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3月19日に行われたミラノ〜サンレモ第107回大会では、ゴール300m手前で落車発生という混乱のスプリントを制し、FDJのスプリンター、アルノー・デマールが優勝。20年間クラシック・モニュメントの勝利がなかったフランスに、大きな歓喜をもたらした。
レースの展開
ミラノ〜サンレモ、第107回大会。
先ごろまでイタリアで開催されていたティレノ〜アドリアティコは雪の影響を受けたが、スタート地ミラノの天候は快晴。ほぼ300kmにわたるサンレモまでの道のりでもこの好天は変わらず、ほぼ一日中温かい日差しが降り注いだ。
まずレース序盤、昨年も逃げに加わったマーティン・チャリンギ(ロットNLユンボ)、ヤン・バルタ(ボーラ・アルゴン18)、マッテオ・ボノ(ランプレ・メリダ)、アドリアン・クレック(CCCスプランディ・ポルコウィチェ)らを含む11人の逃げ集団が形成された。ティンコフ、コフィディス、ディメンション・データ、エティックス・クイックステップ、オリカ・グリーンエッジが集団の前方に選手を送り、ペースをコントロール。残りレース距離が200kmを切ってからはかなりのハイペースで、この日最初の峠、トゥルッキーノ峠のふもとで8分程度だった逃げと集団とのタイム差は、『3つのカポ(頭)』と呼ばれる、3連続の小さな上り(カポ・メーレ、カポ・チェルヴォ、カポ・ベルタ)の手前にたどり着くころには、3分ほどまで縮まった。ここからゴールのサンレモまで約60km。約300kmという長いレースの終盤には、チプレッサ、ポッジオという真の戦いの場が待ち構えている。来たるべきクライマックスに向け、集団の緊張感は次第に高まっていく。
海に向かい、プロトンが次第に南下する間、その前方ではもうひとつのドラマが展開していた。選手たちが14時ごろに通過する予定だったアレンツァーノ市で、地すべりが発生。もっとも大きな災害の現場はレースの走行コースではなかったが、その落石はレースのルートである国道(SS1、ヴィア・アウレリア)にも到達し、主催者と地元自治体は対策に追われた。
ジェノヴァ州知事の裁断もあり、迂回ルートとして高速道路(A10、アウトストラーダ)が使用されることが比較的速やかに決まり、レース無線を通じて各チームに通達された。9kmの迂回ルートが採用されたことにより、レースの総走行距離は4kmアップの295km。迅速な対応で混乱も少なく、この自然災害による影響は最小限に抑えられた。
さて、『3つのカポ』にさしかかったあたりから、落車が多発する。最後のカポであるカポ・ベルタを下り、チプレッサに向かう途中、ゴールまで30kmを残した地点で、前方の好位置につけていた有力選手たちを巻き込む集団落車が発生。マイケル・マシューズ(オリカ・グリーンエッジ)、マーク・レンショー(ディメンション・データ)、チーム・スカイのゲラント・トーマスとピーター・ケノー、そしてFDJのアルノー・デマールらが地面に投げ出された。
チプレッサの上りなかばで逃げ集団が吸収され、2009年ミラノ〜サンレモ優勝者であるマーク・カヴェンディッシュ(ディメンション・データ)は早々に後方へと取り残された。頂上付近でジョヴァンニ・ヴィスコンティ(モビスター)とイアン・スタナード(チームスカイ)がアタックをかけ、下りで集団を引き離そうとする。チプレッサとポッジオの間の平坦部分でダニエル・オス(BMCレーシング)ら4選手がブリッジしたが、カチューシャ、ディメンション・データが中心となって猛追し、ヴィスコンティらはポッジオを前に吸収された。
ポッジオでの最初のアタックは、アンドレーア・フェーディ(サウスイースト・ベネズエラ)。続けてトニー・ガロパン(ロット・ソウダル)、そして、ミカル・クヴィアトコウスキー(チームスカイ)が飛び出した。5のヘアピンカーブが連続する下りでは、ニバリが先頭になり、クヴィアトコウスキーを追走する。ニバリのすぐ背後には、ファビアン・カンチェッラーラ(トレック・セガフレード)、ペーター・サガン(ティンコフ)、エドヴァルド・ボアッソンハーゲン(ディメンション・データ)、アレハンドロ・バルベルデ(モビスター)がぴたりとつけた。
ポッジオを下りきり、ゴールまで残すところ1.5kmでカンチェッラーラがアタック。マッテオ・トレンティン(エティックス・クイックステップ)がその後輪にぴたりとつける。フレフ・ヴァンアーヴェルマート(BMCレーシング)も追いすがるが、その背後にはボアッソンハーゲン、1月のトラック世界選で金メダルを獲得し、ティレノ〜アドリアティコで区間優勝をあげたスプリントの新星、フェルナンド・ガビリア(エティックス・クイックステップ)も続く。その後ろには現ロード世界王者、サガンの姿も見える。集団スプリント以外でのゴールの可能性は、刻一刻と小さくなっていく。
ゴール前1kmのサインを走り抜け、最後の左ターンを越え、スプリントのタイミングを見計らうために、厳しいマーク合戦が始まる。わずかにコースを変えたヴァンアーヴェルマートの後輪にガビリアの前輪が触れ、ガビリアはヴィア・ローマの路面へと崩れ落ちる。サガンも大きくバランスを崩し、カンチェッラーラも行く方を阻まれた。混乱の中でユルゲン・ルーランツが飛び出し、ナセル・ブアニ(コフィディス)、デマール、ベン・スイフト(チームスカイ)らスプリントを切る。チェーンが飛び、突然失速したブアニがハンドルに右のこぶしを叩きつける。パリ〜ニース第1ステージで区間優勝を挙げたばかりの、元U23ロード世界選王者・デマールが、ゴール前で伸びのある加速を見せ、先頭でフィニッシュラインを越えた。2位にはスイフト、3位にはルーランツが入賞して表彰台に乗り、4位にはブアニ、5位にはヴァンアーヴェルマートが入った。
ミラノ〜サンレモにおけるフランス人の勝利は、1995年のローラン・ジャラベール以来、フランス人によるモニュメントの勝利は、同じくジャラベールの1997年ジロ・デ・ロンバルディア以来。 FDJにとっては、フレデリック・ゲドン(1997年パリ〜ルーベ優勝)以来2つ目のモニュメント勝利となった。
選手コメントなど
今大会のトップ10には、カンチェラーラ、サガンといった、優勝候補たちの名前が見当たらず、意外な感もあるかもしれない。しかし、チプレッサ手前からゴールまでのレース最終盤30kmを振り返れば、プロタゴニスト(物語の中心人物)の多くは、有力候補として名が挙げられていた選手たちだった。
アルノー・デマール(FDJ)
『信じられないよ。あんなトラブル(落車)があったのに、最後にはすべてがうまくいくなんて。U23世界選でも、クラッシュしたあとでの優勝だったんだ。(中略)いつかの時点でレースの展開についていけなくなり、アタックした選手がみんな捕まったのかが分からなかった。レース・ディレクターの車が前に見えたから、これは優勝をかけたゴールスプリントなんだ、と分かったんだよ。チプレッサとポッジオでかなり足を使った気がしたけれど、スプリントに入ってみたら、まだ足が残っている手ごたえがあったんだ』
フェルナンド・ガビリア(エティックス・クイックステップ)
『とても悲しいよ。すべて僕のせいだ。パーフェクトな位置につけていたのに、スプリントについて考え始めて、ほんの数秒ほど集中を失ってしまった。それでヴァンアーヴェルマートのタイヤに接触してしまったんだ。チームのみんなの努力を、ぼくが無駄にしてしまったんだ』
フレフ・ヴァンアーヴェルマート(BMCレーシング)
『まだたくさんの選手が残っていたから、ポッジオでアクションに出る意味がなかった。とにかくスプリントにかけてみることにしたんだ。今年のミラノ〜サンレモはそれほどタフじゃなかったから、誰の脚も、そこそこフレッシュだった。結局のところは、スプリンターのレースだったということだね』
ヴィンチェンツォ・ニバリ(アスタナ)
『ポッジオの上りの終盤から下りにかけてアタックをかけたけれど、もともとのペースが速かったから、それ以上何をするのも難しかった。下りでカンチェラーラを引き離せたらと思ったんだけどね。けれど、できることはやったつもりだから、後悔はないよ』
ペーター・サガン(ティンコフ)
『これまでも言ってきたように、ミラノ〜サンレモは予測できないレースだし、だからこそ、レースの前にいろいろ聞かれても意味がない気がしてしまうんだよ。ファビアン(・カンチェッラーラ)が飛び出したとき、「彼を行かせたらミラノ〜サンレモは終わりだ!」と周りの選手にはっぱをかけた。スプリントでは、ガビリアが一瞬背後を振り返って、クラッシュしたんだ。何とか落車は免れたけれど、そこから持ち直してスプリントにもちこむのは不可能だった。自分自身もチームもいい走りをしたと思う。だけど、レースを勝つのは決して簡単なことではないんだ』
ファビアン・カンチェッラーラ(トレック・セガフレード)
『難しかったね。周りにチームメートもいなかったし、すべての選手から厳しくマークされていた。ポッジオではニバリについていったけれど、それに気がついたニバリはスピードを緩めてしまったし、ふもとでのアタックはトレンティンにつぶされてしまった。ガビリアはトレンティンに「行け、行け、行け!」と叫んでいたよ。最後の動きにはなんとか食らいついていこうとしたけれど、ガビリアがクラッシュして、ペーター(・サガン)も自分も落車を避けるだけで精一杯だった』
トム・ボーネン(エティックス・クイックステップ)
『チプレッサではすぐ目の前でクラッシュが起こり、最後尾になってしまった。それでかなりエネルギーを消耗してしまったね。ポッジオでは上りでクラッシュがあった。それほどレースが厳しくなくて、みんなの脚がまだかなりフレッシュだったから、プロトンがピリピリした雰囲気になって、落車が多発したんだ。ゴール目前でガビリアがクラッシュしたり、我々にとってはあまりいい日じゃなかったね」
ミカル・クヴィアトコウスキ(チームスカイ)
『チプレッサ手前の落車で、ゲラント(・トーマス)とピーター(・ケノー)を失ってしまった。彼らが残っていたら、集団が脚を使い切るように、もっともっとプレッシャーをかけられたんじゃないかと思う。けれど、あの状況でできることはすべてやった』
チプレッサの疑惑
24歳のアルノー・デマールによるモニュメントの勝利に、フランス自転車界は沸いた。フィニッシュライン目前のチェーントラブルに怒るブアニが地面に自転車を叩きつける一方で、右ほおに赤いキスマークをつけ、ポディウムで手を振るデマールは、『クラシッシシマ(=クラシックの中のクラシック)』における、キャリア最高の勝利の喜びに目を輝かせていた。
その歓喜に影が投げかけられたのは、その翌朝のことだ。
イタリアのスポーツ紙、ガゼッタ・デロ・スポルト(同紙はRCSスポルトとともに、ミラノ〜サンレモを主催している)は、クラッシュ後のチプレッサの上りで、デマールがチームカーにつかまりながら走っていた、とするマッテオ・トザット(ティンコフ)とエロス・カペッキ(アスタナ)のコメントを紹介した。ガゼッタ紙は、デマールがチームカーの窓枠につかまっていた(いわゆる『魔法のじゅうたん』疑惑)か、監督が差し出すボトルにつかまっていた(いわゆる『くっつくボトル(sticky bottle)』疑惑)かは判らないとしながらも、チプレッサの前には完全に集団から千切れていたデマールが、チプレッサの上りの途中、ほぼ2倍のスピードで自分たちを追い越していった、とトザットがコメントし、カペッキも同様に、「デマールは時速80km/hでチプレッサを上っていった」とコメントしたとしている。 (※ どちらの選手も、その後追加のコメント等は発表されていない)
チームカーを運転していたFDJのチーム監督、フレデリック・ゲドンは、英国のウェブメディア(cyclingnews.com)の問い合わせに対し、チプレッサの上りでデマールに併走し、ビドン(ボトル)を渡したことは認めながらも、チームカーからペースアップを助けるという違反行為については、完全に否定した。数珠つなぎになった車列の真っ只中で、チームカーを使い、ハイスピードの牽引を行うことなど不可能だった、とゲドンは言う。
フランス2(TV局)のインタビューを受けたデマールは、以下のようにコメントした。 「その騒動については耳にしたよ。負けて悔しいからじゃないかと思う。クラッシュのあと、すぐ近くにはコミッセールのモトが走っていたし、チームカーに牽引されたら処罰の対象になることはよくわかっている。ブエルタでのニバリの件を忘れたりしないからね。自分にとって最大の勝利をおめおめ失うようなリスクを侵したりはしない。真実は、弱冠24歳のフランスの若造がヴィア・ローマで勝利をあげたことが悔しかった、ということだと思う。(中略)僕はこの勝利のすべてを、ペダルのストロークで稼いだんだ」
フランスのレキップ紙とのインタビューでも、集団復帰をする際、同じ落車に巻き込まれたマシューズとともにチームカーを風よけには使ったが、それ以上の違反行為は行っていない、と再度疑惑を否定している。
騒動の収束のためには走行データを公開するべきだ、という声の高まりもあり、レース直後に非公開にされた(このことも疑惑を深める一因となった訳だが)デマールのStravaのデータが公開された。
チプレッサの上り区間(5.65km)でのデマールの最高速度は52.2km/h(※)。上り区間でのデマールの平均速度は37.7km/hで、これはチプレッサの頂上付近でアタックしたヴィスコンティの記録を上回り、StravaでもKOM(区間最高記録)を獲得している。ケイデンスについては、クラッシュ時以外に、ケイデンス0の時間が存在するが、これはチプレッサの上りが始まる前に起きたことだった(これが下りだったためか、誰かの後輪につけていたためか、牽引、あるいはドラフティングがあったためかはわからない)。ただ、ボトルで牽引される場合には(車の窓枠につかまって牽引される場合と異なり)ある程度のペダルこぎが必要であるいう指摘もあり、チプレッサの上りでペダルを回していない区間が見当たらない、ということは、イコールボトル牽引がなかったことの証明にはならない、という指摘もある。
(※ オリカ・グリーンエッジのサイモン・イェーツは、チプレッサの頂上付近での走行スピードについて、チームカーの後方を走行していたときの自身のスピードは54.2km/hだったとSNSでコメントしている。ヴィスコンティと共にアタックしたクラシック・スペシャリストのスタナードについては、Stravaを使用していないため、比較するデータがない。)
デマールはもともとパワーや心拍のデータを公開しておらず、今回公開された中にも、それらのデータは含まれていない。チプレッサの区間についてだけでもこれらのデータを公開するべきではないかという声ももちろんあるが、例えすべてのデータが信憑性の範囲内だったとしても、どんなデータには解釈の余地があり、疑惑が払拭できるかはわからない。
チプレッサにはある程度のギャラリーもいたはずと思われるが、デマールのボトル牽引についてのコメントや写真は見つかっていない(※)。また、デマールが完全に孤立していなかったとすれば、周囲の選手やチーム関係者の目もあっただろう。にもかかわらず、自分もデマールの違反行為を目撃した、と名乗り出る選手は、その後現れていない。
(※ 『チプレッサでデマールがボトル牽引を受けた動かぬ証拠!』との説明で、イタリアのウェブメディアによりSNSにアップされた写真は、チプレッサで撮影されたものではなく、被写体もデマールではなかったことが後に判明している)
それでも、選手仲間や関係者からの信頼も厚いベテラン選手が、「母国が誇るモニュメントでフランスの若造が勝ってしまったのが気に入らない」という理由でこういった証言をするともなかなか考えにくい。
ブエルタのニバリのように、動かぬ証拠があったとすれば別だが、今回の騒動においては、違反行為が起きたという、逃れようのない証拠はない。すべてが解釈の範囲内だ。同時に、もし違反行為がなかったとすれば、疑いをかけられた当の本人にとっては、とてつもなく不運な状況と言える。自転車レースに限らず言えることだが、何かが『起きなかった』ことを疑いの余地なく証明することは、とてつもなく困難なことだからだ。
残念ながら、今回の騒動について、誰もが納得する結論が出ることは難しいだろう。デマール自身は、この騒動が勝利の喜びを減らすものではない、としている。しかし、300kmにわたって繰り広げられた、この美しいスリリングなドラマは、ゴールのその先で、すっきりしない、少し後味が悪いものになってしまった。
寺尾 真紀
東京生まれ。オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジ卒業。実験心理学専攻。デンマーク大使館在籍中、2010年春のティレーノ・アドリアティコからロードレースの取材をスタートした。ツールはこれまで5回取材を行っている。UCI選手代理人資格保持。趣味は読書。Twitter @makiterao
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