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サイクル ロードレース コラム 2017年6月23日

【ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~】ランス・アームストロング、奇跡の復活と大きな過ち。

ツールに恋して~珠玉のストーリー21選~ by 山口 和幸
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※本企画は2017年に実施されたものです。予めご了承ください。

世界中の自転車ファンを魅了して止まないTour de France。男たちの激闘の裏に隠されたHUMAN DRAMAに僕らは胸を打つ。ここに紡ぐ珠玉のストーリー21選があなたに届くとき、聞こえるのはきっと、ツールへの恋の予感。

【STAGE 16】自転車競技界永久追放、ランス・アームストロング(アメリカ)

米国テキサス州出身のランス・アームストロングはもともとトライアスロン選手で、10代のときからプロとして活躍していた。その後、自転車競技に転向して、1993年には21歳で世界チャンピオンになった。

2度目のツール・ド・フランス出場となった1995年には、バルセロナ五輪の金メダリストだったチームメート、ファビオ・カサルテッリがピレネーの峠の下り坂でクラッシュして死亡。3日後のレースでアームストロングは狂ったように単独アタックし、最後は両手の人差し指を何回も上空に突き上げて、天国の僚友に勝利を捧げながらフィニッシュした。

選手として絶頂期の1996年12月。生存率50%という睾丸癌に冒されていることを告白。半年間の闘病生活を乗り越えて、スポーツマンとして復帰した。そのことだけでも奇跡と言われた。

再びツール・ド・フランスに登場するのは1999年。初日にトップタイムを記録してマイヨ・ジョーヌを獲得したときは、地元フランスの観衆から温かい拍手が送られたが、7回もこのマイヨ・ジョーヌを着てパリに凱旋することになるとは誰も想像できなかっただろう。

ツール・ド・フランスでの戦い方は実に合理的だった。唯一の目標は最終的に総合1位になること。確実に勝つためには、できるだけリスクを背負わず、確率の高い方法で走ることだ。勝負どころのアルプスやピレネーでライバルたちが脱落するのを待ち、余力があれば奈落に突き落とす。その上で得意の個人タイムトライアルで決定的に突き放す。

7連勝を記録した2005年はシーズン当初から、ツール・ド・フランスがパリにゴールする最終日に引退することを表明していた。そして見事に有終の美を飾ることになる。これほどまでのパフォーマンスを発揮できたアスリートは他のスポーツをみてもそれほど存在するものではないだろう。

「癌になったあとでツールに7回も勝てたことを誇りに思うよ。ボクには恐れるものなんてなにもない。だってそうだろう。与えてもらった2度目の人生なんだからね」

一度現役復帰をしたアームストロングは2011年に二度目の引退をしたが、全米反ドーピング機関は2009年と2010年における同選手の血液を鑑定した結果、血液ドーピングの根拠が認められると判断して告発。同機関からアームストロングの薬物使用に関するレポートが公表され、すべてのレースの記録が抹消されるとともに自転車競技界から永久追放された。

2012年のことで、最後の優勝から7年もの歳月が過ぎていた。2013年1月17日に放送された米国の人気テレビ番組「オプラーズネクストチャプター」に出演し、ついにドーピングを告白した。

「当時は間違ったことはしていないと信じていたが、多くの人を傷つけてしまった。今後は私の人生をかけて信頼の回復につとめたい」

代替画像

山口 和幸

ツール・ド・フランス取材歴25年のスポーツジャーナリスト。自転車をはじめ、卓球・陸上・ボート競技などを追い、日刊スポーツ、東京中日スポーツ、Number、Tarzan、YAHOO!ニュースなどで執筆。日本国内で行われる自転車の国際大会では広報を歴任。著書に『シマノ~世界を制した自転車パーツ~堺の町工場が世界標準となるまで』(光文社)。2013年6月18日に講談社現代新書『ツール・ド・フランス』を上梓。青山学院大学文学部フランス文学科卒。

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