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今回のポーランド行きには、ロンドン五輪の準備のために出場する別府史之選手に話を聞く、という目的があった。別府選手が出場する男子エリートのロードレースは7月28日、タイムトライアルは8月1日に開催される。その2週間前に行われるポーランド一周に五輪の調整のために出場するのは別府選手だけではない。ベルギー代表のトム・ボーネン選手をはじめとする何人もの選手が、ツール・ド・フランスを回避してポーランドに向かうことを表明していた。
ポーランドのクラクフに到着したのは7月12日。そこから車で第3ステージのゴール地・チェシンに向かった。根拠もなく東欧の夏は涼しいものだと考えていたが、温度計は26℃を指して意外なほど蒸し暑い。市内に入るとレースコースの黄色いフェンスがすぐ目にとまり、コース脇の広告バルーンを辿りながらゴールエリアに到着した。
この日のプレスルームとして使われていたのは臨時休業のビール・パブ(!)。体が沈みこむフカフカのソファに座りパソコンを立ち上げてみると、別府史之選手(オリカ・グリーンエッジ)、ガブリエレ・ボシシオ選手(ウテンシルノルド・ネイムド)、マテウシュ・タツィアク選手(ポーランド選抜)の3人の逃げが集団に17分差をつけている、というレース情報が上がってきた。総距離200kmのうちまだ120kmを残しており最初の山岳にも到達していないが、それでも大きな差と言えば大きな差だ。集団がムキになって追走を始めてしまったら逃げ切る可能性は小さくなるが、このままリラックスした構えでいてくれれば期待できる、という状態だ。しかしこの17分差という数字が効いたのか、集団もスピードアップ。クバロンカ(1級山岳)に向かう別府選手ら3人と集団との差はじわじわと、しかし確実に縮められていく。タイム差は気になったが、プレスルームを出て周回コース脇でレースの到着を待った。
ゴール前300mの登り坂の両側には人々が鈴なりになり、登ってくる選手を一目見ようと身を乗り出している。ヘリコプターが頭上を旋回し、先導の警察車両が坂を駆け上っていく。その後ろから一団となった選手たちが続いていった。集団が追い上げていくペースから想像できることではあったが、先頭の3人は周回コースに入る前に吸収されたのだろう。ガヴァッツィ(アスタナ)とモドーロ(コルナゴCSF)を抑えて石畳の登りゴールを制したのは、シクロクロス世界チャンピオン、ゼネク・シュティバル(オメガファーマ・クイックステップ)。彼らから遅れること10分余り、40人近い集団の一員として別府選手はフィニッシュラインを越えた。
待ち構えていたソワニエからアクエリアス(オレンジ味)を受け取り一息つく別府選手に「お疲れさまでした」と声をかけると、「残り30kmくらいで捕まっちゃいました」と笑顔になった。その表情にそれほどの疲労感は見て取れない。
「2、3日前からコースのプロファイルを見て、第3ステージでと思っていたんです。道も知っていたし、このコースの周回も経験があるし、途中の一級(山岳)も以前走ったことがあったから、とにかく最初に時間を稼いで最後まで、と。まだ足はあったので最後まで行けるかなと思ってたんですけれど、ガーミンが!(怒)そういえばジロのときもガーミンにやられたんです。あの時もなんであんなに牽くのかいまいちわからなかったんですけれど!」
(※注 後日ガーミン・シャープのジョニー・ウェルツ監督に確認したところ、「それは誤解で、あれはラボバンクが中心になって牽いていた」との弁明あり)
「ジロが終ってからレースに出ていなかったので初日は調整のつもりでした。1日目からいきなりかなりきつい山岳コースだったので、その日は様子を見て走りました。2日目は平坦なスプリントステージだったからレースのスピード感覚やポジション取りを意識しながら走った。それで今日3日目、逃げるタイミングとしてちょうど良かった」
「最初はボシシオと2人で逃げるつもりだったんですが、そこにポーランドの選手が50秒近い時間差からどうやってかわからないけれど追いついてきて、3人になった。でも基本的には2人で上手に協力し合って、集団とのタイム差を広げていきました。最後は掴まってしまったけど、他にはうまくいけば中間スプリント賞とかも狙っていきたいと思っていたんです。山岳賞はチームメート(テクレハイマノット)が持っているから、中間スプリントポイントで同点首位を狙いたかった」
相手が僅かに総合でリードしていたためこの日に同点首位、というのは実際は無理だったが、この先のステージでもう一度逃げることができれば部門賞も射程内にある。
「今回はオリンピックの調整、ということで出場しているので、自分のコンディションを確かめるためにも1日は逃げたいなと思っていたんです。本当に手ごたえがあって、調子が良くて、すごく嬉しかった。第6ステージはきつすぎるから、もう一度逃げるとしたらたぶん第5ステージ。余裕を持って、落車だけには気をつけて、頑張ります」
翌第4ステージのスタート前には、チームバス前の縁石に座ってオリカ・グリーンエッジ、ポーランド組の雰囲気を別府選手に聞いた。
「傷病兵の病棟じゃないけど、病み上がりとか骨折後初レースとかそういう選手ばかりだから、チームとしてこれを達成したい、というような大きな目標があるわけではないんです。だからポーランドはのびのびと自分の調整に使って構わない雰囲気。チームメートが山岳賞を持っているし、あとゴール・スプリントはアイディス(・クルオピス)で狙っていくと思うので、そういう部分で手伝えることがあればチームの仕事もこなしていきます」
昨日の逃げの疲れがまだ足に残っているようだから自分自身がスプリントに絡んでどうこう、ということは考えていないが、とにかく怪我をしないこと、と言葉をつづけた。第1ステージではオランダのオリンピック代表選手であるニキ・テルプストラが落車でレースを去っている。同じ落車に巻き込まれたトム・ボーネンはその後もレースを続行しているが、五輪の調整のために参加しているレースで何かが起こってしまっては元も子もない。
「もしかすると今日はアイディスが勝ってしまうかも」
4時間後のチームメートの勝利を『予言』して、別府選手はサイン台へと向かって行った。
二日連続の山岳ステージの初日となる第5ステージ。レース前、アルゴス・シマノのチームバスに土井雪広選手のポスターを「お届け」するなどリラックスした雰囲気だったが、その一方でレース序盤は激しいアタック合戦になるだろうことを予測。実際、山岳賞でリードするチームメートのテクレハイマノットも別府選手自身も逃げに加わることはできなかった。しかし5つのカテゴリー山岳(1級山岳3つ、2級山岳2つ)をこなし、先頭集団で最後の山岳を越えた別府選手は、スウィフト、エヴィヴィアーニ、ヴィスコンティという錚々たるスプリンターたちに続く4番手として最終コーナーに飛び込んでいった。
「あそこでなんと4番手だったのに、コーナーの立ち上がりで順位を失ってしまいました。疲れも取れていたから足がなかった訳じゃない。もうもしかしてギアがおかしかったんじゃないかと思うほど!」
ロンドン五輪ロードレースのコースの正念場はボックスヒル(Boxhill)の登り。ここを9回駈け上ったあと、おそらくスプリントでフィニッシュラインは争われることになる。今日のコースでゴールスプリントに絡むことができた、ということは、3日目のエスケープに続き、ロンドンに向けた「プラスのサイン」だ。
「ボックスヒルの登りの勾配や獲得標高などをちゃんと意識して山岳はこなすようにしています。手応えは自信につながる。嬉しい。でも明日は一転して“サバイバル(生き残り)”のためのレースになりますけれど・・・」
この日、調整のために出場したこのレースで肋骨骨折という怪我を負ってしまったボーネンがリタイヤ。五輪出場への確信を持つためここにやってきていたフースホフトも、望みとは反対の答えを出してポーランドを去っていった。明日の厳しい山岳ステージとは別の意味のサバイバルレースが、ポーランド一周では繰り広げられているのだ。
全長191.8kmの第6ステージは、例えるなら『ジョーズ(鮫)の歯』。まったく平坦な部分がなく、常に登っているか下っているかだ。4.5kmで獲得標高250m(最大勾配11.4%)の1級山岳、5.5kmで獲得標高300m(最大勾配21.5%)の1級山岳、カテゴリー山岳ではないものの、獲得標高240mの登り — このコースを延々と5周する。コース自体も道が荒れていて、砂利が道路を覆っていたり、逆バンクの下りなどもあり、かなり神経を使う。実際に落車に巻き込まれた選手はそれほど多くなかったが、すでに一周目で遅れをとる選手もいたし、走りながらその先に残る周回を数えて気持ちが折れそうになるであろう典型的な難ステージだった。
優勝したリクイガス・キャノンデールのモゼールから遅れること15分余りで、別府選手はフィニッシュラインを越えた。バイクを止め、足を地に付けたその顔はここ数日のゴールのときより強張っていたが、ジロ山岳で蒼白を通り越して緑色になっていたときとは違う。にやっと笑顔になって、「冗談でしょ!」と一言。
「前回(2010年)もこのコースを走ってかなり、いや本当にかなりきつかったんですけれど、その時でも4周回だったんです。あれでも十分すぎるくらい十分だったんだけど・・・さらに今年一周増えてるっていったいどういうこと!?という感じ。でもなんとか今日もサバイバルできました」
あとは最終ステージを残すのみ、である。
「明日はクラクフのクリテリウム・ステージ。スプリントを狙うアイディス(・クルオピス)をサポートしつつ、自分はまず怪我がないように、無事ポーランドを終えたい」
それからロンドン入りまでは、フランスの自宅で最終的な調整をしながら過ごす。
「まず帰ったら2日間は休養。それからトレーニングを再開します。TTバイクを使った練習も行いますし、インテンシブ・トレーニングを組み込んだプログラムを中心に準備をしていきます。ロンドンの選手村には25日から入るので、現地でも数日間トレーニングをすることになります」
わたしは一足先にポーランドを去るため、次に話を聞くことができるのはロンドン、ということになる。「じゃあ、ロンドンで!」、握手を交わして手を振ると、すぐに笑顔に変わった。どんな苦しいゴールの後でも声をかけるとぱっと笑顔になる別府選手だが、ポーランドでは日に日にその笑顔に自信が加わっていったような感覚があった。
フランスの空港に到着してみると、ツール・ド・ポローニュ最終ステージではアイディス・クルオピス(オリカ・グリーンエッジ)のスプリント7位、という結果が届いていた。豪雨の中のレースとなったようだが、クルオピスのための仕事をこなした別府選手はレース終盤にストップ、危険回避のためにウェット・コンディションでのスプリントに参加しないという選択肢を取ったのだと思われる。
誰もが夢見るオリンピック。そこで自分たちの納得がいく結果を出すために、ポーランドで、フランスで、選手たちは最終調整に取り組んでいる。つまずいて足を止める選手たちもいる中で、別府選手はポーランドで自分の求めていた答えを手に入れた。その自信を力の源にすることができるだろう。ロンドンでオリンピックが開幕するまであと11日。7月28日、別府選手はポール・モルのスタートラインに立つ。
寺尾 真紀
東京生まれ。オックスフォード大学クライストチャーチ・カレッジ卒業。実験心理学専攻。デンマーク大使館在籍中、2010年春のティレーノ・アドリアティコからロードレースの取材をスタートした。ツールはこれまで5回取材を行っている。UCI選手代理人資格保持。趣味は読書。Twitter @makiterao
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