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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月08日

Pre-match Words ~湘南ベルマーレ・三竿雄斗編~(2016年4月15日掲載)

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【Pre-match Words 湘南ベルマーレ・三竿雄斗編】

(2016年4月15日掲載)

Q:今年は左右両方のプレースキックを任されている中で、ここまでセットプレーから2アシストされています。パウリーニョ選手に蹴ったボールも、島村(毅)選手に蹴ったボールも球質や雰囲気が全然違うボールだったと思いますが、あのあたりの蹴り分けはかなり考えながらやってらっしゃいますか?

A:パウリーニョに出したヤツはサインプレーというか、あそこに速いボールを蹴って合わせるというヤツで、シマさんに蹴ったヤツはあのあたりにそんなに速くなくても、ある程度良いボールが蹴れれば合わせてくれると思ったので、あそこに蹴ることだけ集中して蹴りました。今年はセットプレーを任されるようになって、まだまだ精度というのは足りないと思いますし、この前の試合もCKは何本もあったんですけど、結局点に繋げることはできませんでした。セットプレーだけではなくてオープンプレーでもそうですけど、もっと自分が良いボールを蹴れればもっとチームにも結果が出ると思うので、もっとそういう所にはこだわっていきたいですね。

Q:個人的に川崎戦(1st-第2節 △4-4)の4点目は今シーズンのJ1でもここまでのベストゴールだと思っているんですけど、三竿選手も後方から一気に駆け上がっていったと思います。あのシーンを振り返っていただけますか?

A:試合前から「70分から試合が終わるまでの時間帯というのは勝負の時間だ」と思っていて、監督もそういう風に言っていましたし、あの時間になったら「相手も少し足が止まってくる」と思っていたので、チャンスがあれば自分が出て行って、シュートなりクロスを上げて得点に絡めれば良いと思っていました。その通りのイメージでボールを奪った後に上がれたので、(岡本)拓也も同じことを思っていたと思うんですけど、ああいう思い切りの良さというのが点に繋がったんじゃないかなと思っています。

Q:単純に左CBからのクロスに右CBが合わせたというゴールではなくて、ボールが縦に入った瞬間に三竿選手も内側から上がっていったじゃないですか。「その時にどこに行くか」とか「どういうコースを取るか」というのが凝縮されたゴールだったと思いますが、あれは左サイドの選手が左からクロスを上げて、右サイドの選手が右から飛び込んで決めたということで片付くような単純なゴールではないですよね。

A:そうですね。たぶんボールを拓也がクリアして、それをヨシさん(藤田祥史)が(菊池)大介に出したと思うんですけど、ヨシさんにボールが出た時に「大介にパスを出してくれれば自分が上がっていけるチャンスになる」と思って、相手もそんなに切り替える意識というのが、その時はパッと見ですけど感じられなくて、「自分が出て行っても付いてこないだろうな」と思って、中から外にオーバーラップして行きました。その時は考えるようなことはあまりないですけど、パッと見の感覚というか、パッと見た時に「これは行けるな」と感じたので、多分自然にそういう所は考えられていたのかなと思います。

J1であのぐらいドンピシャで合わせたゴールというのは多分自分の中であまりないんですよね。去年もアシストが56本あったと思うんですけど、ドンピシャというよりは中でシュートを決めた人が決めてくれて、自分にアシストが付いたみたいな感じなので、今年のアシストは2本ともワンタッチでのゴールに繋げられていますし、究極を言えばそういう「触るだけで入る」みたいなボールをもっと供給したいなと思います。

Q:先ほどお話のあった菊池大介選手とのコンビネーションは湘南のストロングだと思いますが、そのバランスはプレーを重ねていく中で見えてきている部分は大きいですか?

A:そうですね。もうコンビを組むのは3年目なので、例えば自分が開いた時にそのタイミングでスッと中に大介が入って行ったり、大介が開いている時に自分が中に入って、お互いのコンビネーションで崩していったり、そんなに喋らなくてももう息はしっかり合ってきているなと思います。守備の所もお互いにしっかり良い連携が取れていますが、本当に最後のゴール前の所でお互いのアシストというのは多分まだないと思うので、ゴールに直結するような崩しというのを2人でもっとできれば良いかなと思っています。

Q:割と攻撃時は3バックの両サイドが均等に上がっていくというよりは、三竿選手サイドの左上がりみたいな感じにも見えますが、そのあたりはチームとして三竿選手のストロングを生かしていこうというスタイルの1つでしょうか?

A:監督もそういう風に言ってはいないと思うんですけどね。右のCBも上がって行きますし。でも、自分の方が回数は多いのかなと。自分も出て行って攻撃に絡むのが好きなので、自然にそういう風になっているのかなというのはあるんですけど、自分が攻撃参加するんだったらもっと点に絡まないといけないですし、もっと目に見える数字で結果というのを出したいですね。

Q:今日の練習を見ていても良い雰囲気で行われていて、「監督の雰囲気づくりが凄いなあ」と思って見ていましたが、言ってみれば職場のボスに当たる曺監督っていかがですか?

A:曺さんですか。本当に職場のボスという感じでもあるんですけど、先生という感じでもありますし、父親という感じでもあるので、凄く変な言い方ですけど『信頼している』というか、まだ結果が出ていないですけど、誰1人として疑問とかは持っていないと思いますし、曺さんは結構「自分が悪い」みたいなことを素直に言うんですよ。負けた後とかに「すまなかった」みたいな。そういう所も逆にもっとそれで「曺さんのためにもやってやろう」という風にも思いますし、一緒に戦っているという感じは凄くしますね。監督が選手を動かしてみたいに、普通は監督ってそうやってそこまでコミュニケーションを取らないで、使う選手や采配とかを決めて「はい、どうぞ」みたいな感じなんですけど、凄くこのサッカーを一緒に創っていっているというか、充実していますね。凄く楽しいです、今サッカーが。それも曺さんのおかげかなと思います。

Q:チームが誰1人このサッカーを疑っていないというか、ブレていないのは曺さんに拠る所が大きいと思いますが、やっぱりそんなにあの人のメッセージは響くものですか?

A:響きますねえ。毎回毎回のミーティングで新たな言葉というか、考え方というか、1人のサッカー選手としてもそうですし、1人の人間としても凄く勉強になりますし、具体的にどの言葉が一番みたいな言葉はないんですけど、やっぱりどの言葉も凄く響きますし、凄い人だと思います。

Q:去年の夏ぐらいに練習終わりで菊地俊介選手と三竿選手に曺さんが30分ぐらい話していたのを偶然見ていたんですけど、曺さんに「何を話していたんですか?」と聞いたら、「雄斗と俊介は湘南の良い時期しか知らないから、『このクラブには良い時期ばかりじゃない歴史があるんだぞ』ということを話した」とおっしゃっていました。それって覚えていますか?

A:覚えています。あの時期は確かあまり結果が出ていなかったんですよね。でも、その時は2年目で、もっと自分や俊介がやらなきゃダメだと監督も思ってそういう話をされたと思うんですけど、やっぱりまだまだ期待に応えられていないと思います。俊介がケガをしてしまって本当に残念な状況なんですけど、俊介の分も自分がもっともっとやらなくてはいけないと思いますし、こうやって結果が出ていない中で、まだ自分にできたことはたくさんあったと思いますから。でも、過去は変えられないですし、これからどうやってサッカーに取り組むかが凄く大事だと思うので、もう1回自分を見つめ直してこの先も取り組んでいければ良いかなと思います。

Q:今回は鹿島との対戦ですが、鹿島の印象はいかがですか?

A11人が自立しているというか、やらされているのではなくて、自分がチームを勝たせてやろうとか、勝ちたいという気持ちを11人がしっかり持って、しっかり独立して戦っている集団だなというのは思いますし、攻撃力も高くて守備の所も体を張ってきますし、鹿島が一番タイトルを獲っているというのも納得できる雰囲気を持つチームだなと思います。

Q:今回は試合当日が誕生日ですが、誕生日に試合をやるというのはいかがですか?

A:誕生日に試合をやるというのは、プロになってからたぶんないと思いますけど、チームもリーグ戦はまだ勝ち星がないですし、誕生日とかあまり関係なしに何が何でも勝ちたいですね。特にホームは今年全敗しているので、サポーターの人たちにも本当に申し訳ないですし、ホームで鹿島という強い相手に対して勝つことができれば、それがターニングポイントとなってチームも良い方向に向かって行くと思うので、本当に何が何でも勝ちたいですね。

Q:相手に同じ誕生日の弟がいるというのもJリーグ史上前例がないと思いますが(笑)、弟の所属しているチームと戦うというのはいかがですか?

A:大学の時に、弟がヴェルディユースの時に天皇杯の予選で1回やったんです。その時は4-15-1くらいで勝ったんですけど、次も同じように底力を見せたいです。

Q:ご両親は今回の対戦に関して何か言われていますか?

A:凄く楽しみにはしてくれていますね。どっちもたぶん応援していると思うので、良いゲームができればいいかなと思います。

Q:ご両親にとっては複雑なゲームですよね。

A:そうですね。まあ、勝ちます。

Q:今回はタイミング的に永木選手が出場する可能性も高そうで、三竿選手は今シーズンから彼が付けていた6番を背負っていますが、永木選手との対戦は楽しみな要素の1つですよね?

A:今の湘南があるのは(永木)亮太くんがいたからというのは間違いないですし、2年間一緒にやってきて色々なことを学ばせてもらったので。でも、今は敵ですし、(遠藤)航の時もコバショー(古林将太)の時もそうですけど、自分としてはそんなに意識はしないですね。それよりも本当に大事なのは湘南が勝つことであって、自分たちがいつも練習でやっていることをそのまま試合にぶつけることしか頭にないです。でも、単純にそういう人たちがいるチームには負けたくないですよね。今は亮太くんが付けていた6番を自分が背負わせてもらっているので、自分がチームを勝利に導けるようにやるだけだと思います。

Q:ここからはキャリアの話を聞かせて下さい。小さい頃はカナダにお住まいだったんですね。

A:はい。5歳から10歳まで住んでいました。

Q:カナダにはそこまでサッカーが盛んなイメージはないですけど、三竿選手がお住まいだった頃のサッカー人気はいかがでしたか?

A:人気はあったんですかね?あの頃はMLSもなかったですし、そこまでメジャーな感じではなかったですけど、向こうの人たちって色々なスポーツをやるんですよ。僕も週2はアイスホッケーで、週3はサッカーみたいな感じでした。野球とかアメフトとかをやる人も多いですし、あとは移民の方々も多いので、僕も最初はアルゼンチン系のチームに入っていましたし、子供のリーグでも南米の人が多くて、そういう人たちの間ではやっぱりサッカーが盛んじゃないですか。なので、そういうリーグも結構熱かったですよ。カナダ人の人たちはアイスホッケーとかが多かったですけどね。学校の昼休みも「今日何やる?」みたいな感じで、アメフトとかやっていましたし。

Q:プロフィールを拝見すると、グレンシルズがキャリアスタートになっていますね。

A:そのチームは9歳、10歳の時のチームでした。一応そこはACミランの"下部下部下部組織"みたいな感じで(笑)

Q:"下部下部下部組織"っていうのがあるんですね(笑)

A:一応ミランっぽい赤黒のユニフォームを着ていました。僕は左利きでトップ下みたいな位置をずっとやっていたので、もうちょっと良いプレーをすればイタリアに行って、セレクションを受けさせてくれるみたいな話になっていたんですけど、そこまで上手くないので、その話はパーになっちゃいました(笑)

Q:そんな所まで話が行っていたんですね。

A:そうですね。でも、日本への帰国も決まったので結局行かなかったんですよね。

Q:もしかしたらミランの10番は三竿選手だったかもしれないですね。

A:かもしれないですね。いや、それはないです(笑)

Q:マラドーナの弟にサッカーを教わっていたという話も聞いているのですが、それは本当の話ですか。

A:冬は雪が凄いので、フットサルみたいなフィールドが55のインドアサッカーをやっていて、その時に『BOCA』っていうチームに入っていたんですよ。ユニフォームも黄色と青で完全にボカなんですけど。その時の監督がマラドーナの弟で、たぶんそこで23年くらいやっていたと思います。だから、トロントに住んでいたマラドーナの当時の奥さんも来ていましたね。あと、そのマラドーナの弟の息子と同じチームだったんですけど、結構マラドーナに顔がそっくりでした。

Q:ディエゴ・マラドーナの甥っ子ということですね。左利きですか?

A:いや、右利きです(笑) もう1個上にお兄さんがいたんですけど、その子の名前は確かディエゴでしたね。同じディエゴ・マラドーナでした。

Q:良く覚えてますね(笑)

A:その時が一番楽しかったから覚えているんだと思います。

Q:そうするとグレンシルズの前に『BOCA』に入っていたんですね。

A:そうですね。あと1つイタリア系のチームにも入っていたんですけど、順序は忘れちゃました。

Q:10歳で帰国されて横河武蔵野FCのジュニアに入られますが、それは単純に家が近かったからですよね?

A:そうですね。メッチャ近いです。自転車で5分、歩いて15分くらいです。父親に連れて行ってもらって、セレクションみたいなのを受けて入れさせてもらいました。

Q:横河のジュニアは強かったですよね?

A:強かったですね。結構歴史もあるじゃないですか。小学5年の時には全少にも出たので、強かったと思うんですけどね。

Q:5年の時はもうレギュラーですか?

A:レギュラーです。トップ下でした(笑)

Q:1個上にアン・ビョンジュン選手(金沢)もいたんですよね?

A:いました。ビョンジュンは仲良いです。ビョンジュンは右サイドハーフだった気がするんですよね。違ったかなあ(笑)

Q:全少の結果はどうだったんですか?

A21敗でグループリーグ敗退でした。得失点差で負けて。1位しか上がれなかったんですよ。

Q:横河の下部組織は独特の雰囲気がありますよね。

A:そうですか?(笑) フィジカルとかはなかったと思います。コーチも結構面白い人が多かったですし、凄く楽しかったですね。でも、中学の頃はあまり覚えていないんですよ。

Q:それをこれから聞こうと思っていたんですけど(笑)

A:意外と覚えていないかもしれないです。結果は出なかったですね。全国大会も出ていないですし。楽しかったは楽しかったですけど、やっぱりFC東京やヴェルディに劣等感を持っていたと思います。小学校の時に東京選抜に入っていたようなヤツがF東とヴェルディに行っていたので、対戦するときにもレベルの差はあって、そういうのを感じながらやってしまっていたんですよね。養和には勝ったりしていたんですけど。

Q:養和と横河の対立構造はありますよね(笑)

A:何となくお互いをライバル視しているんですよね(笑) 養和とやる時は結構燃えていました。そう言えば養和調布とはメッチャ練習試合をしていました。

Q:そもそもジュニアユースに上がる時は、横河の一択だったんですか?

A:セレクションとかは行っていないですね。その時は「行っても受かんねえだろ」みたいな感じだったので。横河のジュニアユースもそんなに弱くなかったですし、家も近かったのでそのまま上がりました。

Q:高校時代はヴェルディに行かれる訳ですよね。横河のユースに上がるという選択肢も、それこそ通っていた國學院久我山高校のサッカー部という選択肢もあったと思いますが、どうしてヴェルディだったんですか?

A:久我山は当時も強かったですけど、選手権は何年も出ていないような状況だったと思いますし、単純にグラウンドも土で狭くて、環境もあまり良くなかったんです。ヴェルディには行きたかったですけど、「受かれば良いな」ぐらいの気持ちで、「練習参加したい」とその時のジュニアユースの監督にお願いして、その監督がヴェルディユースの監督に連絡してくれて、2日間練習参加して、入れさせてもらいました。ヴェルディは小学校の頃から憧れじゃないですけど、「コイツら上手いな」と思っていて、だから何と言うか... まあ憧れですね(笑)

Q:実際に入ってみたら部活の監督みたいな方(※柴田峡・現松本山雅ジュニアユース監督)が監督だったと思いますけど(笑)

A:そうなんですよ(笑) 中学3年で練習参加した時に、既にボウズの選手が多くて、僕も高校1年の1年間はほとんどボウズでしたからね。

Q:ちょっとイメージと違ったでしょうね。

A:違いましたね。練習も結構走りが多くて、キツかったです。マジで(笑)

Q:以前柴田さんにお話を伺った時に、「アイツのために学校まで行ったことあるんだよ」とおっしゃっていましたよ。

A:そうらしいですね。後々聞きましたけど、当時は知らなかったんですよ。サッカーもうまく行っていなかったですし、家に帰ってくるのも遅いのに勉強しなくてはいけないですし、結構いっぱいいっぱいだったんです。そういうのもツラかったですし、学校でも本当に眠くて(笑)、ずっとイライラしていましたね。当時は荒れていたと思います(笑)

Q:「『サッカーは一生懸命やっていますから』」と先生に説明したんだよ」とおっしゃっていました(笑)

A:本当にありがたいですよね。

Q:柴田さんは恩師という感じですか?

A:そうですね。ユースの時はただただ怖いだけでしたけど、今となっては凄く感謝しています。でも、本当に怖かったですよ。練習が終わって食堂とかで一緒になった時は面白い人なんですけど、練習の時は怖かったですね。たまに練習試合とかで変なミスして交替させられて、ゴール裏をずっと走らされたりしたのを覚えています。結構ビクビクしながらプレーしていましたね。

Q:今から振り返るとヴェルディユースの3年間はいかがでしたか?

A:一番苦労しました。試合も3年の時は出ましたけど、12年の時はほとんど出ていないですし、Bチームにいることも多かったですし、自信をまったく持てないままサッカーをやっていましたね。一番伸びる時期にもったいないことをしたなと思います。

Q:今から考えると、「もうちょっとサッカーへの向き合い方を考えていたらな」という感じですか?

A:もっと真剣にやっていればとは思います。ただこなしていたというか、ただ練習に行って、ただご飯を食べて帰ってきて。やっぱりサッカーがうまくいかないと、色々なことが難しくなってきますよね。プロになりたくてユースに行ったのに、全然試合にも出られなくて、トップに上がれそうな感じもまったくない中で、頑張ってやるのは結構ツラかったですね。

Q:例えば同級生の高橋祥平(神戸)や高木俊幸(浦和)は高校時代から2種登録でトップにも帯同していたと思いますけど、彼らのような存在が同期にいたというのはどういう感じでした?

A:あの2人は同学年の中でも別格という感じで、トップの練習にもずっと行っていましたし、「敵わないな」という感じはあったと思います。「あの2人はしょうがないな」という感じでしたね。

Q:大学は早稲田大に進まれて、その後を考えるとここで過ごした時間は大きなターニングポイントだと思いますが、大学時代の4年間というのはいかがでしたか?

A:ユースで1回プロになれなくて、それでも「プロになりたい」という気持ちはあったので、大学でもサッカー部に入ったんですよね。1年の時は正直ユースの時みたいな感じで、あまり真剣にやれていなかったと思うんですけど、ユースの時よりは「自分が通用するな」というのは練習をやっている中でも思っていました。ユースの時はあまり評価してもらうことがなくて、劣等感みたいなものを持ちながらやっていたんですけど、先輩も結構評価してくれましたし、少しずつ自信を持てるようになったと思います。結局1年の時は全然試合には出られなかったですけど、2年からずっと出られるようになって、それで真剣に「プロになりたいな」と思えるようになりましたね。

Q:早稲田だとプロに行く先輩も結構いたと思いますし、逆に選手によってはユースにいる時よりもプロを身近に感じられる環境なんじゃないかなとも思いますが、そのあたりはいかがですか?

A:ユースの時は基本的にトップに上がれるか上がれないかですけど、大学の時はリーグの試合でもどこかしらのチームのスカウトの方が見に来ていたりとかしていたと思いますし、当時はそういうのは知らなかったですけど(笑)、「単純に良いプレーをすればそういう人たちの目に留まって、プロになれるんじゃないか」というのもありました。

確か大学2年の前期の関東リーグの試合で、「どこどこのスカウトがオマエのこと気にしてたよ」と監督に言われて、「え~」みたいな感じで、自分が見られているなんて全然思っていなかったので、それで少し火が付いたんですよね。先輩もJリーグのチームに練習参加したりしていたので、「そういうのにも呼んでもらえるかな」とか、「もっと練習して、もっと良いプレーができれば、プロに行けるんじゃないか」と思って、サッカーに取り組むようになりました。

Q:在学中は3年時にインカレで日本一にまで辿り着いてしまった訳ですけど、なかなか普通に生きていて日本一なんてなれないじゃないですか。日本一ってどういう感覚なんですか?

A:正直嬉しかったですけど、なんかコロッと勝っちゃったんですよ(笑) 準々決勝も3-0くらいで勝ちましたし、準決勝も5-0でしたし、決勝も3-1でしたし、あまり激闘もなかったので「アレッ」みたいな。自分もそんなに納得できるプレーができなくて、ちょっと複雑というかモヤモヤしていましたね。そんな感じでした(笑)

Q:やっぱり「大学に行って良かったな」と思いますか?

A:それは思いますね。早稲田も家から近かったですし、良い環境でサッカーもできましたし、古賀(聡)監督にも出会えましたしね。早稲田のサッカーって結構泥臭いじゃないですか。ヴェルディの時は技術もあって、上手い選手が試合に出るような感じがありましたけど、自分はそこまで上手い選手ではないので、逆に早稲田の泥臭さのようなものやガムシャラさを身に付けることができましたし、高校と大学でそういう両極端の部分を学べたのは良かったかなと思います。

Q:最後の質問です。唐突ですけど、夢ってありますか?

A:あります。いくつかあるんですけど、サッカーでの夢というか目標の1つは、いつかJリーグで優勝したいですね。一度はJリーグの優勝を経験したいです。もう1つはいつか代表に入りたいですね。その2つです。

Q:そこに近付いてきている手応えはありますか?

A:少しずつ近付いていますけど、同時に「まだまだ遠いかな」とも思います。もう若くないですし、成長速度をもっと上げていかないとサッカー人生が終わってしまうと思うので、過去は変えられないですけど、これからの取り組みを大事にして、少しでも近付けるようになりたいですね。

Q:「サッカーでの夢」とおっしゃったということは、「サッカーじゃない夢」もあるんですね。

A:サッカーじゃない夢は、普通に金持ちになりたいです(笑) 色々な勉強をしたいですし、ビジネスもやってみたいですね。

Q:そう言えば、インカレの『I PLAY FOR』に"富"って書いてましたもんね(笑)

A:そうです。"富"、大事です(笑)

【プロフィール】

5歳から10歳までカナダに在住。東京Vユースを経て、早稲田大時代にはインカレで日本一に輝く。2014年に湘南へ加入すると、すぐに定位置を確保してJ1昇格に貢献。以降も不動のレギュラーとして活躍を続け、今季からは副キャプテンも務めている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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