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このブログについて

J SPORTSのサッカー担当がお送りするブログです。
放送予定やマッチプレビュー、マッチレポートなどをお送りします。

スタッフブログ 2012年10月11日

フランス抗争史

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明日、9年ぶりにフランス代表と対戦する日本代表。
過去にこのカードは国際Aマッチとして6回組まれています。
ということで、今回はフランスとの抗争史を
簡単にまとめてみました。


日本代表が初めてフランスと対峙したのは1968年10月20日。
場所はメキシコシティ。舞台はアステカ。
つまり、メキシコオリンピックの準々決勝が
両者の初対戦だったという訳です。
ゲームは27分に釜本邦茂のゴールで日本が先制するも、
5分後の32分にシャルル・タンブエオンのゴールでタイスコアに。
それでも日本は後半に入り、釜本のこの日2ゴール目で勝ち越すと、
渡辺正が追加点を挙げて、そのまま3-1で快勝。
準決勝へ駒を進めることになりました。
なお、このゲームは過去6度の対戦で
唯一日本が勝利したゲームとなっています。


2度目の対戦は1994年5月29日。
ファルカンジャパンの2戦目は
キリンカップサッカー94で会場は国立競技場。
今藤幸治、名塚善寛、岩本輝雄と代表2キャップ目の
3人を含む最終ラインで臨んだ日本は、
アメリカワールドカップ出場を逃した
新生レ・ブルーの洗礼をまともに受ける格好に。
15分にユーリ・ジョルカエフに先制弾を許すと、
3分後にはジャン・ピエール・パパンの華麗なゴールで2点差。
後半にもオウンゴールとダヴィド・ジノラの一撃で、
4点のビハインドを負うことになります。
78分には当時20歳の小倉隆史が
結果的に代表唯一となるゴールを決めて一矢を報いますが、
改めて世界との差を痛感する一戦となりました。
ちなみに、この時のフランス代表には
ローラン・ブラン、マルセル・デサイー、ディディエ・デシャン、
ジョルカエフ、ビセンテ・リザラズなど4年後の世界王者になるメンバーと、
パパン、ジノラ、ポール・ル・グエン、エリック・カントナなど
結果的に代表から外れていくメンバーが混在した、
非常に魅力的なチームだったことを付け加えておきましょう。


次の対戦は2000年6月3日。
会場はモロッコのカサブランカ。大会はハッサン2世国王杯です。
名波浩や中村俊輔、大岩剛など、
2年後のワールドカップメンバーからは
外れる選手もスタメンに名を連ねたゲームは、
森島寛晃のヘディングで日本が先制。
ジネディーヌ・ジダンのゴールで追い付かれたものの、
70分にあの一発でヨーロッパに行ったとも言われている、
西澤明訓のスーパーボレーが火を噴きます。
最後はジョルカエフの同点弾でドロー決着となりましたが、
母国相手に好ゲームを披露したフィリップ・トルシエ監督が
上機嫌だったのは言うまでもありません。
このゲームはトルシエ就任後、初めてヨーロッパの強豪国と激突した一戦。
世界との距離が縮まってきたかに思えたこの日の9か月後、
それが錯覚だったことを同じ相手に
嫌というほど思い知らされることになります。


今もって"悲劇"と形容される、4度目の対戦は2001年3月24日。
舞台はすっかり有名になったサンドニ。
色々な意味でトルシエジャパンの
ターニングポイントになったゲームです。
10分、ロベール・ピレスを松田直樹がエリア内で倒し、ジダンのPKで先制。
14分、アンリの何でもないシュートが楢崎正剛のファンブルを誘って2点目。
56分、ジダンのCKから最後はシルヴァン・ヴィルトールが押し込んで3点目。
62分、ヴィルトールのスルーパスからダヴィド・トレゼゲが流し込み4点目。
65分、ヨアン・ミクーのラストパスをまたもトレゼゲが沈めて5点目。
このゲームで唯一対等に戦えていたと評価されている
中田英寿が放った3本のシュートも、
1本はクロスバーに弾かれ、2本はGKがファインセーブで阻止。
このゲームは詳細を語らずとも、
多くの方の記憶に深く刻まれているのではないでしょうか。


5度目の対戦はそれからわずかに3ヶ月後の2001年6月10日。
自国開催のワールドカップをちょうど1年後に控えた、
コンフェデレーションズカップの決勝。
ローマの優勝に立ち会うべく離脱した中田英寿を含め、
サンドニからはスタメン6人を入れ替えて、優勝に挑んだ日本。
ジダンのいないフランス相手に善戦したものの、
前半にパトリック・ヴィエラが決めたゴールが
そのまま決勝点となり、0-1で敗れる結果となります。
ただ、ホームとはいえ最少失点で乗り切ったという事実が、
その後の日本にとって、1つの自信回復になったことは
間違いないゲームでした。


現時点で最後の対戦となっている6度目の再会は2003年6月20日。
場所はサンテティエンヌ。松井大輔もプレーしていた
スタッド・ジョフロワ・ギシャールがその舞台となりました。
監督はジーコ。中田、稲本潤一に加え、
2002年以降に海を渡った中村、髙原直泰と
4人の海外組が集結した一戦。
43分にピレスのPKでフランスがリードを奪いますが、
このゲームのハイライトは59分。
中央左サイド、FKのスポットに立ったのは遠藤保仁と中村。
位置的には遠藤でしたが、蹴ったのは中村。
左足でこすり上げたボールは、名手ファビアン・バルテズも及ばず、
右のポストを叩いて、ゴールに吸い込まれます。
ゲームは2-1でフランスが勝利したものの、
世界に"NAKAMURA"の名前が大きく知れ渡る
キッカケになったゲームと言えるでしょう。


過去の対戦成績は
日本から見て1勝1分け4敗、7得点15失点。
今回のゲームは果たしてどういう結末を迎えるでしょうか。
今から非常に楽しみですね!
写真は2003年に両チームが対峙したスタッド・ジョフロワ・ギシャール。
DSCF3844stad 1011.JPG
土屋

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