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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
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【Pre-match Words 名古屋グランパス・矢野貴章編】
(2016年3月4日掲載)
Q:矢野選手もベテランと呼ばれる年齢に差し掛かりつつあると思いますが、グランパスが新しいチームになっていこうとする中で、自分の立ち位置の変化を感じることはありますか?
A:やっぱり自分の年齢が上から数えた方が早いですし、圧倒的に下の選手の方が多いですし、そういった所でやっぱり感じますね。
Q:「ちょっと歳取ったな」と感じる部分はありますか?
A:そう感じないようにしていますし、そう感じさせないように頑張っているつもりですけど(笑)、若い選手に比べればたくさん経験してきているので、そういった所で違いを出せるというか、「良さを出せたらなあ」と思っています。
Q:高卒の子が入ってきたりすると相当歳も離れていると思いますけど、ジェネレーションギャップを感じることもありますか?
A:ありますね。というよりも、今高卒で入ってくる選手や大卒で入ってくる選手は、自分が1年目の頃ってまだ小学生とか(笑)、中学生とかって考えると、そういう選手たちと一緒に自分はプレーしているんだなって考えると、「ちょっと歳取ったな」と感じますし、自分が1年目とか入団した時に30を超えた選手とかは本当に「ベテランの選手だな」って思っていたので、それを考えると今は自分がそういう立場になっているので(笑)、「そう感じられているのかな」という感じがしています(笑)
Q:以前柏の同期の大谷秀和選手も「自分が10代の頃は30歳とか『マジ、オッサンだな』と思っていた」と話していました(笑) そうするとジェネレーションギャップを感じつつも、若い選手とのコミュニケーションは計れている感じですか?
A:特に年齢とか意識せずに普通に接していますけど、ふとした時にまだ20歳にもなっていないとか(笑)、例えばゴハンとか行ったりしても「まだお酒飲めない年齢なんだね」とか、そういう所で感じますよね。
Q:周囲からの雑音というか、今年の名古屋に対する評価も色々と聞こえてきていたと思いますが、その中で開幕戦(〇1-0 磐田)に勝てたというのは今後に向けても相当大きかったですか?
A:そうですね。周りの雑音というか、僕らに対する評価というものは低いものだったと思いますし、そういうのを他の選手も感じていたので、その中で「何とかやってやろう」という気持ちは選手の中にありましたし、もちろん監督も持っていましたし、その中で勝てたことは非常に意味のあることだと思いますし、僕らも監督も自信が付くような試合になったんじゃないかなと思います。
Q:小倉監督は点が入った瞬間もクールな感じで、勝った瞬間もクールな感じで、本当は凄く喜びたかったんじゃないかなと僕は思ったんですけど、感情をちょっと抑えていた感じなんでしょうか?
A:どうですかね。僕らには「点が入った時にもっと喜べ」と言っていたんですけどね(笑) 監督はあまり喜んでなかったですけど、これからそういうシーンというか、そういう瞬間を多く試合の中で出して行けたらなと思います。
Q:そうすると、やっぱりある程度周囲の評価に対して「見返してやろう」という気持ちは開幕前のチームの中にありましたか?
A:耳に入ってくるというか、目にしたりということがあったと思うので、選手それぞれそういう気持ちを持っていたのかなとは思います。
Q:かなり気持ちの良い勝利でしたか?
A:でも、本当に「チームみんなで掴み取った勝利だったな」という感じは凄くしました。交替選手も頑張りましたし、試合に出られなかった選手だったりスタッフだったり、みんなで勝ち取った1勝だったなという意味では、凄く良かったなと思います。
Q:ポジション的なことで言うと古林(将太)選手と矢野選手の位置が逆でも良いかなとも思うんですけど、右サイドバックというポジションに関してはだいぶ慣れてきたなという感じですか?
A:そうですね。僕もそうだと思うんですけど、見ている人が一番慣れてきたんじゃないですかね(笑) 僕が右サイドバックをやっていることに。
Q:ご本人としては右サイドバックのプレーというのはどうですか?
A:非常に地味ですね。地味ですけど、ああいう攻撃参加とかは楽しいです。
Q:去年は3バックと4バックを併用した中で、最初の数試合はサイドハーフ起用もあったと思いますが、基本的に3バック時は右ウイングバック、4バック時は右サイドバック起用が多かったと思います。元々ストライカーポジションを務められていて、点を取る楽しさもご存じの中で、そのあたりの折り合いは付いてきましたか?
A:監督からそのポジションをやってくれと頼まれているというか、任されたポジションなので、「その仕事をまっとうしよう」という気持ちと、でも「チャンスがあれば点を取ってやる」という気持ちは常に持っています。
Q:右サイドバックというポジションが自分にマッチしてきた感覚はありますか?
A:そうですね。やりがいは凄くありますし、新しいポジションということで日々勉強しながらやっている感じですね。
Q:どういう部分が一番サイドバックの醍醐味ですか?
A:やっぱり相手チームのストライカーというか、そういう選手と対峙してボールを奪うことだったりとか、そこから攻撃参加していく、飛び出していくということが自分の良さでもあると思いますし、そこがサイドバックのやっていて楽しい部分かなと思います。
Q:ここからはキャリアのお話をお聞かせ下さい。サッカーを始められたのが静岡大学教育学部附属浜松小学校ということですが、時期は2年生の頃ですね?
A:そうですね。2年生の途中からです。小学校の少年団でやっていました。
Q:その少年団はどういうチームでしたか?
A:小学校の人しかいないチームでした。小学校は1学年に2クラスしかなくて、その中でサッカーをやりたい子でやっていた感じです。特別強くもないし、特別弱い訳でもない感じですかね。
Q:浜松JFCは選抜チームだと思いますが、それとは別に少年団の活動もあった訳ですよね?
A:そうです。浜松JFCは小学4年からスタートして、最初は200人ぐらいいるんですよ。各少年団から3人とか4人が集まって、その中でセレクションみたいなことをしていきながら、少しずつ人数が減っていく形で。途中でポッと入ってくる選手もいるんですけど、それを6年生まで続けるんです。
Q:学年によって分かれているんですか?
A:そうです。学年によって分かれていて、一応名目としては全日本少年サッカー大会に行くというものがあって、初めは多分月曜練習で、5年生や6年生になってくると月曜と金曜とか、そういう感じだったと思います。僕らの少年団は週末しかやっていなかったので、JFCの大会があれば週末もそっちに行っていましたけど、基本的には少年団でやっていました。
Q:浜松JFCは県内で相当強いチームですよね?
A:そうですね。強かったですね。県の中ではベスト4に入るぐらいのチームでした。
Q:全少には出場されていますか?
A:いえ、出ていないです。小学校6年生の時に全少の静岡県決勝で静岡FCとやったんですね。そこには今エスパルスにいる杉山浩太がいて、日本平でやった決勝は僕にも凄くチャンスがあったんですけど、そのシュートを止めたのが大宮にいる加藤順大です。
Q:凄いメンバーですね(笑) この間、磐田の大井選手に「小学6年の時の県内のスーパースターは誰でしたか?」とお聞きしたら、「成岡翔か矢野貴章」と話していましたが、矢野選手から見た小学6年の時の県内のスーパースターは誰でしたか?
A:杉山浩太じゃないですか。僕はそういう風に言われても全然そういう認識はなかったですね。清水FC、静岡FCの選手と、やっぱり成岡かな。まあ各地域にそういう選手が1人はいた感じですよね。
Q:「浜松だったら俺だったぞ」というのもないんですか?
A:浜松だったら... 俺だったかもしれないですね(笑) 浜松はJFCが一番強いですから。
Q:中学時代のチームはジュビロSS浜北だと思いますが、それは浜松のチームだからという感じですか?
A:そうです。僕の中学校はサッカーが強くなかったので、浜松JFCで一緒にやっていた選手がジュビロ浜北に行くという流れがありましたし、僕もそこに行ってやりたいなという感じでした。
Q:ジュビロSS浜北は強いチームだったんですか?
A:まあまあじゃないですか。僕が中学3年の時はクラブユース選手権に出たのかな。僕らの時は磐田のジュニアユースはたぶんなかったと思うんですよ。だから、掛川と磐田とかにサッカースクールがあった中で、浜北が一番強かったです。
Q:この間対戦した磐田の太田吉彰選手も浜北ですよね?
A:そうですね。僕の1個上で一緒にやっていました。ヨシ君の存在は小学校の時から知っていました。有名でしたから。浜北キッカーズというチームでやっていました。
Q:ジュビロ浜北はJクラブの下部組織ですけど、指導される内容も刺激的なものが多かったという感じでしたか?
A:うーん... あまり覚えていないですね(笑) 小学校の頃は選抜チームの監督やコーチが怖過ぎて、本当に練習に行くのが嫌なくらいの時もありましたからね。試合は良いんですけど、練習が厳しくて。というのがあって中学に行って、あまりそんなことは考えていなかったかなあ。僕は中学1年も中学2年も単純に実力がなくてほとんど試合に出ていなかったので。
Q:中学時代はサイドバックもやっていたんですよね?
A:基本的にはずっとフォワードなんですけど、中学3年の時に試合に出られなかったので、「サイドバックをやってみたら?」という感じにコーチが考えたんだと思うんですよ。そこで僕も「試合に出られるんだったら良いです」という感じでやって。あまり試合に出ていなかったんですけど、それでやったら何故か偶然にもU-15の日本代表に選ばれて。
Q:DFで選ばれたんですね(笑)
A:DFで選ばれたんですよ(笑) それで代表に行って、「ああ、こんな世界もあるんだ」と思いました。でも、1回きりで終わって、それからほとんどサイドバックはやらなくなって、中学の最後の方はまたフォワードをやったんですよ。だから、サイドバックをやった期間は本当に凄く短かったんです。で、僕が行くことになる浜名高校とジュビロ浜北が試合をすることがあって、その時に僕はフォワードで出ていたんですよ。そうしたら、点も取って良い結果も出て、その浜名高校の監督は僕を「フォワードとしてプレーさせたい」ということになったらしく、高校に行ったら僕も「ディフェンダーなのかな?」と思っていたらフォワードになって(笑)、そこからもうずっとフォワードでした。
Q:でも、数ヶ月しかやっていないサイドバックの時期に代表へ選ばれるって凄くないですか?(笑)
A:たまたま見た時に何かが良かったんでしょうねえ。
Q:自分でも数か月のサイドバックに手応えはあったんですか?
A:全然わからないです(笑) 中学校の時のコーチに「話がある」って呼ばれて、「何だろう?」と思って。確かハイエースみたいなのの中に呼ばれたんですけど(笑)、「オマエ、代表に選ばれたぞ」みたいなことを言われて。でも、最初意味がわからなくて。そもそも何の話なのかよくわからないですし、そういう代表があるというのも知らなかったですし、イメージとしてはそれこそ昔の浜松JFC的な、凄い人数が集まってやる代表なのかなと思って行ったら、結構人数も少なかったですし(笑)、Jヴィレッジに集まってやったかなり本格的な代表で、「はあ」みたいな感じでした。当時の代表には菊地直哉とかがいたりして。そういう感じでしたね。
Q:その代表招集はかなり刺激になりましたか?
A:かなり刺激になりましたね。本当に1回きりしか呼ばれなかったですけど、「こういう世界が本当にあるんだ」と思いましたし、「こういう所でまたサッカーしたいな」とずっと思っていました。それで、そういう選手が新聞とかに出ていて、「凄いなあ。自分も頑張らなきゃな」とか思っていたら、高校1年の冬、2月か3月ぐらいにまた代表に呼ばれて。
Q:今度はフォワードとしてですよね?
A:フォワードとしてです。
Q:そう考えると、U-15の代表で得た刺激が後々のU-17の代表にも繋がっていった部分が大きいんですね。
A:そうですね。U-15の時は本当によくわからずに行って、ただこなして終わったという感じだったんですけど、「何かインパクトを残さなくてはダメだ」とその時に思ったんですね。「自分の良さを出さなきゃダメだ」と。それで、「代表に呼ばれた時にそういうプレーをしなきゃいけない」とずっと思っていたので、15歳の時に初めてそういう所に行って、そこで世界を意識するというか、「そんなことを考えてみんなサッカーやってるんだな」と思いました。パススピードとか、すべてが新しいというか刺激的でしたね。
Q:そうすると浜名高校はスカウトを受けてという感じになるんですか?
A:いえ、スカウトというか、公立校なので推薦はないんですけど、1個上の先輩が「来ないか?」と誘ってくれて、僕自身もジュビロのユースから声が掛かっていたんですけど、ジュビロのユースという選択肢もある中で、そうやって先輩が誘ってくれたのもありましたし、何より中学の時は学校生活があまり面白くなかったんですよ。学校が終わって、すぐ帰って練習に行くという生活が面白くなくて、「学校でサッカーをやるのが良いかな」という感じで選びましたね。
Q:高校選手権は念頭にあった訳ですか?
A:そんなに強い気持ちは多分なかったです(笑) 静岡だったら清商に行くとか、藤枝東に行くとか、静学に行くとかあると思うんですけど、そういう選択肢は自分の中にはまったくなかったので。「自分が家から行ける範囲の中で、地元の浜松の中で強い高校に行けたらいいな」という感じで、親元を離れて行くとかいう気持ちはなかったですね。勇気もなかったと思いますけど。
Q:当然浜名高校も強い学校で、3年生の時はインターハイ県予選で準優勝していたり、選手権予選でも毎年良い所まで行っていたと思いますが、高校時代は振り返ってどういう3年間でしたか?
A:楽しかったです。サッカーも楽しかったです。自分が高校1年や2年の時は、1つ上の先輩たちに負けたくないというか、「あの人たちより上手くなりたい」という気持ちでずっとサッカーをやっていましたね、だから、「練習したい」「サッカーしたい」という気持ちが凄く強かったです。
Q:1年生からレギュラーだったんですよね。選手権予選でベスト4に入って。
A:静岡北がベスト8だから、清商がベスト4ですね。1対2で負けちゃったんですけど、僕はその試合で点を取ったんです。その当時の清商って小林大悟選手とかいて凄く強いと言われていた中で点を取ったということで、凄くインパクトがあったと思うんですけど、そういうのもあってその後でU-17の代表に呼ばれたのかなと思っています。
Q:選手権予選も毎年良い所まで行きながらも、3年時は浜松湖東に負けてベスト8ですよね。
A:浜松湖東には初めて負けたんです。今まで1回も負けたことのないチームに、最後の最後で負けました。
Q:先ほど入学時は選手権へのこだわりはそれほどなかったとおっしゃいましたが、在学中に少しその想いは変化していきましたか?
A:うーん、どうですかね。もちろん選手権に出たくてやっていたんですけど、全国大会というものがあまり身近になかったというのもあるかもしれないですね。行ったことのない場所だったので、あまり現実的に捉えられなかったのかなと。実際に高校選手権に出ていた選手に比べれば、そういう熱量は全然違ったのかもしれないです。何なんですかね。もちろん出たかったんですけど、きっと強豪校って周りのプレッシャーも凄いじゃないですか。「出て当たり前」みたいな。そういうのがなかったというのもあるかもしれないですね。
Q:当時の同級生とは今でも仲が良いですか?
A:普通です(笑) 年始は今でもみんな集まりますね。いつまで経っても変わらない感じです。
Q:実際にU-17ワールドカップで感じた世界はやっぱり強烈でしたか?
A:そうですねえ。僕らのグループにいた2つのチームが決勝で当たっちゃいましたから。「本当にこういう選手が同年代にいるんだ」ということだったりとか、「世界で戦うということはそんなに甘いモンじゃないんだな」というのも肌で感じましたし、あの当時にそういう経験をさせてもらえたというのは自分にとって本当に大きいですね。
Q:あの大会のメンバーは今でも一線でプレーしている選手が多いと思いますが、当時のチームメイトの活躍は矢野選手にとっても大きな刺激になりますか?
A:刺激になりますね。やっぱり同年代の選手がそうやって頑張っていたら、「自分も負けてられないな」と思いますし、その選手たちに負けないように頑張ろうという気持ちは、僕だけじゃなくてたぶんみんな思っていると思うんですけど、それはお互いに良い刺激を与え合っているんじゃないでしょうか。
Q:当時のチームメイトは戦友みたいな感覚ですか?
A:U-17のワールドカップに一緒に行った選手だと、一緒にもちろん戦ってきた仲間ですし、だからこそそういう選手と対戦することがあれば負けたくないですし、その選手が頑張っているんだったら自分ももっと頑張りたいなという気持ちにさせられますね。
Q:でも、特に静岡は谷澤達也選手や杉山浩太選手もまだJリーグで頑張っていますけど、それってかなり凄いことですよね。
A:本当に凄いことですよね(笑) だって、僕らも高卒だったらもう14年ぐらいプロでやっているんですけど、そういう選手がまだJリーグで試合に出て活躍しているというのは、本当に凄いなあと思いますけどね。
Q:自分が30代になってJリーグでサイドバックをやっているなんて、きっとあまり想像できなかった未来ですよね。
A:いや、まったく想像していないですね(笑) まず、プロを始めた頃に30歳までサッカーをやっているかどうかも不安でしたからね。本当に30歳の人って「"オッサン"だ」と思ってましたから(笑)
Q:逆に言うと、何が30歳を超えるまで自分にサッカーをさせてきた理由だと思いますか?
A:やっぱり勝った瞬間とか、点を取った瞬間とか、そういう喜びを知っているので、そういうのは何回味わっても良いですし、何回でも味わいたいと思うということと、やっぱりもっと上手くなりたいとか、そういう気持ちがあるから今でも頑張れるのかなと思いますね。
Q:そういう気持ちって尽きないものですか?
A:そんなことないですよ。そんなことないというか、本当に自分の中で燃やす燃料がない時期もありましたし、自分の中では頑張ってやろうとしているんですけど、気持ちが入って行かないとか、そういう時期もありましたね。
Q:それはいつ頃ですか?
A:一番そうだったのは2012年のドイツから帰ってきた頃ですかね。自分的には「やらなきゃいけない」とか「頑張っているつもりだ」という気持ちがあるんですけど、何か自分の中が空っぽというか、体を動かしていても気持ちが全然入って行っていないという感じの時はありました。その頃は苦しかったですけどね。
Q:それは海外移籍も達成した後で、日本に戻ってきたということが大きかったですか?
A:どうなんですかねえ... そこで帰ってきて、自分としては「何やってるんだろうなあ」という気持ちもあったと思いますし、もちろん後悔や悔しさとかもありつつ、現実をなかなか受け入れられない状況が続いたのかなとも思いますけどね。
Q:そんな状態からどうやってまたサッカーをするモチベーションを立て直したんですか?
A:「自分の中で燃やすものがないと力が入らないな」と思いながらも、「このままじゃいけない」という気持ちもずっと持っていましたし、うーん、何なんでしょうね(笑)
Q:でも、それを乗り越えて30代でまだバリバリプレーしているって素晴らしいことですね。
A:そうですね。本当にそういう状態の時に名古屋に声を掛けてもらって移籍したりとか、そういう色々なきっかけがあって今に至るのかなと思います。
Q:今はサッカーをやっていて楽しいですか?
A:楽しいですね。楽しいというか、もっと上手くなりたいという気持ちが今は凄く強いです。
Q:これを最後の質問にしたいと思っていて、大井選手にも聞いたんですけど、あえてザックリ聞きますけど夢ってありますか?
A:夢ですか... 夢はやっぱりサッカーを長く続けたいなと思っています。どのくらいまでとかはないですけど、ウチには今年40歳になる楢﨑(正剛)選手がいますし、本当にそういう素晴らしい見本が目の前にいるので、それは本当に勇気付けられるというか、本当に凄いなと思いますし、そういう選手を見ていると1日でも長くプロのサッカー選手でいたいなという気持ちはありますね。まだ若いモンには負けないように頑張ります(笑)
【プロフィール】
浜名高から2003年に柏へ加入。新潟、フライブルク(ドイツ)を経て、2013年より名古屋でプレー。高校2年時にFIFA U-17 W杯に出場し、2010年には南アフリカW杯を戦う日本代表に選出。カメルーン戦に途中出場し、チームの勝利に貢献した。
※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。
ご了承ください。
取材、文:土屋雅史
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