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ラグビー コラム 2020年7月7日

恩師の誘いを断り、涙。山下昂大の新たなる挑戦 早稲田佐賀高校ラグビー部初代監督就任へ

元トップリーガーの今 by 村上 晃一
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佐賀県の高校ラグビー界は全国屈指の実力を誇る佐賀工業高校が圧倒的な強さを誇っている。その佐賀県にある早稲田佐賀高校が、来春ラグビー部を創部することが発表された。監督に就任するのは、2019年度までコカ・コーラレッドスパークスでプレーした山下昂大(30歳)だ。山下といえば抜群のラグビーセンスで活躍したFW第三列であり、東福岡高校時代にキャプテンとして全国制覇を成し遂げ、早稲田大学、コカ・コーラでもキャプテンを務めた世代屈指のリーダーである。すでに家族で早稲田佐賀高校のある唐津市に住み、同校事務局で広報を担当しながら創部の準備を進めている。コカ・コーラの正社員であり、大学時代に保健体育科の教員免許も取得した山下には、さまざまな選択肢があった。なぜ、高校の指導者になったのか、なぜ、教員ではないのか、なぜ、東福岡高校に戻らなかったのか、素朴な疑問をぶつけてみた。


──今年の1月、コカ・コーラレッドスパークスからの退団が発表されましたね。

「2019年度で現役引退をすることはシーズン初めに決めていました。日本代表、サンウルブズ入りを目指してきましたが、それに対する思いが薄れてきたときが一つの引き際だと考えていました。将来指導者になりたいという思いもあったので、今がそのタイミングだと思ったからです」

──早稲田佐賀高校から打診があったのはいつですか。

「昨年8月です。創部されるラグビー部の監督就任について打診がありました。高校の指導者になりたいという気持ちはずっと持っていましたが、それが実現するまではコカ・コーラで、コーチ、スタッフとして勉強させてもらいたいと考え、向井昭吾監督には相談していました。タイミングよく、声をかけていただいたということです」

──指導者になりたいという思いは、いつ頃から抱いていたのですか。

「中学生くらいから思い始めて、東福岡高校3年の進路選択の時には保険体育の教員になりたくて、早稲田大学スポーツ科学部を志望しました。教員免許も取得しています。東福岡高校ラグビー部の谷崎重幸先生(当時の監督)、藤田雄一郎先生(当時コーチ、現監督)に出会った影響も大きかったです。僕にいろんな価値観を与えてくれました。ラグビーを通して、生徒たちの一生の礎になる期間に携われることに憧れを抱きました」

──高校時代に学んだのは、どんなことですか。

「高校時代は人間育成をしていただいたと思っています。谷崎先生はラグビーの細かいことは特に言わず、戦術・戦略については選手の自主性に任せてくれました。高校の時は人として感謝の気持ちを持つとか、整理整頓をするなど人間として成長させてもらったと思っています」

──山下さんが東福岡高校のキャプテンとして全国制覇をしたとき、初優勝なのに、あまり喜びませんでしたね。印象に残っています。

「当時は17歳でしたが、一生懸命背伸びしてチームをまとめようとしていたと思います。あの時は、親友の死(大会直前にチームメイトが事故で亡くなった)もありました。それに、伏見工業の選手が泣き崩れている横で大騒ぎするのは違和感がありました。高校生なのに、よくできたと思います。今の僕は喜んじゃうと思います(笑)」

──自由奔放な東福岡から戦術・戦略を細かく準備する早稲田大学に進みましたね。

「ラグビーについて、僕の基本的な考え方を植え付けてくれたのは早稲田大学です。東福岡は流動的で個人の能力を生かすスタイルでした。早稲田大学は三次攻撃、四次攻撃まで人の動きが決まっている。最初はよく分からなかったのですが、なぜ、この選手はこう動くのか、この動きにはどういう意図があるのかとか考えるとすごく面白い。意図通りにボールを運ぶためにオプションをチームで共有しておくのはとても大切だと思いました」

──対照的なプレースタイルを学んだことは、指導者としても活かせそうですね。

「もっといろんなラグビーの形はあると思いますが、対極にある2つのラグビーができたことは僕にとっての財産です」

──大学でもトップリーグでもなく、高校の指導者になりたいのはなぜですか。

「大学生はある程度パーソナリティーができていますよね。高校生の人間形成に寄与できるのは、すごくやりがいがあるし、ラグビーのスキルだけを教えるのではなく、人としての土台の部分を育みたいという思いがあります。そういう職業はなかなかありません」

──早稲田佐賀高校ラグビー部のチーム理念として「姿勢と行動で目の前の人に勇気と喜びを与える」を掲げましたね。

「たとえば校則を破ったとして、良いか悪いかを考えるとき、それが理念に則っているかどうかが大事です。間違ったことをしていたら謝るのが当然ですが、なぜそうしたのか、そうしてしまったのか、人として理念に則っているかということです。理念を作り、チームに一本芯を通したいという思いがありました」

──勇気と喜びを与えるような体験をしたのですか。

「この理念を考えたとき、自分が体験したことよりも、させてもらった立場で考えました。昨年のラグビーワールドカップの日本代表には感動させられたし、同期の立川理道選手が日本代表、サンウルブズを目指して努力する姿勢にも感動しました。部員達には、ラグビーだけではなく、学校生活、寮生活で姿勢の部分を人として大事にしてもらいたいと思っています」

──ラグビーというスポーツから学んでほしいのはどんなことですか。

「自己犠牲という言葉をよく使いますが、僕はいま一つぴんとこないのです。タックルするのも、チームに貢献できることだからしてるわけですよね。犠牲というより、一人一人が自分に与えられた役割を100%まっとうすることでしか、15人という人数の多いチームスポーツで勝つことはできないと思います。自分がすべきことに100%コミットするということの大切さをラグビーから学んでほしいです」

──教員ではなく職員の立場で監督になるのもユニークですね。

「いま、働き方改革等で教員の時間のやりくりが難しくなっています。職員が部活動の時間を担当するという新しい形ですし、トップリーガーのセカンドキャリアの新しいモデルを唐津から発信できたらという思いもあります」

──来春の創部になるようですが、それまではどんな活動をするのですか。

「創立10年の若い学校です。私は事務局の広報担当でもありますので、学校、そしてラグビー部創部の周知活動をしようと思っています。先日も福岡のラグビースクール5校をまわりました。受験のハードルもありますので、そのあたりの説明をしながら、学校の魅力、ラグビー部一期生としての魅力などを伝えています。創部一期生は、いまの中学3年生にだけ与えられた権利ですからね。あとは私自身のラグビーのブラッシュアップをしていきたいと思っています」

──新入部員は何名くらいが理想ですか。

「15人から20人ですね。監督の目が届かない人数だと不幸な生徒が生まれます。これくらいで3学年揃うのが良い人数だと感じています。早稲田佐賀高校は、約1000名の生徒がいますが、約650人が寮生です。4割くらいが福岡からで、東京、神奈川、千葉、埼玉が4割います。日本のいたるとこから生徒が来ていますし、帰国子女の生徒もたくさん学んでいます。さまざまな考え、いろんな出身地の子と触れ合える。多様性を経験できるのもこの学校の大きな魅力です」

──すぐには花園に出られないのが現実だと思います。どのように中学生に話すのですか。

「早稲田大学への内部進学率が西日本では一番です。学校としての魅力が大きいと思います。4割くらいが福岡からの生徒と言いましたが、福岡はラグビーの強い学校が多いので、早稲田佐賀も受験の選択肢になると思います。僕が花園で優勝し、U20日本代表、トップリーグなどいろいろ経験していますので、それも魅力にして感じてもらえれば嬉しいです」

──山下さんの東福岡高校時代のコーチである藤田さんには報告したのですか。

「藤田先生には、東福岡高校で教員にならないかと声をかけていただきました。なんとなく、周囲からは僕が東福岡に行って藤田先生の後を継ぐのではないかと思われていたし、僕自身もそんな気持ちでいました。でも、早稲田佐賀が少し先に声をかけてくださったということです。ラグビー部を立ち上げから指導してみたいという気持ちもありました。早稲田佐賀に心が傾いているときに東福岡からも話をいただいたのです」

──恩師からの誘いでは心が動いたでしょうね。

「藤田先生と食事をしながら話しました。迷いもありましたが、気持ちは早稲田佐賀に動いていることを正直に話しました。泣きながらでしたね。最後は背中を押すような言葉をもらいました。記者会見の夜も電話しましたが、『できることがあったら、なんでも言ってくれ』という温かい言葉をいただきました」

──目標を聞かせてください。

「長期的には花園に出ることですが、佐賀県には佐賀工業高校という偉大なチームがあります。しっかり戦って勝てるようなチームを作っていきたいですね。プレースタイルは、早稲田大学に近い、見て楽しく、やっても楽しいものを目指します。それが選手自身のプレー向上につながる一番の近道ですから。ボールを動かすスタイルは僕のロジックや戦略的な部分がはまると思います。プラスアルファで早稲田佐賀のオリジナルラグビーを作っていければと考えています」


文:村上晃一

村上晃一

村上 晃一

ラグビージャーナリスト。京都府立鴨沂高校→大阪体育大学。現役時代のポジションは、CTB/FB。86年度、西日本学生代表として東西対抗に出場。87年4月ベースボール・マガジン社入社、ラグビーマガジン編集部に勤務。90年6月より97年2月まで同誌編集長。出版局を経て98年6月退社し、フリーランスの編集者、記者として活動。

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