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モーター スポーツ コラム 2025年9月5日

FIA F2で2年目を迎えた宮田莉朋の今(後篇)〜ここから先は孤軍奮闘だけでは勝ち残れない〜

モータースポーツコラム by 吉田 知弘
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宮田莉朋

日本最高峰カテゴリーのスーパーフォーミュラとSUPER GT(GT500)でチャンピオンに輝き、2024年から自身の夢を叶えるべく挑戦の場を海外に移した宮田莉朋。昨年からF1直下のカテゴリーであるFIA F2に参戦しているが、自身も勝負の年と覚悟を決めていた2シーズン目は、思うような結果が出ないまま、シーズン後半戦に突入した。

第9戦スパ・フランコルシャンで2位を獲得した宮田だが、前半戦は歯車が噛み合わないことが多く、ランキング14番手と不本意な位置であることは否めない。

今年は挑戦2年目ということで、ファンの期待も高かったかもしれないが、下位に沈んでしまうとSNSでは厳しい意見も見かけられる。

コラム前篇では、今シーズン苦戦している現状をお伝えしたが、後篇ではシーズン後半に向けての話や、改めて日本とヨーロッパの違いについて紹介していく。

【日本での“当たり前”が、ヨーロッパでは通用しない】

今年7月にシルバーストンを訪れた際は、ヨーロッパのレース事情を知る多くの関係者と話をする機会もあった。さまざまな人に取材をするなかで……昨年のカタールで初めてF2を取材した時に、宮田が真っ先に発した「日本でやってきたことが、こっち(ヨーロッパ)では全く活きない」という一言を思い出した。

スーパーフォーミュラは日本・アジアの頂点を争うシリーズ。もちろん、宮田のように、日本での活躍を足がかりに海外へ挑戦するドライバーもたくさんいる。

ただ、あくまでも今のF2は“F1へステップアップするためのカテゴリー”ということ。F1を目指すための人生をかけてきたドライバーたちが集う場所であり、そのために幼少期から毎日カートに乗り、ジュニアフォーミュラも毎日のように練習を積んでいる者がほとんどと言っても過言ではない。

それでもF2からF1に上がれる人は、ほんの一握り。そういう猛者たちと渡り合うためには……日本でのやり方とは違う努力の仕方や事前準備も必要となってくる。

それをよく知るのが、かつて宮田とともにSUPER GTを戦った経験を持つサッシャ・フェネストラズ。

彼が初めて日本のシリーズにやってきたのは2019年だが、それまではヨーロッパの舞台で活躍し、2018年のマカオF3では3位に入った。彼もヨーロッパで戦う厳しさを知る1人だ。

「ヨーロッパに行って2年目ということで、多くの人は『(日本のレースの感覚では)もっとできるだろう!』と思って、期待を寄せているところが多いだろう。だけど、新しい環境で挑戦するチャンピオンシップで結果を出すのはそんなに簡単なことではない」

「さらに彼の場合は特に難しいと思う。タイヤのキャラクターを含めて素晴らしい日本のレース環境で育ってきたからこそ、ヨーロッパに行った時に、より難しく感じるだろう」

「僕は彼が物凄く努力しているのは知っているし、彼が速いということも分かっている。だけど、ヨーロッパで戦っているドライバーのほとんどが、レースのない日にテスト走行を行なっているはずだ。おそらく莉朋も少しはやっていると思うが、(F2の上位メンバーと比べると)十分な量はこなせていないだろう。そういった1日1日の過ごし方から、さまざまなことを学び、走りを改善していく。憶測だけど……莉朋はそれが他と比べて十分に出来ていないのだと思う」

ここで話に出てくる“テスト”というのは、F2の車両を使ったものではなく、他のマシンを使って各サーキットの走行経験を積むというもの。実際に現地ではLMP2の車両や旧型のフォーミュラカーを使ったプライベートテストの走行がたびたび行われているそう。実際に誰がどれくらい走り込んでいるかの詳細は分からないが、現地で聞こえてくる話をまとめると、毎週のように走り込んでいる人もいるとかいないとか。

今ではシミュレータートレーニングでの事前準備が普及しつつあるものの、結局はリアルでの経験に勝るものはないということだろう。

その他にも、サーキットに入ってからのエンジニアとのコミュニケーションの取り方、セッティングに対するリクエストの仕方、そのニュアンス1つ1つで、それを日本語ではなく英語で伝えなければならない。いくら英語が話せる莉朋であっても、大変なチャレンジになっているようだ。

サーキットに来る前の段階からのミーティングやセッティングの考え方、レースがない日の過ごし方、レースウィークに入ってからのパドックでの過ごし方。そういった一挙手一投足すべてがやはり日本とヨーロッパでは違いがある。

ここで強調して伝えたいのは、決してヨーロッパが優れていて、日本がダメというわけではなく、やり方や考え方の違いであり、レース文化そのものが違うところから生まれている差ということ。

おそらく、昨年の宮田は日本で経験したことがヨーロッパで通用しないということに戸惑いを感じたところもあったようだが、2年目となった今年は“ヨーロッパのやり方、コミュニケーションのとり方”を積極的に取り入れている様子がうかがえる。

4月に鈴鹿サーキットで行われたF1日本GPでは、アルピーヌのピットやホスピタリティに滞在していた宮田。ただ、その視点は明らかにF2での実践を意識しているものだった。

「FP1でピットのなかに入らせてもらって無線を聴きながら見ていましたが、ドライバーからのフィードバックの仕方とか、どういうふうにビルドアップしていくのかを重点的に見ました。無線のやり取りも、英語でのフィードバックの伝え方を注意深く聴いて、それが自分の伝え方と一緒なのか違うのか、それとも細かいのか大雑把なのか……いろいろな観点で勉強できました」

「日本のやり方とヨーロッパのやり方は違うと思っているなかで、あやふやになっていた部分がありました。そこが今回で明確になった感じで『(日本とは違うと)割り切っていいんだな』と確認できました」

この頃から、ヨーロッパで通用するやり方にシフトしていた宮田。その時期を考慮すると、バルセロナあたりからマシンのフィーリングが良くなってきた要因のひとつかもしれない。

【どうしても比較対象にあがる“角田裕毅”の存在】

そして、よくSNSで見かけるのが「宮田莉朋が大変なのは分かるけど、角田裕毅はF2参戦1年目で結果を残した」という類の投稿だ。

日本のチャンピオンである宮田が、F2で2シーズン目を迎えた今でも苦戦がつづいているなか、角田は1シーズンで結果を出し、F1へとステップアップしていった。

『角田ができたのに、なぜ日本のチャンピオンである宮田ができない?』

そう思っている人も少なからずいるだろうが、2人“ヨーロッパでの経験”という観点で大きな差がある。

角田が日本から海外へレース活動の場を移したのは2019年。F2のひとつ下であるFIA F3(GP3)の頃からヨーロッパでレースに励んでいる。さらに、この年はEFO(ユーロフォーミュラオープン)にも参戦し、実戦を積みながらピレリタイヤとヨーロッパのコースを覚えていった。両カテゴリーともスパ・フランコルシャンやシュピールベルクなど、F2が開催されるコースも入っており、そこでの経験がF2に活きたことだろう。

同じく、現在レーシング・ブルズのリザーブドライバーを務め、スーパーフォーミュラではチャンピオン争いに加わる活躍を見せている岩佐歩夢。彼もフランスF4の頃からヨーロッパにわたり、経験を重ねてきた。この間にピレリタイヤとヨーロッパのコース、そしてヨーロッパのやり方が染み込んだ上でF2を戦うことができたはずだ。

対する宮田は、日本で培ってきた“日本の基準”が染み付いたなかで、ピレリとヨーロッパのコースを知り尽くしているドライバーが集まるF2にいきなり挑戦している。いくら2年目とはいけ、その差を埋めることはできない。

昨年FIA F2を戦い、今年はスーパーフォーミュラに参戦中のザック・オサリバンも「ピレリタイヤを1年や2年で覚えてモノにするのは、正直無理な話だよ。実際に僕もGB3で1年、FIA F3で2年、昨年のFIA F2とピレリを経験してきたけど、それでもモノにできたか?と聞かれると、正直難しい」と話していた。

前篇でも少し触れたが、シミュレータートレーニングという方法が主流になってきたとはいえ、特にヨーロッパに関してはリアルでの経験差が結果に現れてくる部分は、少なからずあるのかもしれない。

【夢のために挑戦を続ける宮田。周囲にも変化が】

いろんな方面に話が飛躍してしまったが……

宮田自身は口にしないものの、これらの状況をちゃんと理解し、我々が想像する以上に“強大な壁”を乗り越えると覚悟を持って参戦をしている。

応援するこちら側も、それを理解した上で、彼の後半戦を見守ってほしい……そんな想いから、現地で取材してきたことを、コラム前後篇で記した。

そんな宮田の“覚悟と想い”は、ヨーロッパ現地にいる人たちには少しずつ浸透している。今年はF2のみの参戦になっているが、レース以外の時間の過ごし方について聞くと「現場のみんなは僕のことを分かってくれていますし、僕のタレント性を証明して、評価してもらえるような機会も作ってくれています。もちろんF2を一番頑張らないといけないですけど、そっちの機会もやりがいを感じています。みんな僕のことを信頼してくれているので……それで救われていますし、頑張ろうという気持ちになれています」という答えが返ってきた。

実際に、結果は出ていないものの、現地での評価がそこまで低いわけではない。ARTグランプリのメンバーも、宮田のために出来ることはやろうという雰囲気は、シルバーストンでも感じられた。

【ここから先は、孤軍奮闘だけでは勝ち残れない】

ヨーロッパで孤軍奮闘を続ける宮田。その努力が実って、第9戦スパ・フランコルシャンでは2位表彰台を記録した。これは大きく評価できることではあるが、今季残る4大会では結果をさらに出していかなければならないことも事実だ。

そのために、出来ることは限られているのだが……このタイミングだからこそ、改めて宮田をサポートするTGRも含めて、全体が“ワンチーム”になって立ち向かっていく。「何を月並みなことを言っているんだ」というツッコミが入りそうだが……今のF2環境を考えると、意外とこれが重要なのではないかと感じる。

残り4大会は、ハイスピードの要素が求められるコース。コラム前篇でも触れたストレートスピードの懸念点を踏まえると、宮田にとっては一筋縄ではいかない後半戦になるかもしれない。

それでも、自身が抱き続ける夢を叶えるためにヨーロッパで頑張り続ける彼を、筆者は引き続き追いかけようと思う。

国内レースとの兼ね合いで日本から状況を追いかけることにはなるが、彼が繰り返し強調する「現地へ観にきてほしい」というリクエストに応えるため、最終盤の中東ラウンドに取材に行こうかなと考えている。

ブダペストでのレースが終わってから、一時帰国してスーパーフォーミュラのSUGOラウンドにも来場した宮田。その決勝日となる8月10日は彼の26歳の誕生日ということで、国内二冠を達成したTOM’Sのピットではサプライズのお祝いが行われた。
※Xの投稿は こちら

この2日間で、TOM’Sのメンバーをはじめ、さまざまな人と話す機会があったようで、ヨーロッパでの険しい表情とは違い、笑顔が増えていた姿が印象的だった。

日本でリフレッシュして、残り4大会に臨む宮田莉朋。ぜひ注目していただければと思う。

文:吉田 知弘

吉田 知弘

吉田 知弘

幼少の頃から父親の影響でF1をはじめ国内外のモータースポーツに興味を持ち始め、その魅力を多くの人に伝えるべく、モータースポーツジャーナリストになることを決断。大学卒業後から執筆活動をスタートし、2011年からレース現場での取材を開始。現在ではスーパーGT、スーパーフォーミュラ、スーパー耐久、全日本F3選手権など国内レースを中心に年間20戦以上を現地取材。webメディアを中心にニュース記事やインタビュー記事、コラム等を掲載している。日本モータースポーツ記者会会員。石川県出身 1984年生まれ

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