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フィギュア スケート コラム 2014年3月22日

近藤陽子(女子アイスホッケー):ソチ・オリンピックは、何もできなかった長野のリベンジ!

それぞれの4年間 ~冬の一瞬に縣ける女性アスリートの肖像~ by J SPORTS 編集部
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2014年、ソチオリンピック アイスホッケー日本女子代表 スマイル・ジャパンに選出された近藤陽子。彼女が最初に日本代表候補に選ばれたのは17歳の高校生。1998年長野オリンピックの前年だ。以来、16年にわたり日本を支える存在としてチームを牽引してきた。なぜ、彼女はそこまで長くアイスホッケーを続けてこられたのだろうか?

「私にとってオリンピックは夢の舞台だったので、代表候補となって長野オリンピックのメンバーに入れたことは本当に誇りでした。でも、その夢の舞台でアメリカやカナダといった世界の強豪と戦ってみると、自分たちとの差を痛感させられました。私自身も国際舞台の経験がなかったので自分の力をまったく発揮できなかったんです。あそこでは何もできない悔しさだけが残りました」

その悔しさがなければ25歳ぐらいで辞めていたかもしれないと、近藤は振り返った。当時の女子アイスホッケーからすればその年齢が選手としてマックス。長野オリンピックの後、多くの先輩が抜けてしまい、代表歴も経験もなかった若年の近藤がチームの中で上の世代となってしまい、自分が引っ張っていかなければという思いにかられたと言う。しかし、そこからの日本女子アイスホッケーチームは苦しさの連続だった。長野オリンピックは開催国として出場できたが、2002年のソルトレイクシティ・オリンピック以降は、日本女子アイスホッケーは、4年ごとの予選の壁に3度も跳ね返された。

「予選から戦ってみて、オリンピックの切符を勝ち取ることがいかに難しいか、その価値を改めて感じたんです。あんなに苦しいトレーニングを続けているのに、それでも勝てないのかって。最終予選は一発勝負で決まるので、強い気持ちを持っていなければ戦えません。それでも、場の雰囲気に飲まれたり、経験不足があったり、最後のところでアイスホッケーを楽しめていなかったんだと思います。実は、1度だけバンクーバー五輪が終わった時に、次にソチを目指せるのかな? 4年先は遠いなって思ったんですよ。もうすぐ30歳になるし、同じ苦しさを4年間も味わうのは長いなって、その時だけ思ったんです。それでも、私にはアイスホッケーのない生活が考えられませんでした」

そんな近藤を勇気づけたのが、サッカーのなでしこジャパンの活躍だった。同年代の澤穂希を中心に女子ワールドカップで優勝した姿は、自身にとっても、周囲にとっても大きな変化をもたらした。

「30代になってから、周りにもまだ辞めないのという雰囲気もあったんです。20代にはなかった大きなケガもして、疲れも溜まりやすくなりましたね(笑)。ただ、なでしこジャパンで同年代の澤穂希選手が活躍したこともあって、そこから周囲ももっと頑張りなよという風に変わっていったんです(笑)。私はまだ自分もアイスホッケーを続けていいんだって、そんな風に思えるようになりました。伊達公子さんのように、どんな年齢であっても活躍できるところにも勇気づけられました」

再び、オリンピックの舞台に立つことが決まった今、もちろん目指すのはメダル。そしてアイスホッケーを楽しむことだ。現在のスマイル・ジャパンのヘッドコーチで、トリノ、2度のオリンピックで金メダルに輝いたカーラ・マクラウドから学んだことがアイスホッケーを楽しむことだった。

「ソチ・オリンピックを決めた時は、みんながホッケーを楽しんだからこそ力を出せた。その差がオリンピックに出られるか出られないかだったと思います」 残念ながら、予選はケガでメンバー入りはできなかったが、ソチの本大会はメンバーに選出された。自身の経験をオリンピックの場で後輩たちに伝えいくこともトル使命と感じている。

「私はカナダのリーグでプレーした時にリスクを恐れずにチャレンジすることの大切さを学びました。今の後輩たちはとても若くてエネルギッシュですが、まだ試合の中で波があるんです。チームが悪い状態になった時でも、私がコンスタントにプレーをして盛り上げていく。そうしたプレーの中で、例え失敗をしても次にチャレンジすることの大切さを伝えていければと思っています」

最後に、ソチ・オリンピックが終わった後、どんな自分を想像していますか?そんな質問をぶつけてみた。

「代表のメンタルコーチのトレーニングで、まさに未来を想像するというものがあるんですけど、実はあんまりその答えを考えられないんです。自分が若い時だったら、5年後はこうなっていたというのがあるのかもしれません。今は1シーズン1シーズンが勝負なので、今、この時、このシーズンに集中していて、その後、1年とかって考えられない。今、やれることをやるだけなんです。ただ、オリンピックに出られなかったら?とか、あまりネガティブなことは考えなかったですね。それよりも、プレーヤーとして後悔はしたくないという思いです。ソチ・オリンピックは、その点では私にとっては、悔いの残った長野のリベンジなんです。その先を考えても、アイスホッケーが私の生活の一部になっているので、もしそれがなくなってしまったら、自分が自分じゃなくなってしまう気がするんです(笑)」

「ここまで長く続けたというより、今、自分がやれることをやってきた感じです」

近藤 陽子こんどう ようこ

1979年2月13日青森県八戸出身。
SEIBUプリンセスラビッツ所属。19歳の時、1998年長野オリンピック代表として初めてオリンピック出場。大学を卒業後、社会人リーグ入。2005年にはWNHLに移籍。現在、日本の女子ホッケーを牽引する存在となっている。代表としては、ソルトレイクシティ、トリノ、バンクーバー・オリンピックの予選出場。ソチ・オリンピック予選はケガで出場がならなかったが、本番のメンバーに選出。自身、長野のリベンジという2度目のオリンピックの舞台で戦う。

J SPORTS編集部

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