人気ランキング

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

コラム&ブログ一覧

サッカー フットサル コラム 2022年8月29日

まだ若かった日本サッカー~日本サッカーの原点 FRANCE98~

後藤健生コラム by 後藤 健生
  • Line

フランスW杯は、僕にとっても思い出深い大会だ。
僕は、1974年の西ドイツ大会からワールドカップの現地観戦を始めたのだが、1980年代くらいまではワールドカップというのは日本とは縁のない「雲の上の存在」としか思えない大会だった。そして、僕にとって7回目の大会で初めて日本代表が戦う姿を目にしたのだった。そこに、ブルーのユニフォームを身にまとった日本代表の選手たちが立っているだけでも、夢のような出来事だったのだ。

フランス大会で日本は3連敗に終わってしまった。初戦に2度の優勝経験があるアルゼンチンと対戦して、ちょっとしたミスをガブリエル・バティストゥータに決められて敗れてしまう。そして、酷暑の中で行われたクロアチア戦では中山雅史の決定機があったが決められず、再び0対1で連敗。この時点で、日本のグループリーグ敗退が決まってしまった。
そして、最終戦は日本と同じくワールドカップ初出場のジャマイカと対戦したが、2点を先行されてしまい、最後に中山が日本にとってのワールドカップ初ゴールを決めて一矢報いるのが限界だった。当時の日本チームは3試合を戦いきるのがやっとだった。

「3連敗」。今だったら日本チームは非難を浴びることだろう。だが、当時の日本のサッカーファンはワールドカップ本大会で戦えたことで満足した。
20世紀最後のワールドカップとなったフランス大会当時、日本にとって本当の勝負は「アジア予選突破」だったのだ。1997年のアジア最終予選はジョホールバルでのイランとの第3代表決定戦までもつれ込み、おそらく日本のサッカー史上最も厳しい戦いだった。

フランス大会後に日本代表を率いることになったフィリップ・トルシエ監督の言葉を借りれば、フランスでの本大会は「ボーナスのようなもの」だったのかもしれない。
トルシエ監督が作った若いチームで臨んだ日本代表にとってはグループリーグが勝負の場だった(開催国として予選は免除)。そして、見事に2勝1分で決勝トーナメント進出を果たしたのだが、トルシエ監督にとってトルコとのラウンド16は「ボーナス」だった。

  • Line

あわせて読みたい

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

ジャンル一覧

人気ランキング(オンデマンド番組)

J SPORTSで
サッカー フットサルを応援しよう!

サッカー フットサルの放送・配信ページへ