ラグビー愛好日記

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

最近のエントリー

カテゴリー

アーカイブ

2012/03

S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

このブログについて

プロフィール写真【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。

日記 2012年03月22日

大阪トークライブ3.21

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
  • Line

21日夜は、大阪・北浜駅近くのラグビー普及促進居酒屋「ラグビー部マーラー」でのトークライブだった。今回のゲストは、トップリーグ2011-2012年間表彰式で特別賞を受けた、「近鉄ライナーズ応援くらぶ」の武広英司(たけひろ・えいじ)部長だった。花園ラグビー場のバックスタンドでユーモアあふれる応援を繰り広げる結成10年の私設応援団だが、それを軸になって切り盛りしてきたのが武広さん。現在、実働くらぶ員は47名いるという。

201203221

武広さんは、山口県の出身で大学進学の際に大阪へ出てきた。しかし、目的はミュージシャンになること。さまざまなミュージシャンとともに活動し、「冬が来る前に」の紙ふうせんのバックバンドを務めたこともあった(写真は、自ら作詞作曲したOSAKAを熱唱してくれた武広さん)。大学時代、一人暮らしをしたのが偶然にも東大阪市の花園だったという。

201203222

大学時代に見た社会人ラグビーは雨中戦で泥だらけ。試合後にはサポーター同士のケンカもあって、第一印象は悪かったそうだ。紆余曲折あって現在は建設業を営んでいるが、ラグビーのまち東大阪市の文化を後世に引き継がなければと思い立って、近鉄を応援し始めたのは12年前、10年前から私設応援団を自ら立ち上げ、近鉄ライナーズを一貫して応援。連日、練習にも通う。常に分厚いノートを持ち歩き、練習内容などをメモ。見せてもらったら、ディフェンスシステムなどが図解で書かれていた。「僕はラグビーやったことない」と言いつつ、練習を見続けるだけで、ここまで分かるようになるとは恐れ入った。

「家の近所で、短パンと草履で、昼間から自転車に乗ってうろうろしているごっつい外国人がいたんですよ。怪しいなと思っていたら、近鉄のラヤシとキバルだった。たまたま引っ越した先が近鉄の寮の斜め向かいだった。これは縁があるなぁって思いましてね」

応援旗などはすべて自前。「人を応援すると、自分が高められるんですよ。僕は人を応援する意味について常に自問自答する。虚栄心はないか、チームを自分のものだと思っていないか。チームを愛すると、こんなにチームを愛しているのは自分しかいないという感覚に陥ることがある。私もそうなってしまったときがあった。でも、チームや選手はファンみんなのものです。この距離感が大事なところだと思いますよ」

チームに認められるまで、何度もチーム側とぶつかり合い、各所からのクレームもあり、少しずつ応援方法を修正しながら、ここまで来た。今回の受賞は「ファンみなさんのおかげ」と、特別賞の盾を持参して、みなさんに触ってもらっていた。武広さんが、なんでもラグビーにたとえるのも面白い。武広さん、おいくつですか?「後半15分です」。なるほど55歳か。「そう、人生80年。ラグビーの80分ですよ」。すると、僕は後半7分。勝敗を分ける大事な時間帯だなぁ。

  • Line