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サイクル ロードレース コラム 2016年5月2日

お行儀のよいツールと、より予測不可能なジロ? 妥協を知らない、「もっとも美しく、もっとも過酷なレース」ジロ・デ・イタリア

サイクルNEWS by 寺尾 真紀
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5月のイタリア、7月のフランス、8月スペインで、3週間にわたって開催される3つのステージレース、『グランツール』。

サイクルロードレース(自転車レース)の中でも最高峰に位置づけられ、22のトップチームだけが出場を許される(*1)。9人のメンバーに選ばれ、そのスタートラインに並ぶことは、すべてのプロロード選手にとっての大きな夢だ。

その3大グランツールの一つ、ジロ・デ・イタリア(=『イタリア一周レース』)が、5月6日に開幕する。21日間をかけて(*2)、最終ゴール地のトリノ(北イタリア)まで、総距離3,463.1kmの道のりを走破する。

(注)
*1 トップカテゴリーに所属する全18チームに加えて、レース主催者の招待を受けた4チームが出場できる。

*2 休息日を含めると実際には24日間だが、レースが行われるのは21日間で、各ステージごとに勝利とタイムを争いながら、最終的には、全21ステージを合計してもっとも早い(少ない)タイムで走り終えた選手が『総合優勝者』となる。

ジロ・デ・イタリアが誕生したのは、1909年のこと。スポーツ報道の専門紙『ラ・ガゼッタ・デッロ・スポルト』が、売り上げアップを狙い、イタリアの都市をめぐっていく”周遊型”の自転車レースを企画・主催した。テレビはおろか、大衆向けラジオも始まっていなかったこの時代、レースの様子や結果は新聞を読まなければわからない。レースの人気は、そのまま売り上げ増につながった。

ただし、そういったアイデアをもとに”国内一周形式”の自転車レースが開催されるのは、イタリアが初めてではなかった。ジロにさきがけること6年前から、ツール・ド・フランスが始まっていたからだ。

先輩格にあたるツールがより大きく、より国際的に、より華やかに「世界最大の自転車レース」として成長していく一方、ジロはジロで、ツールとは一風違った魅力、独自のアイデンティティを追求してきた。「もっとも過酷で、もっとも美しいレース」と言われる今日のジロのキャラクターは、そんな中で培われてきたのだ。

ジロのコースをデザインする上で、心がけられていることがいくつかあるという。その中のひとつが、「より厳しく」ということ。もうひとつは、「より予測不可能に」ということだ。

ジロの山が厳しい、ということについては前の回で触れたが、ただ大きな山(標高が高い、あるいはものすごく急な上りの)がドーン、ドーンと登場すればOK、という訳ではない。例えば、2004年から7年間にわたりジロのコース設計に携わってきたアンジェロ・ゾメニャン氏は「(山岳ステージなら、基本的には)レースのゴールラインは山の上にあるべき」というモットーを口にしている。ゴールが山頂から遠くなれば遠くなるほど、山での争いが勝利に占める重要性は小さくなっていってしまう。彼によれば、ツールにときどき登場するような、最後の山岳からゴールが50km先にあるようなステージでは、せっかくの難関山岳が、宝のもちぐされになってしまう、ということらしい。

山の頂上まで上りつめてゴールの「山頂ゴール」の多さだけでなく、ステージレースの全日程を通して最難関のステージを「女王区間(ジロの場合は『タッポーネ』)」と呼ぶが、女王区間並みに難しい山岳ステージがいくつも登場したり(*)、難関山岳が登場する上に全長200kmを超えるフル・マラソン風のステージであったりと、ジロにはまさに「妥協を知らない」厳しさがある。

* ただしジロの場合、ドロミテとアルプスそれぞれにタッポーネを設定するならわしがある

もうひとつの、レースをより予測不可能に、という点については、例えばツールには、平坦なステージから始まり、だんだんと山岳地帯へと移動していくまで「移行ステージ(少し起伏があったり、中級山岳が登場したりすることが多い)」をいくつかはさみ、難関山岳での争いがあり、再びいくつかの移行ステージを経て、次の難関山岳決戦へ・・・という、大まかな『型(フォーミュラ)』があり、この大きな(よりマクロな視点での)ストーリーラインを辿りながら徐々にクライマックスへと進んでいくが、ジロはそういった型にはまらず、よりスピーディーに展開し、いろいろな意味で毎日何かしらのドラマの可能性があるような、レースを走る選手にとっても、レースを見るファンにとっても、「飽きのこない(言い換えれば、気が抜けない)」要素を取り入れたコース・デザインが行われている。

2000年代に入ってからも、ストラーデ・ビアンケ、という有名なワンデーレースで使われるようなダート(未舗装区間)を取り入れたり、過去大雪のために通過できなかった難関山岳の未舗装路をリバイバルさせてタイム・トライアルで使用したり(プラン・デ・コロネス)、山頂付近に未舗装のつづれ折りが続くフィネストレ峠を登場させたり、山頂付近で道が狭くなるためレース関係車両(例えば審判の車やチームカー)が通過できない、という問題を、関係者がオートバイに乗り換える、という奇策で解決し、ヨーロッパで最も厳しい「モンテ・ゾンコラン(オヴァーロ起点)」への上りを実現させたり、歴史あるレースに新しいチャレンジを取り入れるために、ジロはたゆまず努力を続けている。

危険な未舗装路のダウンヒルをコースに使用し、選手に反発されたり、シチリアの活火山エトナの近くにステージを計画したところ、噴火が起きてしまったり、普通ならば3週間の日程の終盤に登場するような山岳を序盤に登場させて不評を買ったり、大雪で目玉ステージがキャンセルされてしまったり、と、そのチャレンジ精神が裏目に出てしまうことも時にはあるけれど・・・。

それでも、ツールも「移行ステージ」に、よりハプニングの可能性をはらんだ、ドラマの要素を取り入れはじめたのは、6歳年下のジロの取り組みを見てのことかもしれないし、ジロも積極的に海外での開幕招致を受け入れるなど(ここ5年の間に北アイルランド、デンマーク、オランダ)、お互いにいい影響を与えあいながら、成長していっているように思える。

3大グランツールすべてで総合優勝をあげた大選手、フェリーチェ・ジモンディの言葉を借りるならば、ツールは「(自転車レースの中では)地球上で最大のショー」。

一方で、母国イタリアが誇るグランツール、ジロ・デ・イタリアを彼は、「より温かく、よりヒューマンなレース」と評している。

あまりに大きくなりすぎたツールを、そのお行儀が良くて、ちょっと堅苦しいところを、もし「物足りない」と思うことがあれば、その物足りなさは、「もっとも美しく、もっとも過酷なレース」ジロ・デ・イタリアが満たしてくれるかもしれない。

代替画像

寺尾 真紀

東京生まれ。オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジ卒業。実験心理学専攻。デンマーク大使館在籍中、2010年春のティレーノ・アドリアティコからロードレースの取材をスタートした。ツールはこれまで5回取材を行っている。UCI選手代理人資格保持。趣味は読書。Twitter @makiterao

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