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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。
J2第39節・福岡×松本の一戦は
松本が1-2で勝利し、来シーズンのJ1昇格を決めました。
以下、松本の喜山康平、鐡戸裕史コメントです。
(喜山康平)
Q、大分戦もそうでしたけど、前半0-0で行ければ、
ある程度後半に自分たちが行けるなというのは
シーズンを通じて掴めてきた所はありますか?
A、そうですね、前半ゼロで行ければというのはありますし、
たとえ失点したとしても、後半をゼロで抑えれば
自分たちは自信があるので、
今回も前半も何度かペナの付近まで攻め込まれる場面もあったんですけど、
フリーでは打たせていなかったと思うし、
コースは限定できていたと思うので、
「ウチのペースだよ」というのはみんなとも言い合っていたし、
全然ネガティブな雰囲気はなかったですね。
Q、1点目が入った時は率直にどういう想いでしたか?
A、ウチのエースが決めてくれたので、
時間もあったんですけど、
しっかり戦えれば行けるなというのはありました。
あとは2点目が取れたのは大きかったですね。
Q、J1に行けるという手応えはあったんですね。
A、信じていましたけど、自分たちは試合中にも楽をしたら勝てないので、
手応えはありますけど、楽をしたら勝てないという凄く難しい部分で、
ピッチで戦って倒れるまで走るとか、
そういう部分はここで鍛えられた部分ですし、
そういうプレーをみんなができれば
勝ちも掴めるし、サポーターもそういう所を応援してくれているので、
みんなが必死にやることで何か伝わるものがあればなと思います。
Q、反町さんが来てから
自分の中で何か変わった部分はありますか?
A、闘える選手になったかなと。フィジコも厳しいので。
何かそれまではうまくやってやろうとか、
目の前の敵をいなしてやろうとか考えてやっていたんですけど、
そういうスタンスでいたから自分もJの舞台でやれなくなって
JFLに行くことにもなったと思うので、
そういうことじゃなくて、自分としてはユニフォームを汚して、
泥臭く相手のボールを奪って、
走って闘ってというスタイルを創ってくれたというか、
そういう部分は変わったなと思いますね。
Q、簡単に変わることは難しいと思いますが、
それは練習で変わったんですか?
それとも反町さんの言葉で変わったんですか?
A、ちょっとずつ練習でもそうですし、
ソリさんの求めるものプラス自分の良さを出そうというのを
常に考えてやってきましたし、
その中でも最初の頃は全然自分のパフォーマンスが
良くない時もあったんですけど、
普通の監督ならたぶん外しているなというような時も
使ってくれたのが自分の中では大きかったですね。
Q、逆に何がソリさんに使われ続けた部分だと思いますか?
A、いや、わかんないですけど(笑)、
去年はCBをやらされたりとかも...
まあ、やらされた訳じゃないですけど(笑)、していたし、
去年の最初もスタメンじゃなかったので。
でも、誰よりも闘う気持ちだったり、声を出したりとか、
そういう部分はやれると思っていたし、
中盤でタフに、攻守にハードワークするというのは、
常に求められていることなので、
そういうことなのかなとは思いますけど、
もっと成長しないとダメだと思います。
Q、反町さんは怖かったですか?
A、いや、怖くないですよ(笑)
選手とあまり喋らないので。普段は良い人ですから。
僕は調子が悪い時に使ってくれたというのが
自分の自信に繋がっていましたし、
それで外されていたら自信を失っていたかもしれないし、
そこでもう1回チャンスをくれたので、
そういうのが何回もあって、
失敗した時にチャンスをくれたというのは大きかったですね。
Q、国内トップクラスの下部組織で育って、
トップチームに上がりながらも、移籍で地域リーグへ行った時に、
今の姿はイメージできていましたか?
A、岡山に行った時はまだ若かったし、
ここで結果を出して上に行ければいいと思っていて、
実際JFL、J2と岡山ではステップアップできたんですけど、
そこでヴェルディに戻って出られなくなってからは、
自分でも自信はなかったですし、
このままどうなって行くのかなというのは
正直思った部分はあります。
でも、絶対に諦めない気持ちは持っていたし、
何とか山雅でチャンスをもらえたので、必死にやろうと。
もうここでダメだったら終わりだと思っていたので、
そうやってひたすら闘ってきた3年間でした。
Q、松本山雅というチームと共に成長してきたという
想いは強いですか?
A、もっと成長しないとというのは常に思っていたし、
自分も1回挫折というかストップしてしまったので、
そういう危機感は常に持っていたし、
本当にこのチームはそういう選手ばっかりですから。
Q、そういう選手が多くいるチームがJ1に行くというのは
日本サッカーにとっても大きなことだと思いますが、
そのあたりはいかがですか?
A、ここからだと思うんですけど、
自分で諦めなければそういう舞台に立てると思うし、
ウチのチームは地域リーグでやっていた選手もいるし、
今日来ていないメンバーもみんな本当に厳しい練習にも付いてきたし、
サッカーは色々な面があると思うんですけど、
自分たちの得意な部分で戦っていければ
こういう結果も掴めるなというのは思いました。
Q、山雅は悔しい想いを経験した選手が多いと思うんですけど、
そこからまた這い上がりたいという気持ちが
みんなで共有されている部分はありますか?
A、口には絶対に出さないですけど、それはみんなあると思うし、
そのぐらい他のチームに負けない練習はしてきた自信があるので、
そういうのは常にみんな胸に秘めているというか、
そういうチームでもあると思います。
Q、苦しい練習から逃げずに頑張れた所は、
やっぱりもう一度上へという想いがあったからですか?
A、そうですね。それはもちろんありますし、
逃げても永遠とメニューはあるので(笑)
でも、どんなフィジカルをやるのかも知らなかったので
1年目が一番キツかったかなと思うんですけど、
それでやっぱり1年目を戦ってみて
夏場から他のチームは落ちるけど、
ウチは全然足が止まらないというのを実感できたので、
そういう部分を信じてやってこれたかなと思いますね。
Q、J1は楽しみですか?
A、ホント楽しみです。早く強い相手とか、強いチームとやりたいです。
僕は泥臭く中盤で闘うことしか生き残れないと思うし、
そういう所でやっていきたいなと思います。
Q、新体制発表会でも活躍されていましたが、
ああいうムードメーカー的な役割というのは実際大変ですか?
A、いやいや、全然楽しんでやっているし、
本来ああいうことをやるキャラではないんですけど、
なんかそういう流れになっていて(笑)
厳しくやる所は厳しくやりますけど
練習から本当に雰囲気も良いですし、
それが地方の良さというのもあると思うんですけど、
良いチームなので本当に昇格できて良かったですね。
Q、サポーターの方は喜山選手にどういう力を与えてくれますか?
A、こんなサポーターがいるチームはJ2にないですから。
今日も凄く遠い福岡までお金と時間を掛けて来てくれて、
やっぱりサッカー選手として、
サッカー専用のスタジアムでたくさんお客さんがいる中で
サッカーができるというのは一番幸せだと思うので、
本当に感謝していますし、
アウェイでもアウェイを感じさせてくれないのがウチのサポーターなので、
やっぱりちょっとアウェイでお客さんが少ないと
「ああ、人がいないな」とかも思うこともあると思うんですけど、
ウチはそれがほとんどないので
その分僕らには責任があるし、今日も来てくれたのでね。
でも、「ホームで昇格決めて」みたいな声も
チラホラ耳に入ってきていたんですけど(笑)、
僕としては早く決めたかったし、
実際にサポーターも多く来てくれたので、
何としても良い想いをして帰ってもらいたかったので、
一緒に喜べて本当に良かったです。
Q、次のホームでもピリッとした試合をやる必要がありますね。
A、そうですね。やらないといけないと思うし、
ウチのチームはたぶんそこはうまく切り替えて
あとの3試合を戦うと思うし、
さっきロッカーでも「あと3試合あるから」というのは
みんなで言っていたので、最後まで戦い抜いて
自分たちのやってきたことを最後まで見せたいなと思います。
(鐡戸裕史)
Q、勝利のホイッスルが鳴った瞬間は何を思いましたか?
A、一番はやっぱりマツさんに感謝じゃないですけど、
「決まりました」って。
たぶん見てくれていたと思うんですけど、
そのことが一番でしたね。
Q、やっぱり松田選手の存在を実感することは多いですか?
A、そうですね、一番はやっぱりマツさんが来た時に
「山雅をJ1に上げて、松本山雅という名前を全国区にするんだ」と
いうことを記者会見で言われて、
その時から僕もその大きな目標に乗っかってやってきた一員ですし、
マツさんみたいなアレだけ大きな存在の人がそういうことを打ち出したことで、
僕自身もより一層J1というものに対する意識が強くなったと思いますし、
やっぱりマツさんの存在は凄く大きいですね。
Q、プレーの中で走力というのは
どんな所で顕著に現れましたか?
A、やっぱり後半に明らかに出ていると思いますし、
前半ゼロで行けば絶対に後半にウチのチャンスが多くなるというのは
今シーズンもずっとベンチで見たり、
自分も何回かピッチに立ったりスタンドから見たりして感じていた部分なので、
今日も前半はゼロで終わって、ハーフタイムにロッカーへ戻った時に、
「これは僕らのペースだよ」と。
いつも通りにやって、後半はチャンスがいっぱい来るから、
そこを決めて、自分たちで決めようという声掛けをして、
その通りになったので良かったですね。
Q、32歳にしても走力がどんどん付いていった実感はありますか?
A、ありますね。
ヨーヨーテストってエルシオさんがやるんですけど、
その結果や成績は伸びていますし、
それは本当にエルシオさんのおかげだと思うので
本当に感謝しています。
でも、鹿児島キャンプは思い出したくないですね。
本当は2度とやりたくないです(笑)
でも、やっぱりエルシオさんが僕らに厳しく
手を抜かないということを言ってやってくれるので、
やっぱり人間ちょっとは楽をしたいというのがあると思うんですけど、
そこを許さないあのコーチ陣は凄いと思います。
結局一番凄いなと思うのは
良い時も悪い時もスタッフ陣はブレずに
ある意味信念を貫いて僕らに接してくれて、
それに僕らも乗っかって、それを信じてやってきたことが
3年間の積み重ねとなって今日に繋がっていると思います。
Q、球際の部分があと一歩伸びてきたりというのはありますか?
A、やっぱり絶対に山雅でやっていなかったら
こんなに走れていないですし、
たぶんもうこういう華やかな舞台ではプレーできていないと思うので、
本当に感謝していますし、
逆にそういう厳しいトレーニングに付いていけているというのは、
自分にとっても自信になっています。
Q、次に向けてチームがもっと上向いていくためには
何をプラスする必要がありますか?
A、ちょっとしたミスをなくしたりとか
技術的な部分ももっと成長していかなくてはいけないと思うし、
走力も含めてまだまだ高いレベルを求められていくと思うし、
そういった所はもっと個人的にも高めていかないといけないと思います。
Q、鐡戸選手も楠葉クラブからキャリアを始められて、
J1まで辿り着いた訳ですが、
当時の自分からここまでの自分はイメージできましたか?
A、いえ、全然もうできていなくて
自分自身30歳までプロでやれたら上出来だなって、
自分のサッカー人生を振り返った時にって、
それはあったんですよ。
でも、山雅に来て、共にJFLに上がって、J2に上がって、
マツさんと同じチームメイトになって
そういう大きな目標に乗っかって行く中で、
J1というのは本当は自分が一番目標にしていた、
自分が一番立ちたいピッチだったし、
それが実現できるというのは出来過ぎだと思います。
Q、このクラブに来て、ご自身の中で何が一番変わったと思いますか?
A、まず1つはサポーターに対する想いというか、
地域リーグの時から破格の凄い人数で応援してくれていて、
その時からやっぱりこのチームはJリーグに行くべきだって思ったし、
あの人たちをJリーグに連れて行かなくてはいけないというのは
使命として感じましたし、山雅に来てそういう目標は
今まで持っていた目標よりもどんどん上に上にと、
大きな目標に変わっていったのはありますね。
Q、岸野さんが今、松本U-18の監督をされていますが、
一緒のクラブでJ1に上がるってどんな感じですか?
A、いや、どうですかね(笑)
キシさんがどう思っているかわからないですけど、
キシさんが指揮を執っている鳥栖の一員として
僕もやっていた時は今とはちょっと違って、
付いていくのがやっとだったので、
キシさんに対してはあまり力になれなかったなという想いはありますけどね。
Q、あのサポーターの中にずっといると
アレが当たり前みたいに麻痺しませんか?
A、僕が来た当初の選手の中にはそういう選手もいて、
例えばいつも3千人や4千人入っているのが
2千人だったりすると「今日少ないね~」みたいに言うのを
試合前に聞いていて、「いや、それは違うよ」って思っていましたし、
これを当たり前だとは思っちゃいけないというのは
その当時から凄く思っていて、
僕自身は麻痺はしていないかなと思います。
Q、あの中でプレーするのって最高ですよね?
A、かつて同じチームだった選手とかが
アルウィンに来て試合をすると
「この雰囲気ヤバイね」っていつも言ってくれて、
そこでその度に僕は凄く幸せな舞台で
プレーさせて頂いているなという実感は凄くありますね。
以上になります。
松本山雅を取り巻くすべてのみなさん、
J1昇格おめでとうございます!
土屋
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