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【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。
7月27日は、岩手県の釜石鵜住居復興スタジアムに行っていた。今回は、25日の夜に大船渡のホテルに入り、前日練習(キャプテンズ・ラン)を取材し、27日は釜石のファンゾーンに立ち寄ってからスタジアムに移動した。前日からスタジアムはラグビーワールドカップ(RWC)の予行演習もあって、メディアに対するセキュリティーチェックも厳しかった。
当日は釜石のファンゾーンで地元の熱気を感じた。なんだか、すでにRWCがやってきたみたい。本大会の時もファンゾーンがこんな感じで盛り上がるのだろうと、ちょっと嬉しくなった。試合のほうは、すでにメディアで報道がある通り、日本代表の快勝だった。
僕はJSPORTSで、矢野武さん、藤島大さんともに実況・解説だった。日本代表は立ち上がりから宮崎でのタフなトレーニングを感じさせる戦いぶりで、フィジーにプレッシャーをかけ続けた。前半3分、田村優のPGで先制すると、8分、フィジーゴール前に攻め込み、相手の反則でのアドバンテージのある中で田村が左コーナーのインゴールへキック、これをWTB福岡堅樹が飛び込みながら押さえてトライ。8-0とリードする。
その後フィジーの猛攻を耐え、切り返しのキックを蹴り込んだところから、カウンターアタックでトライを奪われる。過去、フィジーに何度こんなトライを奪われたことか。しかし、この日の日本代表は簡単に崩れなかった。19分にはフィジーのゴール前に攻め込み、CTB中村亮土の突進でラックを作り、SH茂野海人が右に行くと見せて、WTB松島幸太朗が内側に切れ込んでトライ。田村のゴールも決まって、15-7とする。「きょうはウォーミングアップの時から調子が良かったので、良いパフォーマンスができたらいいなと思っていました」(松島)。
23分のCTBラファエレ ティモシーのトライは圧巻。タッチライン際の駆け上がったNO8アマナキ・レレイ・マフィが右手で右タッチライン際のHO堀江翔太へパス。堀江はタックラーを一人かわして左側に走り込んできた松島へ。松島は無理せず、さらに左にいたラファエレへ。紙一重のタイミングを冷静につないだ見事なトライだった。31分にはモールを押し込んでFL姫野和樹がトライ。29-7とリードする。
その後フィジーにラインアウト・モールからトライされたが、後半も粘りのディフェンスでフィジーのトライを1本に抑えて勝ち切った。ゲームキャプテンを務めたFLピーター・ラブスカフニが前半33分に膝を痛めて退場し、リーチ マイケルに早々に出番が回った。負傷から復帰したばかりだが、リーチは無難にプレー。試合後はこうコメントした。「足りないところはたくさんあります。でも、日本代表の成長を感じました」。
宮崎で鍛え込み、組織プレーの習熟度を高めた成果を見せた日本代表。次のトンガ戦も楽しみだが、なにより今年初のテストマッチに勝ったことは計り知れない価値がある。これで報道も含めて、すべての流れが良くなるからだ。リーチは「きょうは、釜石の皆さんに喜んでほしいというモチベーションがあった」と声援に感謝した。
ありがとう、釜石。そして、応援に駆け付けた人たち、テレビの前で勝利を祈った人たち。ラグビーの街・釜石が日本代表、そしてファンのみんなのハートに火をつけた。
さあ、一丸となってRWCに向かいましょう!
■試合結果
7月27日(土)14:50キックオフ
岩手・釜石鵜住居復興スタジアム
日本代表◯34-21●フィジー代表(前半29-14)