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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

ワールドカップ 2014年07月13日

【24】"10失点"の現実。カナリアは忘れたのか、知らなかったのか。

mas o menos
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"10失点"の現実。カナリアは忘れたのか、知らなかったのか。


6点の差は正確ではなかったかもしれない。
しかし、3点の差は正確だったかもしれない。
帰還したキャプテンが11番に手を掛ける。
個人の過失ではない。集団の過失だ。
カーリーヘアの4番が必死にクリアする。
ボールは相手に届き、突き刺された。
簡単に大外を回られる。足は動かない。
24歳のクロスを23歳に叩き込まれた。
4日前はわずかに1度揺らせたネットも、
とうとう揺らせない。
180分間で10度の失望を国民に与え、
2つの敗北を重ね、それ以上に現実を突き付け、
王国は王国を去った。
栄華を極めた"カナリア"は、
その"唄"を忘れたのか、あるいは知らなかったのか。
鮮やかなそのイエローは7月の闇に色褪せた。


ベンチの前で首をすくめる。
ベンチの前で両手を広げる。
何も施せない。何も与えられない。
12年前の横浜で王国に熱狂をもたらした指揮官は
この180分間をどう感じただろう。
ただ、この偉大なる"フェリポン"を誰が責められよう。
前任者の解任を受け、
再びセレソンへ帰ってきてから、
彼には1年半の時間しかなかった。
幸か不幸か開催国であるため、真剣勝負の場は限られる。
ほとんどの試合に"親善"の二文字が付く。
1年前に唯一と言っていい真剣勝負で国民が感じた信頼さえ、
あるいは足枷であり、重荷となっていたはずだ。


このサイクルは深刻だった。
1998年。フランス。
連覇を義務付けられた彼らは、
28年前に世界を制した指揮官を担ぎ出す。
結果は準優勝。
ロナウドに始まり、ロナウドに終わった。
2006年。ドイツ。
連覇を義務付けられた彼らは
12年前に世界を制した指揮官を担ぎ出す。
結果はベスト8。
ロナウジーニョに始まり、ロナウジーニョに終わった。
2010年の挑戦は、世界を頂いた若き闘将に託され、
出された一定の結果はサイクルを一転させるかに思えた。
ところが、結局変わらない。
2014年。ブラジル。
開催国での優勝を義務付けられた彼らは
12年前に世界を制した指揮官を担ぎ出す。
結果は惨憺たる4位。
ネイマールに始まり、ネイマールに終わった。
過去の栄光を知る指揮官の再登場に、
すべてを背負ったクラッキの重圧。
この"学ばない"サイクルは深刻だった。


他方、その"泉"は"泉"でなくなりつつある。
才能の集いし、いや、生まれし国。
それが日本のような極東でも、
果てはフェロー諸島でも、
カナリア色のDNAを有した"蹴る人"は
それを生業とするために世界を探した。
例えば15歳で離れた母国へ赤と白のチェックを纏って帰還した
エドゥアルド・ダ・シルヴァのように。
例えば18歳で離れた母国へエンジを纏って帰還した
ケープレル・ラヴェラン・リマ・フェレイラ、"ペペ"のように。


一転、富める時代が訪れる。
世界を探さずとも、生業は自国で完結する。
たとえ"蹴る人"にならずとも。
あくまで聞いた話だが、
"蹴る子供"の環境も大きく変化したと。
その舞台は"道"から"芝生"へ変化したと。
子供が大人にやり込められ、
大人が子供に出し抜かれ、
すべてが終わったら皆で語らう日常は
姿を消してしまったのだろうか。
ただ、間違えてはいけない。
富めることは決して否定されるものではない。
富めることは多くの民に幸福をもたらす。
ただ、"蹴る人"たちにとって
富めることが果たして幸福だったのかどうか。
それは、まだその答えを出す時期ではないかもしれない。


一方で兆候は窺える。
2013年。アラブ首長国連邦。
20歳以下の煌く才能が集結する世界大会。
そこに5度の優勝を誇るカナリア色のユニフォームはいない。
アルゼンチンの地で負けたからだ。しかも完膚なきまでに。
ペルー、ウルグアイ、エクアドル、ベネズエラ。
すべての後塵を拝し、地域の最下位で弾け飛んだ。
それまで20歳以下の世界で
最も勝利し、最もゴールを挙げていた
あのブラジルが単純に力で劣ったのだ。
しかも、世界ではなく南米で。
屈辱を味わったのは、
"道"での勝負を知らずに育った若駒たちだろうか。


3点の差は正確だったかもしれない。
この日のオランダは力強く、上手かった。
間違いなくカナリア色の11人よりも。
11番に比肩する"個"は見当たらなかったし、
9番に比肩するストライカーも見当たらなかった。
最後に交替で投入されたのは第3GKだ。
23人の選手を使い切り、試合にもきっちり勝ち、
3位の座も手に入れる。
ほとんどすべてを持っていかれた。
采配を振るった指揮官の違いも、そのまま点差に現れた。
3点の差は正確だったかもしれない。


王国が語り継いできたカナリアの"唄"を
この日の彼らが奏でることはなかった。
その"唄"の語り継がれてきた場所が
もし"芝生"ではなく"道"だったのであれば、
彼らは世界の誰もが聞き惚れたその"唄"を
忘れてしまったのではなく、知らなかったのではないだろうか。
ただ、間違えてはいけない。
富めることは決して否定されるものではない。
富めることは多くの民に幸福をもたらす。
ただ、"蹴る人"たちにとって
富めることが果たして幸福だったのかどうか。
それは、まだその答えを出す時期ではないかもしれない。


それでも、できることはある。
忘れたのではなく、知らなかったのならば
最初から教えればいい。
きっとまだその"唄"を忘れていない
"蹴っていた人"は王国に息衝いている。
教える側が謙虚さを持ち、
教えられる側が謙虚さを持てば、
きっとその"唄"の調べは帰ってくる。
6点の差は正確ではなかったかもしれないが、
6点の差を生み出す下地は確実にゲルマンにあった。
強く強く打ちのめされた経験を経て
教える側が謙虚さを持ち、
教えられる側が謙虚さを持った結果が
おそらくはあの差を積み上げた。


歴史は結果を保証しないが、
結果は歴史を保証する。
誰よりも世界で結果を残してきた。
彼らしか持ち得ない"楽譜"は必ず国民に宿っている。
忘れたのではなく、知らなかったのならば
最初から教えればいい。
世界は再びカナリアの"唄"を聴く日を待っている。


土屋

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