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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

The PostGame Story 2015年02月20日

The PostGame Story 【3】陽はまた昇る。諦めなかった2人の太陽王

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【3】陽はまた昇る。諦めなかった2人の太陽王


それは85分のことだった。
左サイドで獲得したFK。
スポットに22番と26番が近付く。
「単純に足に来ていたので『蹴れない』って言って。
テツに譲って俺は中に行きました。
全然大した話はしてないです」と22番。
時間にして10秒弱。
アジアを懸けた大事なゲームで一瞬重なった同級生の影。
一度は太陽王になれなかった男たちが、日立台で躍動する。


2015年から柏レイソルの指揮を執るのは吉田達磨。
クラブのアカデミーに確固たるフィロソフィーを植え付け、
U-12からU-18に至るまでの一貫した育成で
数々のトップ昇格選手を手掛けてきた彼は、
監督としてJリーグの舞台へ挑む今シーズンのスカッドに
15人のアカデミー出身者を揃えた。
その中で異彩を放つ2人がいる。
1人は22番を付ける輪湖直樹。もう1人は26番を付ける太田徹郎。
「トップに上がれなかった選手だからね」と吉田も話す2人は
日立台のピッチへ黄色いユニフォームを着て立つことを
一度は諦めた選手たちである。


工藤壮人、酒井宏樹、武富孝介を筆頭に6人がトップチームへ昇格。
さらにスペインへと海を渡った指宿洋史など
3人が他のクラブでプロ契約を交わした90年組の1つ上。
高校3年時には吉田達磨がヘッドコーチを務めていた
89年組のトップ昇格者はゼロ。
輪湖は安間貴義監督のヴァンフォーレ甲府へ。
太田は小林伸二監督のモンテディオ山形へ。
両者は育成に定評のある指揮官の下で
プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。


同じJ2で迎えたルーキーイヤー。
共に昇格争いを繰り広げたチームの中で
先に頭角を現したのは輪湖。
リーグ戦29試合に出場して初ゴールまで記録し、
貴重なレフティとして自身の居場所をしっかり確立する。
ただ、先にJ1の舞台に立ったのは太田。
山形がクラブ史上初めてJ1に参戦した2009年に3試合、
翌年に7試合と年々出場機会を増加させていくと、
2011年には26試合出場3ゴールと主力級の活躍を見せる。


すると、2012年のシーズン終盤、
代理人を通じて古巣が興味を持っていることを知った。
そして徐々に復帰が現実味を増す年明けの1月2日、
家族で訪れていたディズニーランドで移籍決定の電話を受ける。
「スペースマウンテンを降りた直後で興奮もしてたんで、
『ええっ、マジっすか??』みたいな(笑)」
太田は下部組織から他クラブへ進み、
再びトップチームに戻ってきた初めての選手として
レイソルイエローのユニフォームへ袖を通すことになった。
昨年初頭に行われたスタートミーティングの取材で
太田はこう話している。
「僕みたいな人がこれからもっと増えれば、
レイソルももっとクラブとして大きくなっていけると思うので、
自分が入っただけで終わるのではなく、
しっかり生え抜きとして活躍して、
これから出てくる選手に刺激を与えられるように
やっていきたいなと思っています」


一方の輪湖もプロ2年目以降は
甲府、徳島となかなか出場機会を得られない日々が続く中、
自身3クラブ目となった水戸で左SBのレギュラーをがっちり確保する。
そして充実したシーズンを送った2013年のオフ、
太田から1年遅れて彼の元にも古巣復帰のオファーが届く。
「来年どうしようかと考えている中で
オファーの話をもらった時に即決というか、
何も迷うことなく『レイソルに行きます』という気持ちでした」
そんな輪湖が復帰後のスタートミーティングで
話していた言葉は強く記憶に残っている。
「小さい頃から日立台でプレーすることをずっと夢見てきて、
本当にそれを意識しながら日々のトレーニングをやってきましたが、
それが実現できなくて、他のチームへ行かざるを得ない状況でも
こうやって戻ってこられたというのは
今のユースの選手にとってもたぶん励みになるでしょうし、
良い見本になれたならいいなと思います」


強化担当として2人の古巣復帰に関わった吉田を
新指揮官として頂く2015年の柏。
輪湖は激戦の末に何とか勝利を収め、
アジアへの扉を開いた今シーズンの初戦後、
テクニカルエリアへ吉田が立つことについての感想をこう表現した。
「僕はちょっと緊張感はありました。
まあ良い緊張感です。手が抜けないなって(笑)」


かつての恩師に導かれ、
再び日立台へ帰ってきた輪湖と太田は
自分に続くであろう存在も強く意識しながら
日々のトレーニングに取り組んでいる。
一度は潰えた夢を自身で掴み直した彼らが
後輩たちに与える影響の大きさは計り知れない。
新たな可能性を切り拓いた22番と26番の太陽王。
彼らが日立台に立ち、ピッチで放つ輝く光が
彼らに続く太陽王子たちの進む道を明るく照らすのだ。


土屋

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