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サイクル ロードレース コラム 2023年10月10日

【ジャパンカップサイクルロードレースを走るスーパースター:クリストファー・フルーム】4度のツール・ド・フランス総合制覇、今は大けがからの復活途上。宇都宮で不死鳥伝説を描けるか

サイクルNEWS by 福光 俊介
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スカイ時代にマイヨ・ジョーヌを着て表彰台に立つフルーム

スカイ時代にマイヨ・ジョーヌを着て表彰台に立つフルーム

10月13日から15日の会期で開催される、アジア最高峰のワンデーレース「ジャパンカップサイクルロードレース」。2023年大会は第30回記念でもあり、長きにわたってサイクルロードレース界が、そして開催地・栃木県宇都宮市が築いてきたジャパンカップのレガシーを、いま一度世界へと高らかに発信する機会でもある。

いまや世界でも一目置かれるレースとなったジャパンカップ。その背景には、本場ヨーロッパのレースにも引けを取らない難易度と、日本人が大切にする“おもてなしの心”が存在する。レースを走った誰もが「また走りたい」と口にし、それに比例するように多くのトップライダーが来日、真剣勝負を繰り広げてきた。

第30回記念大会にも、「スゴイ」選手たちがやってくる。そこで、2回に分けてわれわれが注目すべきビッグネーム(大物ライダー)を紹介し、その強さやバックボーンである人間性や競技姿勢にフォーカスしてみたいと思う。

今回は、クリストファー・フルーム(イスラエル・プレミアテック)。世界最大の自転車レースであるツール・ド・フランスを4度制したほか、ジロ・デ・イタリアやブエルタ・ア・エスパーニャも制覇。サイクルロードレース界に燦然と名を残し、いまなおトップの座を狙おうと戦い続けるブリティッシュスターを紹介する。

レース詳細ページ

ツール・ド・フランスを制すること4回 2010年代半ばは時代を引っ張った

2022年のジャパンカップ。出場が決まり、準備を進めていたイスラエル・プレミアテックをアクシデントが襲ったのは大会直前のことだった。所属選手に体調不良者やけが人が相次ぎ、出場レースのメンバー繰りが難しくなってしまった。チームはやむなく日本への遠征を断念。出走を予定していた選手たちがビデオメッセージで、不参加となることの謝罪と、「来年こそは」との思いを寄せたのだった。

あれから1年。イスラエル・プレミアテックは晴れてジャパンカップに挑む。昨年はトップカテゴリーのUCIワールドチーム(第1カテゴリー、国際登録チームは実績・実力・資金力などの要素で3つの階層に分けられている)に位置していたが、今年からはワンランク下げたUCIプロチーム(第2カテゴリー)となった。数年かけてトップカテゴリー返り咲きを目指すチームにとって、ワールドクラスのチームが参戦するジャパンカップは今だけでなく将来に向けても重要な一戦になる。

圧倒的強さを誇ったスカイ時代のフルーム

圧倒的強さを誇ったスカイ時代のフルーム

そんな大事なレースに、クリストファー・フルームがメンバー入りする。過去4度、ツール・ド・フランスを制した「大物中の大物」である。

フルームの名が世界にとどろいたのは、2011年のブエルタ・ア・エスパーニャだった。当初この大会ではチームメートのブラッドリー・ウィギンスのサポート役を務めるはずだったが、あれよあれよと優勝争いへと上り詰める。ウィギンスも好調だったから、当時彼らが所属していたスカイ プロサイクリングは双頭体制で大会制覇を目指した。結果的にファンホセ・コーボにわずかな差で敗れるわけだが(のちにコーボの薬物違反が判明し、フルームが個人総合優勝に繰り上がる)、チームはもとよりサイクルロードレース界の顔となっていたウィギンスとともに、スター選手の仲間入りを果たしたのだった。

翌2012年のツールもウィギンスのサポート役は変わらず。ときにチームリーダーまでをも引き離す強さを見せたが、最終的にはチームからの指示を守り、ウィギンスのツール制覇をアシスト。しかし、この段階でもはや「フルームの方が強い」というのは明白だった。

そこからは進撃の一途である。2013年のツールでついに頂点に。2014年は落車が影響しリタイアに終わったが、2015年からは3連覇。特に2017年はツールとブエルタ・ア・エスパーニャ(ツールと同規模のスペイン最大のレース)の2冠を達成。2018年にはジロ・デ・イタリア(ツールと同規模のイタリア最大のレース)にも勝ち、すべてのグランツール(3週間にわたるステージレースで、所要時間を競う)に勝った史上7人目のライダーとなった。

2010年代半ばは紛れもなく「フルーム時代」。レースに出れば勝つ、そんな時期だった。山岳にめっぽう強く、ハイペースを維持するばかりか、アタック(急激にスピードを上げてライバルを振り切る攻撃)一撃で勝負を決める強さがあった。また、タイムトライアル(ひとりずつコースへ出て走行タイムを競う種目)も得意とし、そこで得たタイム差を山岳でさらに拡大するのが勝ちパターンだった。

だが、そんな彼の走りにも陰りがみられるようになる。前述のジロ制覇後に臨んだツールでは、当時チームメートだったゲラント・トーマスに王座を譲った。そして何より、2019年のクリテリウム・ドゥ・ドーフィネ(毎年6月に開催されるツール・ド・フランス前哨戦)でのタイムトライアル試走中の大事故が彼のキャリアを大きく狂わせた。コーナーでの転倒で、右大腿骨・肘・肋骨を骨折。驚異の回復で、3カ月後にはバイクトレーニングを再開したが、いまだにツールを制した当時の面影は見られない。

あのとき負った怪我が、今もまだ彼の走りに影響していることは間違いない。精力的にトレーニングやレースに臨んでいるが、リザルトに結びついていないのが実情だ。それでも、本人は完全復活を信じて走り続けている。ジャパンカップは、大きなきっかけになるだろうか。

ケニアで生まれ育つもマインドはイングランド人

フルームのレーサーキャリアが大きな浮き沈みも含めて“スーパー”と言うなら、彼の生い立ちもまたユニークである。

1985年5月20日、ケニアの首都ナイロビ生まれ(現在38歳)。両親ともにイギリス人で、父はフィールドホッケーの年代別イングランド代表にも選出された経験の持ち主。フルーム自身はケニアで幼少期を過ごすわけだが、その理由は母の両親が同国で農場を経営していたことにある。

ただ、「当時からマインドは“イングランド人”だった」と、トッププロになったフルームは振り返っている。食卓にはイギリスの伝統的な料理(いうなら母の味)が並び、ステレオからはビートルズの曲が流れていた。ラグビーを志した2人の兄は早くからイングランドに渡ったが、“クリストファー少年”は次第に自転車に傾倒していく。13歳で初めて走ったレースは、母の反対を振り切って出場し優勝。誘われて加入したナイロビのチームでは、協調性に問題があるとの誤解や、反対をし続ける母親とぶつかり合うこともしばしばあったが、それでも走ることは止めなかった。

14歳のときに南アフリカ・ヨハネスブルグに移住。自転車競技にも一層熱を入れ、チームキャプテンを務めるまでになる。ヨハネスブルグ大学では経済学を専攻。競技と学生生活の両立にも励んだ。

サイクルロードレースでプロを目指すきっかけとなったのは、ある日所属チームから贈られた黄色いジャージ(サイクルウェア)だった。受け取った瞬間は「なぜプレゼントされたのか分からなかった」(フルーム談)というが、のちにそれがツール・ド・フランス王者の証「マイヨ・ジョーヌ」であることを教えられる。目指すべき未来が決まった瞬間だった。

競技活動に注力するようになってからは、ケニア代表としてロード世界選手権の年代別部門を走ったりもしていたが、2007年に正式にイギリス国籍に変更。といっても、前述したバックボーンからケニアとイギリス両国のパスポートを所持しており、両親の祖国を選んだというのが実際のところ。今も、ナイロビでみずからの可能性を見出したデイヴィッド・キンジャー氏(51歳の今もケニア代表を狙える走力の持ち主とか!)への恩は強く、頻繁にコンタクトを取り合っているという。

大好きな日本で復活劇を!

笑顔で手を振るフルーム

笑顔で手を振るフルーム

日本との縁も深く、サイクルロードレース界きっての親日家だ。

初来日した2007年には、ツアー・オブ・ジャパン第6ステージで独走勝利。その後の大活躍の礎となったことは、本人も認めている。

ツールを制するようになってからは、「ツール・ド・フランス さいたまクリテリウム」に何度も参戦。前述した2019年の大けがの際には、回復途上にもかかわらず来日し、元気であることを日本のファンにアピールした。

そんな大好きな日本で、もうひと花火打ち上げられるだろうか。苦戦が続いているこの数年、若い選手の台頭もあってビッグレースへの出場機会が減りつつあることは否めない。今年はツールのメンバー入りも逃してしまった。現在所属するイスラエル・プレミアテックのオーナー、シルヴァン・アダムス氏(イスラエル系カナダ人の大富豪)は「戦力としてチームに迎え入れたが、期待通りの走りはできていない」と手厳しい評価。「このままでは大事なレースには使えない」とまで。

まさに正念場だ。本人はまだまだやる気に満ちていて、レースにイベントに、精力的にスケジュールを消化している。9月にはカナダでがん啓発のチャリティライドを実施。10月は中国でステージレースを走ったのちに、ジャパンカップに臨む見通しとなっている。SNSやYouTubeでの発信にも力を入れていて、そこで見せる姿や表情はいたって明るい。

かつてはあまりの強さにヒール扱いされることも多かったフルームだけど、やっぱり強くないととても寂しい。「フルームは不死身だった」と観る者を思わせる走りができるだろうか。ジャパンカップで、そして宇都宮で、新たなフルーム伝説の幕が開けることを期待しよう。

文:福光 俊介

福光 俊介

ふくみつしゅんすけ。サイクルライター、コラムニスト。幼少期に目にしたサイクルロードレースに魅せられ、2012年から執筆を開始。ロードのほか、シクロクロス、トラック、MTB、競輪など国内外のレースを幅広く取材する。ブログ「suke's cycling world」では、世界各国のレースやイベントを独自の視点で解説・分析を行う

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