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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月09日

Pre-match Words ~大宮アルディージャ・岩上祐三編~(2016年5月20日掲載)

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【Pre-match Words 大宮アルディージャ・岩上祐三編】

(2016年5月20日掲載)

Q:今シーズンは岩上選手にとって松本から大宮へ移籍してきたシーズンになりますが、チームのここまでをどのように捉えてらっしゃいますか?

A:正直知り合いも誰もいない中での移籍は初めてだったので、そこはちょっと不安がありましたけど、みんな良くしてくれていたので、「すんなり入れたかな」というのはキャンプを通してありましたね。シーズンが始まってからはスタメンで使ってもらえる試合もあって、結果も開幕戦で残せたのでそこは良かったと思いますし、勝ち点もそれなりに積み重ねられているので、まあまあ良いかなと思います。

Q:個人としてのパフォーマンスについては、ご自身でどう捉えてらっしゃいますか?

A:まだ全然納得が行っていないというのが正直な感想ですね。

Q:開幕戦(〇1-0 FC東京)は移籍後初の公式戦でゴールも決めて、試合にも勝てて、ご自身にとっても非常に大きなゲームだったのではないかと思いますが、改めて振り返ってみると開幕戦はいかがでしたか?

A:開幕戦というのは僕にとって本当に大きな出来事というか、開幕でスタメンで出られて、なおかつ終了間際に得点を取ってチームが勝てたということは、サポーターに対して名前を覚えてもらえるという位置付けで考えると凄く大きかったゲームですね。

Q:ゴールを奪ったシーンも、ペナルティエリアの中に何人もの選手が入って行く素晴らしい形だったと思いますが、あのゴール自体はいかがでしたか?

A:あの時間帯は多分相手のFC東京も疲れている時間帯の中で、あそこで少しスプリントを掛けました。1回目はたぶんアキさん(家長昭博)がシュートを打って、アキさんの所で正直「決めてくれ」とは思ったんですけど(笑)、こぼれてきた時には振り抜くことしか考えていなかったので、うまく左足に当たりましたし、ゴールに吸い込まれたので「良かったな」と思いました。そこはもうサポーターと一緒に喜びを分かち合いたかったという気持ちが大きかったので、「まずはサポーターの所へ行こうかな」と思いました。

Q:和田(拓也)選手からセンターサークル付近でボールを受けて、また右に捌いたのが岩上選手で、そこから50メートル近く走って行く中で、最初はちょっとゆっくり走りながら、最後はスプリントして入って行きましたが、あれは自身のプレーの大きな特徴といった部分でしょうか?

A:そうですね。あそこで少しゆっくり走ったのは、ムルジャにパスが出た時にもしかしたら相手に取られる可能性もあったからで、ムルジャがサイドを上手く抜けたので、もうそこはスプリントを掛けました。自分の特徴でもある走力というのを生かせた部分かなと思いますね。

Q:キャンプからボールを繋ぐ練習をしてきた中で、あのゴールシーンも塩田(仁史)選手を起点に和田選手が縦に出したボールからの流れで、カウンターではなくて速攻だったのに、カウンターと言われるのは心外だというような趣旨の話を渋谷(洋樹)監督がおっしゃっていて、「ああ、なるほどな」と思ったんですけど、岩上選手はそれを聞いてどう思われますか?

A:それは監督がそう言うのだったらそうだと思いますけど(笑)、「カウンターではないだろう」と思いましたし、速いリズムでボールを回せて、縦に付けてというリズムが良かったので、良いゴールだったのではないかなとは思います。

Q:岩上選手の特徴として展開力だったり、ボールを散らすということに関しては自信を持ってらっしゃると思いますが、なかなか大宮の中でそれを出せなかったりとか、どういうタイミングで出すかというのを探っていたような部分はありましたか?

A:そうですね。それもありますし、そういう部分を自分のストロングとしてきたので、そういった部分が強く出てしまった部分もあったと思います。そういった所で「チームと合っていないのかな」と思ったので、スタメンを外れて考えていた中で「もっと簡単にプレーしようかな」と思って、味方に預けてまたリターンをもらって展開するというのもあるなあと。あの3試合でスタメンを外れたことで、色々と考える時間はあったので良かったです。

Q:去年までプレーされていた松本とはボールの回し方や、ロングボールを付ける位置やタイミングもだいぶ違うと思いますが、そのあたりのギャップにはご自身の中でだいぶ折り合いが付いてきた感じはありますか?

A:そうですね。やっぱりどこのチームに行くにしても、たぶんスタイルというのはあると思いますし、それぞれ違うと思うので、そこは考える時間もありましたし、キャンプでもやっているのでそこはうまく馴染めたというか、行けたんじゃないかなと思います。

Q:岩上選手は生粋の"セットプレーヤー"じゃないですけど、ロングスローもプレースキックもご自身の武器と考えてらっしゃると思いますが、それをこのチームで生かせている感じはありますか?

A:正直、「まだそんなに生かせていないな」という感じですね。難しい所ですけど。

Q:それはある程度チームのやり方の中で、例えば松本の時よりロングスローを投げる回数が少ないとか、そういう部分はチームの中でのバランスを見て、そういう形になっている感じですか?

A:そうですね。バランスもありますし、松本の場合だとセットプレーは結構力を入れている部分があるので、そういった部分でパターンというのはたくさんありましたけど、大宮に関してはセットプレーを早く始めても、パスで崩していける選手が多いので、そこはそういう風にやった方が良いんじゃないかなと思います。

Q:どうしても周囲からはロングスローが凄く注目されると思うんですけど、それに関してはご自身としてはいかがですか?

A:特に感じてはいないですけど、リスタートで早くできる時は早くやりますし、また時間を掛ける時には僕が替わって投げるということで、相手にとってもたぶんイヤなんじゃないかなと思うんですよね。相手にとっても「早くやるのか?それとも遠くに投げるのか?」というのがあるはずなので、そこである程度相手にはストレスを与えられているのではないかなと思います。

Q:ロングスローを投げるふりをして近くに付けたりとか、凄くバリエーションもあると思うんですけど、あれは練習の中から結構やっているものですか?

A:やっていないです(笑) 即興でやっていて、誰かと目が合ったらやっている感じですけど、そこは松本で色々やったので慣れていますね。

Q:今年はチームの期待を感じるような"10番"を任されていますが、その背番号に関してはいかがですか?

A:やっぱり10番をもらった時の最初の感想は驚きもありましたし、「チームから期待されている」という自分の中で嬉しい気持ちもあった中で、そういう周りからの声もあって最初は相当なプレッシャーもありましたけど、いざ始まってみると正直「背番号は関係なくやっている自分がいるな」というのは感じています。

Q:少ししっくり来始めている感じはありますか?

A:いや、まったくしっくり来ていないですし、特に番号を意識してはいないですね。

Q:こだわりも特にないですか?

A:そうですね。たぶん皆さんが思う10番というのは『上手い』選手だと思うんですけど、僕はそういうプレーヤーではないので、チームのために走って泥臭くやるのが僕の強みだと思っていますし、それで「コイツはこういうプレーヤーなんだな」という風に思ってもらえれば、それだけで良いかなというのはありますね。

Q:ここからはキャリアのお話をお聞きしたいと思います。選手名鑑を見ると下大野小SSSがキャリアスタートになっていますが、サッカーを始めたのもそのチームですか。

A:保育園の時からサッカーをやってはいたんですけど、本格的に始めたのは下大野小SSSで小学2年生の時ですね。僕には兄が2人いて、兄を追い掛けながらサッカーをやっていたので、始めたのは本当に小さい頃だったと思います。

Q:下大野小SSSはどのくらいの強さだったんですか?

A:茨城県でベスト16ぐらいだと思います。頑張ってベスト8ぐらいまで行くような感じでした。

Q:古河と言ったらいわゆる"サッカーどころ"ですよね。

A:結構年配の方には言われるんですけど、僕らの頃はそこまで感じなかったんですよね。だから、年配の方にそう言われてもあまりピンと来ない感じはあります。

Q:古河市の選抜チームには入っていたんですか?

A:市の選抜はなかったと思います。県選抜には入っていました。

Q:その時のチームメイトでJリーガーになった選手はいますか?

A:大津(祐樹・柏)ですね。大津とは小学校の頃から選抜でやっていました。彼は昔から足元の技術があったと思いますし、凄く身長も大きかったので。たぶん(笑)

Q:たぶん(笑) プレースタイルは変わっていないですか?

A:変わっていないですね。あんな感じで足元の技術があったので上手かったです。

Q:今でも会ったら話したりしますか?

A:そうですね。試合会場だとあまり時間がないので挨拶程度ですけど。試合の日はそんなにじっくり話す機会はないですからね。会ったら普通に話しますよ。

Q:中学生時代に在籍されていたKⅡサッカークラブは古河のチームですか?

A:いえ、古河市は最近合併したので、僕が住んでいたのも当時は総和町だったんですけど、KⅡがあったのは三和町という所で、そこまで通っていました。学校が終わってすぐに自転車で家に帰って、親にKⅡまで送り迎えしてもらうという感じでした。

Q:古河市だとFC古河が強かったと思いますけど、そこに行く選択肢はなかったんですか?

A:はい。なんか行かなかったですね(笑) 距離的にもFC古河の練習場に行くのは、実家から遠かったと思います。「何でKⅡに入ったんだろう?」と今でも思いますけど(笑)、たぶん下大野小SSSKⅡの関係性があったんでしょうね。

Q:じゃあ何人かと一緒にKⅡに入ったんですか?

A:それがそうではないんですよ(笑) 僕の下の代からは結構行くようになりました。僕が最初で、その後に続いたというか。まあよくわかってないです。そのあたりの道筋は(笑)

Q:KⅡは茨城の3種の中では強かったんですか?

A:上手い選手は多かったですけど、やんちゃな選手も多かったので"荒い"試合が多かったですね。でも、そういう選手って不思議と上手いんですよ。ただ、個人は結構揃っていましたけど、チームになるとそこまでではなかったです。茨城県でベスト4くらいでした。

Q:ベスト4なら十分強いと思いますよ。

A:そうですね。運良くベスト4ぐらいまでは行けるような感じで、最後はアントラーズにボコボコにやられるといった感じでした。

Q:そこの壁は高かったんですね。

A:高いんですよ、あそこは(笑) ウチとJのジュニアユースとは比べ物にならなかったですね。アントラーズのジュニアユースもそうですし、ノルテ(アントラーズノルテJY)にも勝ったことはなかったので、とにかくアントラーズは強かったという印象です。「もうムリ」みたいな(笑) 体格も全然違いましたし、「やっぱりJの下部組織はしっかりした選手が揃っているな」と思っていました。

Q:そうするとアントラーズユースに行くという選択肢は考えていなかった訳ですね?

A:考えていなかったですね。行きたいとは思いましたけど、実際は難しかったと思います。

Q:茨城にもサッカーの強い高校はあるじゃないですか。でも、群馬の前橋商業(以下、前商)に進学する訳ですよね。ここが昔から疑問に思っている所でした。何で前商だったんですか?

A:なんか僕の中で「茨城から出たい」という感じがあったんですよ。元々KⅡの監督や図南サッカークラブの代表を務められている菅原(宏)さんから前商のことは聞いていたので、「俺は前商がいい」と思い込んでいたのかもしれないです。他にも例えば佐野日大とか花咲徳栄にも練習参加に行きましたし、その2校は私立なので受験もしましたけど、「やっぱり前商かな」と。結局は前商という選択肢しかなかったですね。茨城の高校に行くということは考えていなかったです。ただ、その時の前商には寮がなくて、「寮ができるから来い」と言われて行ったんですけど、最終的に寮ができることはなく(笑)、1人暮らしをしていました。

Q:1人暮らしをしていたんですか?

A:そうです。図南の菅原さんの家の近くにアパートを借りてもらって、菅原さんにお世話になりながら3年間を過ごしました。

Q:そこって結構大きな人生の分岐点ですよね。

A:そうですね。「前商に行っていなかったらどうなっていたんだろう」とは思います。前商もかなり強かったので、今から考えても「行って良かったな」と思いますし、「茨城の高校に行っていたらどうなっていたんだろう」とも思いますし、みんな上手い中で揉まれたことは本当に良かったと感じています。

Q:当時の群馬は前商と前橋育英(以下、育英)の2強時代で、前商も相当強かったと思いますし、岩上選手が中学3年の時に選手権へ出ていたんですよね。

A:そうです。全国でベスト8まで行きました。中学3年の時に前商に決まりそうだということで、西が丘まで選手権の試合を見に行ったんですよ。それを見て「僕もここでやりたいな」と思いましたね。でも、いざ入学してみると部員の数も多いですし、上手い選手も多いですし、なおかつ上下関係も厳しかったので、「うわあ、マジかよ」と思いました(笑) でも、1年から試合に使ってもらえたこともあって、先輩の方々がある意味でリスペクトしてくれたのかなと思いますし、その時の3年生には高橋秀人さん(FC東京)もいたので、僕からしても非常に先輩たちへの信頼は厚かったです。

Q:高橋秀人先輩はどういう先輩でしたか?

A:喋った覚えはあまりないですね。1年から3年には喋り掛けられないです(笑) あちらから話し掛けてくれると凄く嬉しいですけど、1年のこちらから話し掛けることはできなかったですね。

Q:一緒に試合には出ていたんですよね?

A:はい。やっぱり試合になったら、気を遣っていると逆に監督からも3年生からも怒られるので、そこは遠慮なくできたんですけど、いざピッチから出てしまうと話し掛けられないですよね。

Q:例えばJリーガーになってから、高橋先輩と会場で会った時はどんな感じなんですか?

A:普通です。大人の対応というか(笑)、そこは『ヒデさん』で全然行けますね。

Q:全国大会に出たのは2年のインターハイだけだったと思いますが、今から振り返る前商での3年間はいかがでしたか?

A:凄く濃かったというか、あの3年間はまずサッカー面でも良かったと思いますし、私生活の部分での上下関係というのも、今思えば良かったのかなと思います。良い3年間を過ごせました。欲を言えば1回は選手権に出たかったですけど、出られなかったのでここまでサッカーを頑張れているのかなというのもありますね。選手権に出てしまうと、そこで燃え尽きてしまう選手も多い中で、予選の決勝で2回も負けたのでそれも良かったのかなと。でも、僕はプロでやっているから言えることでもあって、当然他のチームメイトも選手権には出たかったと思いますけど、トータルで前商での3年間は良かったです。

Q:選手権予選では2年の時も3年の時も、育英に決勝で1点差で負けるという悔しい想いをしたと思います。

A:僕は3年の時より2年の時の方が悔しかったですね。2年の時のメンバーは(土田)健太さんや星野悟さん(町田)を筆頭に上手い選手がいたので、その代で全国に出たかった気持ちは強かったですけど、育英も選手が揃っていたので難しかった部分はありました。何よりあの敷島のグラウンドの雰囲気が良かったですね。お客さんも前商と育英の試合ということでたくさん来てくれましたし、本当にのびのびとできた試合はあの2年の時の決勝が初めてだったんじゃないかなと思います。育英に負けた時は本当に悔しかったですし、あのメンバーで全国に行きたかったという気持ちは今でもありますね。

Q:3年の選手権の決勝は僕もスタジアムで見ていましたけど、育英に押されまくるのを前商が何とか耐えまくって、先制されながら本当にワンチャンスで得たPKを岩上祐三が決めて追い付くものの、最後に育英が勝ち越して終わるという展開でしたね。

A:そうしないと育英には勝てなかったですし、当時の技術面では育英の方が遥かに上だったので、僕たちは守ってカウンターという意志統一ができていました。やっぱり早い時間に先制されたのが痛かったですね。

Q:岩上選手は"超フリーマン"みたいな感じでしたよね(笑)

A:そうですね。ポジションはあってないような感じだったので、自由にやらせてもらっていました。

Q:「あんな自由にやらせてもらえる選手がいるんだ」と思って見ていましたよ(笑)

A:それもたぶん走れたからだと思いますし、とりあえずしっかり守ることは自分の中で考えていたと思いますね。

Q:今でも当時の前商のメンバーと集まったりすることはあるんですか?

A:ありますよ。最近は群馬に行くタイミングがなくて、なかなか会えていないですけど、みんなというのは難しいにしても、何人かと集まって夜にゴハンを食べに行ったりというのはありますし、今年から大宮に移籍してきたので、見に来てくれる友人は増えましたね。彼らは僕のことを見てくれていると思うので、そこは頑張らないといけないなと思います。

Q:あの白黒のユニフォームを着て戦った3年間というのは、今から考えても良い想い出ですか?

A:良い想い出です。あの時は「地獄だ」と思ったこともありましたけど(笑)、今思うとそれが笑い話になって、いつになっても何回繰り返して話しても面白いので、そういう意味でもあの3年間は良かったです。

Q:そういう仲間と集まると絶対に同じ話になりますよね(笑)

A:そうですね。それがたぶん一番面白いですし、当時から私生活でも良い意味で気を遣わずにやってこられたから、今でも気を遣わずに色々言い合えますし、その時の"濃さ"があったからこそ、大人になっても付き合っていける感じはありますよね。

Q:大学は東海大学に進学されて、結果的にプロに繋がる時期になったと思いますが、大学の4年間はざっくり振り返るといかがでしたか?

A:大学の4年間も良かったですけど、前商の上下関係があったからこそ、大学のそれはそこまで厳しく感じなかったので、スムーズに入れた所もありました。あとは4年生の時に湘南に特別指定選手で誘ってもらって、たぶん学校も近かったので大学の監督も許可して下さったと思うんですけど、あそこで学生の時にラスト15分でしたけどJリーグのピッチに立てたということは、自分の中では大きかったですね。そこでプロをより意識するようになりました。

Q:2年生の時に山口素弘さんがコーチでいらっしゃったと思いますが、山口さんの影響は大きかったですか?

A:本当に大きかったです。練習にフリーマンで入ってくれることがよくあったんですけど、「いやあ、上手いなあ」と思いながら見ていましたし、色々と聞きたいことも聞けたので、「素晴らしい選手だなあ」と今でも思います。だから、今は解説をされていますけど、僕はあまりしっくりこないんです(笑)素弘さんはどうかわからないですけど(笑)、試合会場でお会いした時には僕は正直嬉しいですし、僕としては一緒にピッチの中でボールを蹴ったので、まだ『凄い選手』というイメージですね。解説者というよりはコーチや選手というイメージの方が強いです。

Q:先ほどおっしゃった湘南の特別指定のこともあって、大学時代は「プロになれるかな」という手応えを掴んだ4年間ということですよね?

A:そうですね。1年から試合に出させてもらえたからこそ、湘南から声が掛かったと思うので、そこは監督にも感謝していますし、もちろんチームメイトにも感謝しなくてはいけないのかなと思います。

Q:「大学サッカーを経験して良かったな」と思いますか?

A:良かったです。本当は高校を出た時にプロへ行きたかったですけど、それは叶わずに大学へ行って、そこで1年と4年では体つきも違う中で、うまく揉まれながらプレーできたことが良かったのかなと思いますし、結果的に湘南に入って1年目から開幕スタメンで出ることもできたので、そこは大学4年間での体作りが大きかったのかなと思いますね。

Q:最後の質問です。あえてざっくり聞きますけど、夢ってありますか?

A:夢ですか。夢は特にないですね。よく「好きな選手はいますか?」って取材で聞かれることもありますけど、好きな選手を作ってしまうとその選手を真似してしまう気がするんです。それと同じで、夢を作ってしまうと、その目的を達成した後の自分が怖いなと。達成したらそこで終わりという感じになってしまうかもしれないので、あえて作らないようにはしています。ある程度自分の中で思い描いているものはありますけど、あまり口には出さないですね。

Q:じゃあそれはここでも口に出さない感じですよね(笑)

A:お察しの通りで(笑) 実際は言葉では言い表せないような、ぼんやりとしたイメージなので、まずはケガをしないでプレーできたらいいかなというのが身近な目標ですね。

Q:ぼんやりとしたイメージで描いている自分に近付いているなという感覚はありますか?

A:なきにしもあらずですけど、まだまだかなというのは感じています。「これが本当に自分の思い描いている夢なのか」ということも、自分に矢印を向けてしまうとクエスチョンな部分もありますし、ざっくりしているものなので、「このまま淡々と」と言ったらおかしいかもしれないですけど、そういう感じで進んで行ければ良いかなと思いますね。

【プロフィール】

東海大4年時の2011年に湘南の特別指定選手としてJリーグデビュー。2012年に湘南へ加入し、翌シーズン途中に松本へ期限付きで移籍すると、完全移籍を果たした2014年にはチームのJ1昇格に貢献。今年から加入した大宮では10番を託されている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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