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ラグビー コラム 2006年11月25日

W杯切符獲得!

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
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日本代表の54-0の完封勝ちだった。2003年W杯以降の日本代表では最高の集中力だった気がする。ヘッドコーチが急きょ交代するなど、落ち着かなかった強化体制の中で、危機感をもっての予選突破だった。

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これは勝利が決まった後、選手達が身にまとったTシャツである。もちろん、選手達には知らされていなかった。23番、つまりサポーターとともに勝ち取った勝利であることが書かれている。着れて良かったね。取材をしていて実力は日本が上だと感じつつも、楽勝の雰囲気が出れば危ういと思っていたのだが、今回の日本代表にはそんな心配はいらなかった。

11月25日、香港時間の午後6時30分、キックオフ。心配された雨はぽつりぽつりと落ちる程度で気になるようなものではなく、気温も20度くらいで涼しく感じられた。日本代表は最初から飛ばした。韓国ボールのスクラムにプレッシャーをかけ続け、次々にミスを誘うと、(僕のストップウォッチでは)9分、ゴール前のラインアウトからモールを押し込んでHO山本がトライ。左隅の難しい角度からFB有賀がコンバージョンを決めて、7-0とリード。15分には、韓国のミスボールを拾ったオライリーから、箕内、沢木とパスをつなぎ、最後はFB有賀が重心の低い独特のステップワークでタックラーを2人、3人とかわしてインゴール中央へ。自らコンバージョンも決めて14-0。

その後は、ハンドリングエラーなどもあって攻めあぐむ。26分には、ミスボールを韓国に足でひっかけられて、ゴールライン直前までボールが転がる大ピンチ。ここに戻ったのはSO沢木で、見事なセービングでこれを確保して難を逃れた。このプレーに代表されるように、きょうの日本代表は、ミスが起きてもカバーする動きが素速く、傷口を大きく広げることがなかった。素速く前に出るディフェンスとともに勝因の一つだろう。31分には、モールから侍バツベイがトライ、難しいコンバージョンを有賀が決めて、21-0。完全に主導権を握った。

韓国は、香港戦から中3日ということもあって動きが悪く、先発させたFWの大型選手が予想以上にプレッシャーをあびたことで、本来のスピーディーな展開ができなかった。日本は、前半終了間際にもFLオライリーがトライして、28-0とし、後半には、WTB大畑が3トライを奪う大ブレイク。最後はWTB小野澤が、タッチラインとタックラーの間隔が1mほどしかない狭いスペースをチェンジ・オブ・ペースで抜き去り、有賀のコンバージョンも決まって最高の終わり方で54-0。攻撃面でミスがあったが、ディフェンスでプレッシャーをかけ続ける意識は最後まで衰えなかったし、立派な勝利だったと思う。

僕はJSPORTSで試合後のインタビュアーをしたのだが、誰もが会心の笑顔で答えてくれた。有賀選手も、ここ数日はキックのことばかり考えていたようで、プレッシャーから解放されたようだ。チーム練習が休みの日も一人プレースキックを蹴り続けた成果だった。カーワンアドバイザーは言った。「みんなが笑顔で有賀を称えた。そのことがもっとも大切なことです」。

大畑キャプテンは、「ここが最低で、これから強くなっていきたい」と語り、「キャプテンが今までにないくらい頼りなかったから、周囲がしっかりしてくれたんじゃないですか」と、記者を笑わせた。ただし、きょうの試合でもミスがまだまだ多いことは確かで、カーワン次期ヘッドコーチも「W杯に向けて改善すべき点は多い。やることはたくさんある」と、来季、厳しくチームを鍛え上げることを誓っていた。また、記者会見の最後には「少しいいですか?」と時間をとり、来年秋のW杯本大会の一次予選の組み合わせが、日本などセカンドティアの国に不利なことをあげ、「IRBには不満がある。日本はオーストラリア戦とフィジー戦の間を中3日で戦わなければならない。それではリカバリーが難しい。ラグビーはすべてのチームに公平であるべきだ」と、強豪国主導のW杯運営に一石を投じることも忘れなかった。

取り急ぎ、こんなところで。いっぱい賞賛したい選手がいるのですが、日本に帰っていろいろ書きたいと思います。日本代表を応援したみなさんも、お疲れ様でした。

Crismas

最後に、香港はすでにクリスマスのイルミネーションが点灯されいて、夜はとても綺麗だ。昨夜、フェリーの上から撮影した写真を最後に香港からお別れします。JKが笑顔で言っていた。「いろいろ課題はあるが、まずはW杯参加を決めたことは大きなステップ。クリスマスまでは、このまま楽しみたい(笑)」

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村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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