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ラグビー コラム 2006年5月14日

大畑選手、おめでとう。

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
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日曜日の早朝、東京駅から花園ラグビー場に向かった。日本A代表の試合で京都に出かけたときは、のぞみの指定席が「1番E席」。いいことありそうで気分が良かったのだが、今回は「1番A席」。めちゃくちゃ、ええことありそうな席やんか、これ。大阪でなんか、ええことあるで〜、と思いながら窓の外を眺めた。

帰りののぞみでは、新大阪から京都を過ぎたあたりで字幕ニュースが始まった。すぐに大畑選手がテストマッチのトライ世界記録を達成した日経ニュースが目に飛び込んでくる。僕が気付いただけでも、東京まで5回は流れた。

僕はこの日、JSPORTSの仕事で、試合後、エリサルド・ヘッドコーチ(HC)のインタビューをすることになっていた。ただし、もし大畑選手が3トライを奪って記録が達成された場合は、セレモニーがあるので大畑選手へのインタビューに切り替わる。後半途中までトライは、「1」。きょうは無いと思いながら、ゆったり見ているとモールの後ろについた大畑選手がボールを押さえて、通算「64」トライ。あっさりと元オーストラリア代表WTBキャンピージの記録に並んだ。

後半30分、記者席からグラウンドに降りる。ふかふかの芝生の上で試合を見ていると、スタジアム全体が大畑選手にトライを獲ってほしいオーラを放っていた。攻め込むジャパン。なにやらもう1トライありそうな雰囲気。なんだか関係者の動きもあわただしくなり、急に緊張感が高まる。後半45分、背番号14が左タッチライン際を快走。インゴールに滑り込んだ。獲った! 大歓声、総立ちの拍手。目録などが乗った机を運ぶ関係者。いいポジションをキープするため走るカメラマン。いったん両チームの選手が退場した後、ジャパンの選手がグラウンドに戻ってセレモニーが始まった。まずは少年から花束、お祝いの目録(賞金)、そして腕に「65」と入ったゴールドの記念ジャージーが贈られる。

インタビュー開始。「僕を育ててくれた花園でとれて嬉しいです」という主旨の言葉のあと、キャンピージに対しての質問をしたら「まさか日本人に破られるとは思ってなかったでしょうけど…」。場内に笑いが広がる。最後にファンのみなさんへのメッセージを求める。「その前に」と前置きした大畑選手は、スタンドで見守るお母さんに向かって、「きょうは母の日なんで、いつもこういうこと言えませんけど…、おかん、ありがとう」と言った。拍手。最高のプレゼントやね。おめでとう。

テストマッチというのは国代表同士の試合のことだが、それぞれの国の協会が認めるものなので、トライ数の内容について議論はあるところなのだが、僕は素直に大畑選手を称えたい。トライを獲る嗅覚というのは、僅かな選手にしか与えられていない貴重な才能である。出来ない選手には出来ないのだ。大学3年、4年に関西大学Aリーグのほとんどの試合に出場しながらトライを一つもできなかったフルバックが言うのだから、間違いない。

数年前、キャンピージさんが来日したときに「大畑大介という選手があなたの記録に迫っているんですよ」と言うと、「どうぞ、頑張ってください」と微笑んでいた。彼は彼の記録にプライドを持っている。それは彼がオーストラリアというラグビー強豪国で育ち、与えられた環境でベストを尽くした結果だからだ。

大畑選手は大阪で生まれ育ち、日本の代表として世界と戦うこと10年、常にトライを期待される存在であり続けてきた。世界中のラグビー選手にチャンスがあったなかで日本の大畑大介だけがキャンピージの数字を超えたのだ。日本のラグビー愛好者は、彼と同時代を生きたことを誇っていいと思う。試合後の記者会見で大畑選手は言った。「55キャップ目ということは、55通りのメンバーと刻んできた記録です。一緒に喜びたい」。ええコメントやったよ。ありがとう。

ほんとうはこのまま喜びに浸っていたいのだけど、試合内容は決して良くなかったと思う。気になったのは、グルジア代表のシンプルな縦突進でゲインを許してしまう甘いタックルだった。スクラムもグルジアにコントロールされていたし、つなぎのミス、判断ミスも多かった。勝って反省できるのはいいことだ。浅野キャプテンも「もっと激しい、タフなコンタクトをしていかないといけない」と言っていたが、チームの勢いを出すようなタックルがないと、パシフィックファイブネイションズは戦えない。6月4日のトンガ戦では、気持ちのいい試合を、ぜひとも。

◆試合結果
日本代表○32-7●グルジア代表(前半15-7)

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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