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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

2020年03月04日

Pre-match Words ~ヴァンフォーレ甲府・下田北斗編~(2015年9月25日掲載)

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【Pre-match Words ヴァンフォーレ甲府・下田北斗編】

(2015年9月25日掲載)

Q:序盤戦で監督が替わる前は、なかなか出場機会がない時期が続いたと思いますが、そういう時はどういうことを一番考えて練習されていましたか?

A:「試合に何となく絡めそうだな」とか「絡めないな」というのは週の半ばぐらいからわかってくるので、もう単純に「この試合は厳しそうだな」という時は自分で負荷を上げたり、ゲームがなかなかできないので自分でコントロールして足りない所を補ったり、少し追い込んだりしてやっていましたし、「チャンスがありそうだな」という時はしっかり試合に向けて準備をするようにしていました。

Q:ファーストステージで言うと16節の清水戦(〇2-0)はJ SPORTSの中継でしたが、あのゲームで記録したアシストは会心のプレーだったんじゃないですか?

A:そうですね。1本目は思い切り良くクロスを上げて、バレーがうまく合わせてくれてというのと、2つ目は(伊東)純也の特徴はわかっていますし、相手の後ろのスペースがあったのもわかっていたので、うまくタイミングを合わせてやれたのかなと思います。

Q:セカンドステージの浦和戦(第5節 △1-1)でも伊東選手へのアシストがありましたが、あのプレーに関してはいかがですか?

A:自分が前を向いて少し時間がある時に走り出してくれるのでボールを出して、あとは純也がやってくれたという感じですね(笑)

Q:2人のコンビネーションは"天城越え"と呼ばれているらしいですね(笑)

A:ああ、なんかサポーターの方からたまに言われるんですけど。あまりよくわからないです(笑) まあそういう風に言ってもらえるということは嬉しいことです。

Q:やっぱり伊東選手とのコンビネーションに関しては、やりやすさがありますか?

A:そうですね。やっぱり良いタイミングで走ってくれますし、たぶん自分のことを信じてくれているというか、信頼してくれているというのもあると思いますし、自分も信頼して見るようにしているので、そこは大事にしています。

Q:セカンドステージも含めてこれだけずっと試合に出続けている中で、チームの中心選手としての自覚というのはだいぶ出てきていますか?

A:そうですね。試合に出させてもらっている以上、責任はあると思いますし、自分自身もしっかりそういうのは自覚してやっているつもりなんですけど、まだまだベテランの方というか、先輩たちに頼ることが多いですし、まだまだですね。

Q:周囲に本当に大ベテランと呼ばれるような方がいっぱいいらっしゃって、そういう所でチームの雰囲気が落ち着いたりする所はありますか?

A:間違いないですね。もう経験が普通の方と違うと思うので(笑)、落ち着いていますし、どんな状況でも慌てないですし、凄くそういう面では自分たちが勝手にモチベーションが高くなり過ぎた所でも落ち着かせてくれたりとか、バウルさん(土屋征夫)は神戸戦(2nd-第8節 〇1-0)の前になかなかチームが勝てていなくて、円陣の時に俺がちょっと気合いの入った顔をしていたら「いや、笑えよ」と言ってくれて(笑)、ちょっとリラックスさせてくれたりとか、そういうのはありますね。

Q:今日の練習を見ていてもベテランには良い意味での余裕を感じる所がありましたが、あれは年齢や経験を重ねてきた所から来るのか、それとも甲府のベテラン選手たちがそういうキャラクターなのか、どちらだと思いますか?

A:どうなんですかね。自分も甲府でしかプレーしたことがないのでわからないですけど、あの方たちはそういう雰囲気を出してくれているんじゃないかなと思います(笑)

Q:少し結果が出ていない時期ですが、今日も練習の雰囲気は良かったように見えました。そのあたりに関してはいかがですか?

A:そうですね。そんなに悪くはないと思うんですけど、もう少し自分とか若手が声を出したりして、もう少し活気があっても良いのかなという時もありますね。

Q:結構若手がおとなしい感じですか?

A:どうなんですかね。他のチームはわからないのでアレなんですけど、もう少し声を出してもいいのかなという気もしますね。

Q:それは自分も含めてですか?

A:そうですね。はい。

Q:あまりそういうのは得意ではない感じですか?

A:まああまりグイグイ行く方ではないと思います(笑)

Q:そういう若手って全然いないですか?

A:畑尾(大翔)さんはそういうのがあると思うんですけど、なかなか... わからないです(笑)

Q:チームの中でのキャラクターってあると思うんですけど、そういうので考えると下田選手ってどういう立ち位置なんですか?

A:どうなんですかね。自分的にはひっそりコツコツやる方かなと思っているんですけど、そんな目立つ方ではないと思います。

Q:それをちょっと変えてやろうみたいなのはあるんですか?(笑)

A:いや、まあそんな急には変わらないので。徐々には(笑) でも、そんなに変わらないのかなと思います。

Q:ご自身としては残りの試合で「こういうプレーをしたいな」というような目標はありますか?

A:チームの戦術をまずは理解して、守備から入ってしっかりゲームを創るというのと、あとはボールを受けて出して前に出て行って、得点もまだ1点しか決められていないので得点を決めたいですし、目に見える結果という得点かアシストをできればと思っています。

Q:具体的に思い描いている得点やアシストの数はありますか?

A:そうですね。あまり得点できるチームではないので、自分が言うのもアレですけど。まあベストは2ゴール2アシストぐらいはできると楽になるのかなとは思いますけど、それより上でもいいと思います。頑張りたいですね(笑)

Q:今シーズンは新潟戦(1st-第14節 〇2-0)でゴールを決めていると思うんですけど、ちょっとDFに当たったような形でしたよね。スッキリ決めたいというような感じはありますか?

A:そうですね。ありますけど、あまり欲ばかり出しても仕方ないので、虎視眈々とというか、ひっそり狙っていければと思っています。

Q:基本的に色々なことをひっそり狙っているタイプですか?(笑)

A:あまり派手な方じゃないので、まあ地味にやろうかなと思っています(笑)

Q:個人的に前から気になっていたことがあって、基本的に左利きのボランチはドイスボランチの時に左をやることが多いと思うんですけど、下田選手は右のボランチに入る時もありますよね。あのボランチの左右って実際にプレーへ大きな影響を与えますか?

A:自分自身で言うと、最初はやっぱりちょっと違和感はあるんですけど、やっていく内に自分の考え的にはそんなに感じないですね。周りの選手も違いますし。少し違和感はあるんですけど、そんなにメチャクチャやりづらいとかはあまりないですね。

Q:左利きだと体の開き方も含めて、当然左へ蹴る方がボールを蹴りやすいと思いますが、ボランチの左右が入れ替わるとパスを出す角度も変わってくると思うんですけど、そこもそんなに気にならないですか?

A:そこは少し変わってくると思うんですけど、ボールの受け方で何となくは修正できると思うので、そんなに特別何かというのはないですね。

Q:そのへんの左右のボランチの使い分けに関して、監督はどういう風に考えて使い分けていると下田選手は思いますか?

A:この前に限っては川崎戦(2nd-第10節 ●1-3)で自分は左のボランチをやっていたんですけど、その前の所で中村憲剛選手に結構ボールを出されて苦しかったというのもありましたし、たぶん左と右のバランスを考えて左右を変えたのかなという風に思います。

Q:相方はマルキーニョス・パラナ選手のことが多いですけど、今までのキャリアでもなかなか外国籍選手とコンビを組むというのはなかったと思いますが、そのあたりの連携はいかがですか?

A:最初は少し戸惑った所もあったんですけど、長くやる内に何となくやりたいプレーもわかってきましたし、パラナも自分のやりたいようなプレーをわかってきてくれているので、特に今は問題ないかなというのはあります。

Q:何語で話しているんですか?

A:言葉はあまりないかなと思うんですけど、ボディランゲージとか、「パス、パス、パス」みたいな(笑) 何となくで。指示とかはたぶん「ミギ」とか「ヒダリ」とかは何となくわかると思うので、それは声を掛けていますけど、あとはあまり。本当に困った時はハーフタイムとかに通訳の方もいるので話してもらったりしています。

Q:心が通じ合ってきたという感じですか?

A:どうなんですかね(笑)片道だとちょっとアレなんですけど、ちょっとはわかってくれているのかなと思います。

Q:ここからはキャリアの話を聞かせて下さい。平塚のご出身だと思いますが、小学校の時に所属されていたチームは強かったんですか?

A:小学校は県大会があるんですけど、最後に中央大会というのがあって、そのベスト32ぐらいに出られるかなぐらいの感じでしたね。

Q:小学校時代のチームはプロフィールを拝見すると2チームの記載がありましたが、途中でチームを変わられたんですか?

A:そうですね。最初は自分の小学校の近くのチームでやっていたんですけど、少しやり方が合わないと言ったら何か偉そうですが、「チームを変えてみようかな」と思って、友達のいるチームに移りました。

Q:ちなみに小学校の時は市の選抜や県の選抜には入ってらっしゃったんですか?

A:市のトレセンには入っていましたね。でも、県選抜なんて話は全然なかったです。

Q:中学も平塚の江陽中学校でサッカー部に入っていたんですよね?

A:はい。普通にサッカー部でやっていました。

Q:部活でやっていた理由って何か特別なものがあったんですか?

A:いえ、特にないですけどクラブチームに行く程のレベルも気持ちもなかったので、自分は「中学校で普通にやれればいいかな」と思っていました。

Q:中学の時は選抜に入ったりしていたんですか?

A:中学の時にはいくつか選抜が地区によって分かれていて、平塚は中地区という所だったんですけど、その選抜には入っていました。県選抜には入っていなかったです。

Q:その頃は県選抜ってどういう存在でしたか?

A:もう単純に凄い人たちが行く所という感じでした(笑) 体も小さかったですし、なかなかそういう所に選ばれるイメージもなかったですね。もちろん「行ければいいな」とは思っていましたけど、「絶対に行くぞ」という感じではなかったですね。

Q:神奈川の高校サッカーは比較的色々なチームに選手権で全国へ行く可能性があると思うんですけど、その中で選手権には出たことのない大清水高校を選んだ理由は何だったんですか?

A:その時は実力もあまりなかったですし、「家から通えて、神奈川県でベスト8ぐらいに行けるチームはどこかな」と思った時に大清水高校だと。まあ学力的にも近い感じだったので(笑)、そこにしました。

Q:例えばそんなに強い学校じゃなくても、「仲の良いメンバーと一緒に入学して、その高校を俺たちが強くしてやるんだ」みたいな話は聞きますけど、そういう感じですか?

A:いや、知っている人は1人もいなかったです(笑) トレセンのチームのメンバーは桐光学園に行った人もいましたけどね。

Q:そうすると高校を決める時は「選手権に行ってやるぞ!」というノリではなかった感じですか?

A:そうですね。でも、神奈川はどこが全国に出るかわからないので、万が一チャンスはあるかなと... いや、万が一というか(笑)、ひょっとしたらぐらいで考えていました。「行きたいな」とは思っていましたけどね。

Q:ユニバで一緒だった菊地俊介選手(湘南)は伊奈学園総合という高校のご出身ですけど、やっぱり選手権には出たことのない高校で、「俺が選手権に連れて行ってやる!」と思って入学したとおっしゃっていました。

A:本当ですか。強気ですね、アイツ(笑) 俺はそういうのはなかったですよ。入ってからは本気で選手権を目指していましたけど、最初は「出られたらいいな」という感じでしたね。

Q:実際に大清水高校での3年間はいかがでしたか?

A:コーチの方も監督の方も熱心で、他のチームメイトのみんなも本当に一生懸命やっていましたし、凄く良い雰囲気で凄く楽しかったですね。

Q:3年の関東大会予選で優勝していると思いますが、その頃はかなり手応えがあったんですよね?

A:そうですね。「結構神奈川県内だと行けるな」というのがあったんですけど、そんなに甘くはなかったです(笑) インターハイはベスト16で、選手権はベスト8で負けました。選手権は武相に負けたんですけど、自分たちの代は武相が全国に出たので、それも悔しかったです。

Q:今までの流れで行くと、もう高校でサッカーを辞めちゃいそうな感じにも聞こえますけど、大学では元々サッカーをやろうと思っていたんですか?

A:関東大会に出て、優秀選手に選んでもらったんですよ。そこで少し自信というか、「大学でもやってみたいな」と思って、大学を探し始めた感じですね。

Q:専修大は推薦入学ですか?

A:そうですね。自分でセレクションを受けに行って、そこで推薦で獲ってくれるということだったので決めました。

Q:いくつか選択肢がある中で専修大だったんですか?

A:あとは神奈川大ですね。神大は純也もそうだと思うんですけど、当時の監督の方が結構神奈川の選手を集めてやろうという感じだったので、それで話も戴いていました。あとは結果的にダメだったんですけど、法政大にも練習参加しましたね。あとは専修に行った中で、自分のスタイル的に専修が合うかなと思って決めました。

Q:その選択は結果的に大成功だったと思いますが、入学当初からゲームに出ていた感じですか?

A:そうですね。Aチームには一応入れさせてもらっていたものの、メンバー外とかたまにベンチとか。1試合ぐらいはリーグ戦にも出たことがあると思うんですけど、それぐらいだったと思います。

Q:高山選手(高山薫・湘南)がいて、藤本選手(藤本修司・VONDS市原)がいて、1年の時のチームは強かったですよね?

A:凄く強かったと思います。1年生の時はプレーするだけでいっぱいいっぱいだった記憶がありますね。あまり余裕もなかったですし、体の強さも違って少しびっくりしました。全国大会の常連校とか、Jクラブのユースの選手と一緒にサッカーするのも初めてだったので、最初は名前負けしていました(笑) でも、強気に言えば同い年にも有名な高校やユースの出身者はいっぱいいたんですけど、11の個で考えても「そんなにメチャクチャ負けている訳ではないな」と思っていました。

Q:2年生の頃は完全にチームの中心だったと思いますが、その頃から自分の力が飛躍的に伸びたりとか、周囲から見られる目が大きく変わったりというのは感じていましたか?

A:そうですね。2年生の前期のラスト何節かぐらいから試合に出始めたと思うんですけど、そこでうまくチームも勝てて、天皇杯予選で東京の決勝まで行ったりして、チーム全体で凄く自信を持ってやれていたと思うので、その中で試合に出られていたのは凄く大きくて、自分も自信を持ってプレーできていたのかなというのはあります。よりボールを受けるようになりましたし、より動くようになったとは思います。

Q:僕の勝手なイメージで言うと、当時の専修ってそれほど高校の時は注目を浴びていなかった選手たちが飛躍的に成長して、それがチームとしても強烈にうまく回っていた印象があったんですけど、そのあたりってどういう所から来ていたと思いますか?

A:ウチの大学は練習もメリハリが凄くありました。午後はグラウンドが使えないので朝練しかなくて、7時から8時半ぐらいでやっているんですけど、「もうその間でやるしかない」というのも選手自身でわかっていますし、監督やコーチもわかっていますし、その中で最大限集中してやろうというのがあったので、ダラダラした感じは一切なかったです。常に練習に身が入っているというか、集中した状態でできていましたね。

Q:朝にしか練習がないと授業が終わった後って凄く時間があると思いますけど、みんな何をしていたんですか?

A:自分はもう家に帰ってひたすらダラダラしたり、たまに筋トレに行ったりとかしていたんですけど、たぶんみんなも何もやっていなかったんじゃないですか(笑)

Q:時間があるということはみんなで遊びに行ったりもできる環境だと思うんですけど、そういうのもあまりなかったですか?

A:自分は実家だったので、朝450分くらいに家を出ていたんです(笑) だから、そんなに遊ぶと12時に寝ても4時間半ぐらいしか寝られないので、そこは少し気を付けていましたね。最初は戸惑いましたけど、今となっては朝に短い間で集中してやれたのは良かったと思います。他の大学の話を聞くと、授業がバラバラなので選手が集まらなかったりとかするらしいんですけど、朝ならみんな基本的に集まれるので、朝練というのは良いと思いますよ。まあ、ウチはグラウンドが1つしかなくて、アメフト部が午後は使うということになっていて、朝はサッカー部が使うという流れだったので、必然的に午後はグラウンドが使えないし、自主練もできないという感じだったんですよね。

Q:それであれだけの結果が出るって凄いですね。

A:たまたまうまくいったんじゃないですかね。

Q:いやいや、たまたまうまくいってリーグ戦3連覇できますか?(笑)

A:どうなんですかね。まあ良い選手の巡り合わせというか、良いタイミングでみんなが集まったんじゃないかなというのはあります。

Q:先ほどもちょっと言いましたけど、あまり高校時代に実績のなかった選手たちが多かっただけに、「有名な高校出身の選手や有名な大学には負けないぞ」みたいな反骨心ってありましたか?

A:どうなんですかね(笑) 他の選手はどうかわからないですけど、自分はそういう有名な選手すら知らないという感じだったので、最初の方は対戦相手の選手をパンフレットで見て、「ああ、あの高校出身なんだ。スゲーな」みたいな感じでした。

Q:パンフレットとか見るんですね(笑)

A:見ます、見ます(笑)

Q:いつ頃から「自分も大学の中ではある程度やれる」とか、「プロに行きたい」とか、そういう感じが芽生え始めたんですか?

A:それは2年の時にリーグ戦も優勝して、インカレも優勝できて、選抜にも選んでもらって、そのあたりから「プロになれるのかな」というのは少し思いましたし、あとはジェフユナイテッド千葉のスカウトの方に練習に呼んでもらえたりして、そこでプロの選手と間近で一緒に練習する中で、どういう人たちがプロになるかというのを感じることができました。3年生になる前にキャンプに行かせてもらったんですけど、その時は結構いっぱいいっぱいでしたね。「できるな」という所もありましたし、当然「できないな」という所もあったので、それがわかったのは大きかったですね。

Q:大学時代って下田選手にとっても当然ものすごく大きな4年間だったと思うんですけど、あえてザックリお聞きしますが振り返っていかがでしたか?

A:自分のサッカー人生に一番影響を与えてくれた4年間でしたね。やっぱり楽しかったですよ。特に2年生のリーグ戦で優勝した時とインカレを獲った時は、他のチームに失礼な言い方かもしれないですけど、"やれば勝つ"みたいな感覚があって、実際にほぼ試合も負けていないですし、相手うんぬんよりも自分たちのサッカーをすれば絶対に勝てるという自信はありました。

Q:そんなの、メッチャ楽しいですよね(笑)

A:そうですね。凄く楽しかったですね(笑) やりたいようにやらせてもらっていたので。

Q:プレー面での規制もあまりなかった感じですか?

A:全然ないですね。こう動いたらこうというのは多少ありますけど、ガチガチに「こうやったらこうやれ」というのはなかったですし、凄く選手の自主性を考えてくれていたので、自分たちがピッチ内で話し合って、「ここがこうだからこうしよう」みたいなコミュニケーションがみんなで取れていたのかなと思います。

Q:ここまでのお話を聞いていると、特に小学校や中学校の頃は自分がプロになるなんて考えていなかったんじゃないかなと思いますけど、実際に今プロになってみていかがですか?

A:確かに小学校の頃もそうですけど、高校の頃もプロへのなり方もわからないですし、どうやったらなれるかもわからなかったので、そこから考えるとちょっとは頑張ったのかなと思います(笑)

Q:ちょっとですか(笑)? だいぶじゃないですか?

A:周りの人との巡り合わせの運が良かったというのは物凄く感じますね。

Q:プロでサッカーをやるってどういう感覚なんですか?

A:やっぱりお金をもらっていますし、サポーターの方にもお金を払って見に来ていただいているというのがあるので、それなりの責任感と自覚というのは少しずつ芽生えてきたのかなというのはあります。

Q:プロでサッカーをやるというのは楽しいものですか?

A:楽しいですけど、大学の時とはまた違った楽しさというか、厳しさも当然ありますし、そのあたりを少しずつ学んでいると思います。周りにレベルの高いチームメイトがいて、対戦相手にもいて、そういう選手たち相手に少しずつ自分のプレーが通用していくと、「成長しているな」とか実感できたりするところもありますけど、そういう所は大学の時からあまり変わらないですね。

Q:最後にお聞きしたいんですけど、夢ってありますか?

A:夢ですか... サッカーをやっている限りは日本代表でプレーしたいというのはありますし、まだまだ現状を考えると遠いんですけど、少しずつでも近付けて行けるように頑張っていきたいと思います。

Q:ちなみにサッカー以外の夢ってありますか?

A:サッカー以外の夢ですか... そうですねえ... 常に思っている訳じゃないですけど、「ゆっくり過ごしたいなあ」みたいな(笑) サッカー選手が終わったら、のんびり暮らす時間もいいかなあと。もう小中高とずっとスケジュールが決まっていて、夏休みもあるようでなかったような感じだったので、本当に「ボーッとできたら楽しいな」とか「でも、結局動きたくなるのかな」とか(笑)

Q:本当はのんびりしたいタイプなんですね(笑)

A:今は仕事で動いているから、休みの日はインドアであまり出掛けないですけど、これが普段動かなかったら逆にアクティブになるのかな、とかはちょっと楽しみですね。太っちゃうのかなとか(笑)

Q:まあ今はもうしばらくサッカーを頑張るということですね(笑)

A:そうですね。頑張ります(笑)

【プロフィール】

専修大時代には関東大学リーグ3連覇という偉業を主力として達成し、自らも4年時はリーグMVPに選出される。2014年に甲府へ加入。1年目はリーグ戦11試合に出場すると、今シーズンは監督交替を機にレギュラーを奪取。貴重なレフティのボランチとして存在感を放っている。


※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。

ご了承ください。

取材、文:土屋雅史

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