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フィギュア スケート コラム 2022年4月1日

「音楽家を目指したきっかけ」| 町田樹のスポーツアカデミア 【特別編】 ~アーティストとアスリートの身体・精神論~ 音楽家 反田恭平

フィギュアスケートレポート by J SPORTS 編集部
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音楽家を目指したきっかけ

音楽家を目指したきっかけ

今回お迎えしたのは、第18回ショパン国際ピアノコンクールで51年振りに第2位となった音楽家の反田恭平さんです。みずからオーケストラの株式会社Japan National Orchestraを創設し、ピアニストとしてのキャリアから、指揮者や経営者など活動の幅を広げ、今最も注目されている音楽家です。

反田(以下S):僕は生まれる前から元気だったそうです。母親曰く、お腹の中でもいつも踊っていたそうで、元気でわんぱくだった。生まれてくるときも臍の緒が絡まっていて、逆子の逆子だったらしく、一時は心肺停止になったくらい元気だったらしい。2歳くらいでサッカーが好きになってしまって、当時社宅に住んでいましたが、そこに幼稚園の年長さんまでのサッカーチームがあり、僕はその中で一番小さかったですけど、みんなを引き連れてキャプテンをしていました。僕は面白いことに昔の記憶の方がたくさん残っています。みんなで何かをすることがとても楽しくて、ゴールを決めてみんなで喜ぶことが子どもながらに楽しかった。その後、東京に引っ越してきて、そこの幼稚園にもサッカークラブがありました。今では東京ヴェルディに入っている子だったり、プロで活躍している子もそのサッカークラブにいました。小学生に上がって、地元のサッカークラブに入りましたが、そこもクラブチームとしては力を入れているチームでした。

僕は左利きで、左のFWを任せてもらって、点を取りにいく選手でしたが、とあるときに骨折をしてしまいました。その瞬間はアドレナリンが出ていて何も感じなかったんですけど、審判に指摘されて緊急搬送されました。翌日、接骨したときにものすごい痛みで、当時は日韓ワールドカップで鼻を骨折していた宮本選手が顔にマスクをしていて、お医者さんに「鼻の方が痛いよ」って言われて「この職業は無理だな」って思いました。一方で、水面下ではピアノもやっていて、達者に指は回っていました。それはおそらくサッカーをやっていたから、空間認識能力や動体視力から出てきたものだと思います。ピアノだったら怪我をしないということで、ピアノをちゃんとやりはじめたのが12歳のときだったんですね。なので11歳までは本格的にサッカーに打ち込み、ワールドカップに出たいという少年でした。

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