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ラグビー コラム 2015年11月18日

ジョナ・ロムー急逝

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
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ニュージーランド代表オールブラックスのレジェンド、ジョナ・ロムーが出生地のオークランドの地で天に召された(享年40)。10月31日に閉幕したラグビーワールドカップ2015では、南アフリカのブライアン・ハバナがジョナ・ロムーの持つ同大会トライ記録の「15」に並んで話題になった。1995年RWCの準決勝(6月18日、ケープタウン)で、イングランド代表選手を3人弾き飛ばしたトライの映像は、今年の大会でも各地のスタジアムで繰り返し紹介されていた。

ジョナ・ロムーは、1994年から2002年までオールブラックスとして63キャップを得ている。196㎝、119㎏の巨体で100mを10秒台で駆け抜け、テストマッチで37トライをあげた。2003年に腎臓機能が悪化し人工透析を開始。2004年には腎臓移植手術を受けた。その後現役復帰を果たしたが、長く続けることはできなかった。引退後はラグビー普及活動に精を出し、先日までRWCの式典などに参加していた。そして生まれ故郷のオークランドに自分の足で戻り、翌朝、急逝したという。

1995年のRWC以降、何度か来日した際にインタビューしたことがある。最初に来日したときは、僕はラグビーマガジンの編集部におり、東京タワーまで一緒に行って「ロムー、日本初上陸」という写真を撮ったことがある。気さくで優しい若者だった。選手からはめったにサインはもらわないのだが、その時は、1995年RWCの決算号のページにサインをもらった。数少ない僕の宝物だ。

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2007年4月、その1か月後に来日することになっていた「クラシックオールブラックス」のPRのため、京都と東京で記者会見を開いたことがあった。腎臓の移植手術を乗り越えて現役復帰を果たし、香港での10人制の国際大会でプレーした直後だった。当時、日本代表のヘッドコーチは、ジョン・カーワン。ロムーがNZ代表として最初の遠征に参加したときのルームメイトが、ジョン・カーワンだった。「カーワンに依頼され、プレーヤーの責任として、ラグビーを広める活動をするために来ました」。

ジョナ・ロムーの現役時代のプレーの思い出は数多いが、僕がもっとも感動したのは、このクラシックオールブラックスでのプレーだった。秩父宮ラグビー場に登場したロムーは明らかに全盛時代よりもスピードが落ちていた。スーパースターだった彼がその姿をファンに見せる必要はないのではないか、グラウンドに出てきたとき、そう感じた。しかし、彼はボールを持つと必死の形相で走った。日本の選手に追いつかれても、懸命に前進しようとした。それが彼の言うプレーヤーの責任なのだと感じ、強く印象に残っている。どんな状況でも常にベストを尽くす。それは、オールブラックスとしての責任であり、誇りでもあったのだろう。合掌。

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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