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スキー コラム 2017年12月15日

日本一のジャンプの町に生まれた女子ジャンパーの挑戦

「青春の挑戦者」4年に1度のシーズンがやってきた!2017-2018ウインタースポーツ編 by J SPORTS 編集部
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伊藤有希

北海道下川町はこれまで数多くのスキージャンプの名選手を生んできた日本有数のジャンプの聖地。そのジャンプの町に生まれ、育った少女が、今、世界最高を目指して飛躍している。今シーズン、高梨沙羅選手と並んで日本女子ジャンプの期待を背負う伊藤有希選手だ。下川町ジャンプ少年団の「どうせ飛ぶなら世界一」という言葉を胸に、2度目の五輪シーズンに挑む!

伊藤有希(土屋ホーム) YUKI ITO
スキージャンプ

伊藤有希

1994年5月10日 北海道下川町生まれ

2009年 FIS世界選手権 17位
2011年 FIS世界選手権 15位
2013年 FIS世界選手権男女混合団体 優勝
2014年 ソチ五輪 7位、FISワールドカップ 総合3位
2015年 FIS世界選手権 2位、FISワールドカップ 総合5位
2016年 FISワールドカップ 総合8位
2017年 FIS世界選手権 2位、FISワールドカップ 総合2位

ジャンプの町に生まれた誇りと自信

「下川町は、私の原点です。同じ場所でトレーニングをしていた先輩がどんどん世界で活躍しているのを見て、いつか自分も世界に行けるのではという夢を持たせてくれる場所でした。」
女子ジャンプの伊藤有希選手は、日本一のジャンプの町として知られる北海道下川町生まれ。両親ともスキー選手だったため、いつジャンプを始めたのか、小さすぎて記憶がないという。
「両親は、歩き始めたらすぐにスキーを履かせていたみたいなんです。気がついたらジャンプを飛んでました(笑)」
本人の記憶はないものの、4歳で下川ジャンプ少年団に入団。当時は女子1人。男子に交じって練習に取り組みながら、先輩たちの世界で活躍する姿を見つめていた。

「下川町は、生まれた時から高校卒業までずっと自分を育ててくれた町でした。立地条件、施設、設備、どれもジャンプの練習量をこなすには世界一の環境だと思っています。町を上げて応援してくれる町民のみなさんにいつも感謝していますし、下川町出身ということが自分の自信にもなっています。」
現在、伊藤選手の所属する土屋ホームの監督にしてジャンプ界のレジェンド、葛西紀明選手もその1人だ。
「監督はとても尊敬できる人です。何かを言われることはあまり多くないんですが、言わなくても練習に取り組む姿勢とか、背中で見せてくれる指導なんです。それができるのは監督だけだと思います。」

日本にいながら世界レベルの試合ができる

葛西監督の下、今シーズンの伊藤選手は、好調なジャンプを続けている。サマージャンプでも好調さをアピール。11月に行われたNHK杯では初優勝を飾るなど、高梨沙羅選手と並んで、ジャンプ日本女子をリードする存在にまで成長している。前回のソチ五輪では個人7位と悔しい結果に終わったが、この4年間は、平昌に向けて準備をしてきたという。フィジカルトレーニングに取り組み、ジャンプ自体が安定。練習方法もいろいろ工夫をしてきた。
「ジャンプは感覚のスポーツなので、飛ぶ前は毎日緊張するんです。少しでも感覚が変わると、一気に崩れてしまうのを身に染みて実感しています。だから、飛び過ぎには注意して、本数を絞って集中力を高めて飛ぶようにしています。調子が上がらないとき、何回飛んでもうまくいかない。そんなときはもっと飛びたくなるんですけど、それで調子をさらに悪くすることもあるので、気持ちを切り替えて、飛ぶ練習からビデオ確認してイメージ作りをしています。」
練習だけでなく、試合のシミュレーションも常にイメージしている。
「ランディングバーンはいろんな風が吹いているんです。もう落ちてしまうかもと思っても、後半の風に助けられて一気に伸びることもあるんです。逆に前半うまく飛べたと思っても、後半風がなかったら落ちてしまいます。いろんな条件を想定しています。」
感覚に加え、不安定な自然の条件にも対応できる力を身に着けて、着実に五輪への階段を上がっている。

「今シーズン、ワールドカップで成績を残すことがオリンピック出場につながっていきます。代表権争いはギリギリまで続きますが、4年間このために取り組んできました。選ばれたときには金メダルが取れるよう準備したいと思います。」
その際、最大のライバルとなる高梨選手については?
「高梨選手がいたからこそ、ここまで自分のモチベーションが続きました。世界のトップを走っている選手が、目の前に、しかも同じチームにいるのはすごく恵まれていると思っています。日本にいながら世界レベルの試合をすることができるわけですから。」

どうせ飛ぶなら世界一

伊藤選手にとっては、出場が決まれば2度目の五輪となる平昌。前回の反省を踏まえて、どのように挑むつもりなのか?
「4年に1度という特殊感がくせ者なんです。4年前はすごく特別な大会と思って臨みましたが、大会前に、毎年あるワールドカップの1試合と考えればいいと、葛西監督に教えていただきました。結果は満足していませんが、監督の言葉で平常心で挑むことはできました。今年の世界選手権でも同じようにワールドカップの1試合として考えていたのですが、会場やスタッフが盛り上がっていて、雰囲気に乗せていただいた試合ができました。それは4年前にはなかったことなので、オリンピックに行けたら、雰囲気を感じながら、自分の気持ちを盛り上げて飛ぶことができればと思っています。」
目標はもちろん金メダルだ。その思いは平昌だけでなく、その後の北京、その先へもずっとつながっている。
「下川町のジャンプ少年団には、“どうせ飛ぶなら世界一”という横断幕がかかっています。先輩たちが抱かせてくれたオリンピックでの金メダルを取るという目標はもちろんですが、そのモチベーションが続く限り、ずっと選手を続けていたいと思っています。もし、自分の理想のジャンプができたとしたら、ジャンプを辞める時じゃないかなと思います。私は常にもっとうまくなりたいと思ってジャンプをやっていて、今やっている課題ができたらまた次の課題が出てきます。それが楽しくて競技をやっています。だから、理想のジャンプは常に変わり続けると思いますし、変わり続けていたいと思っています。」

J SPORTS編集部

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