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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月11日

Pre-match Words ~柏レイソル・中川寛斗編~(2016年7月1日掲載)

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【Pre-match Words 柏レイソル・中川寛斗編】

(2016年7月1日掲載)

Q:ここからは少し昔のことを聞かせて下さい。名鑑などを見ると最初の所属クラブはジップサッカークラブとなっていますが、そのチームに入ったのがサッカーを始めたキッカケですか?

A:そうです。僕は2個上に兄がいて、その兄がサッカーをやっていたのがキッカケだと思います。記憶自体はないんですけど、親は「ずっとボールはいじっていた」と言っているので、物心が付く頃にはボールを蹴っていた感じですね。でも、ジップに入った時の映像とかを見ても、試合中も全然サッカーをやっていなくて、砂遊びばっかりやっていたり(笑) ですから、その時は「兄がやっているから僕もやろうかな」という感じで、サッカー自体に興味はなかったです。

Q:ジップに入ったのは幼稚園の頃ですね?

A:そうです。それまではずっと体が弱くて、アレルギーも喘息もアトピーも、色々なことがあって、スポーツができる体ではなかったんです。それで水泳とか色々やって、ようやくサッカーができるようになったのがその頃だったと思います。

Q:すぐにサッカーへのめり込んで行った感じですか?

A:どうですかね。でも、ドリブルは好きでした。サッカーを始めた頃にボールを扱って、ドリブルで相手を抜く感覚が凄く好きで、それはジップに入って、小学校の大東少年団に入った頃もその楽しさは増えていきましたね。それと並行してフットサルでクーバーもやっていたので、そこが一番本当のサッカーを知ることのできた場所だったかもしれません。

その時に坂口(照幸)コーチという武南でキャプテンをやっていたコーチがいたんですけど、坂口コーチの下でずっとやっていて、「オマエはJクラブの育成を受けろ」とレイソルとマリノスとヴェルディを勧められて、一番家から近かったレイソルを受けることになったんです。僕は細かい話は知らなくて、本当にサッカーをやりたかったので、環境にそれほどこだわりはなかったんですけど、ここのグラウンドに親に連れて来られて、「今日セレクションだから」ということでセレクションを受けて、受かって「ずっとここでサッカーできるんだな」と思ったことは覚えています。だから、レイソルに入ったキッカケは坂口さんに勧められたからですね。

Q:武南の坂口さんって僕も覚えてますよ。

A:武南の時の額縁とかも飾ってありましたから。確か坂口さんにはお兄さんもいて、その方も相当凄かったらしくて、凄い兄弟だったというのは聞いたことがあります。

Q:クーバーはスクールみたいな感じですか?

A:そうですね。埼スタがある美園でやっていました。

Q:一番近いと言っても、柏までは埼玉だとちょっと距離はあるじゃないですか。当時は電車で通っていた感じですか?

A:そうですね。親に小学校が終わったら迎えに来てもらって、最寄り駅まで行って電車で行く感じでした。

Q:当時のレイソルジュニアには今もチームメイトとして一緒にやっているメンバーもいると思いますが、入ってみて「やっぱりレベルが高いな」という感じだったんですか?

A:全くそういうのはなかったです。入った時は本当にサッカーが好きでしょうがなかったので、「誰が上手い」とかそういうことは何も考えていなかったです。本当にドリブルがしたくて、本当にボールに触りたかっただけなので、コーチの言うことを「誰よりも聞きたい」と思っていましたし、その時に試合に出たか出ていなかったかも覚えていないくらい、とにかく「サッカー、サッカー」という感じでしたね。

Q:とにかくボールに触るのが楽しくてしょうがなかったんですね。

A:はい。当時は週に3回か4回ぐらいしかレイソルの練習はなくて、その他の日はクーバーを入れていましたから、それ以外のことには全く興味がなかったですね。本当にサッカーのことしか考えていなかったです。たぶん一般の子として考えたら相当ダメな子でしたね(笑) 宿題とかも全くやらなかったですし、学校にいる時ですらノートにサッカーのことを書いていましたし、「ドリブルをどうやってやろう」と考えたり、新しいフェイントを考えてみたり、本当にダメな子ですよね(笑) でも、それくらいサッカーに没頭していました。

Q:でも、きっと自分でも「サッカーが一番大事だから、勉強はそこそこでいいや」と思っていたんですよね(笑)

A:サッカーしか考えていなかったです。「勉強ができないのもしょうがない」すらも考えたことはなかったです(笑) でも、そこまでサッカーが好きだったのに小学校の夢は「親がやっている大工さん」って文集かなんかに書いてありましたね(笑) 全く理由はわからないですけど。あの時は本当にサッカーが好きでした。ああ、「あの時も」ですね。

Q:そうするとやっぱり成績はあまり良くなかったんですか?

A:それでも一応勉強自体はやっていましたね。気付いたら塾に通っていましたし、気付いた時には英会話をやっていました(笑) まあ親が「宿題をやらないんだったらコレをやりなさい」というような感じだったので、そこはイヤイヤでもやっていました。でも、その時の塾でも英会話でもサッカーのことを考えていましたね。問題を解く時も答えを見てやっていて、それがバレて怒られたりしていましたからね(笑)

Q:ダメな生徒ですね(笑) そうするともう早い段階から「俺はサッカーで生きていく!」と思っていたんですか?

A:どうなんですかね。夢として思ったのはレイソルに入って、他の人の影響を受けてからですね。小学4年からレイソルに入ったんですけど、「大きくなったらサッカー選手になりたい」とも思っていなかったです。

Q:「とにかく目の前にあるボールを蹴りたい」という感じだったんですね。

A:そうですね。それだけでしたね。

Q:それって『翼くん』ですよね(笑)

A:僕は『キャプテン翼』を見たことがないのでわからないですけど(笑)、本当にサッカーが好きでした。"サッカーバカ"でしたね。

Q:周りに"サッカーバカ"を共有できる仲間はいたんですか?

A:いえ、いなかったです。小学校の時は1人でひたすらサッカーをしていました。僕は"放課後の遊び"というものを知らないんですよ。休み時間でボールを蹴っている人がいたら、ボールを取り合って、その人にドリブルを仕掛けて、ということばかりやっていましたね。ただ、兄もサッカーをやっていたので、その試合を見に行くこともありましたし、見に行って人数が足りない時には試合に出してもらっていましたし、そういう環境もあったと思います。

Q:そんなサッカー小僧が、どのくらいから「チームでサッカーをすること」や「勝敗の大事さ」を知っていくんですか?

A:レイソルに入った時は試合に出ていましたけど、5年生や6年生の頃は全然試合に出られなくなって、「もう辞めようかな」と思っていた時期があったんです。ただ、全少のある試合でスタメンで出ている人が風邪を引いて出られなくなって、「僕の出番かな」と思っていたのに、もう1人の普段はベンチだった子が出たんです。その時に初めて凄く「悔しい」と思いました。

でも、代わりに出た子の調子が悪くて、後半から僕が出て、一発目のコーナーキックはニアに蹴って相手にクリアされて、もう1回コーナーキックになったんですけど、二発目で良いボールが蹴れて、ちょうどキム(木村裕・長崎)が合わせてゴールが生まれた時からブレイクしました。そこから一気に爆発しましたね。そのシーンは鮮明に覚えています。その時から"ドリブル"というよりも"ゴール"や"勝利"というものの大事さを覚えたのかなと思います。

Q:サッカーキャリアにおけるターニングポイントみたいな感じですか?

A:間違いなくそうです。そこからボランチというポジションをやって、そこでもドリブルをして、それまではそんなにシュートの意識もなかったのに、ロングシュートを打ったりするようになって、凄く調子が良かったんです。その後に世界大会のダノン・ネーションズカップがあって、そこでもMVPにもなれるぐらいに調子が良くて、小学6年から中学に上がる時のセレクションに受かって、ジュニアユースに上がったんですけど、そこからまた試合に出られなくなったんですよね。どんどん周囲との身長差が開いて、うまくいかなくなっていた時期にタツさん(吉田達磨)に出会ったんです。

Q:中学3年の時の監督が達磨さんですよね。

A:そうです。最初は靭帯をケガしていたので、始めの3カ月ぐらいは試合に出られなかったんですけど、3カ月遅れでタツさんのサッカーを学んで、そこでもう変わりましたね。

Q:どういう所が変わったんですか?

A:そこから「もうドリブルじゃ無理だな」と思って、味方の動きを見てパスを出すとか、試合中に1人になった時に「どうやってボールが流れているのかな」とか「相手はどうやって動いているのかな」とか、味方のクセとかを見つけられるようになりましたね。そこから考えてサッカーをできるようになりました。それまでとは全く変わりましたね。

Q:中学の時は体格差やプレーのビジョンということも含めて、なかなか試合に出られなかった時期という感じですか?

A:出られるか出られないかで悔しい想いはありましたけど、その時に「ドリブルだけじゃダメだ」と気付けたことは大きかったです。その時の経験がなかったらいまだにドリブルばかりしていたはずで、そうなったらこの世界にはいないですし、あの時があったから『自分の生きる道』を見つけて、その道について考えるようになりましたね。

Q:そう考えると小学6年の時と中学3年の時にそういう時期が来て、要は上のカテゴリーに繋がる時期にブレイクスルーのタイミングが来ているのも不思議な巡り合わせですね。

A:あの全少で活躍していなかったら、まずジュニアユースには上がっていないですし、タツさんがいなかったら、まずユースには上がっていなかったですし、シモさんに会わずにクラブユース選手権で優勝しなかったら、まずプロにはなれていないですし、本当にタイミングと運に恵まれました。よく親に言われていましたからね。「見えない所で頑張っていれば絶対に報われる」って。その頃は聞いたものを全部受け入れるタイプで、誰かが言ったことは全部自分の中に取り入れて、それを実行していたので、そういう所でも運が良かったのかなというのはありますね。

Q:プロになる人って「周りの人に恵まれた」って言う人が凄く多いと思うんですね。それこそこのインタビューシリーズでお話を伺ってきた方々もそういう人が多いんです。でも、それってその人にもタイミングを引き寄せる力だったり、人が何かをしてあげたくなる要素があると思うんですけど、そういう部分を自分で感じる所はありますか?

A:諦めかけた時に絶対に救ってくれる人がいましたね。間違いなく。小学校もそうですし、高校3年の時もトップ昇格の話があったんですけど、すぐに試合に出ることは難しい状況があって、「それだったら大学に行こう」とプロを諦めかけた時に、タツさんから「湘南はどうだ?」と言われて、その湘南でチョウさんと出会って自分は変われましたし、ここに帰ってきてからも前監督の時は試合に出られなくて、「悔しいな。もうダメかな」と思ったら、監督がシモさんになりましたし、なんか不思議ですよね。本当に不思議だと思うんですよ。

でも、間違いなく言えるのは「努力を人に見せない」というか、そこは親の言葉を凄く大事にしていますし、「いつか絶対に報われる」「いつか絶対に何かが起こる」と思って頑張っているので、それがうまく繋がっているのかなと。いつそれが終わるのかもわからないですけど、信じないことには始まらないですし、それを信じてやっているからこそ、今があるのかなと思います。

Q:努力を人に見せないのって大変というか、当然人って努力している姿を人に見せて、「アイツ頑張ってるな」って思わせたい気持ちがあるじゃないですか。それを貫くのって大変じゃないですか?

A:最初はそうでしたね。「努力してるよ、オレ」というのを見せていましたけど、その『努力する』ということを覚えるのが僕の場合は早かったですからね。プロになってから努力するようになったんだったら、絶対に監督の目の前で努力すると思うんですけど、僕の場合はそれを覚えたのが小学生の頃でしたから。

もちろん小学生の頃は監督やコーチの前で努力する所を見せていましたけど、「それって意味ないな」と思って。監督の信頼を得るより、選手間で信頼を得た方が、試合に出ることに関しては早いと思ったんですよね。監督の信頼より選手の信頼が大事なんだということに気付いたんです。でも、僕はそれをチョウさんに教えられた所もあります。湘南ってみんなメッチャ努力するんですよ。それは監督がいようがいまいが全く関係ないんです。それでも1つ履き違えたら「監督にアピールしている」と思われる所もあると思うんですけど、そんな時にチョウさんから「みんなに言うけど、早く試合に出たいんだったら、俺の信頼を得るより選手間の信頼を得ろ」と若手は言われました。その時にマッチしましたよね。自分の中で「あっ!」って。

やっぱり選手の信頼を先に勝ち獲った人の方が絶対に試合で成功しますし、監督の信頼だけを獲得しても、試合では絶対にうまくいかないですからね。それは凄く思います。いかにその選手と練習からパス交換するかとか、その選手を見てクセを見抜いたり、「こういうことをするな」という予測を立てるのは、監督から教えてもらえることではないので、選手の信頼というのは凄く大事だと思います。

Q:凄く深い話ですね。僕は中川選手を高校2年の時に初めて見て、「ああ、こんな選手がいるんだ」と思いましたし、その時のチームと中川選手が高校3年の時のチームが凄く好きだったんですけど、当時のチームっていかがでしたか?

A:まず高校1年の時に相馬大士とか仲間隼斗(讃岐)とか、身体能力の高い選手が主体となったサッカーをやっていたので、そこから逃げている自分がいて、その時にネビさん(根引謙介コーチ)と出会って「オマエのやっているサッカーは間違いないから続けろ」と言われたんです。そこで腐らずに続けていたら、次の年にサッカーが変わって、そこから試合に出られるようになりました。その時はちょうどシモさんも自分の持っている戦術やスタイルを変えている途中だったので、当時は正直パスサッカーに関しては僕とか秋野(央樹)の方が知っている部分もありましたけど、そのくらいパスサッカーについては高校2年や高校3年の時は自信がありました。

特に僕らが高校2年の頃はヤマ(山中亮輔)とか荒木大吾(磐田)とかがいて、「このチームが一番強い」と思っていましたし、「僕らが3年になったら絶対に弱くなる」と思いながら、その年に懸けていたような1年だったんです。それで自分たちが一番上の学年になって、一番最初の大会だったさいたまカップで初めて「このままじゃダメだな」と感じました。1つ上の選手たちがいて助けられていたけど、もう自分たちが一番上だからチームを引っ張らないといけなかったですし、プロも目前であと半年でプロになれるかどうかが決まるという時だったので、そこからは高校のことや大学のことは考えずに、全身全霊でサッカーに取り組めるようになりましたね。

Q:結構勉強は二の次で生きてきた人生ですね(笑)

A:そうですね。勉強は二の次でしたけど、没頭するとバッとやってしまうタイプなので、それほど成績は悪くなかったと思います。

Q:かなりのめり込みやすいタイプですか?

A:完全にそうですね。悪く言うと興味がないものには全く興味ないです。

Q:私生活でも興味があるものとないものがハッキリしているんですか?

A:そうですね。

Q:何に興味があるんですか?

A:"引っ越し"です。

Q:"引っ越し"?(笑)

A:僕は絶対に1年に1回は引っ越ししますから。多い時は1年に2回くらい。家具も絶対に変えたいですし、それだけは譲れないんですよ。「スゲー金掛かるじゃん」って言われますけど(笑)、「引っ越しする」ってなったら、もう引っ越しますね。「読書する」ってなったら一気に本を集めて、一気に読んで、一気に読まなくなったりとか。

Q:"引っ越し"にのめり込む人って珍しいですよね(笑)

A:みんな引っ越さないですよね(笑) 僕のスタンス的には1年に1回や2回は引っ越すものだと思っていたので。

Q:それって「1年経ったら引っ越すかも」みたいに思いながら物件を探すんですか?

A:もうその時は「ここ!」って決めるんですけど、その内に「あっちに引っ越したい」とか思うんですかね。

Q:「もっと条件の良い所が見つかった!」みたいな感じですか?

A:もっと条件の悪い所でも、そっちに魅力があったら引っ越しちゃいます(笑) 自分の魅力を感じた所にすぐ行くタイプですね。

Q:なかなかサッカー選手の引っ越し論を聞く機会はないので面白かったですけど(笑)、それはサッカーにもリンクする部分はあるんですか?

A:何事もきっぱりしているので、メッチャ色々なことを言われてもその場でパッと終われるようにしていますし、色々なアドバイスをもらっても今は自分の中に取り入れられるかどうかをしっかり判断しているので、別に何を言われても、どんなことがあっても、すぐ「ハイ」って切り替えられます。過去はもうどうしようもないので、「どうでもいいや」と思えますね。

Q:そんな過去の話をもうちょっとだけ聞きたいんですけど(笑)、高校3年のクラブユースは全国優勝を達成されて、あれは人生で初めての日本一だったと思いますが、あの優勝は良い思い出になっていますか?

A:いえ、悪い思い出です。凄く悪い思い出なんですよね。決勝のF・マリノス戦は初めて試合の雰囲気に飲まれて途中交替しましたし、その前の試合で野津田岳人のいた広島とやった時の印象が良過ぎて、F・マリノス戦は優勝しても全く喜べなかったですから。隣で泣いている人もいましたし、メッチャ喜んでいる人もいましたけど、その時の僕はチームワークとか協調性がなくて、「自分が自分が」になってしまっていたので、全く喜んでいなかったですし、「悔しい」という想いの方が大きかったです。

自分の中では真の日本一にはなれなかったですね。今から考えると「チームの勝利なんだからちゃんと喜べよ」と思いますし、「ちゃんと努力してきたんだから喜べよ」と思いますけど、その時は全く喜べない自分がいました。だから、三ツ沢は嫌いだったんですよ。この前のナビスコカップの時も、試合前からマスくんに「三ツ沢だけはマジでやりたくないんですよ」って(笑) 「たぶん飲まれるから助けて」って秋野に言っていて。でも、もう三ツ沢も払拭しましたからね。

Q:しかし繰り返しになりますけど、あの三ツ沢でのゴール(2016年ナビスコカップGS第3節 〇3-1 横浜FM)は本当に凄かったですね。

A:今から思い返しても、何であそこに行ったのか、何であのトラップをしたのか、そして何であそこに打ったのかも、全くわからないです。本当にすべてがゆっくりに感じましたからね。来るボールも凄くゆっくりでしたし、トラップもゆっくりでしたし、こっちから選手が来ているのも、2人が足を出しているのも余裕で見えましたし、そこに当たらないように「こういう弧を描こう」というイメージもできていましたし、蹴った瞬間に「ああ、ゴールが入るってこういうことだな」って思いましたからね。この間、それをバラくん(茨田陽生)に言ったんですよ。名古屋戦でゴールを決めていたので。でも、バラくんは全然違いました。「狙って、打って、喜んだ」って言っていたので、「ああ、俺とは違うんだな」って(笑) それを聞いて、「意図的にトラップして、意図的にシュートを打ちたいな」とは思いましたね。

Q:そこからあの時の感覚みたいなものは、まだ出てきていないですか?

A:全くないです。今までもなかったですし、今も全くないです。1回だけそれに近かったのは、中学の頃に駅伝の選手に選ばれて、校庭をずっと走っていた時に、最後の1周で「本当にツラいなあ」と思っていたら、なんか突然『フワッ』てなったんですよ。いきなり体が軽くなって。それで前を走っている人が凄く遅く感じて、「抜ける、抜ける」って思った時の感覚に近かったです。その2回しかないです。

Q:よくスポーツ選手が言う"ゾーン"みたいな感じなんですかね。

A:わからないですねえ。"ゾーン"もよくわからないですし。その駅伝の時に「頑張ればそういう状況になるんだ」と思いましたけど、その後は全くできなかったですからね。本当のその1回だけです。サッカーもあの1回だけで。でも、凄く気持ち良いんですよね。凄く変な感覚ですから。本当に宙に浮いているような感じで。アレはビックリします。

Q:その2回が2回ともサッカー以外で起きなくて良かったですね。"引っ越し"で「メッチャ良い物件が見えた!」みたいな(笑)

A:それは最悪ですね(笑) サッカーで出てくれて良かったです。

Q:高校3年の時でもう1つお聞きしたいのは天皇杯の兄弟対決で、あの試合はレイソルに関わる全ての人が熱望したゲームだったと思うんですけど、アレは良い思い出ですか?

A:アレは良い思い出ですね。天皇杯の予選が始まる時から、ずっと「プロに勝つ」という目標をシモさんが掲げていました。「レイソルに勝つ」と。だから、負けた時はシモさんも本気で悔しがっていましたし、僕らも凄く悔しかったですけど、「悔しい」という感情が気持ち良かったです。すがすがしい負け方でしたね。どのプレーを見てもやるべきことはやりましたし、負ける所で負けたという感じでした。怖気づいて負けた訳ではないので、そこは凄く気持ち良かったですね。

もちろんプロとの差も感じましたけど、それ以上に日頃の練習からやっているパスの質であったり、そういう部分を出せたので良い試合でした。ただ、そんなに11つのプレーは記憶にないので、その時は楽しかったですけど、こうやって振り返っても12シーンしか思い出せないことを考えると、無意識でやっていた部分が多かったのかなと思いますね。

Q:中川選手は小学4年から高校3年までレイソルのアカデミーで時間を過ごしてきて、今のトップチームにもアカデミー出身の選手が多いですけど、レイソルのアカデミーで成長してこられたことは、今の自分を形成する上でも大きかったなと感じますか?

A:そうですね。このクラブに対する想いは凄くありますし、本当にこのエンブレムに恩返ししたいと思います。普通は海外に行って自分の価値を高めて成長するという考えが多いと思いますけど、僕はそうじゃないんです。サッカー界には体が大きくて、体が強くて、手足が長い選手が多いじゃないですか。僕みたいな選手は本当に少ないと思いますし、特に僕は一番小さいですから、他の人と同じ所で勝負してはいけないと思っていますし、その分だけ逆に人と違う所で勝負できるという特徴がありますけど、この世界で生きていく価値がある僕を育ててくれたチームがレイソルだと思うんですよ。だから、僕はチームの成長と共に自分自身も成長したいと思っているので、ここで一生暮らしたいというのはありますね。

Q:これを最後の質問にします。あえてザックリお聞きしますけど、今の自分っていかがですか?

A:やっとここに帰って来ることができて、ここでプレーすることができて、このエンブレムに対して本当に誇りであったり、感謝であったりというのを試合前に思いながらゲームに臨むということを僕はしていますけど、そういうことができるようになる自分は今まで想像できなかったです。だから、本当に今まで僕のターニングポイントになったタイミングで出会った人もそうですし、僕にサッカーを教えてくれた人たちにも本当に感謝していますし、ここまで来ることができたのは間違いなくその人たちのおかげなので、その人たちに恥じないように、このエンブレムに恥じないように、11日を大切にしたいです。家に帰ってもサッカーを見ていますし、どんな時でもサッカーについて考えていますし、そのぐらい短いサッカー人生をもっともっと大切にしなくてはいけないなと思っています。

【プロフィール】

小学4年時に柏の育成組織へ入り、U-15U-18でプレーした後、2013年にトップチームへ昇格。昇格と同時に期限付き移籍で加入した湘南で2年間プレー。昨シーズンから柏へ復帰し、今シーズンは監督交替を機にリーグ戦での出場時間を伸ばしている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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