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サッカー フットサル コラム 2022年3月29日

スペイン代表が18年ぶりのカタルーニャ州での代表戦開催。サッカーと政治の話

木村浩嗣コラム by 木村浩嗣
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スペイン代表

スペイン代表

スペイン対アルバニアは2−1でスペインが辛勝した。勝ち越しゴールはロスタイムという際どいものだった。

ボールを圧倒的に支配(支配率は80%近かった)しても良く鍛えられたチームに引いて守られカウンターを狙われれば、ホームで、ポット1に入ることが確実のスペインでも苦戦する、という見本。スペインには単独で崩せる選手はいるが、そこからフィニッシュまで持って行きゴールできる選手はいない。カタールでもこういう試合はあるだろうし、そもそも世界一になった南アフリカW杯でさえ初戦はスイスに同じ形で敗れているのだ。

今は弱小国だって守備は組織されていて点を取るのは難しい。その上でアルバニアのブロハのような単独突破できるFWがいれば失点、つまり敗戦の恐れもある。

スペインを救ったのはダニ・オルモ。見事なファーポストを巻くミドルシュートだったが、彼はW杯予選ジョージア戦でもロスタイムに同様のミドルで決勝ゴールを挙げている。もしあの試合引き分けに終わっていたら、今頃はプレーオフに回っていたかもしれない。

幸いそうはならずに親善試合となったことで、勝敗よりも別のところへ焦点が当たっていた。試合内容?、ではない。18年ぶりのカタルーニャ州での開催だったという点だ。

スペインサッカーファンの方ならご存知のようにカタルーニャは代表を応援する機運に乏しい。カタルーニャ独立を目指す人たちが一定数おり、国歌や国旗にブーイングが飛びかねない。今回はエスパニョールの本拠地だったが、バルセロナの本拠地カンプノウでは「カタルーニャはスペインでない」という横断幕が出ることもある。そんな時、観客席で振られているのはカタルーニャ州の旗かカタルーニャ独立派の旗である。

ちなみにカンプノウで最後にスペイン代表が試合をしたのは1987年、35年も前。応援されないところで試合は開催できない、ということで18年の歳月が必要だったわけだが、もしW杯を懸けた大一番であれば、第一候補のレアル・マドリーの本拠地サンティアゴ・ベルナベウは工事中なので、アトレティコ・マドリーの本拠地ワンダメトロポリターノか、代表熱が高いセビージャの本拠地サンチェスピスファンが選ばれていたに違いない。

EURO2020の開催地にビルバオが立候補し選ばれた(コロナ禍で最終的にはセビージャ開催)ことでわかるように、やはり独立運動が盛んだったバスク開催はもうタブーではなくなった。残ったタブーはカンプノウだけだ。

アルバニア戦は反独立派のお祭りのようだった。観客席は国旗で埋まり、「カタルーニャは代表とともに」という横断幕も出た。国歌のアカペラは相変わらず出鱈目(最初のフレーズは2回繰り返すのだが、すっ飛ばしてしまう人が多数)だったが、ブーイングは出なかった。退屈な試合をそっちのけで、「私はスペイン人だ!」というコールが連呼されていた。

ジョルディ・アルバやペドリ、ガビが拍手されていたことからすると、バルセロナファンもかなりいたことが推測できる。地方選挙の結果から推測した、カタルーニャの独立派と反独立派の比率は半々、というのは事実から遠くないのかもしれない。ラポルタ会長を始め独立派というイメージが強いバルセロナファンにも相当数、反独立派がいると推測できる。

「べき論」で言えば、スポーツと政治は区別されるべきなのだが、現実にはこれほど密接なのである。

文:木村浩嗣

木村浩嗣

編集者、コピーライターを経て94年からスペインへ。2006年に帰国し『footballista フットボリスタ』編集長に就任。08年からスペインに拠点を移し特派員兼編集長に。15年編集長を辞し指導を再開。スペインサッカーを追いつつセビージャ市王者となった少年チームを率いた。現在はグラナダ在住で映画評の執筆も。

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