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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

ワールドカップ 2014年06月21日

【9】死の組からの生還。誇るべき2501.00の矜持。

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死の組からの生還。誇るべき2501.00の矜持。


第1回を制した世界王者は斬って捨てた。
8年前を制した世界王者も追い込んでいる。
待ち切れない。
「早く最後の笛を吹いてしまえ」
アズーリの10番がゴールに迫る。
凌いだ。
「早く最後の笛を吹いてしまえ」
90分間に付け加えられた4分間が終わった。
「お前ら、飛び出す準備はできているな」
殊勲の先制点を叩き出した10番が仕切る。
「この瞬間は俺たちのためだけにある」
笛が鳴った。
全速力でピッチへ向かって飛び出した。
3つの王者が同居した死の組。
最初に生還したのは、唯一世界の冠を戴いたことのない
"2501.00"の勇者たちだった。


"豊かな海岸"を意味するコスタリカ。
九州よりわずかに広い面積を持つコスタリカは、
中南米の中では早くから民主主義を掲げ、
周囲との摩擦を避けながらその地に息づいて来た歴史を持つ。
例えばパナマ。例えばキューバ。例えばプエルトリコ。
例えばメキシコ。例えばホンジュラス。例えばエルサルバドル。
中米にある二択は、ボールを"打つ"競技か、ボールを"蹴る"競技か。
"豊かな海岸"では後者が隆盛を誇ってきた。


世界には打って出られない。
5度の不参加と、8度の予選敗退を積み重ねる。
1989年のCONCACAF選手権。
"8ヶ月"にも及ぶ異例のカップ戦は
ワールドカップへの出場権獲得を兼ねていた。
コスタリカに幸運の女神が舞い降りる。
5チームで争う本大会への出場を懸けた"1対1"の2次予選。
本来対峙すべきは、CONCACAFにおいて
名実共に最強の名を欲しいままにしていたメキシコ。
しかし、その3年前のワールドカップ開催国は、
1年前のオリンピック予選で働いた年齢に関する不正を咎められ、
選手権への参加資格を剥奪された。
8ヵ月後。審判は下される。
5勝1分け2敗。優勝。
コスタリカは初めて世界への扉を開けた。
幸運の女神の後押しを受けて。


イタリアの地は彼らの躍進を待っていた。
バルカンの奇才、"ボラ"・ミルティノヴィッチに率いられた
"豊かな海岸"がスタディオ・ルイジ・フェッラーリスに
集いし30867人を震撼させる。
スコットランドが繰り出すシュートは、打っても打っても入らない。
ゴールマウスに立つのはルイス・ガベロ・コネホ。
弾き出す。弾き出す。試合が終わった。
スコアボードに踊る"1"と、スコアボードでうなだれる"0"。
"1"を躍らせたコスタリカの名前が、世界を駆け巡った。


ミューレルの一発に沈んだブラジルとの対峙を挟むと、
北欧の強豪スウェーデンも、スタディオ・ルイジ・フェッラーリスに倒れる。
32分に奪われた先制弾を、
75分の同点弾と88分の逆転弾で包み込む。
グループテーブルが完成する。
彼らの上には王国の名前しか載っていない。
まるで"イタリアの貴婦人"として知られるユヴェントスの如き、
白と黒のユニフォームを纏ったコスタリカ人たちは、
大会オールスターチームにも選出されるルイス・ガベロ・コネホを
負傷で失ったベスト16で敗退を余儀なくされたが、
大きなインパクトを残して"長靴"を後にする。


それが、最初で最後の世界と笑ったフィエスタだった。
日韓大会では突破を懸けたグループステージ最終戦で、
12年ぶりに再会したブラジルを相手に
5つのゴールを献上して、打ち砕かれた。
ドイツ大会では開幕戦で開催国に、
続けてエクアドルに、ポーランドに為す術なく屈した。
4年後。
南アフリカへ飛ぶ31のフライトリストに、
"豊かな海岸"の名前はない。
世界にとって彼らは、彼らにとって世界は、
過去のものになりつつあった。


誰もが哀れみと好奇の目を向ける。
8年ぶりに帰還した世界最高の祭典。
ウルグアイ、イタリア、イングランド。
3つの世界王者と同じグループに組み込まれた。
ここにウィリアム・ヒルが発表した6月6日の優勝オッズがある。
26.00。26.00。26.00。2501.00。
コスタリカの評価は、つまりそういうことだった。


2014年6月20日。レシフェ。アレナ・ペルナンブーコ。
1つ目の"26.00"は6日前、
フォルタレーザの空に葬った。
倒すべき2つ目の"26.00"は、8年前の青き世界王者。
44分。
フニオール・ディアスが蹴り入れた渾身のクロスに、
ブライアン・ルイスが渾身のヘディングで呼応する。
クロスバーを叩いた球体は、ゴールネットを揺らした。
スタジアムが揺れる。王国が揺れる。
世界が彼らの名前を想い出す。


「早く最後の笛を吹いてしまえ」
90分間に付け加えられた4分間が終わった。
「お前ら、飛び出す準備はできているな」
殊勲の先制点を叩き出したブライアン・ルイスが仕切る。
「この瞬間は俺たちのためだけにある」
笛が鳴った。
全速力でピッチへ向かって飛び出した。
その後ろでは、静かに世界への復権を噛み締める
GKコーチのルイス・ガベロ・コネホが微笑んでいた。


それは6日前と同じ。
"26.00"が緑のピッチに崩れ落ちる。
それは6日前と同じ。
緑のピッチで歓喜の美酒に酔いしれたのは、
王国に集いし32カ国の中で
最も大きな数字を言い渡された"2501.00"だった。


土屋

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