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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

ワールドカップ 2014年07月02日

【19】最後のテクニカルエリア。"正解"を知る数学者の情熱。

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最後のテクニカルエリア。"正解"を知る数学者の情熱。


あと2分だった。
この王国での戦いが引き際だと決めていた。
最初の5人を誰に託すか。腹は決まっていた。
しかし、40近くは年の離れた自らの"子供たち"も
水色と白の圧力にこらえ切れなかった。
時計を見る。
刻む針は止まらない。
31年にも及ぶ情熱のすべてを注ぎ込んだ、
"子供たち"はまだ戦っていた。
時計を見る。
"規定の時間"は過ぎ去った。
それでも、おそらく誰よりこの今は
何も終わっていないと知っている。
120分を少し回った頃、
あの日の自分と同じクラブで戦う男がクロスを上げた。
最後に信頼を持って送り出した男が宙を舞う。
目の前の光景がスローモーションのように映る。
まるで15年前のあの日のように。


スイスに国境を接するレラハで生を受けた西ドイツ人、
オットマール・ヒッツフェルトは
22歳にして名門バーゼルの門を叩く。
意外にも持ち場はゴール前。
しかも、"奪われない"側ではなく"奪う"側の。
加入2シーズン目。
チームはスイスを頂き、自身もスイスを頂く。
相手を絶望に陥れた回数は18を数える。
蹴る頃の彼は間違いなく
"奪われない"側から嫌がられていたことだろう。


1972年。母国に世界中からアスリートが集う。
19人の"アマチュア"の中、
唯一の"海外組"としてオリンピアンの称号を得る。
自らは5回もゴールネットを揺らしたものの、
"西"のゲルマン魂は"東"のゲルマン魂に屈した。
当時、後者がこの舞台に懸ける
本気は意味合いが違って、重い。
ヒッツフェルトの履歴書に書かれた
「西ドイツ代表6試合5得点」は
すべてこの42年前の大会で記録されたものである。
"競技者"としても、彼は際立っていた。


シュトゥットガルト、38。
ルガーノ、35。
ルツェルン、30。
バーゼルで記録した66を加え、
169のゴールという歓喜を味わってきた男は
第2の故郷とも言うべきスイスで
その"奪う"側のキャリアを終える。
数学教師のライセンスも持つ34歳は
次なる行き先を"教える"側と決めていた。


頭角は第2の故郷で現した。
アーラウの指揮官に任命されると、
就任1年目でいきなりトーナメントを制す。
能力のある男は、請われる。
グラスホッパーの指揮官に任命されると、
2度のリーグと2度のトーナメントを制す。
能力のある男は、請われる。
1991年。
東と西のなくなった故国に"教える"側として凱旋する。
マイスターシャーレを掲げること2度。
ボルシア・ドルトムントが彼の新たな勤務先となる。
42歳の若き数学者には、
着々と新たな数式が与えられつつあった。


1996-97シーズン。
ドイツのシャーレを続けて獲得したヒッツフェルトに
さらなる飛躍の時が訪れる。
"10年目"のアレックス・ファーガソンが率いし
"赤い悪魔"をセミファイナルで葬り、
欧州の頂へ王手を懸ける。
対峙するはディフェンディングチャンピオン。
白と黒をあしらった"イタリアの貴婦人"。
ディディエ・デシャン。ジネディーヌ・ジダン。
アンジェロ・ディ・リービオ。クリスティアン・ビエリ。
ベンチにはアレッサンドロ・デルピエロも控える。
名実共に欧州最強。下馬評は揺るがなかった。


ソウルを経験した"オリンピアン"の
カール・ハインツ・リードレが2つの果実をもぎ取る。
若き日のデルピエロに肉薄されるも、
最後は20歳のラース・リッケンが
ピッチへ解き放たれた1分後に
アンジェロ・ペルッツィの頭上を破る。
欧州は黄色の支配下に置かれた。
舞台はミュンヘン。オリンピアシュタディオン。
25年前に"競技者"として、"東"に屈したあの場所だ。
四半世紀の時を超えて、黄金のメダルが胸に輝く。
あの日の18人は見ていてくれただろうか。


能力のある男は、請われる。
泣く子も黙るバイエルン・ミュンヘン。
そこでもすぐさまドイツは頂く。
託されたのは13年ぶりの欧州制覇。
そこでもすぐさまファイナルへ辿り着く。
1999年5月26日。
最後の1試合で出会うは、
"12年目"のアレックス・ファーガソンが率いし"赤い悪魔"。
ただし、闘将ロイ・キーンと鬼才ポール・スコールズは
黄色の累積でピッチへ立つことを許されない。
案の定、わずか6分でマリオ・バスラーが叩き込む。
欧州は容易にその手の中へ転がり込みそうだった。
そう、"規定の時間"までは。


90+1分。テディ・シェリンガム。
90+3分。オーレ・グンナー・スールシャール。
"規定の時間"を超えた時、すべてが反転した。
サミュエル・クフォーが両の拳で地面を叩く。
聖杯を掲げるはずだったローター・マテウスが色を失う。
誰よりも間近で決壊を見たオリバー・カーンが立ち尽くす。
「カンプノウの悲劇」。
50歳を迎えた老練の数学者が解きかけし数式は、
最後の最後でその解を無理やり書き換えられた。


悲劇から2年後にきっちり欧州を奪還し、
5度のリーグと3度のトーナメントを
バイエルン・ミュンヘンと共に勝ち取った男は決断を下す。
率いるは第2の故郷を象徴する赤き代表。
おそらく指揮官として、最後の棲家になるかもしれない。
5つのクラブを渡り歩いたヒッツフェルトは2008年、
スイス代表と共に歩み始めた。


南アフリカの地では主役の座を射止めかけた。
2年前のEUROを制し、
そのスタイルと共に世界最強と称されていた
"ラ・ロハ"を完璧なカウンターの一発で倒す。
ただ、そこまでだった。
チリに最小得点差で敗れると、
ホンジュラスの堅牢は厚く、高かった。
"16"への道は閉ざされる。
射止めかけたそれはあっさり零れ落ちる。
予選で砕けた2年後の欧州を経て、
3大会連続での祭典へと駒を進めると、
ヒッツフェルトは決断を下す。
王国の地は自身最後の舞台だと。
34歳で"教える"側に飛び込んだ数学者は、
既に65歳になっていた。


初戦は勝利し、2戦目は敗れた。
4年前が蘇る。
同じ轍は踏むまい。
3戦目の相手は、またしてもホンジュラス。
4年前が蘇る。
6分、シャキリ。31分、シャキリ。71分、シャキリ。
4年前のブルームフォンテーンで
己の無力さに涙を流した22歳が65歳を救う。
老将との行進は、少なくともあと6日続くことになった。


あと2分だった。
必死に持ち堪えていた"子供たち"は
とうとうこじ開けられた。
時計を見る。
"規定の時間"は過ぎ去った。
諦めない。
"規定の時間"は"規定の時間"でしかない。
誰よりそれは俺が知っている。
あの日の悲劇を共にしたバイエルン・ミュンヘンに所属する
ジェルダン・シャキリがクロスを上げた。
113分に信頼を持って送り出したブレリム・ジェマイリが宙を舞う。
目の前の光景がスローモーションのように映る。
まるで15年前のあの日のように。


アルゼンチンに"悲劇"は訪れなかった。
白と黒の球体は、左の白き"5インチ"に弾かれ、
アルゼンチンに"悲劇"は訪れなかった。
"奪う"側から数えれば50年を超えるキャリアに
ヒッツフェルトは王国で別れを告げた。


無数に描いてきた。正解を求める数式を。
それでも、正解は見つからなかった。
だからこそ、ここまで続けてきたのだ。
正解のある世界から
正解のない世界へ飛び込んだ65歳の数学者は、
きっと数式では解けなかった
"正解"を既に見つけていたのだろう。
オットマール・ヒッツフェルト。
その長きキャリアに最大限の敬意と拍手を。


土屋

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