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【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。
コメントで、ラグビーはサッカーから生まれたのではないのですか? というご質問がありました。すでに同じくコメントでお答えいただいているのですが、愛好日記的に簡単にお答えします。
結論から言うと、ラグビーはサッカーから生まれたのではありません。
1823年、ラグビー校のウィリアム・ウェブ・エリスが、フットボールの試合中に、当時のルールを破って、ボールを持って走った。これがラグビーの起源とされている。この「フットボール」が日本では「サッカー」と訳されたために混乱が起きた。当時はまだサッカーは存在していなかった。
ラグビー校というのはパブリックスクールと言われる、日本で言えば中高一貫教育の私学校である。1800年代前半は、各学校が独自のルールで、ひとつのボールを大人数で奪い合い、蹴り合う原始的フットボールを楽しんでいた。事実、当時のラグビー校のルールでは、キック主体ではあったけど、ボールを手で扱うことは許されていて、ボールを持って走ることがダメだったらしい。サッカーとラグビーは、原始的フットボールが、統一ルールを作る段階で枝分かれしたと考えるのが妥当のようである。
エリス少年についてはその存在すらウソだと言われたこともあったのだけど、その後の調べて実在したことが確認されている。彼が本当に起源となるエピソードの人物なのかは謎なのだが、ラグビー校の校庭の煉瓦の壁には、このエピソードを書いた銘板があり、ラグビー校のOBがそう認定して発祥エピソードとしたことで世界に広まったわけだ。このあたりのことは、小林深緑郎さん著「世界ラグビー基礎知識」に詳しく書かれています。小林さんは、エリスのお墓にも行っているし、ラグビー校の関係者にも取材していて、今現在分かっていることを余すところなく書いる。勉強になりますよ〜。
ラグビー市は、イングランドのウォーリックシャー州にあり、ロンドンのユーストン駅から列車で1時間ほどのところにある。駅名も「RUGBY」。僕もこの場所を2度訪れた。もちろん、列車の切符は駅員さんにお願いして手に入れ、今も僕の財布の中に入っている。初めて行ったのは1991年だから、もう15年くらい入っているんだなぁ。「TO RUGBY」の切符は、いつでも僕をラグビーの世界に連れて行ってくれる魔法のチケットである。今思えば、スイカとかパスネットじゃあ、こうはいかなかった。便利になるというのは、なんだか味気ないことも多いね。