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フィギュア スケート コラム 2020年7月29日

【髙橋大輔選手スペシャルセレクション】新SPプログラムへの挑戦、五輪枠をかけた死闘で果たした責任

フィギュアスケートレポート by J SPORTS 編集部
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ISUフィギュアスケートアーカイブ

昨年末でシングルスケーターとしてのキャリアに別れを告げ、新たにアイスダンサーとしての道を歩み始めた髙橋大輔選手。

そんな髙橋選手のこれまでの偉業にオマージュを捧げ、これからの活躍にエールを贈るため、J SPORTSでは、出場大会を厳選した「ISUフィギュアスケートアーカイブ」と「ISUグランプリファイナルハイライト」をお届けしています。



2013年 四大陸選手権:理想のプログラムを求めて

たしかに表彰台は逃した。人生7度目の、そして現時点では最後の四大陸選手権で、5つ目のメダルは取りそこねた。ただし、これも、高橋大輔なりの美学を貫き通した結果なのかもしれない。

バンクーバーで日本男子初の五輪メダルを獲得し、直後の世界選手権では日本男子初の世界一へ。この2012/2013シーズンには、ついに日本男子として初の、GPファイナル王座につく。26歳、円熟の域に達していた。

しかし高橋は、決して守りには入らなかった。

GPファイナルを制したSP「ロックンロールメドレー」に別れを告げ、四大陸選手権で新しいSPプログラムを披露することに決めたのだ!「自分の気持ちがどうもしっかり演技に込められないから」という理由で。できる限り毎シーズン新しいプログラムを届けることにこだわった高橋だが、シーズン中に新しくプログラムを作り直したのは、決して短くないキャリアで初めての挑戦だった。

代わって年明け1月2日から大急ぎで取り組んだというSPは、ベートーヴェンの「月光」。わずか37日後の本番で「自然に体を動かすことができなかった」のも無理はない。ジャンプでは細かいミスが続き、スピンでは思うようなレベルが出なかった。それでもプログラムコンポーネンツでは高い評価を得た。静かに、深く、重く、限りなく……音と共鳴していく。高橋が見せたかった世界の片鱗は、間違いなくうかがい知れるはずだ。

この日、むしろ最高の演技を見せたのは、若く蒼き18歳の羽生結弦だった。泣きのギターに乗って、羽生の細く長い手足が、氷上で美しくクロスする。

J SPORTS放送情報

高橋とは異なり、プログラムを「チーズやワインのように熟成させる」ことを好む彼にとって、SPはいわゆるキャリア序盤の当りプログラム。GPシリーズで2度の歴代最高得点を更新し、今大会の数ヶ月前には初の日本一へと導いた「パリの散歩道」だ。ご存知、ちょうど1年後のソチで、史上初の100点超えを達成した栄光のプログラムでもある。

SPで首位に立った羽生も、4位で折り返した高橋も、しかしFSを最高の演技では締めくくれなかった。代わって旋風を巻き起こしたのがケヴィン・レイノルズ!

そもそも世界で初めてSPでの2種類の4回転に成功した「新4回転時代」のパイオニアである。SPは6位と出遅れたと言っても、実は出場23選手の中で唯一、4回転を2本組み込んだ。FSではさらに大胆に3本飛ぶ。……今や「4回転5本」時代に突入しているけれど、7年前のフィギュア界にとって、「4回転3本」はとてつもなくセンセーショナルだった。

3本の4回転ジャンプはもちろん、プログラム全体をほぼノーミスで滑りきると、レイノルズは天に拳を突き上げた。そしてスタンディングオベーション。大逆転だった。優勝者インタビューで流暢な日本語も披露し、しっかりと日本フィギュアスケートファンの心をつかんだ。



2013年 世界選手権:五輪枠をかけた死闘

過去10年間で唯一、日本男子が世界選手権の表彰台に上がれなかったのが、この2013年カナダ・ロンドン大会だ。

しかもSPを終えた時点で高橋大輔4位、羽生結弦9位、無良崇人11位。上位2人の順位合計は13。つまり11ヶ月後に控えるソチ五輪に向け、3枠確保にぎりぎりの数字だった。FSでは誰一人、絶対に、順位を下げることは許されない。

羽生は満身創痍だった。銀メダルで終えた四大陸選手権の直後に、インフルエンザで寝込んでしまう。さらに左膝を痛め、大会の1週間前まで練習ができなかった。しかもFSの公式練習で、右足首さえ故障した。

しかし羽生は、やはり羽生なのだ。FSの「ノートルダム・ド・パリ」では、鬼気迫るほどの演技を見せた。意地でもジャンプを降りてやる、という強い念。肩で息をし、ふらふらになりながらも、最後までステップを踏み抜く確固たる決意。そんな凄みのようなものが全身からにじみ出す。演技終了後に雄々しく吠え、そして氷上に崩れ落ちるーー。

これもまた、間違いなく、羽生結弦伝説のひとつ。技術点では出場24選手中、最高得点を叩き出した。大きなメダルにこそ届かなかったが、FS3位でスモールメダルは手に入れた。

無良は調子が良すぎたがゆえに、SPでは逆に力みすぎた。冒頭に予定していた4回転トーループが、すっぽ抜けて1回転に。

それでも4年ぶりの世界の大舞台を、失意のままでは終わらせなかった。枠取りのプレッシャーにも、決して負けなかった。4回転こそ着氷が乱れたが、その後は次々とトレードマークの勇壮なジャンプを決めていく。パーソナルベストを記録し、FSで堂々たる5位。総合では8位へのジャンプアップを成功させた。

つまり羽生の4位と無良の8位で、順位合計は12。終わってみれば2人の成績だけでも、十分に五輪3枠を確保できたことになるの。ただし当日は最終グループの22番滑走が終わるまで=残り2人になるまで、決して安心できない状況だった。

だからこそ19番滑走の高橋大輔は、責任を果たした。日本男子初の五輪メダリストとして。元世界王者として。フィギュアスケート界を長年牽引してきた、第一人者として。

シーズンを通して安定させられなかったジャンプには、たしかに、この日も少しだけ苦しめられた。しかしオペラ「道化師」のメロディーに乗せ、アリーナを激しい情熱の渦に巻き込んだ。愛憎と悲哀。そんな重く複雑な感情を、むき出しのまま氷上に吐き出した。高い演技構成点で、しっかりトータル6位に踏みとどまった。

そしてこの6位という成績が、高橋大輔にとって、男子シングル選手としての最後の世界選手権成績となる。

日本人が上れなかった表彰台には、パトリック・チャン、デニス・テン、ハビエル・フェルナンデスが並んだ。チャンにとっては3年連続3度目の優勝であり、また最後の世界選優勝でもあった。一方フェルナンデスにとっては、7度目の世界選挑戦で、嬉しい初のメダル獲得。ご存知の通り、この2年後には世界の頂点に上り詰める。

デニス・テンにとっても、初めての世界選表彰台だった。翌年のソチ五輪では銅メダルに輝いたカザフの星は、悲しいけれど、もうこの世にはいない。それでも、我々ファンの記憶の中はもちろん、こうして映像の中でも、デニスの柔らかで気品あふれるスケートは生き続けている。

文:J SPORTS 編集部

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