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【村上晃一】
1965年京都市生まれ。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。
ラグビーの現役時代のポジションは、CTB(センター)、FB(フルバック)。1986年度西日本学生代表として東西対抗に出場。
87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者、ラグビージャーナリストとして活動。J SPORTSのラグビー解説は98年より継続中。1999年から2019年の6回のラグビーワールドカップでコメンテーターを務めた。著書に「仲間を信じて」(岩波ジュニア新書)、「空飛ぶウイング」(洋泉社)、「ハルのゆく道」(道友社)、「ラグビーが教えてくれること」、「ノーサイド 勝敗の先にあるもの」(あかね書房)などがある。
書くのが一日遅れてしまったが、関東地方に大きな地震があった時、僕は赤坂で行われるパーティーに出席するために家を出ようとしたところだった。
自宅の最寄り駅の電車は動いていたので、とにかく新宿に出て、地下鉄の丸の内線に乗ろうとしたら電車が止まっていた。おまけにJRも。6時開始のパーティーには30分ほどあったので、タクシーに乗ろうとしたが、同じ考えの人が歩道にたくさんいる。ということで、一駅一駅、運転再開を確認しながら新宿通りを四谷方面に歩き始めた。スーツを着ていたので、汗をかかないように、ゆっくりゆっくり。新宿三丁目、新宿御苑前、四谷三丁目、まだ動かない。歩道はあきらめて歩く人、座り込む人、携帯で連絡を取る人でざわついていた。四谷に到着。ここはJRと地下鉄が交差しているのだが、ここでも駅の外に人があふれていた。
仕方ない。最後まで歩こう。ホテル・ニューオータニの脇を通って、赤坂見附へ、そしてようやく現場にたどり着いた。約1時間かかった。でも、あんまり汗もかかなかったし、東京の中心部は狭いと感じた。それにしても、ほんの少し強い地震があるだけで、東京という街は止まってしまうんだなぁ。しかも、人が多いから、すぐに車と人の渋滞が起きる。いつ何が起きるか分からないから、いろんなところに歩いて行けるようにしておこうと思った。
パーティーは出版社リーグ(ラグビー)の終身名誉専務理事(本人希望の肩書き)の佐藤さんの定年を祝う会だった。僕は27歳くらいまで、ラグビーマガジン・クラブでプレーしていたので講談社クラブや小学館や日テレのチームとよく試合をした。みなさんと15年ぶりくらいに会ったが懐かしかった〜。何人かの方に、また一緒にやりましょうと言われたが、僕はプレーする気がない。いい試合をたくさん解説してきて、質の高いプレーのイメージがあるものだから、自分の体が動かないのが歯痒く、悔しいのだ。かなり若いときから、僕にはそういう感覚があった。プレーすると必ず落ち込むので、やりたくないのである。体を鍛えてプレーし続けている人、尊敬します。
ところで、きのうのサファイヤさんのコメントに、俳優の瀬川亮さんがラグビーをしていたというのが書かれていたけど、僕はノーマークでした。ただ、ラグビーという活字に反応する感覚はよく分かる。僕の場合は「ラ」で反応する。新聞の「ラ・テ欄」に何度だまされたことか。
◎愛好情報
1)ワールドゲームズ(非五輪競技の大会)に参加していた7人制日本代表は、予選プール3位でボウルトーナメントに進出したが、準決勝でアメリカに敗れた。敗者戦では、ドイツに勝ち、全体の順位は8チーム中7位。残念な結果に終わった。優勝はフィジー。2位南ア、3位アルゼンチン。
2)7月23日、ジョハネスバーグのエリスパークで行われた、南アフリカとオーストラリアの「ネルソン・マンデラ・チャレンジ・プレート」の第2戦は、南アが33-20で勝って、対戦成績は1勝1敗に終わり、楯は南アが保持することに。記事を読むだけだけど、南アがイエロカードで13人になった時間があったり、ワラビーズも惜しいチャンスを逃したりで、どうなるか分からない試合だったようだ。怪我をしていたグレーガンが復活している。相変わらず鉄人ぶり発揮だ。ライオンズシリーズで好調だったNZも含めてのトライネイションズは楽しみになってきた(7月30日開幕)。