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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。
【Pre-match Words 柏レイソル・中谷進之介編】
(2016年4月29日掲載)
Q:かなり色々なことがあった序盤戦だと思いますが、今シーズンのここまでのチームのパフォーマンスをどのように捉えてらっしゃいますか?
A:まず結果の出ない時期が続いたので、その中でもチームの雰囲気は悪くなかったですし、本当に紙一重の所でやられていたというのが多かったですけど、今はその紙一重の所で勝てていると思います。自分としてはもっと圧倒的に勝ちたいですし、その方が成長している感じがあるので、そこが大事だと思いますし、本当に紙一重の勝負で勝てているか、勝てていないかだと思っています。
Q:周囲は当然そう見る訳ですが、やはり監督が替わったというのはチームの大きなターニングポイントと言って良いのでしょうか?
A:僕は前の監督のメンデスさんにも使ってもらっていた選手なので、結果が出せなかったということに関して、選手の責任でもありますし、そこは本当に申し訳ないなと思っています。シモさん(下平隆宏監督)になって1人1人の戦う気持ちだったり、オーガナイズされた中で自分たちの個を出せるというのはあったので、そこは変わった所かなと思っています。
Q:実際に志向しているサッカー自体もメンデス監督と下平監督だと違いはあると思いますが、そのあたりは選手たちも感じてらっしゃいますか?
A:そうですね。ボールを持てるようになったというか、自分たちが落ち着く時間ができたので、そこは本当に変わった所だと思います。
Q:ここまでのリーグ戦ではフィールドプレーヤーで唯一フル出場が続いています。自分の中で「去年と違うな」と感じている所はありますか?
A:いや、特にないですよ。やっぱり試合に出られるとオフの過ごし方という部分で、例えば試合の映像も凄く見ますし、試合のことを考えて色々と1週間を組み立てられるので、そこは変わった所です。でも、変わったのは試合に出られていることだと思っています。日常生活はあまり変わってないです。
Q:単純に意識の部分の変化で、ここまで試合に出続けられているということでしょうか?
A:去年も意識の部分は全然悪くなかったと思いますし、鈴木大輔さんという壁がいて、そこを乗り越えられなかった自分がいたので、変わったのはそこかなと思います。実際に大きな壁がなくなって、自分がその壁のような存在になることが、今は必要なのかなと思っています。
Q:試合に出続けることでプレー面の変化を感じることはありますか?
A:去年と比べて声を出すようになりましたね。去年ここ(日立台)のレッズ戦でJリーグの試合に初めて出た時には、大輔君に任せっきりでした。そこが去年の中で一番良くなかったと思うんですよ。だから、自分にとって相手がマスくん(増嶋竜也)だろうが、ジローさん(鎌田次郎)だろうが誰だろうが、自分が主導権を取ってやるんだという気持ちを持ってやっています。
Q:元々ユース時代からそういうタイプだったと思うんですけど、プロでゲームに出た時になかなかそれを出せなかったというのはどういう所からでしょうか?
A:去年はやっぱりちょっと自分の実力に自信を持てていなかったというか、一昨年は5試合連続で最後に出て自信も付きましたけど、去年は試合に出られない時期が続いて、急にポッと出た時の相手が首位のレッズというのがあったので、凄く緊張していましたね。
Q:逆に今は自信を掴みつつある感じですか?
A:まだまだ自信は掴んでいないですけど、そうやって見せないといけないですよね。今は全試合に出ている訳ですから、そういう存在になっていきたいですし、自分が引っ張っていかないといけないなとは思っています。
Q:今はユース時代に一緒にプレーしていた先輩や後輩が多く試合に出ていますが、そういう部分でのアドバンテージを感じる部分は大きいですか?
A:大きいと思いますよ。例えば自分が入ってきて欲しいポイントに(小林)祐介君が入ってきてくれたりとか、(中山)雄太が自分のカバーして欲しい所にいてくれていたりとか、それはずっと一緒にやってきているからこそのプレーだと思いますし、大きいですね。
Q:トップチームで彼らと一緒にプレーしているのは不思議な感覚もありますか?
A:そうですね。ここまでみんなが一気に試合に出ていることって今までないじゃないですか。僕より上の人がいるのは自然ですけど、僕の1個下の雄太が出るという状況は初めてなので、そういう意味でも不思議な感じはちょっとします。
Q:中山選手はかなり堂々とやっている感じがしますね。
A:いや、アイツは上手いですからね。うらやましいですよ、あの技術は。あんなに落ち着いてやれるのも(笑)
Q:かなり自信を持ってやっている印象がありますよね。
A:そうですね。ああやって堂々とやれるのは凄いですし、今は試合に出られて結果も残せているので、それが自信になれば凄く良いのかなと思っています。ちょっと上からですけど(笑)
Q:トップチームの監督になった下平監督にはユースの時も指導されていたと思いますが、今の下平監督の指導というのはいかがですか?
A:結構僕は気持ちの部分で育ててもらった部分が大きいのかなと思っていますけど、今プロで教えてもらっている感じだと、守備の部分の細かさというのもありますし、細かい所にこだわっていく姿勢は凄く感じます。
Q:ユースの時とだいぶ指導法が違うなという感じはありますか?
A:そこはないですけど、より一層細かいというか、ユースの時と同じような感じで他の選手にも接していると思います。僕らはユース出身だからメッチャ言われるようなこともないですし、みんなに対して平等に接してくれるので、凄くそこはありがたいです。
Q:去年も大谷選手が「ユースのサッカーを知っている選手が多いのは、練習をスムーズにやる上でも凄く大きい」と話していましたが、そういう部分は練習の中で感じますか?
A:例えばパス練習はどうしてもパターンの数が限られるので、「ああ、これはやったことがあるな」という練習がありますし、自分たちが手本になるというか、なるべく一番前に立ってやるようには意識しています。
Q:今のスタイルは特に足元の上手さがCBにも求められる中で、自分の強みを生かせるスタイルだなというのは感じてらっしゃいますか?
A:そこに自信を持っていなかったら、やっぱり自分ではなくなってしまうと思うので、そこは「相手が来てくれても問題ない」ぐらいの自信を持って、試合中からやれれば良いのかなと思っています。
Q:結構話を聞いていると、まだまだ全然自分の出来にもチームのパフォーマンスにも満足していない感じですね。
A:チームのパフォーマンスには満足していますけど、ちょっと鹿島戦(1st-第8節 〇2-0)は自分の感覚的にあまり良くなくて。だから、試合に出てこういう反省ができるのも去年とは違う所ですし、それがずっと自分が良い状態のまま、チームも良い状態ならなおさら良いですけど、今はまだちょっとあまり... 課題が見つかっている状態ですね。
Q:具体的に言うとどういう所が課題ですか?
A:1対1の対応で、ドリブルされた時にカイオ選手だったり土居(聖真)選手に抜かれてしまったので、そこは抑えないといけないですし、赤﨑(秀平)選手にゴール前で僕より前で触られたシーンもあったので、そういう所はセンターバックとしては物足りないのかなと思っています。
Q:今回の対戦相手の神戸に対する印象はいかがですか?
A:「人に来るな」と。「人に強く来るな」というイメージが強いです。
Q:相手にはレアンドロ選手がいて、彼とはマッチアップすると思いますが、彼を抑えるというのも1つのポイントですよね。
A:モンちゃんを抑えられたら一流の選手になれると思いますし、去年練習でやっていた限りはほぼほぼやられていたので、そこは「ちょっと成長したんだよ」というのを見せたいです。
Q:中谷選手もよく知るネルシーニョ監督についてはいかがですか?
A:それほど選手とコミュニケーションを取る監督ではないですし、どうしても僕たち若手は練習でひたすらアピールするしかなかったので、『練習からアピールをする』ということに関しては、あの1年で凄く身に付いたと思いますし、練習の中での"バチバチ感"だったりというのは、あの1年間があったからこそ身に付けられたものだとは思っています。
Q:終盤の連勝の時に続けてずっとゲームに使われていましたが、あれで「プロでやっていけるな」という手応えを掴んだ部分もあったのかなと思いますが。
A:掴みましたね。本当に。あれがなかったら1年目も試合に出られずに終わっていたと思うので、U-19(AFC U-19選手権)で負けて帰ってきて、すぐの試合の相手がガンバで、CBが僕しかいない状況だったんですけど(笑)、あそこで監督が使ってくれていなかったらと思うと怖いですし、本当に感謝しています。
Q:ここからは昔のことをお伺いします。選手名鑑を見ると最初のクラブは間野台SCとなっていますが、そのクラブがサッカーキャリアのスタートですか?
A:間野台SCのコーチがやっているスクールが幼稚園にあって、そこでちょっとボールを蹴ったりはしていましたけど、ちゃんと始めたのは小学校1年の時の間野台SCです。
Q:そこから小学4年生の時にレイソルジュニアへ入ったと思いますが、どういう経緯ですか?
A:チームメイトがテストを受けるというので一緒に行きました。でも、その時の僕はレイソルを全然知らなくて(笑) そこまでJリーグを見ていなかったので、1回だけ見に行ったことのあったF・マリノスしか知らなかったんです。それでチームメイトと一緒にテストを受けに行って、受かっちゃったという感じです(笑)
Q:それでもレイソルのアカデミーにはエリートが集まってくると思いますけど、どういう所が評価されたのだと思いますか?
A:その時の僕は足が速かったんですよ。小学校6年生くらいまでは。たぶんそこだと思います。
Q:その時のポジションはどこだったんですか?
A:トップ下をやってました(笑) トップ下かフォワードで、レイソルに入ってからも小学4年の頃は右サイドもやっていました。
Q:スピード系のトップ下ですか?テクニック系のトップ下ですか?
A:スピード系です。とりあえず突進系のイノシシタイプでした(笑)
Q:レイソルジュニアに入った頃は、当然周囲も上手かったと思いますけど、カルチャーショックのようなものはありましたか?
A:ありましたね。"ラダー"(※はしご上のゴムを使うステップの練習)とかあるじゃないですか。みんなできるのに全然できなかったですからね。僕は一番後ろで全然できなくて、そういう焦りもありましたし、みんな本当に上手かったです。僕は他のスクールとかにも行っていなかったのでビックリしましたね。
Q:そんな中で試合には出ていたんですか?
A:飛び級とかは全然なかったです。自分たちの学年の試合で言うと、小学4年の時はちょっと出ていましたけど、小学5年になって全然出られなくなりました。
Q:中谷選手が小学6年の時のレイソルは、全少の予選にAチームとBチームが出ていたと思いますが、あれはどういう振り分け方だったんですか?
A:Aチームの方が強いチームです。単純に実力で分けられていて、僕はBチームだったんです。6年生の時は僕の学年でAチームに入れなかった選手が5人しかいなかったのに、僕はその入れなかった5人になって、5年生中心のBチームになりました。でも、5年生だった山本健司(順天堂大)はAチームに行ったんです。
Q:それは複雑ですね。
A:Bチーム行きを言われた時は、帰りの電車でメッチャ泣きましたよ。1人1人面談があって、そこでAチームかBチームかを言われるんですけど、あの時は一番キツかったですね。
Q:「一番」ということは、今までのキャリアを振り返ってもということですか?
A:いや、それはちょっと言い過ぎですね(笑) でも、あの時は本当にキツかったです。柏から船橋までの30分間は、電車の中でずっと泣いていました(笑)
Q:もちろんBチームはAチームを倒して、全国に出てやろうというのがモチベーションですよね?
A:間違いないです。そうしないとジュニアユースに残れないというのがあったので、「とりあえず決勝まで行こう」というのはみんなで言っていましたけど、ベスト8で散ってしまいました。
Q:結局Aチームも全国には出られなかったんですよね?
A:そうですね。ベスト4で負けました。
Q:当時のジュニアのチームメイトは、そのままユースまで一緒の選手が多かったですか?
A:宮澤弘(仙台大)、中込暁(慶應義塾大)、大野嵩仁(城西国際大)ぐらいですかね。でも、ベスト4でレイソルのAチームに勝ったFC習志野に白井永地(水戸)がいて、そのままレイソルに来たんですよね。
Q:小学校の頃はちょっと苦い思い出という感じですか?
A:そうですね。地元のチームではブイブイ言わせていたのに、レイソルに入ったらしぼんでしまったので「これはヤバいな」と思っていました。
Q:それでもジュニアユースには昇格できた訳ですよね?
A:はい。そこがやっぱりレイソルのスタッフの方々の凄い所ですよね(笑) その時に全然ダメだった僕をジュニアユースに上げてくれたので、そこは本当に感謝しています。
Q:今から考えると自分がジュニアユースに上がれた理由は思い浮かびますか?
A:全然ないです。そこはわからないですね。本当に全然わからないです。
Q:中学時代をざっくり振り返ると、どういう3年間でしたか?
A:一番成長できたのかなと思います。タツさん(吉田達磨・現新潟監督)にも指導してもらえましたし、一番自分の中でも成長できた手応えのあった3年間でした。
Q:大会の結果も残せた3年間でしたか?
A:大会の結果はそこまで出ていないですね。3年の時も結果は出せなかったですし。でも、中学2年の時にタツさんの指導を受けられて成長できたなというのはあります。タツさんはその時に中学3年のチームの監督をしていて、僕は1つ上のチームでやらせてもらえたんです。
Q:そうすると中学2年は相当重要な1年間だったという位置付けですか?
A:相当大事な1年でしたね。1つ上の年齢のチームに上がるという経験も初めてでしたし、その時に飛び級させてもらって、高円宮杯にも一緒に出ることができました。練習自体が1つ1つ成長できる場だったので、凄く楽しかったです。
Q:1つ上の代はかなり良い選手が集まっていた代だと思いますが、その代の選手たちとその段階で一緒にやれたということも大きかったですか?
A:大きかったです。練習からみんな上手かったですし、中川(寛斗)君なんて本当に凄かったですからね。中川君、秋野(央樹)君、(小林)祐介君の3人と一緒にやれたのは大きかったです。
Q:ユース時代は2年生の時に全国優勝も成し遂げた訳ですが、ざっくり振り返るとどういう3年間でしたか?
A:うーん、何だろうなあ。高校3年間はプロになるためにひたすら努力した時期ですかね。1年の時はたまにベンチに入るくらいで試合には出ていなかったですけど、2年の時は今年みたいな感じでした。シーズンの頭からずっと試合に出させてもらっていました。
Q:あの2年生の時のチームでやるのは凄く楽しかったんじゃないですか?
A:楽しいですけど、僕たちにはほとんどボールが来ないので(笑) 中盤でできてしまうので、そこがあの世代の凄い所だと思いますけどね。たまに縦パスを入れて、あとは「中盤でどうぞ」という感じでやっていました(笑) ボールを回す時は回しますけど、みんな前を向けてしまうので、僕らの所までほとんど来ないこともありました。
Q:先ほどもちょっとお話ししましたけど、あの頃と今の下平監督って全然変わらないですよね。
A:あの頃も優しかったですし、本当に変わっていないと思います。ただ、優しかったですけど、たまに呼び出されて1対1で怒られることはありました。みんなの前ではあまり怒らないですけどね。僕らが高校3年になってからは厳しかったです。
Q:高校3年はなかなか結果が出ない中で、最後はプレミアリーグ昇格を勝ち取った1年でしたけど、高校3年の1年間というのは振り返るといかがですか?
A:人間的に成長しようとした1年です。成長できたかどうかはわからないですけど、成長しようとした1年でした。シモさんにも言われましたし、その時は強化部長だったタツさんにもその部分を言われました。2年生の時は結構自由にできていたので、ストレスもなくやっていましたけど、どうしてもうまく行かない時に自分の人間性が出るじゃないですか。そこは結構言われていましたね。どうしても1個上の代のチームと比べてしまいますし、3年生の時のチームの良さを生かそうとしましたけど、なかなかうまく行かない時期が続いたので難しかったですね。
Q:最後のプレミアリーグ参入戦は、前の年に最後の最後でプレミアに上がれなかったリベンジ的な要素もあって臨んだ大会だったと思いますが、あの大会は思い出に残っていますよね?
A:そうですね。やっぱりレイソルのユースはあそこで負けるのがそれまでの流れでしたし、どう見てもプレミアでやっていてもおかしくないチームが、ずっと県リーグやプリンスリーグで苦しんでいた流れがあったので、「ここで負けたら本当に何も残せないで終わるぞ」というのはみんなで話していました。最初にジュビロ(磐田U-18)に勝てたのが本当に大きくて、あそこでチームが乗ったので良かったですね。
Q:昇格を決めた時は中谷キャプテンもかなり泣いていましたよね(笑)
A:いや、あの時は拓也さん(松本拓也・現トップチームGKコーチ)が泣いていて、それにつられて泣いちゃいました。良い想い出です(笑)
Q:僕は凄く印象に残っていることがあって、トップに昇格した年のスタートミーティングで、当時の吉田(達磨)ダイレクターが「進之介はプロになるレベルではないけど昇格させる」という趣旨のことを言っていて、「こういう場で凄いことを言うな」と思ったんですけど、あれってご本人にとってはいかがでしたか?
A:その前にもそういうことを言われていて、「ああ、そういう評価なんだ」というのはもちろん思いましたけど、プロの世界は1回試合に出て活躍すれば、コロッと評価が変わるというか、「『自分はできるんだぞ』という所を見せれば良いのかな」と思っていました。正直1年目というのは自分の中で試合に出るような1年ではなくて、ひたすら自分を鍛えようと思っていましたし、しょうがないなと思って開き直っていました。それを聞いた母が僕に「大丈夫なの?」と聞いてきましたけどね(笑) 僕は大丈夫だと思っていましたけど、母が凄く心配していたのを覚えています。
Q:当時から「プロでやっていける」という確信はありましたか?
A:いえ、確信はないです。それでも練習するしかなかったですし、そこで井原(正巳・現福岡監督)さんが指導して下さったのは大きかったですね。もう練習で頑張るしかないと思っていました。
Q:今の成長速度というのは、プロになる段階でそういう評価を受けていたことから考えると、結構順調な速度だと思いますか?
A:実際に僕は世界に出て行きたいと思っているので、そう考えると全然速くないですね。もう21歳の世代ですし、去年ぐらいからバリバリのレギュラーで出ていないと、世界的に見ても遅いぐらいですから、今年はそれを挽回するためにやらないといけないなとは思っています。
Q:自分が今まで以上に成長速度を速めて行けるという自信は徐々に掴み始めていますか?
A:そうですね。試合に出て、自信を付けて、そこでまた成長するということを続けられれば良いなと思います。
Q:これを最後の質問にさせて下さい。今って楽しいですか?
A:うーん、それは難しいですね。やっぱり試合に出ることのプレッシャーもありますし、サポーターの方々に対するプレッシャーもありますし、そういうプレッシャーを楽しめる段階になれれば良いですけど、今はまだ慣れている段階という感じです。それも含めて、今は自分が『プロ』らしくなるための過程なのかなと思っています。
Q:「『プロ』らしくなるための過程」ですか。
A:本当の『プロ』というのは何事にも動じないと思うので、今はそういう段階に行くための過程にいるのかなと思います。
【プロフィール】
U-12から柏の下部組織で育ち、U-18時代には日本一も経験。2014年にトップチームへ昇格。今シーズンは開幕からリーグ戦フル出場を続け、U-18時代にも指導を受けた下平隆宏監督の下で主力として活躍中。リオ五輪へ臨むU-23日本代表としても期待が懸かる。
※所属チームを含めた情報は、当時のものをそのまま掲載しています。
ご了承ください。
取材、文:土屋雅史
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