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モーター スポーツ コラム 2025年4月9日

かつてのF1の笑い話とショッキングなニュース

今日も今日とてプッシュ&ルーズ by 高橋 二朗
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鈴鹿サーキットで開催されたF1GP第3戦

266,000人ですか。

2025年のF1GP第3戦、鈴鹿サーキットのものすごい盛り上がりは、SNSで見ることができた。

F1ライブタイミングのアプリケーションを見つつ、昔のことを思い出していた。1987年に鈴鹿で初のF1GPが開催された時のこと。富士スピードウエイで行われた日本初のF1GPから10年。ホンダがエンジンサプライヤーとしてF1に復帰して活躍を見せ、日本人初のフルシーズン参戦ドライバー中嶋悟選手も誕生した。

そして、現在タイヤの一社供給をしているイタリヤのピレリ社が2年間の供給休止から89年にF1へ復帰。当時は、グッドイヤー社とタイヤメーカー2社が競合していた時代。ボクはそのピレリ社の現場セットアップからスタッフの送迎などお手伝いに携わった。ピレリ社のスタッフ、タイヤフィッターは、F1チームに比べてかなり早く現地入り。ボクは大阪の伊丹空港にバスを仕立てて迎えに行った。しかし、待てど暮らせど出て来ない。するとフィッター頭が税関出口に現れて「助けてくれー」と叫ぶ声が。税関職員に呼ばれて、空港税関長の部屋に入りタイヤフィッターたちについて質問を受けた。フィッター達が通関する時に来日の目的を問われ<仕事をしに来た>と答えたのだけれど、VISAを有していなかったので通関できず留められていたのだった。ボクは、税関長に<仕事>といっても外貨を獲得するような仕事では無く、三重県の鈴鹿サーキットで行われるF1GPで使用されるタイヤのフィッティング作業に来ていることを説明し、納得していただいた。説明の最中に税関長は、ずっとメモをとっていたのを思い出す。めでたく通関できたスタッフたちは「ジローのお陰で命拾いしたぜ!」と到着ロビーで大騒ぎ。まだF1GPが世にあまり知られていなかった当時の笑い話。

先週の鈴鹿F1GPの翌日、月曜日の朝にショッキングなLINEが舞い込んできた。トムスの舘さんから<アメリカの服部茂章君が亡くなったらしい。情報ないか?>と。北米レースシーンのオープンフォイラーで日本人初のオーバルコースレース優勝、インディ500にも出場、完走を果たし、NASCARのトラックシリーズに転向、その後はチームオーナーとして同シリーズでチャンピオンとなった。彼が来日した際に会うと、いつも歯に噛んだような笑みをたたえて、挨拶を交わし。そしてボクはアメリカのNASCAR事情などをいっぱい質問させてもらった。近年はTGRとの連携も行うなどしていたが、交通事故で亡くなったことが確認された。今後、アメリカの太いパイプ役となってくれるはずだった。彼の逝去は、日本のモータースポーツにとって大きな喪失。本当に残念。ご冥福を祈ります。

文:高橋 二朗

高橋 二朗

高橋 二朗

日本モータースポーツ記者会。 Autosport誌(英)日本特約ライターでもあり、国内外で精力的に取材活動をするモータースポーツジャーナリストの第一人者。1983年からルマン24時間レースを取材。1989年にはインディー500マイルレースで東洋人としては初めてピットリポートを現地から衛星生中継した。J SPORTSで放送のSUPER GTのピットレポーターおよび、GTトークバラエティ「GTV」のメインMCをつとめる。

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