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ラグビー コラム 2019年7月10日

ラグビーを愛するトップビジネスマンに聞く~識学 安藤 広大社長~

ラグビーのすゝめ by 村上 晃一
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安藤広大

──4年生のときに清宮克幸監督がやって来たわけですね。

「清宮さんが監督になって、それまでやってきたことがガラッと変わりました。ラグビーのセオリー通り、FWの強化、基本の徹底などが始まりました。選手の試合ごとの評価をデジタルで出すなどロジカルでもあった。その経験が今の私の仕事に通じている部分があります」

──清宮監督になって、その年に大学選手権で準優勝しましたね。

「春から急に勝ち始めました。いつもは春、夏は弱くて、冬に強くなるのですが、春も夏も、Cチームくらいまで強い。完全に清宮さんが変えたものです。試合中の決め事がかなり細かくなりました。各選手の役割分担、4次、5次攻撃まで誰がどのラックに入るかなど、動きを決めるようになりました。僕は、そういうやり方はプレーが窮屈になるのではないかと思ったのですが、逆に選手に迷いがなくなって、非常に分かりやすくなりました」

自分で努力できたかを決めないでとにかく人より頑張りたい

──卒業後は、ラグビーは続けなかったのですか。

「実は、NTTドコモにはラグビーをする前提で入社しました。当時のNTTドコモは関西社会人Bリーグの下位チームでした。午後6時まで仕事し、週に2回ほどの練習で試合をする。そういう条件で入社したのですが、NTTグループとしてラグビーを強化していくということになって、NTT西日本のラグビー部の人たちが合流し、勤務時間も短くなった。それは僕が望んでいたことではなかったので退部しました」

──そこから起業されるまでの経緯を聞かせてください。

「4年間ドコモで働いた後、当時マザーズに上場したばかりの派遣会社に転職しました。そこで6年半お世話になったのですが、取締役にもなり、企業のトップというものを経験させていただきました」

──その会社では、早稲田でのラグビー経験は生きましたか。

「プレーヤーとしては生きました。伸び盛りの会社で長時間労働は当たり前です。僕は早稲田のときに、理不尽という言葉を使わなくなりました。理不尽というのは、自分の常識と違うだけです。早稲田では、いまいる環境に合わせて、パフォーマンスを上げることが求められました。それが当たり前になっていたので、その環境の中でいかに自分が力を発揮するか、それだけを考えて働きました」

──ラグビーによって、自分が変わった部分はありますか。

「ラグビーでは自分の責任を果たすことを学びました。僕は左目がほとんど見えません。左のタックルが苦手でした。しかし、そんな状況でも責任は果たさなくてはならない。そこは磨かれたと思います。もう一つ。僕は早稲田に入学するまで、努力してできなかったことはありませんでした。スポーツでレギュラーになるとか、受験で合格するとか、努力すればできた。でも、早稲田ではまったくかなわなかった。しかし、よくよく考えてみると、本気で努力した人間はレギュラーになっているのです。自分なりに努力したつもりが、そこは甘かったと思いました」

──そういう選手がいたのですか。

「一年後輩に柳澤というFBがいました。彼はけっして上手くないのに、レギュラーだった西辻という選手について『倒せると思います』と言うのです。何を言っているだろうと思っていましたが、真剣にレギュラーを狙って努力して、彼は試合に出ました。やればできること、一方で努力しないと叶わないことの両方を経験できたのは大きかったです。いま、仕事をするときは、自分で努力できたというのを決めないで、とにかく人よりも頑張ろう、と思っています」

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