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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月11日

Pre-match Words ~アルビレックス新潟・加藤大編~(2016年6月24日掲載)

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【Pre-match Words アルビレックス新潟・加藤大編】

(2016年6月24日掲載)

Q:ご自身のここまでのパフォーマンスに関してはいかがですか?

A:自分としてもここ最近は思い通りにプレーできていないので、不甲斐なさはありますね。

Q:どういう部分がなかなか思い通りに行かない所ですか?

A:あまりうまくボールを受けられていない場面が多いので、そこは改善していきたいと思います。

Q:システム的には4-1-4-1と4-4-2を使い分けていて、最近は4-4-2のことが多いと思いますが、この2つのシステムによって加藤選手もプレーの使い分けを意識されていますか?

A:ポジションにもよりますけど、そこの使い分けはどっちで出てもしっかり整理はできているので問題ないです。

Q:どっちの方が「しっくりくるな」という感じがありますか?

A:守備に関して言えば4-4-2の方がうまく相手に圧力を与えやすいので、やりやすいですね。

Q:去年まではかなり4-4-2をベースにやってきた所もあると思いますが、そういう意味で守備がやりやすいという所もありますか?

A:それは多分あると思いますね。去年のやり方と少し被る部分もあるので、その部分がやりやすさに繋がっているんじゃないかなと思います。

Q:逆に4-1-4-1だと僕は三菱養和時代を思い出すんですけど、システム的には高校時代と一緒で、今はインテリオールと右サイドをやる時があると思いますが、高校時代に慣れ親しんだシステムということで、懐かしさややりやすさはあったりしますか?

A:そうですね。高校の時は周りの味方の状況とかも考えずに動いていたので、当然やりやすさはありました。今はいかにゴールに向かって行くかという所を考える中でやっているので、そんなに自由に動き回れるという訳ではないですけど、その内側のポジションは内側の良さというか、自分の強みの部分を出せる場所ではあると思います。

Q:吉田(達磨)監督は加藤選手を右サイドで起用することが多いと思いますが、ご自身も右サイドのプレーにやりやすさを感じてらっしゃいますか?

A:自分としても左より右の方がパスは出しやすいので、居心地良くやれています。

Q:サイドバックとの連携はいかがですか?

A:そこも試合を重ねるたびに安定してきてはいますし、スムーズさも出てきてはいますね。その中で人が変わったりすることもありますけど、そうなった時はしっかりとお互いに確認し合いながら、連携を成熟させていく努力はしています。

Q:少し細かいプレーのことをお伺いしたいのですが、第2節の神戸戦(●3-6)でラファエル・シルバ選手へのアシストになったクロスのシーンを振り返っていただけますか?

A:自分もフリーで中も同数という場面であれば、自分としては絶対に合わせないといけないと思っているので、その狙い通りに出せました。

Q:ダイレクトで外にいた選手に1回ボールを預けて、ワンツーで入っていったと思うんですけど、あれはボールが最初に来た時にあのイメージがあったんですか?

A:そうですね。「コルテースが高い位置に上がっているな」というのは見えていて、センターバックの選手がフリーで、自分に入った時にディフェンスが食い付くというのは少し感じ取れたので、そこでうまく外せて良かったと思います。

Q:とはいえ、あんなにピンポイントでファーサイドに合わせるのは凄く難しいように思えますが、あれはできて当然というプレーですか?

A:自分としてはあれをしっかり繋げて得点にしていかないと自分の良さが出ないので、そこは自分としてはやらないといけないことだと思います。

Q:もう1つお聞きしたいのは、第8節の名古屋戦(●1-2)で端山選手に出したパスがアシストになったシーンなんですけど、あのシーンも振り返っていただけますか?

A:ああいうのも全部そうですけど、自分がどこに出すから動いてくれという訳ではなく、パッと見た時に一番良い動き出しをしている選手のスピードを落とさず、そこに合わせるというのは自分としては得意なパスなので、アレはうまく決めてくれたなという感じですね。

Q:蹴った軌道としては思い通りですか?

A:そうですね。アレは思い通りです。

Q:あのシュートまで端山選手が行くという流れもイメージできた感じですか?

A:アレが一番理想の形ではありますけど、ああならなくても自分は(端山)豪が走っているタイミングの足下に、しっかりトラップしやすいボールというのを心掛けて出しているので、自分としてはあのボールは思い通りではありますね。

Q:シュートも結構難しかったと思いますが、「よく決めてくれたな」という感じですか?

A:そうですね。豪はやっぱり技術があるので、そこも期待してのパスではありますね。

Q:そうすると、一連が狙い通りという感じですか?

A:そうですね。本当に狙い通りの中でも、うまく行き過ぎたなとは思いました。

Q:アシストになったシーンはどちらも浮き球だったと思うんですけど、例えば視界が開けた時に「ここだ」という空間が見えるんですか?

A:そうですね。見えるというか、走っている選手のスピードを見て、「ここだな」というのはいつも思っています。

Q:"閃き"みたいな感じですか?

A:そうですね。感覚ですかね(笑)

Q:説明するのが難しいような感覚という感じですか?

A:そうですね。味方の選手がフリーで走っているのであれば、その追い掛けてくるであろうディフェンスの後ろにうまく落とすということを心掛けますけど、豪の場合は本当に足下を目掛けて蹴ったので、その状況状況によって球質も違いますし、狙う所も違うので説明しづらいですね(笑)

Q:聞かざるを得ないのは走行距離のことで、たぶん相当聞かれていると思うんですけど、あれだけJリーグのサイトに自分の顔が並ぶのってどうですか?(笑)

A:気持ち悪いです(笑) 自分としてもそんなに走っているつもりもないので、今まで小中高とずっとサッカーをしてきて、その中で自分が感じてというか、「サッカーはこうだ」と思ってやってきたことが、あの走行距離に繋がっているとは思いますけど、自分としても走っているという感覚はないので、あれは別にあまり意識していないです(笑)

Q:実際は走行距離をプレーの質に繋げることが一番大事だと思いますが、 そういう部分で意識している所はありますか?

A:自分としては全部のプレーに関わろうとし過ぎて、常々走っている感じにはなっていると思うので、そこを時には休んで、「ここだ」と思った時にガッと行けるようにしたいなとは思いますね。

Q:その走行距離の数字が自分自身のストロングポイントになっている感覚はありますか?

A:自分としてはあまり感じたことはないです(笑)

Q:逆に「もっとパスで魅せたいな」という意識の方が強いですか?

A:それはありますね。たぶん走行距離の部分はほぼほぼ守備の時に数字が出ていると思うので、守備の時は「ここにこぼれてくるんじゃないか」というセカンドボールの予測もそうですし、そういう所で動いていることで、あれくらい伸びているのかなと思います。

Q:今シーズン一番の変化は監督が替わったということだと思いますが、吉田監督はいかがですか?

A:凄くやることがハッキリしていて、違うことはしっかり「違う」と言ってくれますし、やることがハッキリしていて、自分としては凄くやりやすいですね。

Q:チームとしての変化を感じる所はありますか?

A:パスサッカーをする中で、相手を個で崩すというよりチームでボールを動かして、うまくどんどん相手の隙を作って、最後に仕留める形というのは、自分もその考え方を持ってサッカーをしてきたので、凄くやりがいがあるというか、もっともっと成長したいなとは思います。

Q:吉田監督になって練習を積み重ねている中で、自分が成長できているなという手応えもありますか?

A:そうですね。それは守備の面でもそうですし、攻撃の時の考え方というのも変わってきましたね。

Q:今回はホームゲームでビッグスワンが舞台になりますが、ビッグスワンでプレーするというのはいかがですか?

A:凄く身が引き締まるというか、なんか凄くいつもワクワクしますね。

Q:あのサポーターの雰囲気というのはいかがですか?

A:普段から練習を見に来て下さる方々から、凄く優しい言葉だったり励ましの言葉を掛けてもらえるので、そういう恩返しの気持ちをうまく試合で出せればいいなと思ってプレーしています。

Q:ここからはキャリアのお話をお聞きしたいのですが、僕が前から気になっていたのは、東京のクラブでずっとプレーされていた中で、プロフィール上は福岡県出身になっているじゃないですか。アレはどういう理由ですか。

A:アレは生まれたのが福岡だからです。親が転勤族なので色々な土地を転々としていたんですけど、福岡で生まれて1か月か2か月ぐらいで愛知に行って、幼稚園ぐらいまでは愛知にいて、小学校から高校までは東京にいたという感じです。

Q:そういうのって何となく東京出身で括っちゃいそうな気もしますけど、福岡出身にしている理由はあるんですか?

A:父親から「福岡出身にしておきなさい」と言われて(笑) たぶん母親の実家が福岡にあるので、それで喜ばれるというのもあるのかなと思います。

Q:サッカーのキャリアでいくと杉野百草SSが最初のクラブとして名鑑にも書かれていますが、サッカーを始めたのもそのクラブですか?

A:幼稚園の時に東海スポーツというクラブに3歳ぐらいから入っていました。確か4歳からしか入れない所に入れてもらっていました。

Q:自分でサッカーをやりたくて始めた感じですか?

A:なんか当時はおじいちゃんを蹴って、おじいちゃんが痛がるのを面白がっていたらしく(笑)、そういうのを見た親が「おじいちゃんを蹴るぐらいならサッカーやれば」みたいな感じだったようです(笑)

Q:おじいちゃんも左足で蹴ってたんですかね?(笑)

A:たぶんそうだと思います(笑)

Q:そうすると杉野百草SSは小学校1年生からということになりますか?

A:そうですね。小学校1年生からです。

Q:杉野百草SSはどんなチームだったんですか?

A:高学年ぐらいからは結構繋ぎ出す、パスサッカーを目指したチームではありました。実力的には都大会に出て、その1回戦で負けるというような感じだったと思います。

Q:どちらかと言うと楽しくやるような雰囲気のチームだった感じですか?

A:そうですね。でも、結構女の子任せみたいな所もありました(笑)

Q:「女の子任せ」?どういうことですか?(笑)

A:チームに3人くらい主力の女の子がいたんです。1人はセンターバックでしたし、右サイドハーフをやっていた子はフットサル日本代表になってますよ。

Q:それ、凄いですね!なんていう名前の選手ですか?

A:横山純子(フウガドールすみだレディース)です。

Q:それは結構なトピックスですね。そうするとチームメイトもみんな技術が高かった感じですか?

A:スタメンで出ている選手はほとんど地区選抜に入っていましたし、結構みんな技術は高かったと思います。

Q:加藤選手はU-12の東京都トレセンに選ばれていたと思いますが、その時のチームメイトで今もJリーグでプレーしている選手はいますか?

A:福岡の阿部巧がいました。U-12のトレセンに選ばれた選手はドイツ遠征があったんですよ。30人ぐらいいて、それを15人ずつぐらいに分けて、ドイツと埼玉に遠征へ行くんですけど...

Q:ドイツと埼玉って物凄い落差がありますね(笑)

A:埼玉の方が主力メンバーみたいな感じだったんですけど、僕と巧は埼玉ではなくてドイツに行きましたね。タマ(玉城俊吾・金沢、三菱養和ユース時代の同級生)は埼玉組でした。

Q:明らかにドイツの方が良くないですか?(笑)

A:ドイツの方が良かったです(笑) ホームステイがあって、それは大変でしたけど、あまり色々なことは考えずに楽しんできました。

Q:そういうキャリアがあると、中学に上がる時は選択肢がいくつかあったと思いますが、FC杉野という選択はどういう所からですか?

A:杉野百草SSの監督が結構厳しい人で、小学校から中学校に上がる時に「オマエ来るよな?」みたいな感じで言われてしまったのもありますけど(笑)、自分としても他に行くつもりはなかったですし、遠くのクラブまで行く考えもなかったですね。

Q:ということは、杉野百草SSとFC杉野はジュニアとジュニアユースの同じチームということですね。

A:そうです。大半のチームメイトもそのまま上がった感じでした。

Q:小学校時代のチームメイトもたくさんいて、FC杉野時代は楽しい3年間という感じですか?

A:いえ、その3年間が今までで一番キツかったんです(笑)

Q:そんな流れになるんですね(笑) どういう所がキツかったんですか?

A:小学校まではパスサッカーをやっていて、監督も優しくて全然怒らなかったんですけど、中学になったら一変してスパルタ式の指導法になったんです。雨が降ったらその日は走りでしたし。でも、そういう所から今に繋がる体力の部分が付いたのかもしれないですね。中学時代はグラウンドがあまり良くなくて、雨の日に使ってしまうと晴れた日にボコボコになるので使えなかったこともあって、ほぼ走っていました(笑)

Q:ということは、中学時代の練習は土のグラウンドでやっていたんですね。

A:そうですね。ゴールも中学生用のゴールがなくて、小さいゴールでやっていました。元々杉野幼稚園という所に小学生用のグラウンドがあって、小学校の頃もそこで練習していたんですけど、中学もそこでやっていたんですよね。

Q:色々大変そうですね。

A:結構大変でした(笑) でも、その時はそれが普通だと思っていたので、当時は何とも思わなかったですね。

Q:大会の結果という意味でのFC杉野時代はいかがでしたか?

A1個上の代は東京都で3位になりました。FC東京とヴェルディの次ぐらいで。それが一番良い成績でした。でも、関東大会はボロボロでしたね。ジェフに7点ぐらい入れられて、アントラーズにも負けて。

Q:でも、そういう対戦相手と試合をすることで、加藤少年が刺激を受けた部分も大きかったんですか?

A:そうですね。実際にやるのはちょっと嫌でしたけど(笑)、FC東京やヴェルディには同じカテゴリーでもトップクラスの選手がいるので、対戦する時は自分の力を試す場でもありましたし、その楽しみはありましたね。

Q:個人としてはそういう相手にも通用している感覚はあったんですか?

A:多少はありましたね。そういうチームとやる時は楽しかったです。

Q:少し上を目指す気持ちも出てきた頃という感じですか?

A:うーん... その頃はあまりちゃんとサッカーについて考えていなかったです(笑) 上を目指すというよりは自分の力を確かめたいという方が強くて、それぐらいの感じだったと思います。

Q:プロというのはその頃に明確な目標としてあったんですか?

A:その頃はなかったですね。それは高校に入ってからです。

Q:ここが1つの大きなキャリアの分岐点だと思いますけど、高校時代は三菱養和を選ばれる訳じゃないですか。それこそ東京には強い高校もたくさんあって、クラブもいくつかあって、しかも養和の練習場がある巣鴨とご自宅も相当遠い中で、なぜ養和を選んだんですか?

A:高校のサッカーは全部そうだと思うんですけど、中学のサッカーと高校のサッカーって全然違うじゃないですか。例えば激しさだったり。それで養和を見た時に、激しさは当たり前にあるんですけど、11人が凄く上手くて、「このチームに行ったらもっと上手くなるんじゃないか」という風に感じたというのが大きかったですね。他にも誘っていただいたチームはあったんですけど、『1年生はボウズ』というのが嫌だったというのもありました(笑) FC東京とヴェルディには怖いイメージもありましたし。

Q:高校サッカーには例えば国立競技場でプレーできることも含めた華やかさはあるじゃないですか。そこに惹かれる部分はそれほど大きくなかったですか?

A:そうですね。それよりも上手い人の中に入ってやりたいというのもありましたし、それこそFC東京やヴェルディを倒したいという気持ちはありました。

Q:まあ養和は雰囲気最高ですからね(笑)

A:そうですね。雰囲気は凄いんですけどね(笑)

Q:実際に入ってみた養和はいかがだったんですか?

A:最初は養和のジュニアユースから上がってきた選手ばかりだったので、馴染みづらかったですけど、馴染んでしまえば凄く楽しいチームでした(笑)

Q:あの雰囲気って何なんですかね?外から見ていてもみんな色々なことを楽しんでいるのが凄く良くわかるじゃないですか。

A:みんなだいぶ仲が良いです。本当にサッカーに対しても、そうじゃない部分でも純粋だと思います。僕はどちらかというと盛り上がっているのを面白がりながら、外から見ているタイプなんですけどね(笑)

Q:だいたいそういう輪を引っ張っていくヤツがいるんですよね。

A:凄いのがいたんですよ。国立の時に見ませんでした?PK戦の時に...

(※2009年の高円宮杯全日本ユース選手権準決勝で三菱養和は横浜FMユースと国立競技場で対戦。PK戦の末に敗れている)

Q:PKを決めてカズダンスをしたヤツですね(笑) 大きいフォワードの木村くん(木村陽一郎・VONDS市原)。

A:そうです(笑) 中学の頃からあんな感じだったらしいです。

Q:ああいう子が1人いるだけで、色々な意味でチームが助かりますよね。

A:そうですね。今思えば助かっていました(笑)

Q:1年生の頃からすぐに試合に出ていた感じですか?

A:最初は途中出場みたいな感じで少しずつ出て、夏前ぐらいからスタメンで出られるようになったと思います。そこが凄く大きかったですね。養和に入った頃は「高校のサッカーは全然違うな」と思っていた中で、その数か月後には試合に出られていたので、自分としては凄く不思議な感覚でしたけど、そこで1年生から出られていたおかげでナショナルトレセンにも呼ばれるようになったので、そのあたりから少しプロを意識するようになりました。

Q:木暮郁哉選手(ホウガン・ユナイテッドFC/シンガポール)が1年生の時の3年生にいたんですよね。彼の存在は加藤選手にとっても大きいですか?

A:かなり大きかったです。困ったらフミヤくんに預けていました。

Q:木暮選手ってどういう人ですか?

A:試合じゃない時は"養和な感じ"で(笑)、凄く絡みやすくて面白い人でしたね。それとは打って変わって、試合中は凄く厳しいことも言ってくれる先輩だったので、それで引き締まるような所はありました。

Q:木暮選手がプロに進んだということも、加藤選手にとっては1つの大きな刺激になった感じでしょうか?

A:そうですね。よりプロを身近に感じることができたというか、「あれぐらいのプレーをしないとプロにはなれないんだ」ということを1年生の時に感じることができたのは、凄く大きかったなと思いますね。

Q:そのあたりからご自身としてはプロを意識され始めて、世代別の代表にも選ばれて行く訳じゃないですか。そういう中で自分がどんどんレベルアップしている感覚はあったんですか?

A:あまり感じなかったかもしれないです。1年生から2年生になるくらいの頃はだいぶプレーにも余裕が出てきましたし、自分としても成長できたかなと思いますけど、2年生から3年生になる頃はあまりその実感がなかったです。どちらかと言うと、結構壁にぶつかった時期だった気がします。不用意なミスも多くて、色々考えることの多い期間ではありました。

Q:その時期はプロを意識し過ぎてしまったような感じだったんですか?

A:そうかもしれないですね。そういう想いがあったからこそ、良いプレーをしようとし過ぎてしまった部分もあったと思います。

Q:実際にプロに行くためには2年生から3年生に上がる時って、プロのキャンプにも参加するような凄く大事な時期じゃないですか。その時期に壁にぶつかるって、高校生にとってはなかなか厳しい出来事ですよね。

A:実際に壁にぶつかったのは3年生になったぐらいだったと思います。プロの練習に行く時はフラットな感じで行けていました(笑)

Q:いいですね。「フラットな感じ」(笑)

A:プロの練習に行く時は、プレーというよりも人間関係の部分で「プロの選手の中に入って大丈夫かな?」と思っていました(笑) プロの選手って怖そうなイメージがあったので。

Q:その時期はアルビのキャンプに参加したんですよね?

A:はい。アルビだけでした。

Q:実際に参加してみた手応えはいかがだったんですか?

A:自分としては思ったほどアピールできた感じはなかったですし、練習に来た頃は「絶対入れてもらうために頑張ろう」という感じもそこまでなかったんですけど(笑)、逆にそれが良い方向に転がったかもしれないです。

Q:そのアルビのキャンプで「この選手はヤバいな」と思った選手はいましたか?

A:実際に入ってからもそうだったんですけど、マルシオ(・リシャルデス)はヤバかったですね。

Q:ああ、そうか!彼がいた時代ですよね!

A:もう別格でした(笑) キックもそうですけど、トラップも上手いですし、ドリブルもできますし、全部上手かったですね。あの時のマルシオを考えたら、今の自分は「全然まだまだだな」と思います。だって、練習で同じ人に3回股抜きして、点を決めましたからね。アレは凄かったです。

Q:ちなみに3回股抜きされたのは誰だったんですか?

A:カズくん(大野和成)です(笑)

Q:今も在籍している選手ですね(笑)プロをそこまで意識しない状態でアルビのキャンプに参加して以降は、自分の中でプロへの意識が高まっていった所もありましたか?

A:そうですね。やっぱりプロのレベルを感じることができて、「まだまだ自分はどれをとっても全然足りないな。力不足だな」というのは感じたので、少し焦りというのはありました。そういうのもあって、たぶん良いことをしようとし過ぎて、壁にぶち当たったというのもあると思います。

Q:プロになりたい気持ちや養和での最後の1年ということもあって、高校3年生の時は色々なことを考えた時期だと思いますが、その1年はどういう1年でしたか?

A:チームとしては凄く良いメンバーが揃っていたので、どれか1つはタイトルを獲ってやろうという気持ちでいました。だからこそ、少し結果という意味では悔しかったですね。

Q:そういう意味で行くと、準決勝の国立で負けた高円宮杯が一番悔しかったでしょうか?

A:それもありますけど、自分はクラブユース選手権の方が悔しかったです。ケガをしていて思うように試合に出られなかったですし、FC東京に負けて予選敗退でしたから。FC東京には(阿部)巧もいましたし、平出涼(富山)や重松(健太郎・町田)もいましたね。

Q:今はもう"当時の"という意味ではなくなってしまった国立でプレーできたのは、良い想い出という感じですか?

A:そうですね。悔しさよりは良い想い出になっていますね。

Q:養和ですから、国立での試合に向けて超盛り上がっていたんじゃないかなと想像してしまいますが(笑)

A:そうですね。会場も凄く盛り上がってましたよね?(笑)

Q:盛り上がってましたよ(笑)

A:あっちの応援の方が気合い入っちゃっている感じもありましたけどね。

Q:あれは養和の凄く良い所で、例えば高校生の試合を小学生や中学生も応援しに来る雰囲気があるじゃないですか。あれは素晴らしいですよね。

A:間違いないです。出ている選手にしてみれば凄くありがたいですし、それだからこそ勝ちたかったという想いはありました。

Q:今の加藤選手を形成する上で、あの3年間というのは非常に大事な時期だったのではないかなと思いますが、今から振り返って養和での3年間はいかがでしたか?

A:色々悩んだり考えたりすることができたので、それに加えてプロのレベルや同じ年齢のトップレベルというものも知ることができて、あとどれくらい頑張らなくてはいけないのかということもわかりましたし、そういう部分でも本当に良い3年間だったと思います。

Q:何回もお話に出ているFC東京やヴェルディは、言い換えればJクラブの下部組織ということだと思いますが、そういうクラブに対して、やっぱり街クラブの出身者として想う所というのはありますか?

A:当時は「街クラブだから下に見られたくない」というのはありました。FC東京とヴェルディに勝ったこともありましたけど、負け越し気味だったので、そこは悔しかったですね。

Q:ピッチ内もピッチ外も含めて、養和での3年間は良い想い出という感じですか?

A:そうですね。それはもう楽しかったです(笑) クラブユース選手権とかに行っても、あのデカい人(木村陽一郎)は誰とでも仲良くなるんですよ。その場を支配しちゃうというか、各チームがいる中で勝手に一発芸とかやり出して、彼を中心に輪みたいなのができちゃうんですよ(笑) そういうのは「良いなあ」と思いましたね。

Q:これを最後の質問にしたいと思います。あえてザックリお聞きしたいんですけど、夢ってありますか?

A:日本代表です。そこはプロとしては誰しもが目指している場所だと思うので、そこでプレーしたいですね。

Q:そこに自分が近付きつつある手応えは、今掴んでらっしゃいますか?

A:今はまだ全然自分の中では程遠いものだと思っているので、それよりも今はチームのことが一番大事ですし、チームにどれだけ貢献できるかという所を今は突き詰めていきたいと思っています。

【プロフィール】

杉野百草SSFC杉野、三菱養和SCユースを経て、2010年に新潟へ加入。2012年から2年間プレーした愛媛で主力として実戦経験を重ね、2014年に新潟へ復帰。以降は年々出場機会を増やし、今シーズンはレギュラーとして新潟の中盤を支えている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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