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J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。
"11メートル"の葛藤。そして歴史は繰り返す。
何千回、いや、何万回と積み重ねてきた
"11メートル"先の景色が眼前に広がる。
ただ、ワールドカップと呼ばれる
世界最高の祭典でその景色を目にした者は、
200とわずかしかいない。
それは、近いのか。
それは、遠いのか。
初めて"11メートル"で祭典に決着が付いた日から32年。
222番目のキッカーとして
その場に身を置いた34歳のギリシャ人に
"11メートル"はどう映ったのか。
何千回、いや、何万回と積み重ねてきた
助走から右足を振るう。
1秒後。願いは届かなかった。
それは、近かったのか。
それは、遠かったのか。
残酷な物語は、世界にまた1つその数を増やした。
1891年9月14日。
豊かな緑の中に佇むモリニュー・スタジアム。
『ウォルヴァーハンプトンのジョン・"ビリー"・ヒースが
世界で最初のペナルティキックを成功させた』と言われている。
今から1世紀を超える遥か過去、
既に"11メートル"を巡るドラマは
"サッカー発祥の地"で幕を開けていた。
1970年8月5日。
古きよき英国の香り漂うブースフェリーパーク。
その"サッカー発祥の地"で
初めてペナルティキックの成功と失敗が勝敗に適用される
対峙したのはハル・シティと"赤い悪魔"ことマンチェスター・ユナイテッド。
『ジョージ・ベストが1番手として成功を収めた』と言われている。
他方、
『デニス・ローがイアン・マッケクニーにキックを止められた』とも。
そのキャリアで257ものゴールを陥れてきた
スコットランドの英雄も、失敗する。
既に"11メートル"を巡るドラマは
その後の行く末を暗示していたのかもしれない。
ワールドカップでそれが採用されるのは
1978年のアルゼンチン大会まで遡る。
2つのグループステージ制が敷かれていた当時、
行われる対象は3位決定戦と決勝。
いきなり、後者は可能性を秘めた。
後半終了間際に"時計仕掛けのオレンジ"が
開催国に同点弾を浴びせ掛ける。
それでも、追加された30分の中で
かの"マタドール"、マリオ・ケンペスが決着を付ける。
タンゴの国が世界を手に入れた歓喜に包まれる陰で、
ドラマの"デビュー"は先送りにされた。
1982年7月4日。
白の街に聳え立つサンチェス・ピスファン。
120分間は熾烈を極めた。
ファイナリストの座を巡り、
勤勉の西ドイツと華麗なフランスが殴り合う。
延長で2つのゴールを奪った後者は、
延長で2つのゴールを奪われる。
3日後のマドリードへ、決戦の地へと辿り着くための切符は、
52年を、12の大会を積み重ねた歴史上初めて
"11メートル"に委ねられた。
勤勉の3人目、ウリ・シュティーリケが
華麗なる守護神ジャン・リュック・エトリに止められる。
"初めて"の失敗。男は泣き崩れる。
しかし、ドラマはここからだった。
華麗なる4人目、ディディエ・シスへ
勤勉の守護神ヘラルド・シューマッハが立ちはだかる。
流れは変わった。
華麗なる6人目、マキシム・ボシスへ
再びヘラルド・シューマッハが立ちはだかった。
泣き崩れた男の顔が、泣いたままの笑顔に変わる。
かくして、ワールドカップで最初に行われた"11メートル"は、
世界に強く記憶された。
1990年6月30日。
花の都に居を構えるスタディオ・アルテミオ・フランキ。
4年前に聖杯を戴いた"神の子"は追い詰められていた。
賢人イビチャ・オシムが率いしバルカンの志士は、
前半で1人を失ったが、その勢いを止めるつもりは毛頭ない。
若き日のドラガン・ストイコヴィッチが、
デヤン・サビチェヴィッチが、世界王者を翻弄する。
120分間を終えて、数字は動かない。
"11メートルが"両者に用意された。
1番目の妖精がクロスバーに弾かれた後、
"神の子"は3番目に登場した。
逆を突いたはずだった。
ところが、目の前の守護神は逆を突かれない。
何度も"11メートル"先を見返したが、
その光景が変わるはずもない。
チームは勝利したが、"個人"の敗北は心に刻まれる。
あるいは、ディエゴ・マラドーナにとってのワールドカップは、
その後に積み重ねた4つの試合を迎える前に、
あの日で終わっていたのかもしれない。
1994年7月17日。
9万人にも及ぶ熱狂を飲み込んだローズ・ボウル。
"不毛の地"で行われる最後の1試合は、
その120分間でスコアに変化を見せることなく、
"11メートル"で世界を分かつことになる。
アズーリか、カナリアか。
数十億人が固唾を飲んで見守る。
負傷から帰ってきた蒼きキャプテンは、
枠を大きく外した。
ゴールネットを5度撃ち抜いてきた黄色の狙撃主は、
正確に"6度目"も撃ち抜いた。
外せば終わる蒼き5番目。
何度も死に掛けたアズーリを
その度に救い上げてきた10番がスポットに立つ。
ポニーテールが揺れる。
"11メートル"先のネットは揺れなかった。
ロベルト・バッジョ。
外してなお、その立ち尽くす姿は永遠となった。
2010年6月29日。
記憶に新しいロフタス・ヴァーズフェルド・スタジアム。
初めての"8"を熱望する両者は、行き切れない。
探る。探る。そのタイミングを。
それでもやはり、行き切れない。
アジアを代表して、南米を代表して
南アフリカの地を訪れた両雄の120分間が終わる。
それはお互いにとって初めて世界の舞台で迎える
"11メートル"の果たし合いだった。
エドガー・バレット。遠藤保仁。
ルーカス・バリオス。長谷部誠。
クリスティアン・リベロス。
すべて成功した。
駒野友一。ボールはクロスバーを叩く。
その後のことはよく覚えていない。
相手の"4番目"が駆け寄る。
何かを懸命に伝える。
それだけが強く印象に残った。
2ヵ月後。
私は"4番目"が待つスペインの地を訪れた。
言うまでもなく、あの時のことを聞くために。
ネルソン・アエド・バルデス。
"4番目"の彼はこう話した。
「自分も選手だから他の選手の気持ちがわかるんだ。
ワールドカップでPKを外したとなると、
自分のせいで負けたと思ってしまう。
だから彼のところに行って、
『顔を上げよう。君のせいじゃない』って言ったんだ。
それから幸運を祈って『気を落とすな』ってね。
多分、彼は僕が何て言ったかまでは
わかっていなかったと思うよ。
でも、言葉はわからなかったかもしれないけど、
何が言いたかったかは通じたと思う」
思った通りだった。それ以上だったかもしれない。
貧困に喘ぐ母国の若者を憂い、
自身の名を冠した基金を立ち上げたと語る
その男の黒い瞳はどこまでも澄んでいた。
あの日の2人が再会する時は、やがて訪れるだろうか。
2014年6月29日。
この祝祭のために新設されたアレナ・ペルナンブーコ。
4年前の日本とパラグアイのように、
初めての"8"に挑んだ両者の均衡は破れない。
10日前に数的不利を被った"神々の国"は、
10日後のこの日、数的優位を享受したが、
それは必ずしも勝利への劇薬になり得ない。
"豊かな海岸"も必死に耐える。
世界の"8"だ。その景色を見たくないはずがない。
一度は前に出た"豊かな海岸"を、
土壇場で"神々の国"が捉える。
前日の王国同様、
彼らの決着も"11メートル"が預かることになる。
セルソ・ボルヘス。コンスタンティノス・ミトログル。
ブライアン・ルイス。ラザロス・フリストドゥロプロス。
ジャンカルロ・ゴンサレス。ホセ・ホレバス。
ジョエル・キャンベル。
すべて成功した。
テオファニス・ゲカス。ボールをケイラー・ナバスが弾き出す。
"11メートル"は、近かったのか。
"11メートル"は、遠かったのか。
それは彼らにしかわからない。
ミチャエル・ウマーニャが終止符を打つ。
残酷な物語は、世界にまた1つその数を増やした。
34歳。
おそらくは"世界"と出会うラストチャンスだった。
祈りたい。
テオファニス・ゲカスの今後に幸あらんことを。
願いたい。
駒野友一にとっての"4番目"が彼にも現れることを。
借り物ではあるが、最後にこの言葉を贈ろう。
『顔を上げよう。君のせいじゃない』と。
土屋
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