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ラグビー コラム 2005年9月4日

トライネイションズ最終戦

ラグビー愛好日記 by 村上 晃一
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9月4日の夕方、無事成田空港に到着。帰りの飛行機は遅れることなく順調だった。トライネイションズの結果を書きますので、録画で見ようとしている人は、読まないでください。

スティーブ(小林深緑郎さん)がオークランド空港の税関で、なかなか出てこられなかったことは、すでに書いた。実は1日遅れでオークランドにやってきたプロデューサーの室口さんも足留めをくらった。2人とも、荷物をくまなく検査されるなど、同じように調べられたらしい。一緒に調べられた人たちは、いかにも怪しい雰囲気だったらしく、スティーブも「あの人たちと同じように見られたとは…」とかなり悔しそうだった。なんとなく、止められる人の傾向が分かった気がした???。

さて、トライネイションズ最終戦である。オールブラックスの400試合目のテストマッチ、トライネイションズの優勝がかかった一戦とあって、イーデンパークは超満員だったが、実はチケットが売り切れたのは前日だったらしい。当時の朝も、新聞に300枚のチケットが販売されると掲載されていた。どうやら、南アに最初に負けたことで売れ行きが悪かったらしい。つまり、前週に南アに勝ち、優勝決定戦となって初めて売り切れたということ。NZの人たちも、なんでも見に来てくれるわけではないということだ。

opening

僕とスティーブは、メインスタンドの上段にある放送ブースから試合を見た。隣のブースには、フランク・バンス、その隣にはティム・ホランと、各国の解説者が見える。

haka

試合は、新しいハカではなく、いつものハカで始まった。本当にチャレンジする試合以外は、あのハカは使わないようだ。ハカのあとで不思議なことがあった。ワラビーズのキャプテンで、114キャップの世界最多キャップ記録に並ぶグレーガンがロッカールームに帰って行ったのだ。てっきり、ハカで盛り上がる会場の雰囲気を沈めるために間をとったのかと思った。試合後の記者会見でも質問があったが、本人は「単なるミスです。試合用のジャージーを着るのを忘れていた」とのこと。確かにウォームアップ・スーツは上に着ていたけど、そんなことある? 

キックオフ直後のオールブラックスの勢いは凄まじかった。特にブレイクダウン(ボール争奪局面)へ参加する選手の、しつこく、激しいコンタクトは驚かされた。スタンドの上段から見たので、WTBがタッチラインに立つほど広くスペースを使いながら、ブレイクダウンにはしつこく絡んでいくオールブラックスの動きの幅の広さを実感できた。展開は、NZのヘンリー監督が「前半と、最後の10分は非常に良かった」と言うとおりの内容。前半は、FLマコウの先制トライ、LOウイリアムズのオープンパントでのWTBハウレットのトライなどで、20-5とリードしながら、ワラビーズの反撃に遭い、最後は相手のミスを誘ってのトライでなんとか逃げ切り。

両者にミスの多い試合だったが、NZのスクラム、ラインアウトの強さは際だっていた。ラインアウトは15本ミス無し。スクラムも常にプレッシャーをかけていた。大活躍のFLマコウは、チーム全体の126回のタックル中、20回。タックルだけでなく、トライも奪うなど、世界最高のオープンサイドFLの一人であることを証明した。試合後の記者会見、オールブラックスの首脳陣は冷静に試合を振り返った。

umaga

ワラビーズは、SOに入ったマット・ロジャースが抜群のセンスを見せた。彼はどのポジションでも一流だ。キック力もあり、ディフェンダーとの間合いの取り方が抜群である。ジョージ・スミスとのコンビでディフェンスラインを突破したシーンは鳥肌が立った。グレーガンは、翌日の地元紙の評価で、たった一人10点満点の評価。オーストラリアでベストのSHであることを見せつけた。これが最後のテストマッチになるなら、コーチの目は節穴だと思う。写真は、左からロジャース、ジョーンズ監督、グレーガン。グレーガンの顔はものすごく整っている。

guregan

試合後、両チームのアフターマッチファンクションが行われたのは、なんとJSPORTSのツアーのみなさんが宿泊したホテルだった。会場入りする選手達を、みなさん拍手で迎え、ヘンリー監督や選手と握手していた。幸せそうな表情だったなぁ、ファンのみなさんも選手達も。

もう少し書きたいことがあったのだが、それは月曜の朝までにアップしておきます。

◎トライネイションズ最終戦(NZ代表6度目の優勝)
9月3日 オークランド・イーデンパーク
NZ代表オールブラックス○34-24●豪州代表ワラビーズ

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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