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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

ワールドカップ 2014年06月14日

【2】オレンジのDNA。笑わない指揮官が笑った日。

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オレンジのDNA。笑わない指揮官が笑った日。


ダレイ・ブリントが左足でボールを引っ叩く。
ファン・ペルシーが完全に裏を取った。
9番のストライカーが一瞬見せた逡巡。
腹は決まった。ダイビングヘッドだ。
ボールは名手カシージャスも見送るしかない。
ファン・ペルシーが走り出す。
向かったベンチには満面の笑みで彼を迎える
ルイス・ファン・ハールの姿が見える。
「あれ、こんな顔をする人だったっけ」
一瞬あって、すぐに思い直した。
「ああ、そうだったよな」と。
「母国のチームを率いている時の彼は、こういう顔をするんだったな」と。


損な役回りを強いられてきた人かもしれない。
最初にバルセロナの監督を任されたのは
4連覇を成し遂げたヨハン・クライフ体制が終焉を迎え、
3シーズン続けてライバルの後塵を拝していた1996-97シーズン。
難しいタイミングでの就任にもかかわらず、
ファン・ハールはいきなり初年度に
リーガとコパ・デル・レイの2冠を達成。
翌シーズンもリーガ連覇を勝ち取るなど、
再びブラウグラナに誇りを取り戻させている。
ところが、待っていたのはサポーターからの冷遇。
リーグ戦の結果を眺めれば
優勝、優勝、2位という申し分のない3シーズンを
終えた後に待っていたのは、あまりにも寂しい別離だった。


2度目のバルセロナはもっと悲惨だ。
結局彼が去った後の2シーズンは続けて4位に甘んじ、
クラブからの再登板要請に応え、
3年ぶりに帰ってきたカンプ・ノウでは毎試合と言っていいほど
スタンドから"白いハンカチ"を振られ続けた。
そんな状況では選手も力を発揮できるべくもなく、
シーズン途中で成績不振を理由に辞任。
失意のままに2度目の別離を余儀なくされた。


ドイツが世界に誇る名門、
バイエルン・ミュンヘンでもそうだった。
リーグ連覇を逃した次のシーズンに招聘され、
バルセロナ同様にいきなりリーグとポカールの"ダブル"を獲得。
UEFAチャンピオンズリーグでも、
最後はモウリーニョのインテルに敗れたものの、
チームを9年ぶりのファイナルへと導く。
しかし、2年目のシーズンはなかなか思うような成績が出ず、
結果はシーズン終了を待たずに解任。
道半ばでミュンヘンの地を離れることになる。


結果が欲しい時に呼ばれ、きっちり結果を出す。
ただ、少しでも結果が出なくなった瞬間にサヨウナラ。
それがファン・ハールの監督キャリアにおける
大半だったと言って差し支えないだろう。


私が強く記憶しているのは、勝利のみを義務付けられた
スペインとドイツの強豪を率いるちょうど"間"の時期だ。
ファン・ハールは母国オランダの
AZアルクマールというクラブの指揮を執ることになった。
あまり耳馴染みのない地でのチャレンジに、
一報を聞いた私は不思議に思ったことを覚えている。
そのクラブは彼が選手キャリアを閉じたクラブであり、
彼が指導者キャリアをスタートさせたクラブであるということを
知ったのはかなり後のことだ。


ファン・ハールは輝いた。
就任1年目は最終節まで優勝の可能性を残した3位。
2年目はアヤックスとPSVの2強を抑えて、リーグ優勝をさらってしまう。
いわゆるビッグ3以外のリーグ優勝は28年ぶり。
その快挙は遠く日本にまで届いていた。
何で見たのだろう。写真なのか、映像なのか。
とにかく優勝セレモニーでファン・ハールが笑っていたのだ。
それも喜色満面で。
「こんな顔で笑うんだなあ」
失礼かもしれないが、それが率直な印象だった。


ただ、記憶の片隅にはそれと同じような笑顔が残っていた。
1994-95シーズンのUEFAチャンピオンズリーグファイナル。
若きアヤックスを率いて、最強ミランを打ち破ったウィーンの夜。
歓喜を抑えられない愛弟子たちの横で、
確かファン・ハールは笑っていた。
それも喜色満面で。
AZアルクマールとアヤックス。
この2つの笑顔を結び付けたのは、
"母国"のクラブを率いていたということに他ならない。


翻って昨日。
ファン・ハールは笑っていた。
それも喜色満面で。
確かにゴール自体はファンタスティックなものだったが、
まだ同点ゴールだ。勝負師らしくもない。
でも、すぐに思い直した。
「ああ、そうだったよな」と。
「母国のチームを率いている時の彼は、こういう顔をするんだったな」と。
その傍らには、ウィーンの夜を選手として体験した
ダニー・ブリントとパトリック・クライファートの姿があった。


5バックも厭わない?スペクタクルなんて関係ない?
前評判の決して高くなかったチームが
この大舞台で前回王者を相手に見せたのは
一度火が付くと止まらない国民性。
間違いなく彼らはスペクタクルに溢れた5バックの"オランダ代表"だった。
過去にワールドカップ優勝監督へと上り詰めた
18人の共通項は"母国の代表を率いていること"。
今回のオランダ代表を率いているファン・ハール監督は言うまでもなく、
オランダ人である。


土屋

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