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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。
帰ってきた赤い悪魔。無敗の闘将が世界を変える。
過剰な評価は時として歯車を狂わせる。
例えば1994年のコロンビア。
例えば2002年のポルトガル。
それ相応の実力を有していても、
その評価に踊らされ、屈してきたチームを何度も見てきた。
12年ぶりの檜舞台にも彼らにかかる期待は小さくない。
かのウイリアム・ヒルも優勝オッズを5位にランクした。
栄えある初戦。信じ難いPKで先制を許す。
歴史は繰り返すのか。
65分、最後の交替カードを切り終えた。
不退転の覚悟を"赤い悪魔"に注ぎ込む。
70分、5分前にピッチへ解き放ったアフロヘアーが
同点ゴールをアルジェリアゴールにぶち込んだ。
歓喜する赤の国民。
その時ベンチの前には、12年前のユニフォームから
スーツへとその戦闘服を着替えたあの男が立っていた。
ベルギー代表がワールドカップに刻んできた歴史は古い。
ウルグアイで開催された記念すべき第1回大会の
13カ国にその名を連ねている。
その次の出場は4年後、その次の出場は4年後。
初回から3回続けて世界の舞台へ立ったのは、
彼らも含めてわずかに4カ国しかない。
勝利こそ挙げられなかったものの、
ワールドカップの草創期において
ベルギーは確かな存在感を誇示していた。
日本で"赤い悪魔"が広く知られるようになったのは
1980年代の活躍からだろう。
守護神のジャン・マリー・プファフ。
中盤のキーマン、ヤン・クーレマンス。
絶対的な司令塔のエンツェンツォ・シーフォ。
スペインの地ではマラドーナ率いるアルゼンチンを撃破。
2次リーグでポーランドとソ連の"共産圏"が
文字通り壁として立ちはだかったが、
メキシコの高地にてソ連に雪辱を果たすと、
準々決勝ではホセ・アントニオ・カマーチョや
エミリオ・ブトラゲーニョを擁したスペインを葬る。
最後はマラドーナの2発に沈んだとはいえ、
4位という結果は世界を驚かせるには十分だった。
マルク・ヴィルモッツがワールドカップを"知った"のは
ちょうどこの次のイタリアからだ。
大会直前に初めて代表のユニフォームへ袖を通した21歳は、
ベンチからエンツォ・フランチェスコリや
ポール・ガスコインの妙技を見つめた。
4年後のアメリカ大会では、
既に突破を決めていたグループステージの3試合目で
とうとうワールドカップのピッチを踏みしめる。
ただ、チームはサウジアラビアに勝ち点3を献上する。
ヴィルモッツも53分にベンチへ下げられた。
あまり振り返りたくない思い出だろうか。
主力として迎えたフランス大会では
2つのゴールも記録するが、
3試合の結果はいずれも引き分け。
グループステージ敗退を余儀なくされた。
自身4度目となる極東のワールドカップは
初めてキャプテンマークを託されて臨むことになる。
彼はこの誰もが憧れる夢舞台を最後に
"赤い悪魔"のユニフォームを脱ぐ決意を固めていた。
21歳の若武者は、33歳の老練な闘士に変わっていた。
2002年6月4日。
その瞬間、埼玉スタジアム2002が凍り付いた。
ヴィルモッツが宙を舞う。バイシクルだ。
開催国のゴールネットが揺れる。
左腕に黄色い腕章を巻いた7番が、
駆け寄る味方を振り切ってベンチへと走り出す。
おそらくサッカーを愛する日本人なら忘れ得ぬ光景。
誰もが彼に"悪魔"の面影を見た。
幻のゴールがある。
埼スタの13日後。神戸ウイングスタジアム。
世界でもっとも有名な"カナリア"と対峙する。
前半35分。右からジャッキー・ピーテルスがクロスを上げる。
自身より4センチ高いロッキ・ジュニオールに
競り勝ったヴィルモッツは、球体をゴールへ流し込む。
先制ゴールかと思われた次の瞬間、
レゲエの国のレフェリーはオフェンスファウルをジャッジした。
信じられないという表情を浮かべたヴィルモッツ。
判定は、覆るはずもない。
その後、リバウドとロナウドにゴールを陥れられ、
ベルギーは神戸の夜に散った。
そして、その日がヴィルモッツと"赤い悪魔"にとって
最後の晩餐となった。
EURO2004。ドイツワールドカップ。EURO2008。
ベルギーは表舞台から姿を消す。
そのスカッドに彼の名前は、当然ない。
確かに放っていたはずの紅い輝きは、
過去のものになりつつあった。
現役引退後、国会議員を経験していたヴィルモッツが
"赤い悪魔"に帰還したのは2009年のことだ。
ほとんど南アフリカ行きの望みが絶たれていた代表の
アシスタントコーチに就任する。
案の定、エストニアにも屈辱の敗戦を喫して予選敗退。
ジョルジュ・レーケンスの元で挑んだEURO2012予選も
最終戦でプレーオフ進出を取り逃がす。
もはや"赤い悪魔"は、かつての"赤い悪魔"ではなかった。
2014年6月17日。ベロ・オリゾンテ。
ヴィルモッツは自身に引導を渡した王国に立っていた。
指揮官として身を投じた欧州予選は10戦無敗。
セルビアもスコットランドもクロアチアも、アウェイで蹴散らした。
そもそもアウェイの5試合で全勝を収める国がどこにある?
12年ぶりにワールドカップへと戻ってきた"赤い悪魔"には
やはり彼の姿があった。
若干ではあるが、緊張して見えた。
ユニフォームとスーツでは勝手も違う。
聞き慣れた、歌い慣れた国歌は、
ヴィルモッツにどう聞こえただろうか。
先制を許した前半を経て、後半開始から1枚目のカードを切る。
58分に2枚目、65分に3枚目。決断は早い。
70分、"3枚目"のマルアン・フェライーニが同点ゴールを決める。
あと1点だ。彼らは本当に"赤い悪魔"か。
80分、"1枚目の"ドリース・メルテンスが逆転ゴールを叩き込む。
テキーラの国のレフェリーがタイムアップの笛を吹き鳴らした。
12年ぶりにワールドカップで勝利を収めた"赤い悪魔"には
やはり彼の姿があった。
1つ、間違えてはいけないことがある。
今や世界屈指のタレント集団と呼ばれるベルギー。
今大会でもその豪華な陣容が話題を集めているが、
アルジェリア戦のピッチに立った7人は、
ヴィルモッツが"赤い悪魔"に帰ってくる
"1つ前"の試合にも、そのメンバーに名前を連ねている。
当時からその顔ぶれに劇的な変化は訪れていない。
5年の月日が経った。
世界屈指のタレント集団と称されるまでになった彼らは、
自身の劇的な変化をブラジルの地ではっきりと感じたことだろう。
そのほとばしる情熱から、
"Mr.1,000 Volts"の異名を持つマルク・ヴィルモッツ。
彼が率いた"赤い悪魔"は、
いまだにただの一度たりとも公式戦で負けたことはない。
土屋
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