人気ランキング

メルマガ

お好きなジャンルのコラムや
ニュース、番組情報をお届け!

メルマガ一覧へ

コラム一覧

ラグビー コラム 2017年1月10日

サニックス社長、宗政伸一さん逝去

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
  • Line

株式会社サニックスより、代表取締役社長・宗政伸一さんが逝去されたとの知らせがあった。2017年1月7日(土)永眠。享年67。葬儀は近親者のみで行われ、後日お別れの会が催されるという。死因は、咽頭膿瘍の疑いという。急なことだったようだ。

● 藤井雄一郎ラグビー部長兼監督のコメント
「秘書から突然電話があり、宗政伸一社長が亡くなられたとお聞きしました。聞いた瞬間、息ができなくなりました。社長は、私の人生に最も大きな影響を与えた方でした。どんなに負けても、常に私たちの味方でした。本当にラグビーが好きな方で、前回のワールドカップで日本代表が南アフリカに歴史的勝利を収めたときも、とても喜ばれて、「カーン(ヘスケス)、やったね!」と電話をいただいたのが、昨日のことのように思い出されます。最終戦は、社長のため、チーム一丸となって戦います」

ラグビーを愛し、サニックスブルースの代表でもあった宗政さんがいなかったら、サニックスブルースは生まれなかったし、毎年ゴールデンウィークに開催されている高校生の世界大会「サニックス ワールドラグビーユース交流大会」も続いていなかっただろう。この大会で来日し、その後、強豪国の代表になった選手は多いし、そうした選手と交流することで、多くの日本の高校生が高い目標を持つようになった。東福岡高校が、フィジカル面の強化を意識したのも、この大会の影響が大きいだろう。またユース大会で日本に来たことの好印象からトップリーグにやってきた選手もいる。宗政さんの日本ラグビー界への貢献度の高さは計り知れない。ブルースやユース大会がどうなるのか心配だが、宗政さんの遺志を継いでブルースが強くなり、ユース大会がさらに発展することを願わずにはいられない。

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

  • Line

あわせて読みたい

J SPORTS IDを登録すれば、
すべての記事が読み放題

J SPORTS IDの登録(無料)はこちら

ジャンル一覧

人気ランキング(オンデマンド番組)

J SPORTSで
ラグビーを応援しよう!

ラグビーの放送・配信ページへ