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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

ワールドカップ 2014年07月01日

【18】"魔術師"なき献身。日常が凌駕した過去。

mas o menos
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"魔術師"なき献身。日常が凌駕した過去。


もう足は動かなかったんじゃないのか。
もう頭は働かなかったんじゃないのか。
粘って粘って持ち込んだ
30分間の開演と同時に、
そして終演の直前に、
掛け続けてきた"鍵"は2度に渡って破壊された。
そのすべてを文字通り投げ出し、
ゲルマンの侵攻を食い止めてきた5番の猛将はピッチから消えた。
集団のメルクマールとなり続け、
前を向き続けた13番の先鋒もゲルマンの鎧に倒れ、動かなくなった。
30分間が消える。
もう誰も文句を言えるはずもない。
すべては終わったはずだった。
その時。
頭部を裂いた10番が中央を見据える。
視界に30分間の途中から現れた18番を捉える。
上げる渾身と飛び込む渾身が一致した。
ゲルマンの戦士にも驚愕が浮かぶ。
どこにそんな力が?これは"魔法"なのか?
もう彼らに"魔術師"はいないはずなのに。


かつて"最強"と称されたチームがあった。
我が国の言葉に直せば
「アルジェリア民族解放戦線代表」。
物々しいこの"代表"が彼らのルーツに当たる。
1958年4月13日。
そのチームは宗主国たるフランスにて産声を上げる。
モナコ、マルセイユ、サンテティエンヌ、ボルドー。
錚々たるクラブが彼らの所属リストに名前を連ねる。
立場上、FIFAへの"正式"な扉は開かれない。
代わりにFIFAの国々を"非公式"に飛び回る。
ヨーロッパ、アジア、アフリカ。
その回数は80回にも及んだという記録も残る。
「RSSSF」にはこんな数字が記載されている。
91試合。65勝13分け13敗。385得点127失点。
チュニスでチュニジアを8-0と粉砕し、
カサブランカでモロッコを8-0と粉砕する。
翌年のチリで世界の4つまで駆け上がる蒼きバルカンは、
ベオグラードで1-6と屈す。
まさに圧倒的。
結成から5年の時が経つ頃、
本国の独立に伴ってナショナルチームが置かれ
チームは解散を迎えたものの、
彼らがアルジェリアの"祖"であることは
知っておく必要があるかもしれない。


重ねた敗退は3度。
闘牛とフラメンコの地へ辿り着くための過程で、
その1年前の大陸王座決定戦で敗れた
"スーパーイーグルス"に復讐を成し遂げ、
初めて世界に名乗りを上げる。
モロッコ、ザイール、チュニジア、アルジェリア。
大陸で4番目の代表となった"緑のキツネ"。
ただ、"大陸"はまだわずかに1度しか
凱歌を上げたことはなかった。


"2度目"の凱歌がヒホンはエル・モリノンに上がる。
打ち倒したのは既に世界を2度も手に入れていたゲルマン。
ヘラルド・シューマッハ。パウル・ブライトナー。
ピエール・リトバルスキー。カール・ハインツ・ルンメニゲ。
頂点へ立つための要素は十分揃い、
戴冠のみを義務付けられていたゲルマンが、
実に15人の国内組を擁した"緑のキツネ"に足元を救われる。
おそらくは、"大陸"が初めて世界を揺るがした。
"最強"を引き継いで、ちょうど20年の節目だった。


今でも"正義"はなかったと彼らは信じている。
ゲルマンの隣人とも言うべきオーストリアに敗れたが、
世界の4強に残った経験を持つチリは破った。
6月24日。19時を少し過ぎた頃、試合は終わる。
"3度目"の凱歌。それは完全なる調べではない。
まだ、ゲルマンと"隣人"の試合は翌日に残っていた。


今でも"正義"はなかったと彼らは信じている。
6月25日。19時を少し過ぎた頃、試合は終わる。
結果、ゲルマンと"隣人"が
用意された次のステージへと駒を進め、
"緑のキツネ"は大会から去った。
ただし、ゲルマンと"隣人"のみが
共に次のステージへと駒を進める数少ない要件によって。
証明はされない。する術がない。
それでもなお、今でも"正義"はなかったと彼らは信じている。
以降、"最後の1試合"は同じ日の同じ時間に行われると定められた。


15人の国内組にその男はいた。
踵でのプレーを好む、人呼んで"踵の魔術師"。
ムスタファ・ラバー・マジェール。
ゲルマンを相手に先制のゴールを叩き込んだ"魔術師"は、
世界の知る所となる。
青と白を纏うポルトガルの名門へ請われ、
4年後も"緑のキツネ"をメキシコへ導く。
もはや、"魔術師"を知らぬ者は大陸のみならず、
世界でも少なくなっていた。


"魔術師"は日本にも"魔法"を掛ける。
国立霞ヶ丘競技場は一面の銀世界。
白と黒から黄と黒にその色を変えた球体も、
寒さのあまりに破裂する。
蹴っても飛ばず、走っても動けず、
ほとんどの21人が日常を諦める中で、
その"魔法"は掛けられた。
延長も半分を過ぎた110分。
ボールを強奪したマジェールは前を見る。
直後、30メートルの距離を浮かせる。
キーパーの頭上を越えた"黄と黒"は白いピッチを転がり、
やがてゴールネットへと到達した。
声を届けるべき人も、彼の名前を絶叫する。
"魔術師"は世界の頂へ到達する。
そして、それは世界が彼を見た最後になった。


重ねた敗退は5度。
2度は"魔術師"がその指揮を執ることになったが、
いずれも世界への扉は開かない。
"大陸"が舞台となった4年前、
ようやく久々の祭典に現れた"緑のキツネ"は、
グループステージで弾き出される。
その28年前の"2"から"3"に変わっていた
歓喜の対価を味わうことなく、
彼らは南アフリカを静かに後にした。


王国が開く祭典。
ベルギーには少し及ばず、韓国から念願の"3"を奪う。
さらなるステージの飛躍は"最後の1試合"に託される。
6月26日。19時より少し前、試合は終わる。
同じ6月26日。19時より少し前、試合は終わる。
ロシアと引き分けたアルジェリアは、
同じ時間にベルギーに敗れた韓国を上回る。
おそらく、あの日疑われた"正義"は
彼らにほんの少し味方をしたのかもしれない。


2014年6月30日。
奇しくも対峙するのは因縁のゲルマン。
さらなる世界を知るために、避けては通れない最高の壁だ。
"緑のキツネ"は最初からやり合った。
ゲルマンの圧力にも押し返す。
それでもこぼれてくる危機は、
琉球の風を知る守護神が潰していった。
いつしか、王国の人は彼らを後押ししていた。


それでも、ゲルマンは強大だった。
92分、決壊。困憊が困憊を呼ぶ。
勇壮な決意を以ってしても、体が動かない。
119分、再び決壊。
30分間が消える。
もう誰も文句を言えるはずもない。
すべては終わったはずだった。
その時。
死んでいたはずのソフィアン・フェグリは振り絞る。
最後にベンチから解き放たれたアブデルムメンヌ・ジャブが飛び込む。
上げる渾身と飛び込む渾身が一致した。
アルジェリアに"1"が躍る。
それだけでもう十分だった。


まるで"魔法"のようだった。
死んでいたはずのアルジェリア人は、確かに蘇った。
ただ、"魔術師"はもういない。ならばなぜ?
その時、気付いた。
それは"魔法"でもたらされない。
それは"魔法"で求められない。
なぜなら、それ、すなわち"献身"は、
日常によってのみ培われるからだ。
彼らの日常はこの日、とうとう"魔術師"を超えたのだ。


土屋

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