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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

ワールドカップ 2014年07月14日

【25】"無名監督"の18年戦争。そして最後にドイツが勝った。

mas o menos
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"無名監督"の18年戦争。そして最後にドイツが勝った。


試合前に予定していたキーマンを失った。
代わりに送り込んだ23番も、わずか31分で失う。
それでも、揺るがない。焦らない。
これより難しい"過去"は無数にあった。
青の10番が際どいシュートを放つ。
青の18番が際どいループを放つ。
それでも、揺るがない。焦らない。
113分。
31分に送り込んだ9番が左を切り裂く。
88分に送り込んだ19番が左足を振り抜く。
直後、黄色と黒を帯びた血は沸騰した。
待ち切れない。待ち切れない。
追加されたのは2分じゃなかったのか。
120分に予定外の"3分"が追加され、
青の10番がラストチャンスを逸す。
イタリア人が王国最後の笛を吹く。
その瞬間、"無名監督"の18年戦争は結実の時を迎えた。


"無名"と呼ぶにはいささか失礼かもしれない。
それは"蹴る"時代のキャリアにおいても。
母国のU-21代表にも名前を連ねていたし、
母国のリーグでも"蹴る"ことを生業にして、
1部で7ゴール、2部で81ゴールという
十分な数字を残している。
フランツ・ベッケンバウアー。ベルティ・フォクツ。
ルディ・フェラー。ユルゲン・クリンスマン。
比較の"蹴る"時代が輝き過ぎているだけだ。
スイスでもプレーした17年の"前史"は
凡庸と非凡で揺れる境界線の針を
後者に傾けるだけのものでは間違いなくあった。


ただ、"蹴る"時代が終わり、
すぐさま足を踏み入れたヨアヒム・レーヴの"後史"は
凡庸と非凡で揺れる境界線の針を
すぐさま後者に著しく傾ける。
スイスのフラウヘン・フェルトというクラブで
プレイングマネージャーとして"教える"側へ転進したレーヴは、
さらに1年間のアシスタントを務めた
名門シュトゥットガルトで監督に指名される。
時は1996年。36歳の大抜擢。
向けられた懐疑、好奇の視線は結果で遮る。


クラシミール・バラコフ、ジオヴァネ・エウベル、フレディ・ボビッチ。
"マジック・トライアングル"を
3度のW杯を知るトーマス・ベルトルトが後方で支え、
就任1年目からリーグ戦は4位。
伝統のポカールでは、その"ポカール"を手に入れる。
一躍その名前はドイツを駆け巡った。
翌シーズンも堂々のリーグ4位。
欧州に打って出たカップ・ウィナーズ・カップのファイナルでは
ジャンフランコ・ゾラの一撃で沈んだが、それでも準優勝に輝く。
だが、野心溢れる冒険はそこまでだった。
わずか2年でその任を解かれる。
理由は一言で言えば「有名ではないから」。
"無名監督"の憤りは察して余りある。
トルコ、ドイツ、トルコ。失意の流浪を経て、
復活を遂げたかに見えたオーストリアでは、
リーグ優勝に導いたクラブが直後に財政破綻で消滅した。
回らない歯車。
そんな堪え難きサイクルの中、レーヴに声が掛かる。
しかも母国のナショナルチームから。
託された職務は"有名監督"のアシスタントだった。


時代の追い風も重なる。
世界での惨敗を受け、国の風向きが変わった。
ラルフ・ラングニック。ミヒャエル・スキッベ。クリストフ・ダウム。
"無名選手"だった彼らは、
指揮官としての能力でその名を轟かせる。
"有名"か、"無名"かでなはく、"有能"か"無能"か。
"有名"で"有能"なユルゲン・クリンスマンとタッグを組み、
地元開催の世界で3位を勝ち取ると、
指揮権はレーヴに譲渡される。
理想的な環境を得た"無名監督"の新たな冒険は、
2006年にその幕を開けた。


時代の追い風も重なる。
世界での惨敗を受け、国の風向きが変わった。
疎かだった育成の見直しは、着々と成果を生み出す。
欧州でも世界でも、若きゲルマンは躍動する。
上と下も有機的に繋がった。
そこにあり、そこから育った才能はレーヴの下に集う。
理想的な環境を得た"無名監督"の新たな冒険は、
世界の耳目を集めるものとなった。


レーヴの率いしゲルマンは進む。"4"までは確実に。
ただ、"1"に手が届かない。
スイスとオーストリアでは最後の"2"で敗れ、
南アフリカでは"4"で無敵艦隊に沈められる。
ウクライナとポーランドでは、
やはり"4"でアズーリの悪童に引導を渡される。
世界と欧州の"2"と"4"だ。
大いに誇っていい。
それでも、当然求められる。"1"を頂く日を。
最たる"有名"、フランツ・ベッケンバウアーが
3度目をもたらしてから24年。
"無名監督"だった男は、4度目に挑む。
欧州にとって不毛の南米大陸。
王国がそのチャレンジの舞台となった。


"欧州のロナウド"を封じ、
伝統の13番が3発を叩き込む。
"有名"で"有能"なユルゲン・クリンスマンとの対峙は、
最少得点差でかつての指揮官を超えてみせた。
苦しめられたアルジェリアも延長で振り切る。
カナリアとの2度目の激突は、
世界を震撼させた7度の歓喜で
王国のすべてを奈落の底に叩き落した。
"1"を懸けて最後の最後に再会したのは
24年前と同じアルゼンチン。
あの時と同じ、10番を背負いし"神の子"を擁す。
絡み合う因縁。
"無名監督"の戴冠にふさわしい環境が整った。


試合前に予定していたサミ・ケディラを失った。
代わりに送り込んだクリストフ・クラマーも、わずか31分で失う。
それでも、揺るがない。焦らない。
これより難しい"過去"は無数にあった。
青の10番が際どいシュートを放つ。
青の18番が際どいループを放つ。
それでも、揺るがない。焦らない。
113分。
31分に送り込んだアンドレ・シュールレが左を切り裂く。
88分に送り込んだマリオ・ゲッツェが左足を振り抜く。
直後、黄色と黒を帯びた血は沸騰した。
届く。ようやく"1"に届く。


待ち切れない。待ち切れない。
追加されたのは2分じゃなかったのか。
120分に予定外の"3分"が追加され、
24年前を重ねられた青の10番がラストチャンスを逸す。
ニコラ・リッツォーリが王国最後の笛を吹く。
その瞬間、ヨアヒム・レーヴの18年戦争は結実の時を迎えた。


これは"継続"の勝利でもある。
4年のスパンで判断しないという。
既に昨年、契約は更新されていた。
期間は2年後の欧州まで。
かの国に"4年"というスパンはもはや存在していない。
32の指揮官が王国に集ったが、
最も長くその座に就いてきたのは
ゲルマンの指揮官その人だった。


もし、"無名"を理由に職を失くした彼へ今、
ここから呼びかけることができるなら教えてあげよう。
「"無名"が"有名"を凌駕する日は来る」と。
「"無名"が勝利する日は来る」と。
ヨアヒム・レーヴ。54歳。
理想的な環境を得た"無名監督"の新たな冒険は、
8年の時を経て、世界の一番高い所へ辿り着いた。
そして、それは世界にとっても、
一つの理想が証明された瞬間でもあった。


土屋

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