人気ランキング

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

コラム&ブログ一覧

サッカー フットサル コラム 2022年11月1日

サッカーを裁くのは人間である。「正確なジャッジ」と「精確なジャッジ」

木村浩嗣コラム by 木村浩嗣
  • Line
ジローナ戦でゴールが取り消されたアセンシオ

ジローナ戦でゴールが取り消されたアセンシオ

紙に真っ直ぐな線を描いてみよう。定規と尖った鉛筆を使って、一所懸命に、何回もやり直して、自信作ができた。どこから見ても、真っ直ぐな線、直線が引けた。

が、虫眼鏡で見ると、クネクネと蛇行しているではないか。定規の当て方、鉛筆の角度、始めと終わりで力の入れ方は一定でないからだ。

人間の目には「正確」な線も、器具や機械の目を借りて緻密に検証すると正確ではない。つまり「精確」ではない。

VARに求めてられているのは、人間の「正確なジャッジ」のサポートである。だが、いつの間にか、VARの方が「精確なジャッジ」を人間に要求していないだろうか?

例えば、レアル・マドリー対ジローナでのアセンシオのハンドである。

第一印象はPKではない。アセンシオの動作が自然だったからだ。胸に当たったボールが、顔を守ろうとした左手に当たった。ボールを手で扱ったようにも、ボールが当たれば有利になるようなところにあらかじめ手を置いていたようにも、見えなかった。顔にボールが飛んでくれば手で顔を覆うのは本能的な動作である。

プレーは当然、そのまま続けられた。

が、VARが待ったを掛けた。

スロー再生すると、やはり胸に当たった後、肘に当たっている。だが、左腕は折り曲げられ肘が突き出ており、さらに肘が振られていることもわかる。顔を手で覆えば肘は折れるものだし、胸への打撃に身もだえするのは衝撃を和らげようとする本能的なものなのだが、スロー再生を見ているうちに、“故意で不自然なアクション”という風に見えてくる。

というのも、人間が見逃していたディテールを見せてくれるスローモーションやストップモーションには、アクションやポーズを誇張して見せる効果があるからだ。

アセンシオは必要以上に肘を突き出し、不自然に体をよじっているように見える。

果たして、VARの映像を見直した主審はPKを宣告した。

私たちはリアルタイムの世界に生きている。当然ながら、スローや静止画像の解釈には慣れていない。

スローで見ると、接触プレーの瞬間に足首や膝が極端に曲がっていることに驚くことがある。我われが思っている以上に足首や膝が柔軟だからなのだが、これが“強烈な打撃”という風に解釈されがちである。だって、あんなに曲がった映像、見たことがなかったから。

かくして、人間の目では大したことのない接触プレーが、ビデオの目によって“異常な力が加えられた乱暴なプレー”と解釈され、ファウルやPKの笛が吹かれる。

緻密になればなるほど、ディテールに注目すればするほど、「精確なジャッジ」には近づくが、「正確なジャッジ」に近づくとは限らない。実は、“大したことない”という第一印象の方が、正確だったりする。

ルールブック上はアセンシオのハンドは正しいジャッジである。不自然なところに、不自然な状態の腕があり、そこに当たったのだからPKだ。だが、私が問題にしているのは、“不自然に見せたのはVARではないか”という点である。

これ、ルールブックに“顔を守る腕や手のアクションは不自然とは見なさない”という修正を加えてもいいのだが、それよりも“第一印象を大切にして、VARによるディテールに惑わされない”と再確認した方が手っ取り早く根本的な解決になる。

サッカーを裁くのは人間である、という原点は誰もが認めるところなのだから。

文:木村浩嗣

木村浩嗣

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペインに拠点を移し特派員兼編集長に。15年編集長を辞し指導を再開。スペインサッカーを追いつつセビージャ市王者となった少年チームを率いた。現在はグラナダ在住で映画評の執筆も。

  • Line

あわせて読みたい

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

ジャンル一覧

J SPORTSで
サッカー フットサルを応援しよう!

サッカー フットサルの放送・配信ページへ