自身としてはいかがですか?
A:自分の理想では「開幕からデビューしたかったな」という気持ちはあったんですけど、4節目で相手が浦和レッズだったという所で、強豪と言われているチームとやる中で自分がどれだけできるかということも考えながらやりました。その中で少しでもゴールに近付いたプレーとか、シュートも打てたので、少し良い印象はあったんですけど、「やっぱりレベルが高いな」というのは感じましたね。
Q:緊張しましたか?
A:緊張しましたね(笑) 結構緊張する方なので、その緊張をこらえられたのは、今までなかった自分のメンタル面の成長というのが、鍛え上げられていたのかなというのは感じますね。
Q:元々は攻撃的なポジションを務められていた中で、今はボランチで出場することが多いと思いますが、今のポジションに関しては率直にどのように捉えてらっしゃいますか?
A:一番今は得意としているポジションになっていて、最初に湘南に来た時はシャドー、サイドと色々やらせてもらったんですけど、一番フィットしたのがボランチというポジションで、「自分がゲームを創らないといけない」という仕事の方が自分に合っているのかなと思います。ただ、もちろん攻守において戦っていかないといけないんですけど、それでも守備でも自分の良い所を出したり、攻撃でも良い所を出せるので、そこが一番合っているのかなと思いますし、フォワードもサイドも高校時代にやったんですけど、それでも「必ず自分がゲームを組み立てる」という意識の方が強かったので、今は真ん中で組み立てられているというのが、凄く一番自分にとって良い所なのかなというのは感じますね。
Q:少しミスしても怖がらずに、どんどんボールを呼び込んで引き出していく姿が凄く印象的ですが、そのあたりはかなり意識している所ですか?
A:自分は確かにミスをすると結構メンタルが崩れるパターンの人なんですけど、曺さん(曺貴裁監督)がいつかのミーティングで「失敗しても良いからチャレンジしろ」という言葉を自分に言ってくれて、失敗しても良いから自分で積極的にボールを受けて、どんどん組み立ててという仕事をしないといけないので、そういう所は曺さんの言葉が大きかったのかなと思いますね。
Q:やっぱり曺さんの言葉はかなり響きますか?
A:かなり響きますね。やっぱりJクラブで、プロであそこまでこうやって話してくれる監督はなかなかいないと思うんですけど、その中でこうやって一生懸命コミュニケーションを取ってくれて、曺さんの話を色々聞くと、やっぱり自分のものになるものばかりなので、ミーティングでも自分が問いかけられているように感じられて、「本当にためになるな」と思いますね。
Q:ちょっと学校の先生っぽい感じですよね。
A:ああ、確かに。高校時代の監督とはまたちょっと違った監督ですけど、「本当に素晴らしい監督だな」と思いますし、自分の中では「また成長できそうだな」と感じますね。
Q:ファーストステージの話題で避けて通れないのは第14節の名古屋戦(〇2-1)ですが、今から振り返るとあの名古屋戦というのはいかがでしたか?
A:正直あの名古屋戦は、アレまではたぶんプレーは悪くなかったと思うんですけど、あの1つのミスがあって。あの試合はチームが助けてくれた試合なので、本当にチームメイトに感謝しないといけないんですけど、自分としてはあそこでミスしても、また自分のプレーをしっかりやって、ブレずにやらないといけないのに、ちょっとブレてしまったという所があったので、そういう所も成長していかないといけない部分だと思います。もしかしたら今後も自分がオウンゴールをしたり、ああいうミスをしたりするかもしれないですけど、それでもやっぱりブレずにというか、ミスしないのが一番ですけど、それがあったとしてもブレずにやっていかないといけないのかなというのはありますね。
Q:菊池選手がゴールを決めた瞬間ってどうでしたか?
A:大介さん(菊池大介)は普段から仲良くしてくれて、一番憧れる存在な気がするんですね。僕もやっぱり青森山田時代も10番を背負って、10番ってああいう仕事をしないといけない選手なので、「本当に10番らしい10番を久々に見たな」というのを目の前で感じました。ああやって点を決めてくれたことには本当に感謝していますし、今度は自分が助けないといけないなと感じますね。
Q:勝った瞬間の涙の意味というのはどういう感じだったんですか?
A:自然と出てきちゃって、みんなからは「自作自演だ」みたいに言われたんですけど(笑) 本当に嬉しかったですし、「助けられたな」という気持ちでいっぱいで、「今度はやらないといけない」という気持ちにもなりましたし、「良い経験ができているのかな」というのはあります。
Q:あれがホーム初勝利で、神谷選手にもああいうことがあって、それでもチームが逆転して、スタジアムも最高の雰囲気になって、すべてが整えられたストーリーみたいな感じがありましたけど、自分の中でも特別な試合になった感じはありますか?
A:そうですね。まだ1年目で、1試合1試合が全部特別なんですけど、あの試合もかなり自分の中では特別な試合になったのかなというのは感じますね。
Q:プロとしてやっていけそうな手応えは徐々に掴みつつありますか?
A:デビュー戦の時には「やっていけるな」とあの試合で思いましたし、逆にそれが過信にならないようにしてやっていかないといけないので、そこが若手の難しい所だと自分では思っています。
Q:神谷選手も十分若いですけど、このチームには齊藤未月選手がいて、ゲームにも出ているじゃないですか。彼の存在というのは刺激になりますか?
A:そうですね。学生みたいになっちゃいますけど、自分が出ていなくて、年下の選手が出ているとどうしても悔しい想いはある中で、逆にそれがあるからもっと頑張れているのかなというのもあると思いますし、良いチームメイトですけどライバルなので、そこは彼とも競い合う中で、もっともっと自分が湘南ベルマーレで必要とされる選手になりたいと思います。ただ、アイツがいなかったら、こうやって試合にも絡めていないと思いますね。
Q:お話を伺っていると、神谷選手は自分にも自信を持ってらっしゃると思いますし、記者の方に聞いても「アイツは結構自信家だ」みたいなことも聞きましたけど(笑)、ご自身はメンタルを課題だと思ってらっしゃる訳ですよね。そこは自分のメンタルを把握しているからこそ、そういう姿勢でいるような所もあるんですか?
A:正直試合前のメンタル面ではかなり緊張しているんですけど、「どう緊張を相手に見せないようにするか」というのは多少考えていますし、普段生意気なのはちっちゃい頃からです(笑) でも、そうやってコミュニケーションを取れていて、年上の選手に対してちゃんとする時はしっかりするんですけど、普段はそうやってコミュニケーションを取って、もっともっとチームの輪をしっかり繋いでいければなとは感じますね。
Q:ここからはキャリアのお話を聞かせて下さい。検索していたら、アバンツァーレというチームにいた小学1年生の神谷選手にインタビューしているサイトが出てきたんですけど、アバンツァーレは名鑑の所属クラブに書いていないですよね?
A:あれはクラブチームに登録したというよりも、スクール生として初めて入った所で、そこがサッカーを始めたキッカケの原点という感じです。自分もあまり記憶はないですけどね(笑) でも、最初に入った時はまだ3歳くらいで、やっぱり小さいから色々わかっていなかったんだと思いますけど、最初は全然ボールを追い掛けなかったらしいんですよ。ずっと砂遊びをしていたらしくて(笑) ただ、何かがキッカケでボールを追い掛け始めたらしいんです。そこからサッカーが楽しくなって、ボールを蹴り始めたんだと思うんですよね。
Q:その後はOSAフォルトゥナ山形でプレーされる訳ですよね?
A:チームとして11人みんなで、本格的なサッカーをやるというのはそこが初めてでした。小学校に上がった時に入った感じです。
Q:当時のOSAフォルトゥナ山形には鹿島の土居聖真選手がいたと思いますが、何か彼との思い出はありますか?
A:思い出というより、キラキラしていた憧れの先輩という存在でしたし、聖真くんは練習着としていつもダボッとしたイタリアのパルマのユニフォームを着ていたんですよ。それを見て自分も「ああいうユニフォームを着たい」と言って(笑)、その時の自分はローマが好きだったので、ローマのダボッとしたユニフォームを着て練習していました。そういう憧れというのは凄く感じていましたし、僕が1年生の時に聖真くんのいた6年生の試合を見に行くと凄く上手かったですし、輝いていたので憧れの存在でしたね。
Q:以前土居選手にこのシリーズでお話を伺った時に、「県内でウチを倒すための選抜チームができるくらい強かった」とおっしゃっていましたが、神谷選手がいた頃も強かったですか?
A:山形で1,2番を争うチームでした。自分は「もっと強いチームに行きたい」と思ってそこに入ったんですけど、そこから次の経歴にS.F.Cジェラーレというチーム名が書いてありましたよね。OSAフォルトゥナは逆に強過ぎて、楽しくない訳ではなかったんですけど、「そこを倒したい」という気持ちが出てきてしまって(笑) そこで本当にできたばかりで、そこまで強くなかったんですけど、誰も知っている人のいないS.F.Cジェラーレに入ったんですよね。
入ってすぐに練習試合があったんですけど、そこでも「ここでズバ抜けた実力を見せないといけない」と思って、かなり1人でドリブルしたりしていたんです。そこからチームメイトが認めてくれて、普通に3個上の先輩とかいたんですけど、気にせずに自分でドリブルしたりして、その生意気さが今も出ているんですかね(笑)
でも、そこからチームワークというものを教えてもらったと思います。その後に自分が小学5年生の時に、今はなくなってしまった山形JFCという選抜チームに1個下で入ったんですけど、実はなくなった理由は自分たちだったんです。山形JFCは全国の常連チームだったんですけど、その年の全日本少年サッカー大会予選の準々決勝でOSAフォルトゥナと当たって負けちゃったんですよ。そこで山形JFCがなくなってしまったので、僕らの時代は"暗黒時代"と呼ばれていました(笑)
Q:"暗黒時代"って凄いですね(笑)
A:そんな中で頑張って努力はしていたんですけど、小学4年生の時に見た全日本少年サッカー大会で優勝したのが東京ヴェルディジュニアで、その時のヴェルディに凄く憧れて、「もっと上のレベルでプレーしたい」と思って、小学5年生の終わりにヴェルディのジュニアに入ったという形です。
Q:全少の優勝を見たのは、2個上のヴェルディジュニアということですよね。
A:そうですね。高木大輔くんとか、今はジェフにいる菅嶋弘希くんとか、澤井直人くんとか、その世代ですね。
Q:もう「衝撃的!」って感じでしたか?
A:凄かったですね。ビックリしました。あんな強いチームは初めて見ましたし、「あんなにレベルの高い所でやってみたい」と思いましたね。最初は「失敗してもいいからチャレンジしたい」ぐらいの感じだったんですけど、入ってみたらあまりにもレベルが高くて、最初は結構困りましたね。そこで「やっぱり無理なのかな」と思ったんですけど、小学6年の時にバーモントカップというフットサルの大会があって、自分は山形でフットサルをやっていたこともキッカケになって出場したら、その大会で活躍してベストプレーヤーという賞をもらって、そこから「自分もやれる」という自信が付きました。
Q:当然ヴェルディジュニアに入りたいと思っている人はたくさんいても、そんなに簡単には入れないじゃないですか。それは5年生の終わりにヴェルディジュニアのセレクションを受けたんですか?
A:最初はバーモントカップの全国大会に山形のチームで出た時に声を掛けてもらって、それでセレクションを受ける形で一次合格ということになって決まって、ヴェルディに入ることができたという感じですね。
Q:お母さんと一緒にこちらへ来たということですが、それって家族にとっても一大決心ですよね?
A:そうですね。でも、その時はすんなり送り出してくれました。お父さんは山形に1人で残っていたんですけど、お母さんは自分のためを思って引っ越してくれたので、本当に感謝しかないですよね。
Q:土居選手とまったく一緒ですね。彼もバーモントカップで鹿島に声を掛けられて、お父さんは山形に残ったけど、お母さんと一緒に鹿嶋へ引っ越したと話していました。
A:そうなんですか。似ているんですね(笑)
Q:バーモントカップは冬だと思いますけど、小学6年の全少ではそんなに活躍していなかったということですか?
A:全日本少年サッカー大会では、今までずっと全国に出ていた中で、自分たちは出られなかった年なんです。自分はそこで「全日本少年サッカー大会とは縁がないんだな」と凄く思って、そこで悔しい想いをしたから今があると思うんですけど、その後のバーモントカップで全国3位になって、ベストプレーヤーにもなって、頑張った証がそういう形に現れたのかなと思います。
Q:ヴェルディジュニアユースでの3年間というのはいかがでしたか?
A:そこが一番大きな転機かもしれないです。小学6年まではずっとボランチをやっていたんですけど、ジュニアユースに入ってからは左サイドハーフにポジションが変わって、メトロポリタンリーグで得点王を争うぐらいまで得点を取ることができて、そこから「自分に得点能力がある」と気付けて、攻撃的なポジションをやらせてもらいました。
Q:点を取る楽しさに目覚めてしまったという感じですか?
A:そうですね。カットインの形を覚えて、そればかりやっていたんですよ(笑) でも、それも徐々に警戒されると思って、色々なテクニックを自分で練習しながらやっていたので、それが今に繋がっているのかなと思いますし、そこから得点を意識するようになりました。
Q:僕らはヴェルディジュニアユースというと、やっぱり亘崇詞さんを思い浮かべるんですけど(笑)、亘さんってどういう指導者でしたか?
A:本当に「サッカーの面白さを全部教えてくれる」みたいな方でした。亘さんって南米でプレーされていたじゃないですか。「そういう所も指導に出ているのかな」という感じでしたし、厳しくする時は厳しくするんですけど、本当にサッカーを楽しませようとしてくれる監督だったなと思いますね。
Q:ためになりましたか?(笑)
A:それはもちろんですよ(笑)
Q:そう言うしかないですよね(笑) 指導者としての亘さんはどうなのかなと思って(笑)
A:本当に良い方でしたよ。たまに連絡も取りますし、「今度ゴハン行こう」とおっしゃってくれていて。青森山田の時にはサニックス杯にも来てくれましたし、また亘さんに会いたいですね。厳しい環境の中でやってきた人のサッカーという感じがしました。
Q:ヴェルディに元々憧れて、ジュニアからジュニアユース、ユースと進んでいくにつれて、ヴェルディへの想いはどんどん強まっていった感じですか?
A:そうですね。やっぱりトップチームを見てしまうと、「どうしても昇格したいな」という気持ちもあったんですけど、その頃に高校選手権を見た時、それにも憧れてしまったんですよね。本当はユースに上がる前に高校サッカーに行きたかったんですけど、それはチームの人に止められたこともあって行かなかったんです。でも、その時は「今度はヴェルディでしっかり頑張って、絶対にトップに上がろう」という気持ちになりました。そういう形でユースに上がって、そのユースでの目標としては「クラブユース選手権で優勝したいな」と自分の中で思っていました。
Q:それこそヴェルディユースは1個上も2個上も良い選手がたくさんいて、なかなかゲームに出るのは難しい中で、1年生の時に国体で日本一になったじゃないですか。あれはご自身の中でも大きなトピックスでしたか?
A:そうですね。あれで優勝して、得点も決めて活躍した中で、自分の弱さが出たのがあの大会で、ヴェルディに帰った時に「自分はストライカーだ」と思ってしまって、得点ばかりにこだわっていたんです。原点を振り返ると、自分はゲームを組み立てる選手だったのに、得点ばかりにこだわってしまって、1つの悩んだ時期になってしまいました。その前にも代表に入ったりしていたので、そこで"天狗"になってしまって、どん底までは行かないですけど、苦しんだ時期なのかなというのは今から振り返ると思います。
Q:自分でも"天狗"になっていた自覚があるんですね。
A:今から思い返せば、完全に"天狗"でしたね(笑) 自分たちが高校2年の時に、1個上の代の試合に出ていても"エース気取り"というか、そういう所があったので、やっぱり「アレは完全に"天狗"になっていたな」というのは、今思い返すとありますね。
Q:その年齢で2年前ぐらいの自分を振り返って、「"天狗"になっていたな」って思えるなんて、なかなか凄いことだと思いますけどね。
A:相当"天狗"だったからだと思いますよ(笑) それで「やっぱり何か環境を変えなきゃ」と思ったんです。その高校2年の時が一番苦しい時期で、2年生の1年間が始まる前は「絶対にスタメンで出て活躍する」という理想があったんですけど、なかなか結果も出なくて、時にはベンチからも外されてという日々で、「このままじゃトップに上がっても成長しないな」と思ったので、そこで「何か大きな決断をしないといけない」と思って、青森山田に移ったという感じです。
Q:「高体連のチームに行きたい」というよりは、やっぱり「青森山田に行きたい」という感じだったんですか?
A:それもあったんですけど、何かの映像で青森山田のサッカー部が凄い吹雪の中、凄く雪が積もっている中でサッカーしていたんですよ。「やっぱり自分はそれぐらい苦しまなきゃいけないのかな」って。「長くなっていた鼻をへし折るにはそこしかないな」と思って、青森山田に決めました。
Q:それって誰かに相談しましたか?それともかなり自分で考えた感じですか?
A:かなり自分で考えていて、その時に親が「どうしたの?」と気付いてくれたと思うんですけどね。結果も出ていないのは知っていましたから。初めて親にその考えを話した時には、山形から東京に来た時よりはそこまで賛成という感じではなかったですけど、結局送り出してくれたので、良い経験ができて高校生活を終えられたなというのはありますね。
Q:ジュニアユースから高校に上がる時にも、青森山田が候補にあった訳ですか?
A:その時に柴崎岳選手を見て「行きたいな」と思ったんですけど、チームにも親にも反対されました(笑)
Q:青森山田に行った当初は公式戦にも出られなかったんですよね?
A:出られなかったのはインターハイの県予選だけです。その時期に湘南の練習にも行かせてもらいました。
Q:そうすると転校したのはいつですか?
A:2年の1月です。プレミアリーグとかは普通に出られたんですけど、インターハイ予選は出られなかったです。
Q:やっぱり高校選手権って注目度が全然違うじゃないですか。結構このインタビューシリーズでも、Jリーグの下部組織出身の選手たちに選手権のことを聞くと、「注目度の高さはうらやましかった」という趣旨のことをみんなおっしゃいますけど、やっぱり選手権に対する憧れと、実際に出て感じた選手権の凄さってリンクしましたか?
A:最初に青森山田に入った時は、もちろん選手権で優勝することは考えていましたけど、それよりも自分の成長のことを考えていたかもしれないですね。でも、だんだんチームメイトに溶け込めて、仲良くなってきてからは「選手権をみんなで獲りたい」という想いになりましたし、ああいう"青春"というのはそういう所から始まるんだと思いました。
ユースの頃にテレビで選手権を見ていた時は少し嫉妬もあって、「ああ、そういう青春ね」と見ていた所もありました(笑) でも、実際にその中に入ってみると、自分は青森山田の10番でエースとしてチームを引っ張っていく中で、やっぱり「青森山田を選手権の一番上に立たせて、みんなに喜んで欲しいな」という気持ちになったのは凄く覚えていますね。
Q:最後は準決勝で負けましたけど、選手権自体に悔いは残っていますか?
A:いえ、優勝校には悪いんですけど、逆に「優勝しなくて良かったのかな」というのは自分の中であります。だから、今があるのかなと思いますし、今も試合前に選手権で負けた時のビデオとかをよく見るんですよ。僕は優勝する嬉しさは知らないですけど、あの時に勝っていたら、あの悔しさがわからなかった訳ですし、あの悔しさがあるから今も「やってやらないと」という気持ちになるので、負けて良かったかなとは思っています。
なので、基本的に悔いはないんですけど、1つ悔いがあるとしたら桐光(学園)戦ですね。桐光戦は凄く調子が悪かったんですよ(笑) そこで「エースとしてチームをもっと助けたかったな」という悔いはあります。あの時は小川(航基・磐田)ばかりが点を決めちゃって(笑) 代表に行った時でもそういう話をするんですけど、アイツはウチとの試合で2点も決めて、2回もPKを外したじゃないですか。アイツは負けたクセにああいう美味しい所を持って行くんですよ。だから、それだけが悔いですね(笑)
Q:桐光戦はロングスローの原山君にも持って行かれましたね(笑)
A:(原山)海里は技術や守備はそこそこなんですけど、あの武器があるから最強なんです(笑) でも、あのおかげで選手権も勝ち上がれたので、アイツの存在は凄く大きかったですね。
Q:なかなかJリーグのユースと高校の部活をあのレベルで両方経験している人って、日本中を探してもなかなかいないと思いますし、凄く稀なケースだと思うんですけど、両方経験できて良かったなと思いますか?
A:もちろんそれは思います。ヴェルディに行っていなかったら、青森山田にも行っていませんし、ああいうレベルの高い中で技術を磨けたのはヴェルディのおかげですし、厳しい環境の中でメンタルが鍛え上げられたのは青森山田のおかげなので、どちらも経験していて良かったなというのは本当に感じます。
Q:結構どのチームに行くのも自分の意志で決めてますよね。
A:正直に言うと、それで色々な友達に迷惑は掛けていると思いますし、裏切り者と思われても仕方ないと思っています。でも、そういう決断があったから今があるので、文句を言われないぐらい活躍するしかないですよね。
Q:これを最後の質問にします。おそらく元々自分の中に明確な"なりたい自分のイメージ"があって、「もっと強い所に行こう」とか色々なチームを渡り歩いたんだと思いますけど、思い描き続けてきたイメージの自分に、今はどれくらい近付いてきていますか?
A:まだまだですね、正直。「自分の理想としている1日がまだできていないのかな」というのは感じますし、その理想がしっかり通っていれば、もっと高いステージに行けるのかなと思います。でも、曺さんに厳しく教えられながらやっていっている日々が今の毎日の理想なので、もっと曺さんの下で厳しく怒られながら練習して、もっともっと曺さんの下で成長したいと思いますね。
Q:日々理想の自分に近付きつつある感覚はあるんですか?
A:いえ、まだないですね。自分はこんなもんじゃないと思いますし、もっとやれると思うので、次のフロンターレ戦もどうなるかわからないですけど、試合に出たら1位相手でももっともっとやれる自分を見せていきたいなと思いますね。
Q:今ってサッカー楽しいですか?
A:楽しいです(笑) まだ自分のサッカー人生は短いですけど、正直今が一番楽しいです。毎日成長している実感がありますからね。それもチームメイトと曺さんのおかげだと思いますし、本当に今が楽しいですね。
【プロフィール】
小学5年で山形から上京し、東京Vの下部組織を経て、高校2年時に青森山田高へ編入。高校選手権ではキャプテンとして全国ベスト4進出に貢献すると、今シーズンから加入した湘南でも早々にJリーグデビューを飾るなど、今後の活躍が大いに期待されている。
※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。
ご了承ください。
取材、文:土屋雅史
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